さらなる異変

 孤児院の朝は早い。

 院で飼っている鶏が最初の一鳴きを上げると、院の子供達はもぞもぞと身を起こし始める。十歳にしてここでの生活が五年目になる少女──ルネもまた眠い目を擦りながら起床した。

 院では「自分の事は自分でする」「一人でできない事は助け合ってする」のが決まりだ。食事の支度などの家事も自分達で行わなければならない。もっと寝ていたい欲求を無理やり押さえつけ、寝床を軽く整えてからベッドを降りた。


 同じ部屋にはルネも含めて四人の少女がいる。


 歳はバラバラ。ルネはこの部屋では二番目で、女子全体だと七番目になる。一番上の姉(もちろん血は繋がっていない)やお母さん(正式には院長だが、みんなお母さんと呼んでいる)によると「昔はもっと小さい子が多かった」らしい。

 部屋のベッドはずっと昔から大事に使われているという二段ベッド。ルネの場所は左側の上段だ。あちこちボロボロで大きく身動きするだけで軋む音がしていたが、しばらく前からそれはなくなった。下に降りるためのはしごも丈夫になったので、横着して直接飛び降りる必要ももうない。


(あいつのお陰、なのよね)


 下のベッドで寝ている妹を起こし、何人かで協力して水汲みをする。冷たい水で順番に顔を洗い、櫛で髪を整えながらルネは思った。

 あいつ、というのはお母さんに代わって孤児院の「所有者」になったという少女だ。


 リディアーヌ・シルヴェストル。


 公爵令嬢、というのがどういうものなのかルネにはよくわからないが、とにかく「とっても偉い貴族様」らしい。確かに、いったいいくらするのか想像もつかないような綺麗なドレスを着て、思わず見惚れてしまうような紅の髪と瞳を持っていて、さらに肌はすべすべだった。見ただけで自分達とは住む世界が違うのだとわかったし、何人もの大人が彼女を守るように目を光らせていて少し怖かった。

 それでも、ルネが最初に感じたのは少女への反感だった。

 ルネにとって、この孤児院はお母さんのものだというのが当たり前で、それを貴族が買い取ったと言われても お母さんがいじめられたのだとしか思えなかった。

 実際にはお母さんはお母さんのまま孤児院に残ってくれているし、リディアーヌは食べ物や水、服などを持ってきてルネ達に振る舞ってくれた。

 水を汲む桶も、髪を整える櫛も新しいものになった。それどころかリディアーヌは魔法でベッドや井戸自体をも修理してくれた。


『さすがに大きい物はすぐには無理だから間に合わせだけど、これでしばらくはもつんじゃないかしら』


 なんて言っていたが、ベッドは五年前に来た時よりもずっと綺麗な状態に戻っていた。しばらくどころか十年以上は使えるだろう。

 孤児院へお金をたっぷりくれたお陰で食べるものにも困らなくなった。

 鶏も増えたし、その鶏を盗まれる心配もしなくてよくなった。


「おじさん、おはようございます!」

「ああ、おはよう。みんな今日も元気そうだな」


 リディアーヌの家の兵士が三人ほど孤児院に住み、朝も夜も交代で見張りをしてくれているからだ。彼らは暇があると小さい子達と遊んでくれたり家事を手伝ってくれたりもする。お陰で子供達はほぼみんな懐いている。

 全部、リディアーヌのお陰だ。

 足りないお金を賄うため、夜になると「お仕事」へ向かっていた最年長の姉達も院にいてくれるようになったし、兄達が無理な仕事をして身体を壊す事も少なくなった。

 それでも、ルネはリディアーヌの事があまり好きではなかった。


「みんな、今日はリディアーヌ様がいらっしゃる日です。失礼のないようにお出迎えをしましょうね」

「はーい!」


 だから、朝食の時間にお母さんからそう告げられても一人、浮かない顔をしていた。

 ふくれっ面のまま院内の掃除をし、姉に「月に一度のお出迎えなんだから」と良い服を着せられる。可愛い服を着られるのは嬉しいが、口をついて出るのは文句だった。


「別に、いつもの服でいいのに」

「駄目。リディアーヌ様のお陰でこんなに生活が良くなったんだから」

「みんな『リディアーヌ様のお陰』ばっかり。そんな事言って、きっとそのうち『あいつのせいで』って言う日が来るんだから」

「ルネ!」


 姉に頬を引っ張られ「貴族様にそんな事言ったら殺されちゃうんだからね!」と怒られた。ルネだってそれくらい知っている。街で貴族を見かけても絶対に失礼をしてはいけない。最悪「目つきが気に入らない」程度でも平民を殺せるのが貴族だからだ。

 しかし、


(あいつはこのくらいじゃ怒りもしないじゃない)


 リディアーヌ・シルヴェストルは暴力を振るうどころか院の子供達に笑いかけ、時間があれば一緒に遊ぶ事さえある。年少の子のなんでもない話を楽しそうに聞くし、月に一度の訪問日には必ず美味しいお菓子を持ってきてくれる。

 ルネがぶすっとしたまま受け答えしても悠然と微笑んでいるだけで怒りを露わにした事なんて一度もない。

 それに、


(私達を殺すのは貴族だけじゃない)


 ルネの両親は五年前──ルネが五歳の時に物盗りによって殺された。「隠れていなさい」「絶対に声を上げるんじゃないぞ」と言って木箱の中に押し込められていたルネだけが辛うじて生き残り、こうして孤児院へと引き取られたのだ。

 言いつけ通り木箱から出なかったルネは両親が殺されるところを直接見てはいない。しかし、物盗りの荒々しい声と母の悲鳴、父の上げる怒りと苦痛の声は彼女の耳にもはっきりと届いた。そして、全てが終わった後の『現場』も、見た。

 続くと思っていた幸せは一夜にしてあっけなく崩れた。

 だから、リディアーヌが何の前触れもなく豹変し、この孤児院をめちゃくちゃにすることだってあるかもしれない。そして、それを予見できるのはルネだけなのだ。


「こんにちは、ルネ。元気にしていたかしら?」

「……見ての通りです」


 だから、ルネはリディアーヌに恭順しない。

 自分は疑っているのだと示し続ける。それくらいしか彼女に出来る事はない。せめてそれくらいはしないといけない。

 リディアーヌはいつも通り意に介した様子もなく「そう」と微笑んで、


「ルネはとってもいい子ね」

「どこが」


 反論が考える前に口から出ていた。姉が「ルネ!」と悲鳴を上げて口を押さえてくるも、出てしまった言葉は取り消せない。


(殺されるかな?)


 そうすれば、すっかり懐柔されている院のみんなも考え直してくれる。リディアーヌ様はひどい、と口を揃えて言うようになるだろう。

 口を押さえられたままきっと睨むようにする。

 殺すなら殺せ。強い感情は少なくともある程度は伝わったはずだが、ぽん、と、柔らかい手が頭に乗せられて、


「一人でも『信用できない』って言う子がいれば、他の子も『そうかもしれない』って考えられるでしょう? そうやって頭の片隅で疑い続けることで誰かの身を守れるかもしれない。なら、それはとてもすごいことよ」

「っ」


 見透かされている。

 お前の考えなんてお見通しだから無駄な事は止めろ、とそう言いたいのだろうか。敗北感から余計に反抗的な気持ちを覚えながらリディアーヌを見て──その微笑みに毒気を抜かれた。


(良い人のフリをするなら、いっそのこと一生続けなさいよ)


 ふん、と顔を背けてその場を離れる。リディアーヌもそのお付きもルネを追ってくることはなかった。

 彼女達は暇ではない。群がっていく子供達の相手がある。遠巻きに見ている分には平穏無事に過ごす事ができる。それに、こうして院のみんなの楽しそうな顔を見るのも悪くはないのだ。


「やっぱり、リディアーヌ様は本物の方が綺麗!」

「当たり前だろ。っていうかあの絵、あんまり似てないじゃねえか」


 話はリディアーヌ様の肖像画、というか似顔絵の話に移ったようだ。

 最近、街では貴族の肖像画が流行している。と言っても、貴族のお墨付きをもらえるような絵師の作ではない。せいぜいがそうした『本物』の作品を誰かが模写したもの。悪ければ模写の模写とか、模写の模写の模写とかそういうものだ。

 ただ、質が悪い分だけ値段も安い。

 使う絵の具の種類を減らしてさらに値下げしたものなどもあり、平民でも手に取りやすくなっているため、この孤児院でも「リディアーヌ様の絵が売っていたの!」と誰かが買ってきて話題に上っている。最近では買った絵を元に自分で描くのも流行しつつあるらしい。


(まあ、実際、本物の綺麗さには絶対敵わないわよね)


 美しさばかりは認めなければいけない。

 同じ女として少々釈然としないものを感じながらも、ルネはリディアーヌと子供達のやり取りを眺め続けた。



   ◆    ◆    ◆



「平民の間で貴族の肖像──それも、粗悪品が流行しているみたい」


 何度目かの孤児院通いから帰ってきた日の夕食時、俺は両親に子供たちから聞いた話を伝えた。

 なんでも「貴族様のお顔を知る事で感謝の気持ちを育てよう」などと言って露天商などがこぞって販売しているらしい。

 孤児院の子はそれを本当に感謝や尊敬の気持ちから買ってきて日々眺めたり、似顔絵を描いたりしていたらしいのだが、


「頼み込んで現物をもらってきたわ。アンナに持たせてあるから、食事が終わり次第見せるけれど……正直、あまり似てないのよね」


 俺の肖像画は毎年、新しいものが製作されている。

 成長の記録を残すのだと父がうるさいので最低でも年一回は絵師が呼ばれて絵を描かれているのだ。モデルになるのも楽ではなく、何時間かただ座っていないといけないのであまり気が進まないのだが『写真のない時代だと確かに貴重よね』という想いと、そういえば母も肖像画は多かったな、という想いから渋々引き受けている。

 父がどうしてもと言うだけあってオリジナルの肖像画は出来が良く、俺としても納得の完成度なのだが、院で見せられたそれはぱっと見「誰?」と言いたくなるくらい微妙な感じだった。


『描いた絵師を「本物を見たことがあるのかしら?」と問い詰めたいくらいには不本意だわ』


 しかし、単に似ていないから不快だという話がしたいわけではない。


「お父さま。この流行が意図的に作られた可能性はない?」

「……その可能性は私も懸念している」


 先日、平民街にて、貴族の肖像を傷つけた罪で一人の男が捕縛されたのだという。

 家や個人を象徴する品──肖像画や紋章などを故意に傷つけた場合は罪に問われる。王族関係なら不敬罪として重罪、貴族関係でも基本的に罰金や労役などが科せられる。


「その者を尋問したところ、街で肖像画が流行していると言う。そこで、人を使って状況を探らせている」

「じゃあ、状況によっては?」

「陛下からお触れを出していただこうと思っている。明日にはおおよその結果が纏められて上がってくるはずだ」


 さすが、仕事が早い。

 と、シャルロットが首を傾げて、


「似ていない絵が出回ると困るから、ということですか?」

「それもある。似ていない絵によって大衆が勘違いを起こせば、顔を勘違いされた貴族に不利益が及びかねないからな」


 本物が偽物扱いされたり、似てないと馬鹿にされたり。怒った貴族が馬鹿にした平民を殺害、なんて事件も起こりかねない。


「捕縛された男のように肖像を傷つける者を減らす必要もあるわ」

「犯した罪は償わせなければならないが、平民を大量に捕らえるのはこちらとしても本意ではないからね」


 アランが頷いて捕捉してくれる。

 父も「うむ」と厳かに答え、さらに言って、


「最大の問題は、この流行が貴族への尊敬ではなくを育ててしまいかねない事だ」


 似ていない絵を放置すれば、似ていない絵があってもいいと暗に認めることになる。

 似ていない絵を元に「もっと似ていない絵」を描く者も増えるだろうし、それが容認される土壌が出来上がっていってしまう。

 そうなれば、今度は絵の取り扱い自体も軽視されかねない。

 似ていない似顔絵が道端に捨てられたり、失敗作だからとずたずたに裂かれて捨てられたり。最終的には「抗議の意味で肖像を傷つける」行為のブームを招くかもしれない。

 待っているのは平民の大量捕縛。これを貴族の横暴と考えた平民がさらなる抗議として行為をエスカレートさせれば──最悪、国家の破滅だ。


「微妙に似ていないのも厄介よね。実在する人物だとは思わなかった、とかシラを切られるかもしれないし」

「絵の正確性が損なわれていけば判断する側にもブレが生じる。愉快な話ではないな」


 一部の者をダシに使ってでも反貴族ムーブを作り出そうとするやり方。

 もしかして、これも純血派の仕業なのだろうか。

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