乱入者

「母がこの国に逃れたお陰でわたしが生まれた。わたしにとっては有難い話ですが、ソレイル王国にとっては痛い誤算なのでしょうね」

「……そうね。けれど、悪い事ばかりではないわ。我々は貴女が生まれてくれた事を類稀な幸運と考えているわ」


 向かい合って座ったまま、互いに声を荒げることもなく会話を続ける俺たち。それでもやはり単に和やかな話し合い、というわけにはいかない。

 小さく唾を呑み込んだシャルロットが恐る恐る口を挟む。


「お姉様に何を期待していらっしゃるのですか?」

「悪い話じゃないから安心して頂戴。ただ、お願いしたいことがあるだけ」


 義妹の声には若干の棘があった。

 貴族はたとえ兄弟姉妹であっても運命共同体とは限らない。アンリエットはシャルロットが俺と協力体制にあることを理解したはずだ。たかが他国の令嬢一人とはいえ、本当に俺へ『お願い』をするつもりなら強硬な手段は避けたいはず。

 間をもたせるようにカップが傾けられ、それから言葉が続けられる。


「単刀直入に言うわ。リディアーヌ、どうか私達を──」

「お待ちください、現在は来客中です!」

「黙れ! いいから中へ入らせろ!」


 部屋の外からの声がアンリエットの『本題』を遮った。

 隣国の第一王妃となった若い女は苦笑を浮かべて言葉を切った。

 どうやらいいところで邪魔が入ったらしい。護衛として立つモニカは既に剣へと手をかけているが、それをアンリエットが制した。


「荒事の心配はないはずよ。……あいつらも王族だから下手な対応は避けなさい」

「ご忠告、感謝いたします」


 聞こえてきたのは男の声。ということは相手は一人しかいない。

 ここまで大人しく話を聞いていたジャンヌがため息をついて俺たちへ告げてくる。


「グレゴール殿下はレティシア殿下によく似ていらっしゃるから、気を付けた方がよろしいかと」


 ばん! と音を立てて扉が開き、メイドの制止を振り切るように一人の男が入ってきた。

 角ばった印象のある厳めしい顔つき。身体も筋肉質かつ大きい。服や腰にさした剣にはソレイルの紋章が入っており、彼がやんごとなき身分であることを証明している。

 彼の後からはいかにもきつそうな目つきをした女性が入ってきた。男は三十代、女は五、六十代といったところか。

 俺は慌てて立ち上がって跪く。シャルロット、ジャンヌも同じだ。


「グレゴール・ドゥ・ソレイル殿下、ならびにレティシア・ドゥ・ソレイル第二王妃殿下とお見受けいたします。お初にお目にかかります。わたしはリディアーヌ・シルヴェストル。リヴィエール王国宰相ジャン・シルヴェストルが長女でございます。両殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう──」

「抜け駆けとはいい度胸だな、アンリエット!」


 応えるどころか俺の挨拶が終わるのも待たず、太い声が応接間に響き渡った。

 顔を上げられないまま俺は事の成り行きを待つ。


「あら。客人の応対中に乗り込んでくるなど、そちらこそ失礼が過ぎるのではありませんか、グレゴール様?」


 明らかに怒っている男──ソレイル王国の王子グレゴールに対し、アンリエットの声は静かだ。しかし、堂々と言い返しているあたり一歩も引く気はない様子。

 靴のヒールが床の絨毯を叩く衝撃がかすかに伝わる。


「私達を差し置いてリディアーヌ・シルヴェストルと会おうなどと邪な策を講じるからです。七番目の王妃としての分を弁えなさい、アンリエット」


 第二王妃レティシア。


「これは失礼をいたしました、レティシア様。……ですが、シルヴェストル家の両令嬢を呼んだのはドレス等の買い付けを手伝ってもらうためです。お二人は買い付けにこられたわけではなかったと記憶しているのですが、私の勘違いでしょうか?」

「ふん、白々しい嘘を。どうせこの小娘に良からぬ事を吹き込むつもりだったのでしょう? 陛下をどうやって誑かしたのか知らないけれど、子を授かる見込みがないからと他所から手に入れようとするなどと──」

『あら? なんだか大事なことをぺらぺら喋ってくれているわね、この人』


 どうやら両王妃は仲が悪いらしい。それはそうだ。年齢から言っても圧倒的に格下だった娘が自分を差し置いて正妃に選ばれてしまったのだから。

 位から言えば今はアンリエットの方が格上。グレゴールもレティシアも敬語を使うべきなのだが、染みついた習慣は簡単に変えられない。何よりプライドが許さない。

 その上、俺の扱いでも何やら対立している雰囲気。

 大方、アンリエットにしてやられないよう強引に同行を決定したのだろう。


 なおも2vs1での言い争いを続けた後、レティシアは急に俺たちへ向けて言った。


「いつまで跪いているつもりかしら。さっさと退席しなさい」

『いや、少なくともこっちの国じゃ、王族が「面を上げよ」って言うまで跪いているのが当たり前なのよね』


 心中で毒づきつつ顔を上げ、侮蔑の表情を浮かべる第二王妃と顔を合わせる。


「お言葉ではございますが、アンリエット殿下から受けた招待でございますのでご命令に応じるわけには──」

「うるさい! 礼儀知らずの小娘は黙りなさい!」


 今度は高い声が室内に響く。なるほど、確かに良く似ている。

 姿勢を崩さず顔だけ上げたまま口を噤むと、グレゴールの舐めるような視線が俺の全身を撫でた。


「面倒だ。母上、さっさと用件を済ませてしまいましょう。なら母体としては十分でしょう」

「ああ、そうね。グレゴールが気に入ったのなら良かったわ。そのためにこの国までやって来たのだもの」


 似たもの親子が俺を見下ろす。アンリエットが何かを言おうとしたが、二人分の眼光を受けて黙った。


「リディアーヌ・シルヴェストルに命じる。俺の妻となってソレイルのために奉仕しろ。それが尊い血を受け継いだ者としての使命だ」

「グレゴール殿下! 恐れながら、それはあまりに横暴かと──」

「黙れ、ジャンヌ・バタンデール!」


 抗議の声を上げたジャンヌも一喝されて口を閉ざしてしまう。

 仕方ない。臣下である以上、不敬を続ければ罰せられる可能性もある。自分だけの処分ならともかく家の評価をも背負っているのだから下手なことはできない。

 だが、


「グレゴール殿下。立ち上がる許可をいただいてもよろしいでしょうか?」

「うむ。許そう」


 許可をもらって立ち上がってから、何十センチも身長の違う三十路男の前に立ち、カーテシー。


「お初にお目にかかります。リヴィエール王国宰相ジャン・シルヴェストルが長女、リディアーヌと申します。両殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう──」

「挨拶は既に済ませただろう。何故もう一度続けるのだ」

「先ほどのご挨拶はどうやらお耳に入らなかったようでしたので」


 姿勢を正した俺はにっこりと微笑んで彼に告げた。


「わたしはリヴィエール王国の貴族であり、第三王子リオネルさまの婚約者です。王命による婚約を自分の意思で違えることはできませんし、自国の利益を考えればおいそれと他国へ嫁ぐことはできません」


 平たく言うと『何で別の国の王子様が偉そうに命令してくるのかわからないんだけど?』ということである。

 これにかちんときたのか、グレゴールは額に青筋を浮かべて、


「不敬だぞ。この場で斬り殺されたいのか」


 剣の柄に手がかかる。


『へえ、ふーん? そんなことするのね?』

「アンリエット殿下。お伺いしたいのですが、城の離れを借り受けるにあたって武器の使用に制限はかけられなかったのでしょうか?」


 振り返って尋ねると即座に答えが返ってくる。


「もちろん、当日中に誓約書を交わしたわ。帯剣を許されるのは護衛およびグレゴール様のみ。その上で、くれぐれも自分から騒動を起こす事の無いようにと言われているわ。攻撃の意思ありと判断した場合、リヴィエール王国側は独自の判断で対応する、とね」

「では、グレゴール殿下がわたしを前に剣を手にした時点で、わたしとモニカには応じる権利がありますね」

「騎士が剣を抜き、あなた自身も魔法を準備するくらいは仕方ないでしょうね」

「なっ」


 許可が出た瞬間にモニカの剣が引き抜かれる。

 照明と陽光を反射して輝く刃にメイドたちが悲鳴を上げた。

 ソレイル側の護衛たちもまた色めき立つが、彼らは対応に迷うように視線を彷徨わせながら立ち尽くしていた。これに憤ったのは似た者親子。


「何をしている! 早くこいつらを叩き出せ!」

「ソレイルの騎士たる者が何という体たらくなのかしら! ほら、さっさとグレゴールの命令を聞きなさい!」

「しかしながらレティシア殿下。自衛を咎めて武力を行使すればこちらが非を背負う事になります。国際問題ともなれば陛下の心労ともなるかと」


 ちっ、と、グレゴールが舌打ち。


「使えない奴らだ。ならばこの俺自ら立場の差をわからせて──」

「よろしいのですね?」

「っ!?」

「離れの中にいる我が国の戦力はモニカ一人。対してソレイルの騎士は大勢います。その状況で殿下が剣を抜かれれば、わたしは身を守るために抗うしかありません」

「私が証人になりましょう。先に仕掛けたのはグレゴール様の方だった、とね」

『だ、そうだけど?』


 アンリエットはなんだか楽しそうな表情である。さては、グレゴールたちの失言を引き出すために途中でわざと反論を収めたな? お陰で矢面に立たされてしまったが、騎士たちが従わなかったあたりグレゴールたちの横暴さは広く知られているのか。


「……ぐ。口だけは回るようだな。仕方あるまい。こちらとしても手荒な真似は本位ではないからな」

『こら。ちょっと。謝りなさいよそれでも男なの?』

「モニカ」

「はっ。……皆様には失礼をお詫びいたします」


 グレゴールが剣を離し、モニカが剣を収めたことで騒ぎは収束。

 いっそのことさくっと始末してしまった方が世のためだったかもしれないが、そこまでするには先に向こうに一太刀くらい許さないといけない。さすがにそれはなかなか危険というものである。

 ともあれ、こういう時に強気で行ってもOKなのは悪役令嬢の特権。


「グレゴール殿下。わたしに求婚いただくにはリオネルさまとの婚約を解消する必要があります。前もって陛下と交渉を行っていただき、婚約解消の許可を取り付けてくださいますでしょうか。そうでなければこちらとしてはなんの返答もできかねます」

「許可が出れば俺の嫁になるんだな?」

「両国にとって利益となる有意義な条件を提示いただければ、喜んで」


 にっこりと微笑んでやると、強面の顔に再び青筋が浮かんだ。

 しかしこちらは何も変なことは言っていない。

 レティシアがため息をついて、


「こんな子供、第二夫人以下だとしても願い下げよ。グレゴール、女なら私がいくらでも見繕ってあげるから止めておきなさい」

「第二夫人以下?」


 小さくシャルロットが呟く。礼儀正しく、依然として跪いたままの彼女。背を向けているのもあって表情は見えないが……なんだか、今まであまり聞いたことのないような低い声音だったような気がする。

 グレゴールは気づかなったのか、ふん、と鼻を鳴らして、


「アンリエット。これとはまだ何も話をしていないのだな?」

「ええ。交渉については全てこれからです、グレゴール様」

「ならばいい。……リディアーヌ・シルヴェストル。俺の申し込みが先だという事を忘れるなよ」


 そうして、来た時と同じく乱暴な態度でグレゴール、レティシアは去っていった。

 扉が閉じてから十数秒。嵐が去ったことを確認すると、護衛の騎士も含めた全員が安堵の息を吐いた。全員の心が一つになった瞬間である。


「怖い思いをさせてごめんなさい。……まあ、正直面白いものが見られて私としては楽しかったけど」


 ようやく立ち上がったジャンヌが堪えきれないというようにくすりと笑った。


「さっきの話はまた今度にしましょう。今日のところは本題を進めさせてもらえるかしら?」

「喜んで」


 服飾関係の買い物に伴う商人への仲介依頼。これについては情報さえ持って行かれなければ譲歩する用意がある。

 おそらく俺たちの心証に気を遣ってくれたのだろう。和やかなままに話し合いは終わったのだった。

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