リディアーヌとヴァイオレット

「それで? 説明してもらいましょうか、ヴァイオレット。どうしてあんなことをあんな場で言ったの?」


 パーティーが終わり、招待客が帰って行った後──俺は自室でヴァイオレットと向かい合った。

 場所を移したのはもちろん、あそこだといろいろ都合が悪いからだ。

 今日は親子で泊まっていってもらうことにした。侯爵夫人も今頃、セレスティーヌやブリジットあたりと歓談していることだろう。

 リオネルは釈然としない顔で「そんな事を言われても簡単に決められるはずがなかろう」と言い、ノーに近い保留を表明。俺たちと別の話を続けた後、「とりあえず、こいつと話し合っておけ」と俺に言って帰っていった。

 そりゃあまあ、あんなやる気があるのかないのかわからない求婚をされたら混乱する。

 ヴァイオレットもヴァイオレットであの話がなかったかのように普通に話をしていたし。


 今も我が家の大浴場を堪能し、ほんのり肌を火照らせ髪を下ろした状態で向かいに大人しく腰かけている。俺の貸した寝間着(ほぼ新品)は彼女には若干大きめだが、寝間着ならそう問題はない。むしろ袖を余らせているのが可愛いと思える。

 男に見せたら殺傷能力が高そうだなと思いつつ、俺は親友からの返答を待って、


「だって、あの場で言えば勝手に噂が広がるでしょう?」

「……故意だったのね」

「もちろん。あんなこと軽々しく言ったりしない」

「十分軽そうだったんだけど」


 言いながら、傍に控えている侯爵家のメイドを見る。

 女性としては長身の彼女はポーカーフェイスのまま直立しており、主の動向を心配している様子はない。職務外のことには口を挟まないタイプなのか、それとも。

 俺はアンナの入れてくれた紅茶を口にして気持ちを落ち着ける。秋になって涼しくなってきたし、今は麦茶よりも紅茶の気分だ。逆にヴァイオレットは湯上りなのもあってか冷えた麦茶を少しずつ口にしている。


「つまり、本気でリオネルさまの第二夫人を狙っているのね? 第一夫人ではなく」


 白く形のいい顎が縦に揺れる。


「リディアーヌが第一夫人になるとしたら、第二夫人は自派閥、もしくは友好的な派閥から選ぶしかないでしょう? あなたは敵と味方がはっきりしているから」


 好意的な相手からはとても好かれるが、敵対的な相手からは蛇蝎の如く嫌われている。

 リオネルが王位継承するとなれば国内のバランスを考えて第二夫人は「反リディアーヌ派」から選ぶという手もある(その場合の筆頭候補はベアトリスか?)ものの、その場合は妻同士の仲が険悪になりかねない。派閥抗争が俺たちの子供世代にまで波及していくだろう。

 それを考えれば、最初から俺と仲のいい相手を第二夫人につける方がいい。


「という建前で、リオネルさまを落とそうってこと?」

「ううん。私はリオネル殿下に懸想をしていない。他に好きな男性がいるわけでもない。きっとこれからもできないと思う」

「じゃあ、どうして?」

「そうすれば大切な人の傍にいられるから」


 青色の瞳がかすかに揺らめき、紫に近い色へ変わる。

 真っすぐに見つめられた俺はなんとも言えないこそばゆさを感じながら、親友の発した言葉の意味を吟味した。まさか。いや、でも、ストレートに考えるとになってしまう。思い当たる節もいくつか、いやけっこうある。


「もしかして、ヴァイオレットの好きな人って──わたし?」

「駄目?」


 本当にそうだった。


『ちょっと待ってよ。え? なにこれ? どうしたらいいわけ!?』

「だ、駄目ではないわ。むしろ嬉しいけど……ええと」


 男の人格も女の人格も混乱しっぱなしの俺。一方、銀色の妖精はぱっと華が咲いたように笑顔を浮かべて「よかった」と小さくこぼした。

 柔らかそうな右の手のひらが胸に押し当てられ、左の手のひらがそこに重なる。


「駄目だって言われたらどうしようかと思った。……嬉しい、って言ってもらえただけでも幸せ」


 なんだこの可愛い生き物。いや、そうではなく。


「じゃあ、わたしの傍にいるためにリオネルさまの妻になろうっていうの?」

「うん。もちろん、それだけじゃなくて国の利益も考えた結果だけど」


 言って、ヴァイオレットは胸から両手を離した。代わりに耳に付けたピアスを片手で弄ぶ。チャームは俺が旅行土産で渡した飾りだ。


「ルフォール家が『中立のルフォール』と呼ばれていることは知っているでしょう?」

「ええ。国への忠誠が篤く、特定個人に肩入れすることのない忠臣。……でしょう?」

「そう。でもね、それだけじゃないの」


 ヴァイオレットが言うには、ルフォール家の人間は代々、国のためにひっそりと活動を行ってきたらしい。

 主な活動は情報収集。

 舐められないように実力をつけ、それでいて存在感は消し、様々な人間から様々な噂話を収集する。収集した情報は国を良くするために役立てる。

 諜報員の家系──というほど大袈裟ではないが、マウント合戦が当たり前なところのある貴族社会において特異な存在であるのは間違いない。


「私のお母様は『稀代の秀才にして最高の問題児』と言われていたんだって。そして、私は小さい頃からお母様にそっくりだって言われて育った。今は自分でもそう思ってる」

「ルフォールの血族なのは侯爵夫人の方なのね」

「うん。お父様も遠縁の血筋だけど、ルフォールの役割を小さい頃から教え込まれてきたわけじゃない。だから、侯爵位はお父様が持っているけど公式行事に顔を出すのは主にお母様なの」


 侯爵としての表の役割を父が、ルフォール家の『本業』を母が担当しているということか。女の領分が強いシルヴェストル公爵家うちと少し似ているかもしれない。


「最高の問題児っていうのは……」

「目的のために感情を殺しきれないから。お父様と結婚したけど、お母様には別に好きな人がいたの。結婚までには相当、お祖父様やお祖母様と揉めたって」

「でも、最終的には諦めたんでしょう?」

「うん。お母様が好きなのは結ばれることのできない相手だったから」


 既婚者か、歳が離れすぎていたか、他国の貴族だったのか。少し気にはなるものの、そこまで尋ねるのは野暮というものだろう。

 ヴァイオレットは自嘲するように笑って、


「私はもっと問題児なの。本当なら止めなきゃいけないお母様が私の味方だから」


 侯爵夫人は自分が諦めざるをえなかった分、娘の希望を後押ししたのか。


「もちろん、私も教育は受けてる。だからできる限り国の利益も考えるけど、私の最優先はリディアーヌ。お兄様やお姉様がいる私は家を継ぐ必要もないから」

「そこまで、わたしのことを?」

「変?」

「……いいえ、変なんかじゃないわ。望みのために全てを犠牲にするつもりならともかく、ヴァイオレットはきちんと弁えているもの」


 その上で譲れないものを追い求めるのはなんの問題もない。むしろ俺としては好感が持てる。


「でも、まさか初めての告白が女の子からとは思わなかったわ」

「殿下から求婚されたのでしょう?」

「婚約者になれ、という命令は告白じゃないでしょう」


 そのリオネルとさっさと婚約してしまったので他の男からのまともな告白や求婚はない。

 まともじゃない告白というと「王子はやめて俺の女になれよ」的なものとか、相手の自宅で二人っきりにならないかといったあからさまに罠なやつだ。

 それを聞いたヴァイオレットはこてんと首を傾げて、


「じゃあ、私にもチャンスはある?」

「ごめんなさい。リオネルさまを裏切ることはできないし、女同士では結婚も子供を作ることもできないもの」

「リディアーヌの魔法でも子供は作れない?」

「やったことのないものを具体的に思い描くのは無理よ」

「そう」


 残念そうにしゅんとしてしまった。申し訳ないが、そのまま納得してもらおう。

 結婚できないのは本当だし、ヴァイオレットの子をお腹に宿すことができないのも本当だ。前世で男だった記憶を用いれば逆はできるかもしれないが、言っても話がややこしくなるだけである。

 少女が顔を上げるまでにかかった時間はほんの僅か。また真っすぐに俺を見つめて、


「でも、傍にいるのはいい? これからも仲良くしてくれる?」

「もちろん。わたしからもお願いしたいくらい」

「リディアーヌは優しいね」


 熱っぽく言われて、思わず頬が熱くなってしまう。これも前世の影響か、俺はわりと女子に弱い。なので優しいのとは全く別である。

 というか、紫っぽかった瞳がほとんど赤に染まっている。


「前から思っていたけど、あなたの瞳って綺麗よね。色が変わるの?」

「うん。普段は青だけど、興奮するほど赤くなるの。気味が悪いって言われることもあるんだけど……やっぱり、リディアーヌは私にとって特別」

「ヴァイオレット、瞳が完全に赤くなっているわ。少し落ち着いて。これからのために線引きをしておきましょう! どこからは駄目でどこまではやってもいいか、きちんと決めておくの!」


 キスは駄目、押し倒すのも駄目。手を握ったり軽く抱きつくくらいならいいが時と場合を弁えること……といった条件は全面的に受け入れられた。当人としても歯止めがきかないままエスカレートしてしまうより良い、ということらしい。


「でも、リディアーヌ。あなたを支援してくれる第二夫人の存在は必要だと思う。リオネル殿下にとっても、第一王子殿下や第二王子殿下にお飾りの婚約者しかいない今、結婚後の体制を確立できるのは有利に働くでしょう?」

「それはそうだけれど、リオネルさまは正々堂々実力で勝ち取るつもりだと思うわ。どうしてヴァイオレットがそこまでするの?」

「決まっているでしょう? リディアーヌを王妃にして、何があっても守るため」

『何があっても、か』


 俺もきちんと聞かされていない俺の秘密について、ヴァイオレットも知っているのだろう。

 親世代だと結構な人数が知っているようだから、情報を集めるのが仕事のルフォール家は当然把握しているはず。


「ねえ、ヴァイオレット? わたしを狙っている人間、あるいは純血派の裏にいる人間に心当たりはない?」

「私が聞かされている範囲だと、国内の反リディアーヌ派は首謀者じゃないと思う。多少の金銭的・物的支援くらいはあるかもしれないけど」

「じゃあ」

「たぶん他国の人間。国外になると極端に情報を集めにくくなるから、詳しくはわからないけど」


 翌日、俺はリオネルに「三人で話がしたい」と手紙を出し、話し合いの場を設けてもらった。

 盗聴防止と専属以外の人払いを用いた話し合いの結果、ヴァイオレットが第二夫人を希望していることは口外して構わない。ただし、リオネルから公式的な返答をするのは俺と結婚した後、ということになった。


「殿下からの寵愛は求めません。お二人の利益はできる限り尊重します。ですので今後もリディアーヌの傍にいることをお許しください」

「愛でも政略でもない求婚というのは初めて受けたんだが、これはどうしたらいいのだ?」

「わたしとしては他の者よりはヴァイオレットが第二夫人である方は望ましいと思います。ですのでご自分の利益と感情に従ってお決めになってください」

「わかった。……煩わしいあれこれが無いというのであれば、私としても悪くはない。妻に娶るとは言えないが、ありがたく利用させてもらおう」


 春生まれのリオネルは既に十二歳。そろそろ女の子が気になりだしてもおかしくない頃合いだ。そうなったら自分がどれだけ恵まれた立場にいるかさすがの彼でも気づくだろう。

 俺を怒らせるとヴァイオレットまで失う。そうなると浮気はよりやりづらいだろうから……思ったよりもこの体制は強力かもしれない。ベアトリスとかけっこうな胸の大きさに育ちつつあるので一応牽制しておきたい。


『殿下にも納得していただけてよかった。これからもよろしくね、リディアーヌ』


 ほっとしたり先のことを考えたりしていたら、不意に頭の中へ直接ヴァイオレットの声が響いた。

 思わず視線を向けると柔らかな笑みが返ってくる。前よりもさらに好意があからさまになっていて頬が熱くなることこの上ない。

 どうしたものか。俺は親友へ答えようと、お互いの頭を通して声を届けるようなイメージで魔力を流し、


『もしかしてこれ、念話?』

『うん。今までにも何度か試していたんだけど、やっと通じたみたい』

『相性があるらしいから、それは難しかったでしょう』

『要は心の距離の問題。だから、リディアーヌが受け入れてくれれば後は簡単』


 送られてきた声に返答するのは自分から送るよりは難易度が低いらしい。送り返す方でまずコツを掴めば自分から送るのも楽になるので、今後は他の相手とも念話ができるようになるんじゃないか、とのこと。

 せっかくなので帰ってから試してみたところ、父やアラン、シャルロットにも声を送ることができた。これで父やアランとは離れていても報告や相談が可能である。シャルロットはまだ声を送り返すのが難しそうだったので、これからの練習課題に追加である。

 なお、何故かセレスティーヌとの念話も成功した。相手も釈然としない顔をしていたのでお互いに似たような認識のようである。まあ、便利だから良しとしておこう。


 そんなことがあってからしばらく。

 十二歳の誕生日を迎えた俺はある日、王都のある一点から天へ向けて大きく立ち上る光の柱を見た。

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