隣国の王妃

 隣国より馬車二十台以上からなる一団が辺境伯領へ入ったと知らせが来た。

 騎士は馬車と同数程度。騎士の数を上回る兵士を伴い、車体や鎧には大きく竜の紋章を掲げているという。

 途中、辺境伯家や公爵邸に宿泊、道中の大きな街へも立ち寄りながら一週間程度をかけて王都へと到着する見込みになっている。迎えとしては副団長を含む騎士十名程度が兵を伴い合流したとか。


「王族からは正妃アンリエット殿下と第二王妃レティシア殿下、レティシア殿下の次男グレゴール殿下の三名。文官数名の他、アンリエット殿下の姪で侯爵令嬢のジャンヌ様が同行しているそうです」


 例によって夕食時。

 参加者確定の報を受けて城で会議中の父に代わり、父から念話を受けたアランが教えてくれる。現時点では機密事項だが、このくらいの情報はおそらく数日後には上位貴族ほぼすべての耳に入っているだろう。

 ただ、


「待ってお兄さま。正妃殿下と第二王妃殿下ってどういうこと? 事の発端は第七王妃殿下だったはずでしょう?」

「ああ、僕も驚いている。だけどこれには理由があるんだ」

「……なるほど。故人の名を名簿から消すという口実で序列を再決定したのですね。敢えて今この時期に」


 一足早く結論にたどり着いたセレスティーヌの言葉にアランが「そういう事です」と頷いた。


「現正妃のアンリエット殿下は元第七王妃。そして第二王妃のレティシア殿下は元第三王妃にあたります。存命中の王妃としてはレティシア殿下が最年長ですね」


 王妃は既に三人死んでいるという話だから、つまり元正妃と元第二王妃、それから四から六までの誰かがこの世を去っているわけか。

 それにしたって四人残っているわけで、元第七王妃が正妃抜擢というのは豪快な話である。


「随分買われているのね、アンリエット殿下は。よっぽど顔がいいのか、それともよっぽど頭が切れるのかしら」


 序列の入れ替えには反発もあったはず。それを押し切って実現させた理由としてはアンリエットが飛びぬけて寵愛されているか、愛を飛び越えた重用されているかだ。

 養母もまたこれに頷く。


「第七王妃の肩書きでは不足と考え、最も信を置く妃に正妃の座を与えたのでしょう。敢えてこの時期を選んだのはおそらく国内の対応を封じるため」

「隣国の国王陛下としてはなんとしてもアンリエット殿下の派閥になにかを成し遂げさせたい、と」

「ジャンヌ様は御年十一歳。リディやシャルロットと歳が近いから話しやすそうだね」


 案の定、先方は子供を一人連れてきた。

 なお、グレゴール王子は既に三十を超えているのでお子様ではない。


「もしご指名があったら、私もお姉様のお役に立てるように頑張ります」

「ありがとう、シャルロット。でも、なにもないならない方が気楽でいいのよね」

「安心してください、リディアーヌ。ほぼ確実にお呼びがかかります」

『まあ、そりゃそうよね』


 むしろ今から会議に呼ばれなくてほっとしているくらいだ。まだ十二歳の小娘ではあるが、最近の登城率からするとありえなくもないから困る。


「でも、辺境伯家や公爵邸に泊まるっていうのも不穏ね。隣国の王族なのだから領主邸で歓待するのは当然ではあるけれど」

「アデライド様のお話を詳しく調べるため、なのでしょうか……?」

「強硬に話をするつもりがあるかはともかく、圧力をかける狙いはあるだろうね。何しろ王女が一人、赤子のうちに他国へ移されているんだ」


 辺境伯家は既に回答を用意しているだろう。そもそも詳細については隣国側の方が詳しいのではないかという話もある。


「三人とも、隣国の情報については可能な限り頭へ入れておいてください。どんな知識がどこで役に立つかわかりません」

「かしこまりました」


 セレスティーヌの指示に俺たちは素直に答えた。






 隣国の王族一行の来訪から一週間ほどは何事もなく過ぎた。

 城へ呼ばれてあれこれ命じられたり会議に参加させられることすらなし。というか、逆に「呼ぶまで城には近づかないこと」という指示まで出された。

 意図しないところでばったり、という可能性をなくすためだ。

 アンリエットたちは城の離れが丸ごと一つ貸し出され、そこで生活することになったらしい。離れと言ってもうちの屋敷より広いくらいの規模で、騎士や兵の生活スペースも十分にある。王都内の空き家を貸さなかったのは監視をやりやすくするためだろう。

 そして。


「お初にお目にかかります、アンリエット・アン・ソレイル正妃殿下。そして初めまして、ジャンヌ・バダンデール様。リディアーヌ・シルヴェストルと申します」

「シャルロット・シルヴェストルと申します。本日はお招きいただき光栄でございます。若輩者ではございますが、精一杯お相手を務めさせていただきたく存じます」


 義妹と共に離れ内の一室を訪れた俺は、アンリエットとジャンヌの二人に挨拶した。

 アンリエットは橙に近い赤毛と赤に近い橙の瞳を持った大人の女性だ。胸元はなかなかのボリュームをお持ちながら四肢はすらりと引き締まっており、パフスリーブではないシンプルなドレスをさらっと着こなしている。

 ジャンヌの方はまっすぐな金髪に薄い翠色の瞳。同じ金髪なのでシャルロットに似ているかと思えば、顔立ちがきりっとしていて下手するときつく見えそうなタイプ。アンリエットもわりとそのタイプだが、顔立ちはどこか俺に似ているかもしれない。

 ともあれ。

 並んでカーテシーを披露した俺たちにアンリエットはにっこりと微笑んで、


「初めまして。会うのを楽しみにしていたわ。さあ、座って頂戴」

「ありがとうございます。では、失礼いたします」


 並んで座っている二人の向かいに腰かける。俺がアンリエットの前で、シャルロットがジャンヌの前だ。

 城のお仕着せとはタイプの違う、フリルやレースが多めの衣装を纏ったメイドが紅茶を淹れてくれる。香りが普段飲んでいるものとは少し違う。


「お嬢様方、ブランデーはいかがですか?」

「止めておくわ。まだお酒は飲めないから」

「残念ね。香りが立って美味しいのだけれど」


 アンリエットが残念そうに言って自分の紅茶には入れてもらっている。ジャンヌのカップにも二、三滴が垂らされた。

 ブランデーは隣国──ソレイル王国でメジャーな酒だ。そのためか紅茶に入れるのも一般的な飲み方らしい。


「じゃあ、お菓子ならどうかしら」

「これは、チョコレートですね」


 お茶請けに出されたのは焦げ茶色をした、それぞれに形の違ういくつもの菓子。ホストの二人が口にするのを確認してから一つ口に入れると、良く知っているあの甘みと苦みの後、とろりとした液体が舌の上に乗った。口の中が熱くなる感覚。

 似たようなものは前世で何度か口にしたことがある。入っている量としては大したことないはずなのに結構「来る」のも変わらずだ。

 俺は慌てているように見えないよう気を付けながらカップを傾け、酒の風味に紅茶の風味を混ぜ合わせた。

 隣でシャルロットが多めに紅茶を含んでいる。


「お味はいかが?」

「初めていただきましたが、素敵な趣向ですね。ほんのりと身体が熱くなって楽しい気分に包まれる感覚です」

「そ、そうですね。紅茶とよく合うと思います」

「良かった。……シャルロット、お茶のお代わりは十分に用意してあるから遠慮なく味わって頂戴」

「はい。ありがとうございます、アンリエット様」


 こくんと頷き、カップに残った紅茶を飲み干すシャルロット。

 暗に教えてもらった通り、このチョコレートはつぎつぎ口に運ぶようなものではなく、ゆっくりと口の中で溶かしながら飲み物と一緒に味わうべきだ。紅茶はもちろん、ワインにも絶対合うと思う。

 俺やシャルロットのようなお子様の場合、飲み物が紅茶でも酔いかねないから注意が必要である。

 こんなことならヴァイオレットの家同様、以前から少しずつ慣らしておくべきだったか。


『でも、本当に悪くないわね、この感覚』


 ほんのりとぽかぽかして気持ちがいい。調子に乗ってもう一つ食べたくなるが、酔って思考が乱れるようなことになれば目も当てられない。できるだけペースは落としておく。

 アンリエットは俺たちの様子を観察しながらふっと笑って、


「リディアーヌはいける口かしら。ソレイルの王族は男女問わず酒豪が多いのよ」

「アンリエット様もお酒を好まれるのですか?」

「ええ。私の実家も何度か王家の血が入っているもの。私よりも貴女もきっとこの味に夢中になるわ」


 事もなげに紡がれた開幕の合図に、シャルロットが小さく肩を震わせる。

 俺としても、もう少し雑談が続いた後、搦め手を使って本題を進めてくるかと思っていたが。


「お二人から見て、わたしはソレイル王家の血統ですか?」


 相手がその気ならこちらも応じるまで。直球で尋ねると「ええ」と首肯された。


「間違いなくソレイル王家の系譜よ。ねえジャンヌ?」

「はい。肖像画で見たかつてのロクサーヌ様によく似ています」

「ロクサーヌ様というと、ソレイル王国の第二王妃様……あ、ええと、元第二王妃様ですよね?」

「そう。亡くなられた元第二王妃ロクサーヌ様──紅の髪と瞳を持ったソレイルの至宝よ」


 リヴィエール王国このくににおいて金と白が尊ばれるように、ソレイルむこうでは赤と黒が尊い色とされている。


「リディアーヌのような目に映える色の紅は特に貴重なの。高位貴族の男はたいてい赤毛の女を好むから、きっとソレイルなら引っ張りだこでしょうね」

「わたしの母も親世代の間でとても人気だったと聞いております」

「アデライド様が若くして亡くなられたのはとても残念だわ。早いうちに陛下の耳に入っていれば王女として最上級の待遇を用意できたでしょうに」


 母の血筋について先んじて発表した効果はあったようだ。教国のお墨付きまで付いている以上、王家の血筋ではないととぼけることはできない。


「母は詳しい身元が不明のまま辺境伯家に拾われたと聞いております。預けられた家でも愛情を籠めて育てられたそうですから、十分に幸せだったのではないでしょうか」

「そうね。王女として遇されたとしても、水や食事が合わなかったかもしれないもの」


 生まれたばかりの母が何故、この国の貴族へ託されたのか。

 きな臭い事情を思い浮かべずにはいられない。普通にしていたら幼くして暗殺されていた可能性だって十分にある。

 アンリエットが小さく「話が早くて助かるわ」と呟く。同じテーブルについている俺ですら聴覚を強化していないと聞き逃してしまうような声量。

 顔を上げた彼女は俺をじっと見つめて尋ねてきた。


「知っていて? ソレイルの現国王陛下は王家の血があまり濃くはないの」

「知識としては見聞きしております。先王陛下から深い寵愛を受けられた結果だと」

「その通りよ」


 現ソレイル国王の母親は先王の第三夫人だった。

 彼女は伯爵家出身と決して高位の貴族ではなく、髪や瞳の色も伝統色からは外れていたものの王からの寵愛を一番に受けていた。

 そんな彼女との間に儲けられた男の子を王は当然のように溺愛し、当然のように王太子に指名してしまった。親馬鹿な上に妻にも全く頭が上がっていない。一国の主がそれでいいのかと言いたいが、まあ、あんまり良くなかったわけである。


「反動もあって、現陛下は王家との関わりの深い家から妃を選んだわ。少しでも王家の血を取り戻そうとね」


 近親婚を繰り返しでもしない限り血なんて少しずつ薄まっていくのが当たり前なのだが、伝統を重んじる老人たちにとって血の維持は重要事項。

 また「王家の権威=古い血をどれだけ守っているか」であると信じているやっかいな国──すなわち教国の存在もある。貴族たちからの支持を得るためにも王は血の保存を優先しなければならなかった。

 しかし、父親が固定されている時点で生まれて来る子の血の濃さには限界がある。


「ロクサーヌ様は特に血の継承という観点から望まれた妃だったらしいわ。けれど、生まれてきた子は悉くだった。……もしかしたら、ロクサーヌ様はその事に業を煮やしたのかもしれない」


 次代の王をより血の濃い王にするにはどうしたらいいか。

 答えはある意味簡単だ。

 王家の血を濃く引き継ぐ男との子を産み、育てればいい。ソレイルにも魔力測定の魔道具はあるだろうから、王が血の濃さを真に重要視しているのならその子が後継者となるだろう。

 つまり。


『お母さまがこの国へ流されたのは。もしくはロクサーヌさまの企みが誰かに露見してしまい危険が生じたから、なのかしら』

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