閑話

目覚めた聖女と初めての城

 自分を中心に、見たこともないような光の柱が空に向かって立ち上っている。

 リヴィエール王国の都で父と二人、平凡な大衆酒場を営んでいる少女──セリアは、自分が引き起こしたの現象を見つめながらぽかん、と口を開けた。

 事の発端はちょっとした出来事。

 芋を茹でていた鍋を父が誤ってひっくり返してしまい、熱湯で腕を火傷してしまった。


「くそ。これじゃ凝った料理はしばらく出せねえかもな」


 ぼやく父を見て、セリアは胸を痛めた。安酒とちょっとした料理を出すだけのなんてことのない店。昔は人を雇っていたらしいが、セリアが手伝えるようになってからは二人だけで切り盛りしている。もう少ししたら本格的に料理を教えてくれると言われているが、今のところ父の味を出せるのは父一人しかいない。

 動かないわけではないので騙し騙しやることはできるが、酷使するのは父の負担になる。料理を目当てに来てくれている常連がそれで満足する品を提供できるかどうか。


「心配すんな。しばらく客が減ったくらいで困るほど貧乏はしてねえよ」


 ぽん、とセリアの頭に(無事な方の)手を置いて笑う父だったが、娘から見ると彼は少し元気がないように思えた。

 できるならいつも通り店をやりたいのだ。

 セリアには母の記憶がほとんどない。まるで貴族様のような金髪と青目をくれたのは彼女なのではないか、と疑っているのだが、父によると彼女はただの平民でセリアとは似ても似つかず、しかもうだつの上がらない父を見捨てて金持ちの男の愛人になり逃げてしまったらしい。

 昔の女に未練があるのか、それとも単にモテないのか、父が新しい妻を見つけようとする様子はない。つまり、彼を助けられるのはセリア一人だ。


(どうか、お父さんの腕が早く治りますように)


 頭をよぎったのは少し前、大広場で開かれたという剣術大会のこと。

 騎士の他、王子様やご令嬢(!)までもが剣の腕を振るったというその大会では、最後に不届き者による攻撃があったという。幸いなことに死人も大きな怪我人もいなかったが、貴族様の魔法によって人が死ぬ様は衝撃的だったらしい。

 店があるので直接は見られなかったセリアだが、広場に行ったというお客さんからその話は飽きるほど聞かされた。首と腕に刃物を突き立てられ、最後には炎で焼かれて死んだ男の話。

 父にはそんな風になって欲しくない。

 ただの火傷と重ねるのは大袈裟かもしれないが──切実な願いは奇しくも、絶対に起こらないはずの奇跡を起こした。

 湧き上がった光が父の腕を癒し、さらに天へと光の柱を立ち上らせたのだ。


「なに、これ……?」


 答えを求めて父親を見ると、彼はセリアよりももっとぽかんとした表情を浮かべていた。


「これは、まるで魔法だな」


 近所の人々が何事かと駆けつけてきて、それに「よくわからない」「お父さんが怪我をして」などと答えていると店に騎士様と城からの使いだと言う身なりの整った貴族様がやってきた。


「セリア様。貴女にはおそらく魔法の素質があります」


 言われるがまま、魔道具だという水晶玉に手を触れると──突然、玉がまばゆい輝きを放った。

 セリアはただ綺麗だと見惚れるばかりだったが、騎士達は驚愕し、それから平民であるセリアと父の前に膝を折った。


「どうか我々と共に城へお越しください。今後の対応についてご相談させていただきたく」


 なにがなんだかわからなかったが、自分の出した光の柱が魔法だということは理解した。

 それに、貴族様の要請に応えないわけにもいかない。

 心配する父に「大丈夫だから」と答え、着のみ着のまま用意された馬車に乗り込んだ。場違いな気がしたが騎士達は皆セリアのことを丁重に扱ってくれ、まるで貴族の令嬢にでもなったかのような対応だった。


(わたしの髪と目はただの偶然で、貴族でもなんでもないんだけど)


 数日間の滞在用にと宛がわれた部屋は、下手をしたら店よりも広いくらいだった。大人二人でのびのび寝られそうなベッドはふかふかで夢のような触り心地。世話役としてメイドが三人も付き、喉が渇いたとかお腹が空いたと言えばすぐにお茶やお菓子が用意された。

 なんでも、セリアは何十年かに一人しか現れない『聖女』なのだという。


「聖女は国を救うような魔法を操る特別な存在です。貴女の目覚めを知った者がどのように動くかわかりませんので、しばらく保護させていただきたく」

「あの、何かの間違いじゃないですか? わたしはただの街娘で……」

「いいえ。たとえ聖女でなかったとしても、セリア様が高い魔力を持っていらっしゃるのは確実です。貴女の魔力量であれば高位貴族との養子縁組も可能でしょうし、もしかすると王族との婚姻すら可能ですよ」


 お城に住むこの国の王様や王子様。彼らに見初められて華やかに暮らす夢は見たことがある。

 今まで遠目に眺めるだけだったお城に馬車が近づいていくのも胸が高鳴る光景だったが、さすがに十二歳にもなれば物事の分別くらいはつく。

 自分は父の跡を継いで店を続け、料理や接客のできる適当な男と結婚するのだと当たり前に予感していたし、それでいいとも思っていた。

 だから、貴族の養子になるとか王族と結婚するとか言われても実感が湧かない。


「家に帰してもらえませんか? 父を一人で残してきたので心配なんです」

「ご安心を。セリア様のご実家には騎士と衛兵を配置しております。護衛の他、雑用も可能なように命じておりますのでお店の方も心配ないでしょう」

「……そうですか」


 至れり尽くせりだ。

 きっと良い人達なのだろう。でなければもっと高圧的な態度にだって出られる。聖女だとかなんだとか言ったってセリアはただの平民で、彼らは貴族なのだから。

 案内してきた城の使い(宰相の指揮下にある文官だと名乗っていた)が退出していくと、後にはセリアとメイド、それから護衛の騎士だけが残される。騎士は大人の男性だ。急な話なので女性騎士が用意できなかったのだと申し訳なさそうに言われた。


「わたしなら大丈夫ですから無理に用意していただかなくても……」

「そういうわけには参りません。貴女様に何かあっては皆が困るのですから」


 話し合った結果、落ち着かないのでせめて部屋の外で警備してもらうことになった。

 ほっとひと息。メイドが「殿方は融通が利かないので困ります」と言ってくれたが、セリアとしては正直、汚れの一つもないような衣装を着た『使用人』の彼女達ですら雲の上の存在、落ち着かない原因の一つだった。

 しかし、世話係としてつけられたというメイド達は己の職務を譲ってくれない。


「セリア様。まずはお風呂とお食事にいたしましょう」


 入浴専用の部屋が据え付けられていて、魔法の道具──魔道具を使って水が張られ、湯が湧かされていた。

 きちんとした風呂なんて初めてだった。

 大きなかまどがある上、接客業であるセリアの家は比較的清潔に気を遣う方で、水で濡らした布で身体を拭くのは毎日、二日に一回は水浴びあるいは湯浴みをしているが、浴槽などという贅沢なものは家にない。小さい頃は湯を張ったたらいの中で直接洗われていたので、あれを風呂と呼んでいいなら一応経験はあるが。

 浴衣一枚きりになったメイド達(全員かなりの美人で気後れしてしまう)によってたかって世話されながらの入浴はまさに至福と言ってよかった。

 しかも、用いられた魔道具は水を張るのと湯を沸かすものだけではなく、


「せっかくですからシャワーも使いましょう」


 適度な温水が頭上から降ってくる、という、それこそ魔法としか言いようがないような道具まで使ってもらった。頭からつま先まで綺麗にする必要があるからということだったが、実際石鹸を使って綺麗に洗われ、香油を用いて仕上げをされたセリアの身体は端から端までぴかぴかになっていた。

 大きくて映りのいい鏡の前に立たされると、まるで自分が自分でないかのよう──それこそ貴族のご令嬢に間違えられそうなくらいで、思わず自分自身に見惚れてしまった。


「とってもお綺麗になられましたね、セリア様」

「もともと顔立ちが整っていらっしゃいますから、肌や髪を丁寧に世話していけばもっと綺麗になれますよ」


 メイド達は下着から新品のドレスまでを用意してくれていた。

 もし汚したりしたら弁償できないと拒否すると、気にしなくていいと言われてしまう。


「ドレスはもともとリディアーヌ様──セリア様と同い年のご令嬢に合わせて予備として作ったものです。急ぎで必要なものではありませんので、足りない分はまた作らせれば問題ございません」

「でも、そのリディアーヌ様に怒られるんじゃ」

「リディアーヌ様はこの程度の事でお怒りになるような方ではございませんよ」


 リディアーヌ・シルヴェストル。

 公爵家のご令嬢にして第三王子の婚約者。自分のお金で孤児院を買い取り孤児たちの世話をするほど慈悲深い人物であると共に、国一番の魔法使いに師事する魔法の天才でもあるという。

 セリアとはまるで住む世界が違う。

 このまま行ったら当人と出会う事もあるのだろうか。いや、きっとそんな凄いご令嬢ならセリアの事など相手にもしないだろう。

 丁寧に世話をされればされるほど貴族との違いを見せつけられるような気がしながら、運ばれてきた食事を平らげた。

 まだ温かさの残る香ばしいパンに具だくさんのシチュー、焼いた子牛の肉、飲み物は果汁とミルクを混ぜ合わせたもの……。

 あまりの美味しさについ夢中で完食していた。「おかわりはいかがですか?」と言われたのでつい頷くと快く追加の分が供される。食べきるとまた「おかわりは?」と聞かれるので、これはキリがないなと悟って「もうお腹いっぱいです」と答えた。


「詳しいお話は明日からになります。本日はごゆっくりお休みくださいませ」


 食事が終わったらもうやることがなかった。普段なら閉店した店を掃除し、明日の仕込みをしている頃だ。夕食は適当にまかないを食べ、自室で仕事着を脱いだら最低限の用事を済ませてベッドへ飛び込む。その頃には疲れ切っているのが常だ。

 今日は営業の途中で出てきてしまったので体力が余っている。美味しいものも食べたからぐっすり眠れそうだが──いつも使っているベッドとは何から何まで違う寝床にすぐ向かう気にはなれなかった。


「あの、わたしはこれからどうなるんですか?」


 メイドは「使用人に敬語は不要でございます」と一言告げた上で、少し考えるようにしながら答えてくれた。


「最終的には陛下のご判断となります。ただ、おそらくセリア様には貴族としての身分を手に入れていただき、魔法の訓練に励んでいただく事になります。ゆくゆくは貴族の子女が通う学園へ入学し、さらにその才を磨いていただく事になるかと」

「もちろん、セリア様のご希望も可能な限り考慮させていただきますが……身の安全も考えますと、貴族に身を寄せていただくのがよろしいかと」

「そう、ですか」


 しゅんと肩を落としながらセリアは頷いた。

 希望を考慮すると言っても「家に帰って元の生活に戻りたい」という願いは叶えられない。そう言いたいのがわかってしまった。

 善意で言ってくれているのがわかるので文句も言えない。聞き分けが良いのはセリアの長所であり短所だ。男手一つで育ててくれた父にあまり心配をかけたくないと、できるだけ我が儘は言わず「いい娘」を心がけてきた。

 こういう時くらい騒いで暴れた方がいいのかもしれないが、すっかり染みついてしまった性分にはなかなか逆らえそうになかった。

 温かくふかふかの寝床に潜り込み、目を閉じると部屋の照明が落とされる。


 とても恵まれた環境にいるはずなのに、なぜか無性に寂しいと感じた。


 この時のセリアはまだ知らない。

 自分を待ち受ける今まで予想もしなかった出来事の連続を。そして、紅髪の公爵令嬢との出会いが既に近くに迫っている事を。

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