魔女と聖女の憩いの時

「突然呼び出してごめんなさい、リディアーヌ」

「気にしないで。ヴァイオレットに頼ってもらえるなんてむしろ嬉しいわ」


 親友からの念話を受け、俺はルフォール侯爵家の屋敷を訪れた。

 白をベースとした爽やかな外観。庭園には季節の花が咲き、たくさんの使用人が出迎えてくれる。妖精のようなヴァイオレットにぴったりの空間に感嘆の息がこぼれる。

 実際は使用人の一部が諜報員としての教育を受けていたりと華やかなだけの場所ではない、と念話による内緒話で教えてもらったが、それはそれで手間暇がかかっていて凄い。バルト家が戦闘メイドならルフォール家はスパイメイドか。


『もしかして我が家が普通すぎるの? オーレリアに頼んで魔法メイド部隊とか組織した方がいいかしら』


 うちの男は土属性が多いから「戦いは正面からするもの」という感覚が強いのかもしれない。もちろん専門の警備兵にも利点は多いので一概に間違ってはいないのだが。


「昨夜念話でも話したけど、セリアの扱いに困っているの」


 家だというのに余所行きっぽいドレスを纏った銀色の妖精は俺を聖女の部屋へと導きながら告げた。


「ヴァイオレットや侯爵夫人でも手を焼くなんて驚いたわ」

「色々な意味で私達の常識にはなかったものだから」


 到着した客間は玄関から適度に遠く、かといって隅に追いやられているというほどでもない絶妙な立地。広さも十分……というか平民なら家全体より広いくらいだ(セリアの場合は店舗兼自宅なのでさすがに家の方が広いが)。

 ノックをしてメイドに開けてもらうと、椅子に腰かけていた少女が「あっ」と声を上げて立ち上がった。


「こんにちは、リディアーヌ様。お久しぶりです」

「元気そうで良かったわ、セリア。……なんでも結構やんちゃをしたらしいじゃない?」


 こげ茶色の落ち着いた、というか地味なドレス姿の彼女に駆け寄られる。

 あまり急接近するのは貴族的にNGだったりするが、言葉遣いや所作は前より良くなっている。むしろ、自然に笑顔で人を出迎えられるのは心根が真っすぐだからこそ。彼女の長所だ。

 こちらも微笑んで挨拶をした後、直球気味に水を向けると少女はさっと視線を逸らした。


「いえ、その。……すみません、つい」

「その『つい』に私達は振り回されっぱなし」

「うう」


 助けを求めるように見つめられて「どうしたものか」と思う。

 ルフォール侯爵家に居候するようになってからしばらく。聖女セリアは礼儀作法をはじめとする各種勉強のために忙しい日々を送っている。

 階級が男爵とはいえ周囲から注目される身だ。三年後の学園入学までに一定水準まで到達させなければいけない。元平民のセリアにとってはかなりハードだ。

 そのストレスからか、あるいは単に平民の感覚から来るものなのか、彼女の「やんちゃ」は複数に及んでいるという。


 身体を動かしたいと言って中庭に出たと思ったら空間をいっぱいに使って走り回ったり飛び跳ねる。挙句木に登ろうとする。

 気晴らしにと厨房を借りてお菓子作りを始め、服を粉だらけにする。

 寝酒にと飲み始めたワインをボトル一本開けた挙句泥酔する(金の問題はないが淑女としてはしたない)。

 寂しいからとしきりに使用人へ話しかけ、持ち前の明るさからあっという間に打ち解ける。それは良いのだが、フレンドリーに会話をするようになった結果仕事を滞らせる使用人を何人も出す。

 箱入りの貴族令嬢もいるメイドたちに「小さい頃湯浴みの時に見たお父さんのアレ」について語る、などなど。


 一つ一つはまあ可愛いレベルではあるのだが、頻発されると割と困る。

 俺は自分より背の高いセリアの顔を見上げるようにして、


「駄目よ、セリア。あなたは居候の身なんだから。この家の流儀に合わせてあげないとみんな大変だわ。そういうのは自分の屋敷を持ってからにしなさい」

「はい、反省しています……って、あれ?」


 観念したのか、しゅん、と項垂れた彼女は何かに気づいたように首を傾げて。


「自分の屋敷ならいいんですか?」

「外出先やお客様の前で取り繕えていれば別にいいんじゃない? わたしだって部屋では自由に過ごしているわ」

「そうなんですか? じゃあ、お部屋では下着だけで過ごしたり?」

「そうなの、リディアーヌ?」


 こらヴァイオレット。「見たい」という顔でこっちを見るんじゃない。

 こほん。俺の傍に立っていたアンナが小さく咳をして、


「リディアーヌ様はお部屋でもきちんとしていらっしゃいます。おかしいのは魔石を作りながら読書をしたり、屋内で炎の蝶を出したり、棋譜もなしに過去のチェスでの対局を完全に再現して検討を始めたり、といった方向性です」

「わたしはまだお酒を飲めないから、湯上がりには麦茶か紅茶ね。疲れた時には砂糖を入れた麦茶もなかなか良いのよ」

「なんだ。とってもリディアーヌらしい素敵な過ごし方」


 くすりとヴァイオレットが笑い、逆にセリアは残念そうな顔になった。


「そんな格好いい過ごし方、わたしには無理です」

「あら? 魔法の勉強は順調に進んでるって聞いたけど」

「あ、はいっ。魔法ってやってみると楽しいですねっ! わたしにもこんなことができるなんて夢見たいです」


 言いながら右手の指を持ち上げる少女。ぴん、と立てた人差し指の先へ小さな水の球が生まれたかと思うと、それは螺旋を描くようにして少女の身体をぐるぐる取り巻いていく。思わず瞬いた次の瞬間には水は消失。その現象を起こした張本人はにこにこ顔だ。


「セリアは万事この調子。この間はついに、教師役を命じられたうちの家令が『自分には荷が重い』って匙を投げた」

「す、すみません。なんだかできそうだったのでつい調子に乗って色々試してしまって」


 既に心を除く五属性の魔法は今見せたのと同等の操作が可能。聖属性の治癒魔法も「痛いのとんでけー」くらいのノリで簡単な擦り傷切り傷くらいなら治してしまうという。


「セリアは間違いなく天才ね。才能はうちの師匠以上かも」

「リディアーヌも初めて自覚的に使った魔法で風邪を吹き飛ばした癖に」

「風邪を吹き飛ばす……そんなこともできるんですね。わたしは風邪、ひいたことがないんですけど、お父さんが寝込んでいる姿はいつも辛そうでした」


 馬鹿は風邪をひかないんですよね、なんて言って笑うセリア。おそらくそれは無意識の魔力行使が原因だ。

 俺も風邪を引いたことはない。ヴァイオレットの言葉は『毒』という真相を隠すための方便である。


「じゃあ、今度わたしが風邪を引いたらセリアに頼んでもいいかしら?」

「はいっ。もちろんですっ」


 その後、セリアから近況を聞かせてもらったところ、あれから二度ほど父親のところへ会いに行ったらしい。

 周囲が騒ぎ立てて大変だったらしいが、定期的に顔を見られるだけでも嬉しいと少女は笑った。

 平民から一人、貴族の仲間入りをさせられた彼女。少しくらいのやんちゃは大目に見てもらえるようにヴァイオレットやその使用人にお願いした。

 そして、


「ねえ、セリア? 良かったらわたしの孤児院を一緒に視察しない?」


 俺はこの機会に少女を外出へと誘ったのだった。





「リディアーヌ様!」

「こんにちは、みんな。元気にしていたかしら?」

「うん、もちろん!」

「ご飯も美味しいし、布団も暖かくなったからみんな元気だよ!」

「そう、それは良かった」


 孤児院はだいぶ補修や清掃が行き届き、見た目にも居心地の良い空間になってきた。

 許容人数が増えた結果、新しく受け入れた子供もいる。そういう子たちはオーナーの俺へ特に素直に接してくれる。

 もちろん、他の子も基本的にとても素直だ。生意気なのはルネという女の子くらい。まあ、ルネに関してはそういうツンツンしたところが可愛いのだが。


『同族嫌悪の逆かしら。ついついああいう子を構いたくなっちゃうのよね』


 いつものように隠れているか後ろの方に立っているはずの少々の姿を探していると、ドレスの裾をくいくいと引かれて、


「リディアーヌ様。こっちの人達は?」

「ああ、そうだったわね、ごめんなさい。彼女はセリア男爵様、わたしのお友達よ。それからこっちはわたしの大切な妹のシャルロット」

「よろしくね、みんな」

「よ、よろしくお願いします」

「よろしくおねがいしまーす」


 元気よく答える子供たちが微笑ましい。

 こういうノリに慣れているセリアはさっそく近くにしゃがみこんで笑顔で話を始める。向こうも「このお姉ちゃんは話しやすそう」と思ったのかすんなりと応じ始めた。さすがの順応性。元が平民な上に客商売をやっていただけはある。

 シャルロットの方は慣れてないせいか、困ったような顔で俺の傍に寄ってきた。


「あの、お姉様。私までついて来て本当に良かったのでしょうか」

「なに言ってるの。わたしの孤児院なんだからシャルロットも来ていいに決まっているでしょう」


 と言っても、実際のところ俺が無理を言って来てもらったのに近い。


「ほら、レオンももう少ししたらやんちゃになるでしょう? そういう時のための予行演習だと思って相手をしてみない?」

「それは……確かに練習が必要かもしれません」

「シャルロット様。ご無理をなさる必要はないかと」

「大丈夫よ、アニエス。心配してくれてありがとう」


 気遣わしげな表情を浮かべる専属メイドに微笑み返したシャルロットは「行ってきます」と手をぎゅっと握りしめ、ゆっくりと歩き出した。

 向かった先は集団からぽつんと孤立してつまらなそうにしている女の子──『って、ルネじゃない!』。いきなり輪の中に入っていくよりはやりやすいと思ったのだろうが、実際は雑魚戦を無視してラスボスに挑んだようなものである。

 止めようにも、下手に止めると義妹に失敗体験が残りそうだし、既に向こうもシャルロットの接近に気づいてしまった。

 スカートが地面に付かないように軽く身を屈めて義妹がルネに声をかける。

(ちなみにセリアはスカートとか気にせず思い切りしゃがんでいる)


「こんにちは。お名前を教えてくれるかしら?」


 ルネがぶすっとした表情で金色の天使を見つめる。これはやっぱり駄目か……と。


「……初めまして。ルネと申します、シャルロット様」

「ちょっと。わたし相手の時との態度の違いはなによ」

「落ち着いてください、リディアーヌ様」


 小声で入れたツッコミにアンナが反応し、俺の肩をそっと押さえた。

 ルネもTPOは弁えているということか、シャルロットには丁寧に対応し、それに安心した義妹は他の子供たちにも話しかけるようになった。

 セリアもシャルロットも若い女の子なのもあってか和やかな光景が展開される。


「これ、ひょっとしてわたしが舐められてるってことなのかしら?」

「リディアーヌ様には安心して話しかけられる、ということじゃないかと」

「そうなのかしら」


 二人共十分打ち解けているように見える。まあ、良いことである。出入りする貴族が俺だけじゃないとなれば嫌がらせもしづらくなる。

 例えば俺のことは嫌いだが聖女とは仲良くしたい者、聖女を排除したいが公爵家の力は怖い者、どちらにとっても動きづらいはずだ。

 これからは定期的に連れてこようと思いつつ、二人に子供たちの相手をしてもらっている間に院長とも話をした。困っていることや欲しい物などをヒアリングするのも重要である。

 すると、


「リディアーヌ様がどこか他の土地へ移られる、というのは本当なのでしょうか」

「今のところそんな予定はないけれど、どうして?」

「いえ。……シャルロット様を連れ来られたのはそういう事なのかと」

「まあ、そうね。万一の時のため、という意図もあるわ」


 俺が何らかの理由で来られなくなった場合、貴族の出入りが途絶えてしまいかねない。

 金自体はファスナー等々の売り上げからセレスティーヌが出してくれるだろうが、養母に孤児院の管理まで任せるのは少々難しい。

 今のうちに後任になれそうな者を連れてきて顔つなぎをしておきたいと思った、というのも本音である。

 シャルロットなら家柄的にも俺との関係的にも適任だろう。なんならセリアと共同で管理してもらってもいい。


「もしそうなってもお金は滞らせないようにするから安心して。……もちろん、万一の時のための備えはいつでも必要だけど」


 こっそりへそくりを作っておけ、と暗に伝えられた院長は目を伏せ、深く頭を下げた。


「リディアーヌ様のお力添えによって院の経営状況は大きく改善いたしました。特に設備の改修・新調を行えた事で寿命は大きく伸びました。もし資金提供が来月から中断されたとしても完全に以前のように戻る事はないでしょう」

「良かった。……まあ、そんなことにならないのが一番なんだけど」


 俺は微笑み、窓の外を見た。

 春はもうすぐそこまで迫っている。

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