リディアーヌと慌ただしい日々 4

「お風呂が豪華になって幸せが増したわ……」


 大浴場で湯に浸かるようになってから数か月。

 今日も今日とて入浴から帰ってきた俺は、火照った身体を包む幸福感に深い息を吐いた。貴族としても元日本人としても入浴は必要不可欠な行為である。

 日々俺の入浴を手伝っているアンナも笑顔で頷いて、


「はい。あれはちょっとした暴力ですね……」


 公爵家の大浴場はもともとかなり豪華だ。適温に調整された湯が循環する仕組みと石造りの広い浴槽が備わっており、一流ホテル並みと言っていい。

 入浴のたびに複数人のサポートがついてきて視線のやり場がないこと、俺の身体を洗うのにメイドたちが自然と身体を押し付けてくること以外は十分すぎる環境なのだが、せっかくなのでもっと便利にしたいと、両親の許可を得て新たな設備を追加した。

 上から適度な温水が降り注いで全身の汗を流してくれる設備、シャワーである。

 当初はゴムを使おうと考えていたのだが、学校やスポーツ施設なんかだと固定式のもあったしひとまずそれで良いのでは? と思い直し、貴族家向けの高級じょうろに使われている金属製のパーツを流用、液体を細かく降り注がせられる仕組みを大浴場の一角に取り付けた。

 魔道具で再現する関係上、水とお湯の二種類だけで温度調節はきかないものの、これの効果はなかなかに劇的だった。注いだ分の魔力が切れるまで何もしなくても湯が降ってくるので楽だし気持ちいい。都度湯を汲んで使っていたアンナたちメイドの助けにもなっている。


「立った状態のリディアーヌ様を洗わせていただくのがとても楽になりました」

「湯の入った桶を持ち上げるのも少々大変ですし」

「傾けすぎるといっぺんに湯がかかってしまうので加減が必要で……」


 メイドたちが(俺を洗ったついでに)自分で使う時も全身くまなくさっと洗えるということでとても好評だ。

 女性らしく綺麗好きなセレスティーヌやシャルロットはこのところ入浴時間が少し長くなっているし、アランも「身体を動かした後にさっと汗を流したいんだが……」と、自室の浴室にシャワーを取り付けられないか俺に相談してきた。

 ああ、体育の後のシャワーは格別だよな、と快く了承して取りつけてからは剣の稽古に前より身が入っているらしい。せっかくだからと俺の部屋とノエル用の部屋にも取り付けたところ、これは確かに日中汗を流したい時に便利である。

(なお、オーレリアは自分で作って自分の部屋に取り付けた。アンナは魔力的に厳しいからと辞退した)


「サウナの方も好評ですよ。特に旦那様は毎日のように入られています」

「お父さまはあれがとっても気に入ったみたいね。新しい玩具をもらった子供みたいで可愛いわ」


 シャワーのついでにサウナも作った。熱い霧を作り出す魔法具によるミストサウナである。

 普通の霧を作る魔道具はもともと戦闘用などに使われているので、アレンジとしては霧の温度を上げただけ。さほど目新しいものではないが、意外と反響が大きかった。


「南方の熱い地域では熱した石などを使って行われていると聞くが……魔道具で代用する方法があったか。これならば使用人の仕事をいたずらに増やすこともないな」


 これに関してはエマがこっそり「サウナの掃除はメイドの仕事ですが」とこぼしていたが、仕事で忙しい父が喜んでいるのでそこは勘弁してやって欲しい。

 サウナと言えばダイエットにも効果が高い。

 これを伝えたところセレスティーヌの目の色が変わった。


「お養母さまは全く太ってらっしゃないでしょう?」

「今は授乳のためこれまで以上に食べなければならない時期なのです。レオンが離乳食に移行した後は体型を戻さなければなりません」


 なるほど、やっぱり出産の影響は大きいらしい。

 貴族の中にはカロリーの高い食事を摂りすぎて太り気味の者もいたりするので、そういう人にもサウナは喜ばれるかもしれない。


「それは良い情報ですね。口にする時期は慎重に選ばなければ」

「そうだな。私もサウナについてはまだ口を閉ざしている」


 上手くやればこれも家の利益になる。できれば販売用の魔道具がいくつか出来上がった後で噂に上らせたいということで、俺とオーレリアはお小遣いをもらって追加のシャワーとサウナを作った。

 シャワーの先端は既製品を購入したが、本体(?)の金属部分はアランが作ってくれた。


「僕にも手伝わせて欲しい。金属を扱う魔法も練習しているんだ」


 ファスナーの件で「自分も作れるようにならないと」と練習メニューに追加したらしい。魔石の作成も併せて少しずつ練習しているそうだ。






 一方、シャルロットはというと、俺の見ている前で光の明るさを無段階調節できるまでに成長していた。


「どうですか、お姉様……?」


 光を消して心配そうに尋ねてくる彼女に、俺はにっこりと笑顔を返す。


「ばっちりよ。もうあの時の長い光も普通に再現できるんじゃない?」


 すると義妹は少し考えてから「やってみます」と頷いた。

 光魔法の訓練用に厚手のカーテンで明かりのほとんどを遮った部屋。ぼんやりと互いの姿が見える程度の空間の中、シャルロットが片手を壁の一点に向けて──。

 眩く直線的な光が周囲を照らしながら壁へとぶつかった。

 ぱっ、と、天使のような顔立ちに笑顔が浮かぶ。


「できました……!」

「やったわね、シャルロット。これだけできれば他の魔法に応用するのも難しくないでしょう」

「本当ですか? お姉様の光の攻撃魔法も使えますか?」

「あれは色々危険すぎるから護身用にはして欲しくないけれど……例えば短くて強い光を放って目くらましにするのはどう? 相手の動きを止めたり逃げるチャンスを作るくらいはできると思うの」

「なるほど……」


 これはすぐには難しかったものの、イメージの助けとなる具体的な情景を挙げることで上手くいった。


「朝、カーテンを一気に開けたりすると『眩しい』って思うことがあるでしょう? あんな感じで他人の目を眩ませるの」

「カーテンの……それなら、できるかもしれません」


 俺たちは光を直視してしまわないようにしつつ何度か練習すると、シャルロットは閃光の魔法を発動させることができた。やっぱり光系統の魔法に関してはかなりの才能がありそうだ。


「これならお姉様のお役にも立てそうです」

「そうね。でも、使う時は気をつけてね? 敵も味方も関係なく目くらましになるから、できるだけ味方の後ろで、前を向いている敵に使うようにしなさい」

「かしこまりました、お姉様」


 まあ、目くらましが必要になるような状況は無い方がいいのだが……シャルロットがたいへんやる気なので、次の課題は拘束用のロープをどうにかする魔法、それが終わったら走って逃げる時のための身体強化ということになった。

 この調子で成長されると学園で魔法を学ぶまでもなく十分な腕を身に着けてしまいかもしれない。





「少し早いけれど入学おめでとう、ノエル」


 俺の専属騎士であるノエル・クラヴィルは無事に学園への入学資格を得た。

 まあ、資格と言っても試験があるわけではなく、貴族の子息・令嬢であり、かつ所定の入学金を納めれば基本的に許可が降りるのだが。

 そうだとしても入学がめでたいことに変わりはない。俺はノエルへの入学祝いをしっかりと渡した。


 卒業パーティー襲撃の件で作った防御のチョーカーの改良版。派手すぎず地味すぎず、プライベートでも護衛中でも使えそうなデザインで、仕込んだ魔石は気合いを入れて作った一品だ。

 急造品だった前のチョーカーに比べると魔力効率および防御性能に優れている。

 これならつけっぱなしにしていてもノエルの魔力なら十分賄えるし、騎士であるノエルは不意の一撃さえ防げれば後は臨機応変に対処ができる。

 物理防御、魔法防御、毒耐性それぞれ一回ずつをコンパクトにまとめた形がおそらく彼女にはジャストフィットである。


「ありがとうございます、リディアーヌ様。大切に使わせていただきます」

「ええ。機転のきく相手なら一発目で防御を破った後、そのチョーカーを狙うでしょうから。そのまま首まで貫かれないように気をつけて」

「肝に銘じておきます」


 また、日頃のお礼や旅行のボーナスも兼ねた贈り物として剣も贈った。

 正確に言うと現物はノエルの指定した鍛冶師に依頼中で、後から嵌めこむ魔石も製作中だが、代金は先払いで俺が払った。

 ノエルは「普通の剣で構わないんですが……」と言いつつ、堪えきれないというようにニヤニヤしていた。気持ちはよくわかる。服を仕立てるのは半分ノルマになりつつあるものの、俺だって前世ではスマホを買い替える度にカタログを眺めてニヤニヤした。


「ですが、私が学園に入ると護衛が心配です」


 学園在学中は平日のうち五日間が勉強で潰れる。寝泊まりするのは実家でも俺の屋敷でも騎士団の宿舎でもなく学園の寮だ。

 高校のように時間割がびっしり埋まるのではなく大学のように行きたい講義を選択する形式だし、実家等からの通いが認められていないわけではないものの、俺のスケジュールに合わせて講義を履修するとか毎日俺の屋敷まで帰ってくるとかは正直ノエルの負担になりすぎる。

 休日、たまに護衛してもらうくらいはあるにせよ、しばらく専属騎士としての役割はお休みである。


「しっかり学んで強くなるのも騎士としての使命よ。気にしないで頑張りなさい」

「はい。剣も魔法もあらためて鍛え直したいと思います。……それはそれとして、後任が気になるのも事実なのですが」

「後任というか穴埋めね。そっちはまだ検討中らしいわ」


 第三王子の婚約者で、しかも実際に襲われた経験が二度もある公爵令嬢。

 実績のせいでノエルが選定された時より条件が厳しくなっている。付けないのは論外だし、できれば正規騎士から人を出したいところだが、例によって女性騎士は人手不足。下手な者を付ければ派閥等の不都合が起きかねない……ということで、国王も騎士団長も色々手を考えているらしい。

 と、いう話をクラヴィル伯爵家で開かれたノエルの入学記念パーティーにて話していたところ、四人もいる兄たちが寄ってきて、


「我々であればいつでも喜んで護衛の任に就かせていただきます」

「お兄様方、男性は論外です。というか、既に専属が決まっている方まで交ざらないでください!」


 ノエルが身内相手だからか、いつもより可愛らしく怒った。

 兄たちはさすが騎士の家系、いかにも体育会系といった感じのさっぱりした人たちだった。背が高く引き締まった身体で、俺から見るとかなりの威圧感がある。ただ、剣を振る関係上ムキムキマッチョという感じではないし、顔は貴族らしく整っている。

 例えるなら剣道部のイケメン男子、といったところか。

 俺への態度も「高貴なお嬢様」と「妹の友人」の中間といったところで、変な下心とかは感じない。声をかけてきたのも親しみを込めた冗談という意味合いが強そうだ。


「俺はまだお仕えする方がいないし、妹の主人に手を付けるほど節操無しじゃないぞ」

「結婚していても他の女に手を出すのが男という生き物でしょう」

「ノエル。まさか俺がそんな男だと思っているのか?」

「もしそんな男だとわかったらお兄様とは絶交です」

「それだけは勘弁してくれ」


 なるほど、愛されてはいるがとても暑苦しい。

 このノリで代わる代わる四人に来られたらうんざりするのもわかる。それでいてノエルも完全に嫌がっているわけではないのがなんというか、ああ家族だなあ、とほのぼのした。


「騒がしい家で申し訳ございません、リディアーヌ様」

「クラヴィル夫人。いいえ、とても温かくて楽しそうなご家庭だと思います。きっとご両親の教育が良かったのでしょう」

「光栄でございます。私達としても自慢の子供達なのですが、今回はお役に立てそうにありませんね。リディアーヌ様の護衛代理、良い方が見つかる事を祈っております」

「ええ、ありがとうございます」


 ノエルの母親は騎士ではないらしく、普通の貴族女性だった。ただし、男の子四人を育てながら夫の制御までしていただけあって気が強くしっかりした感じの人だ。はきはきとした喋り方が心地いい。性格的に俺と相性が良いのかもしれない。


『もし騎士経験があったらこの方にお願いしたかったくらいだわ、残念』


 せっかくなので色々と話を……と思っていると四人の兄たちやノエルの父(何度か会った騎士団の副団長だ)が話しかけてきてその都度話が中断される。別段邪魔をされているわけではなく、気安いノリの時はこれが普通のリズムらしい。

 

「本当に騒がしい家で申し訳ございません」


 重ねて告げられたお詫びの言葉には苦笑いを返すしかなかった。

 ノエルの代わりの件、クラヴィル夫人は自分からも知人に話を通してみると約束してくれた。そして、その甲斐があったのか、俺の新しい護衛はそれからしばらくして決定したのだった。

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