『聖女』の出現

 俺の誕生日から二週間ほどが経った休日の午後のこと。

 だんだんと明るさの弱まりつつある空を再び昼に戻すかのような強烈な光が、突然、窓から部屋の中へと飛び込んできた。

 早めの入浴を終えて部屋に戻り、アイスティーを口にしようとしていた俺は危うくグラスを落としそうになりながら慌てて立ち上がった。


「なにこれ、なにが起こったの!?」

「お待ちください、リディアーヌ様!」


 窓に駆け寄ろうとした俺をアンナが制止。二人がかりで髪の手入れをしてくれていたオーレリアは即座に窓──というか光の来る側の壁全体に防御障壁を展開した。少し冷静さの戻った俺も障壁を重ね掛けし数秒間、魔法攻撃か衝撃波か、来るかもしれないなんらかの脅威に備える。

 しかし、恐れたような変化は訪れなかった。

 障壁を消さないまま窓へと歩み寄る俺たち。見えたのは街のどこか──方向と距離からして平民街のどこかかから立ち上り続ける白い光だった。

 柱の太さは誘拐時にシャルロットが出した光のおよそ十倍。光の質も異質というか別格だ。どういう原理なのか、その光からは美しく清浄な力を感じる。受ける印象としては危険とは正反対。だからこそ俺の知る常識からかけ離れている。


「オーレリアがここにいるということは、あれは別の誰かの魔法ということよね」

「貴女も一緒にいる以上、使い手が現れた事になるわね」


 冗談めかして呟くと、メイドモードではない素のオーレリアから返答があった。するとアンナが困惑気味に口を挟んで、


「リディアーヌ様やオーレリアよりも上の使い手なんてそういませんよね? それよりも、これはそもそも魔法なんですか?」

「魔法じゃない方が問題でしょう」

「それはそうですが……」


 話をする間もオーレリアはその漆黒の瞳を柱から外していない。

 攻撃が来ることはなさそうなので障壁は消した。


「リディアーヌ。あれが何かわかるかしら?」

「一つ、思い浮かぶものはあります。もしも正しければ歴史的大事件ですが……」

「奇遇ね。私も同意見よ」

「あの、それっていったい……?」


 尋ねられた俺は答えを口にしようか迷う。言うと事態が確定してしまうのではないか、という気がしたからだ。

 推測が正しければ相手は悪魔や妖怪ではなく清らかな性質のはずではあるのだが。

 俺はため息を一つ吐き出して、


「聖属性魔法の使い手が目覚めたのよ。よりにもよってこんな時に、この国にね」






 この世界には七つの魔法属性がある。

 火、水、土、風、光、心。ここまでが六大属性とされ、一般的に属性と言えばこれを指す。その理由は、最後の一つが他とは比べ物にならないレベルでレアだからだ。

 聖属性。

 この属性は、癒しや浄化を主に司る。治癒魔法が難しいとされるのは聖属性の魔法である(属性が少なく、また属性魔法の習熟が甘いほど効率が下がる)ためだ。

 オーレリアの全属性にも聖属性は含まれていない。

 聖属性の持ち主こそが真の意味での全属性。力に目覚めた時点であらゆる魔法使いの上を行く可能性を秘めた存在であると考えて良い。


「聖属性は私も知っています。たしか、ここ二、三十年程は現れていなかったとか……」

「ええ。歴史を紐解いてみても平均二、三十年周期よ。国単位ではなく世界全体合わせてこれなのだから希少さがわかるでしょう」


 だから、時期的にそろそろ現れるのではないか、という噂は囁かれていた。

 現れること自体は予定調和だったわけだが、


「……困ったことになったわね」

「そうね。国王陛下をはじめ、首脳陣は頭が痛いでしょう」

「え……? あの、どうして困るのですか? 聖属性を擁する事は国益に繋がるでは?」

「もちろん。一人いるだけで国を安定させられるくらいには意味があるわ」


 過去の聖属性持ちは土地を蝕む悪い毒を浄化して豊穣をもたらしたり、疫病を根絶して国を危機から救ったり、人々の心を浄化して大戦争を終結させたりしている。

 男であれば『聖人』、女なら『聖女』などと呼ばれて伝説的な扱いをされており、前回出現した聖女──存命しているもう一人の聖属性使いは遠い北の国で王を上回るほどの特別待遇を受けている。


「ただ、ね。聖属性に限っては発現の可能性があるのよ」


 貴族の血が混ざっていない完全な平民にも等しくチャンスがあるということ。

 人数比を考えればむしろ平民から出る可能性が高い。

 実際、過去の聖属性持ちも多くが平民だ。


「……あの柱、平民街の方からだったのよね」






 光の柱は数分ほどで自然に消失した。

 程なくして部屋をメイドが訪れてセレスティーヌからの指示を告げる。「しばらくの間、どうしても避けられない用事以外では屋敷の外へ出ないように」とのこと。

 養母も柱の意味を重く受け止めたらしい。

 当然、城も同じだ。城へ出ていた父は泊まり込みが確定。夕食を共にできないという連絡ついでに最低限の情報を屋敷に送ってきてくれた。セレスティーヌを通して伝えられたそれによると、


「先刻、街で発生した光の柱は聖属性魔法の発現によるものでした」


 目覚めたのはやはり平民。


「現在十二歳の少女です。家は大衆酒場。仕込み中に怪我をした父親を心配したのがきっかけだとか」

「少女──ということは『聖女』ですか」

「十二歳という事はお姉様と同い年ですね」

「同世代なのね。どこかで会う機会もあるかしら」


 アランが感嘆し、シャルロットが俺を見る。

 セレスティーヌはこれに頷いて、


「いずれ顔を合わせる事になるでしょう。魔力に目覚めた以上、平民の世界では暮らしていけません」


 現場には騎士と共に城の使者が急行。

 事情を聞くと共に魔力測定の魔道具を使わせたところ、少女の魔力量は王族の平均値を超えていた。

 俺やオーレリア並の魔力持ち。それだけで欲しがる貴族はいくらでもいるだろうし、平民から妬まれる可能性も高い。

 国からの庇護を受け学園に通うことになるのはほぼ確定。

 養子縁組によって貴族になれればなおいい。


「後見人として陛下が名乗り出られる可能性もあるでしょうか」

「ないとは言い切れません。話の流れ次第ではありますが、最も不満の出ない対処方法かもしれませんね」


 聖女はひとまず王城で保護された。

 各種確認や事情説明のため、何より誘拐を防ぐためだ。攫った上で養子縁組なり婚姻を迫る貴族がいないとも限らない。

 当人にもひとまず落ち着いてもらい、今後の身の振り方を選んでもらわなくてはならない。


「お父さまは大変ね。落ち着いたら思い切り労ってあげなくちゃ」

「そうですね、お姉様」


 俺とシャルロットのダブルアタックならかなりの効果がありそうだ。アフターケアは頑張るので、父と国王には頑張って欲しい。






 頑張って欲しいと他力本願でいたら王城に呼び出された。

 柱が立った二日後の夜のことである。

 今日まで父は家に帰ってきていない。着替え等は都度運ばせているし、健康状態にも問題はないが「娘達に会いたい」と愚痴をこぼしていたとか。


『でも、わたしに会うためだけの呼び出しとは思えないわね』


 日付指定は翌日の午前中。異例と言っていいほど急ぎの用件である。招待状の差出人はリオネルになっているが、筆跡が王子自身のものでもセルジュのものでもない。聖女絡みとみて間違いないだろう。

 俺は受け取ったその場で了承の返事をしたため、運んできた城の使用人(騎士による護衛付き)に渡した。

 同じ招待状がアランにも届いた。


「お養母さまは無視してわたしとお兄さまだけってどういうことかしら?」

「向こうには父上がいるから保護者は不要と考えたのかもしれないが……詳しい事は聞いてみないとわからないな」


 念話で聞いてみるという手もあるが、向こうから送ってこない以上は「会って話した方がいい」という判断だと思われる。


「仲間外れにしてしまってごめんなさい、シャルロット。お養母さまとお留守番していてくれるかしら?」

「任せてください。お屋敷を守る者も必要なのですよね?」

「ええ。シャルロットは本当にいい子ね」


 義妹は性格的に攻撃魔法は向いていないらしくあまり上達していない。一方、破壊を伴わない魔法はめきめきと腕を上げており、守りの魔法もそこそこの精度になりつつある。使用人や兵士と協力すれば十分に戦力として数えられる。

 レオンのこともある。セレスティーヌも家に残ることを決めた。


「旦那様がいらっしゃれば心配はないと思いますが、心の準備だけはしておいてください。おそらく、何か大きな事態が動いているはずです」

「かしこまりました、母上」

「なにもわからず待たされるよりはずっといいでしょう。求められた以上は精一杯務めを果たしてくるわ」


 華やかな用事ではないが王城行きには違いない。俺とアランは余所行きの中でも上等な衣装を纏って参上した。

 案の定、通されたのはリオネルの部屋ではない。

 階段を何度も上り、通路をあるいた先にある応接間──王族が貴賓を歓待する時などに使われる特別な場所だった。


「二人共よく来てくれた。さあ、こちらへ」


 室内には国王と王妃。さすがに若干疲れた様子の父もいる。さらにルフォール侯爵夫人。護衛騎士を統括するのは騎士団長だ。


「よう、お姫様」

「また会ったね」


 アルベールとシャルルまで揃っている。どこからどう見てもやっかいごと。国の重要人物が目白押しで、俺と兄が場違いなのではないかとさえ思える。


「お待たせしてしまいまして申し訳ございません。アラン・シルヴェストルおよびリディアーヌ・シルヴェストル。ただいま参上いたしました」

「よい。話が尽きなかったのでな。先に集まっていただだけの事だ」


 鷹揚に答える国家元首。相変わらず子供には甘い。一方で、彼の言ったことも嘘ではないのだろう。既にお茶と茶菓子が用意され、それなりに消費された跡がある。俺たちの分の紅茶もすぐに用意された。


「最後の一人も直に来るであろう」

『最後って、まだ増えるわけ?』


 予想された通り、俺とアランが腰を落ち着けて程なくメイドが到着を告げ、第三王子リオネルがその姿を現した。年齢的に話し合いには参加していなかったと思われる彼は室内の顔ぶれを見て一瞬硬直すると、すぐに挨拶をして席についた。

 俺やアランと同じソファ。リオネルが真ん中で左右に俺とアランという配置だ。父は国王と王妃の後ろに立っている。

 盗聴防止の魔道具が複数起動され、部屋の入り口を騎士が警戒。窓にもカーテンがかけられており照明の魔道具が起動している。


「さて、皆に集まってもらったのは他でもない。先日、我が国に現れた聖女の件だ」


 声の聞こえる範囲にいる者は全員、驚く事もなくこれに頷いた。


「予備知識は全員あるようだな。知っての通り、聖女は現在城で保護している。彼女の処遇を巡り協議を重ねているが、これは少々難航している」


 父が「少々どころではない」と言うように眉を動かした。


「主な原因は当の聖女がこちらの提案に難色を示している事だ。家に帰って父の店を手伝いたいとな」


 貴族との養子縁組も学園への入学もノー。平民として普通に暮らせればそれでいいと言い張っているらしい。まあ無理もない。加えて、彼女が聖女である以上は無碍に扱うこともできない。立場上は平民だからと強制すれば反感を持たれて国益を損なう。

 しかし、聖女を平民街に置いておくのは非常に難しい。

 常時複数人の騎士を置いて警護にあたらせるのが最低条件。それでも危険が防げる保証は全くない。人間である以上は油断もあるし、純血派のような不届き者が大挙して押し寄せたら単純に手に余る可能性だってある。


「父上。やはり純血派が問題なのですか?」


 リオネルが緊張を含む声で尋ねる。


「奴らが聖女を危険視し、攻撃するかもしれない。そうなれば今度は貴族ではなく平民にも直接的な被害が出ます。国はさらに乱れることになる」

「それもあるが、それだけじゃないな。俺たちは逆の心配もしなくちゃいけない」


 答えたのは国王ではなくアルベールだった。


「兄上、逆とは?」

「純血派ってのは平民至上主義なわけだろ? だったら、平民から生まれた魔力持ちってのは奴らにとって『貴族を否定する格好の材料』なんだよ」

「っ!?」


 ごくごく低い確率でしか生まれない以上、貴族の優位性を崩すほどではない。それでも平民出身の魔力持ちを旗頭にできれば純血派の勢力拡大は間違いないだろう。

 何しろ聖属性はあらゆる魔法の頂点と言っていいのだから。


「この際ですからはっきりさせてしまいましょう。純血派と呼ばれる存在が具体的にどのようなものであるか。その背景に何があるのか」


 ルフォール侯爵夫人が静かに言う。彼女が口にしたのはかつて俺たちも耳にしたことのあるとある組織の名だった。


「北の果てに位置する『教国』そして『教会』。それが純血派の生まれた発端です」

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