リディアーヌと慌ただしい日々 2

 平民向け学校というアイデアは却下された。

 俺が考えたのは安価あるいは無償で多くの子供を受け入れ、読み書きや計算、国の歴史などを教える──いわば小学校のような施設だ。

 ポイントとしては道徳、つまり思想教育を含むこと。教師が「皆さんの暮らしていられるのも、こうして勉強ができるのも貴族様のお力あってのものなのですよ」と教えることで自然と次世代の人間たちに忠誠心が根付く。

 学園という教育機関が既に存在しているので学校の概念は説明するまでもない。

 平民街にも個人レベルで運営されている私塾はいくつかあるらしいので、それの大きいやつだと言えば平民にもわかりやすいだろう。

 意外といけるんじゃないかと思ったのだが、


「……すぐに実現するのは少々難しいだろうな」

「やっぱり、平民に学をつけさせるのは危険だから?」


 現状、平民の中には字の読めない者がかなりいる。本を読むこともできない彼らは「他の思想」というものを取り込みづらい状態にある。日々の暮らしをしていくので精一杯で、革命だの反乱だのを起こそうなんてそうそう考えない。

 下手に知恵をつけさせると逆に反抗的になるのでは、という考えはあって当然だ。


「それもあるが、資金的な問題も大きい」

「……ああ、そっちね」


 学園の運営費は王国からの補助金と各貴族からの寄付金が大部分を占めている。日本の私立学校でもそういうところは多いはずなのでこれは珍しいことではない。

 重要なのは学校運営にそれだけのお金がかかるということ。

 もちろん、平民用の学校に学園と同じ設備は必要ない。とは言え収容人数の多い校舎と机や椅子、勉強道具を準備し、教員にも人件費を支払わなければならない。我が家単独で始めるのはもちろん、国政として行うにしても「オッケー、じゃあ来年から始められるように準備するわ」とは簡単に言えない。


「考えとしては悪くない。むしろ検討する余地はあるだろう。こちらで嘆願書を作成して受理しておこうか?」

「いえ、嘆願書ならわたしが書くわ。その方が喜んでくれる方もいるでしょうし」

「ああ、陛下は確実に喜ぶだろうな」


 意見としては受け付けるし相応に検討もするが、決定には時間がかかるし予算的に承認されないことも覚悟しておけ、とのこと。

 まあ仕方ない。衛兵の増員および新型魔道具の確保という優先事項があるのだ。こんな時に平民に金を割けるか、という意見も間違ってはいない。

 となると、


「うーん……もう少し規模を小さくしてうまくやる方法はないかしら」


 発想のヒントが欲しくなった俺は差し入れを用意し、屋敷の兵士たちに聞き取り調査を行うことにした。

 参加した兵士たちは軽食に舌鼓を打ちつつ嬉々として答えてくれる。


「貴族様の飯は美味いですし、料理屋を開くのはどうですか? もちろん、店の名前にお嬢様の名前を入れて」

「剣の訓練場はどうです? 強くなりたい男はいっぱいいますし、見込みのある奴はそのまま兵士に勧誘すればいいじゃないですか」

「いっそお嬢様が歌って踊るとか」


 面白いアイデアがぽんぽん出た。ただし歌って踊るのは除く。容姿と美声をたっぷり生かして目立つというのはなかなか魅力的だが、俺が定期的に公演するとか忙しすぎて死ぬ。

 どれもなかなか面白く、一方で決め手がない。そんな中、


「学校って、字とか教えてくれるんですよね? ちょっと孤児院に似てるな」

「孤児院?」

「はい。俺はもともと孤児だったんですけど、孤児院にいた母ちゃん──先生が『名前くらいは書けるようになっておけ』って勉強を教えてくれたんです。簡単な計算も教えてもらったので、給料をもらえるようになってからも店で変なぼったくりに引っかかりませんでした」

「なるほど、孤児院ね。いいわね、それ」


 孤児院にいる子供たちには親がいない。どのような教育を施すかは担当者および出資者が決められる。

 文字通り生殺与奪の権限を握っているのだから自然と貴族の恩恵を理解するだろうし、成長した者の中に見込みのある者がいれば引き抜くこともできる。

 既に運営されていて金に困っている孤児院へ話を持って行く形なら学校と違って設備投資は少なくてすむ。面倒を見る人数もぐっと減るから俺の私費でもなんとかなるかもしれない。

 これを父に相談すると、


「それはセレスティーヌの方が詳しそうだな」


 というわけで、養母の方へ。

 産後で疲れているんじゃないかと思ったら「むしろ、休め休めと言われて困っているくらいです」と快く相談に乗ってくれた。この女も大概ワーカホリックである。

 ひとまず俺のやりたいことと動かせる金を明確にまとめた上で、王都にある孤児院のリストやその内情を知らないかも含めて相談してみると、


「良いと思います」

「本当ですか?」

「ええ。孤児院の運営──慈善事業に携わるというのは知名度向上に役立ちます。リオネル殿下の婚約者は幼いながらも慈悲深く、国の将来を憂いていると噂を流すこともできるでしょう」

「少々過分といいますか、都合が良すぎる気もいたしますが……」

「気にすることはありません。親を失って困っている子供を助ける。それが善行であることに間違いはないのですから」


 真の善だろうと偽善だろうと、実際に助けられた子供たちにとっては救い主に等しい。


「運営費は貴女の私費だけでは少々心もとないでしょうが、それについても問題ありません。ファスナーやホック、スナップボタンの収益の一部を流用しましょう」

「それは……甘えてしまって良いものなのでしょうか」

「発案者はリディアーヌなのですから、貴女には利益を受け取る権利があります。ファスナーに至っては製造の魔道具まで担っているのです。それを家の事業として提供してもらっている以上、むしろ甘えてもらわねば困ります」


 そういうことならとありがたく頂戴することにする。


「孤児院の一覧と概要についても頭に入っていますが、少々古い情報ですのであらためて収集、精査した上で教えましょう。既に貴族家の出資を受けている施設も多いはずですし、金を横領するような者が主であればすげ替える必要もありますからね」

「お養母さま、休めと言われているのでは?」

「部下に命じ、後は手紙を二、三通用意する程度です。どうということもありません」

「いえ、細かい文字を追うのは意外と神経を使います」


 手紙はセレスティーヌの専属に代筆してくれるようお願いした。ワインの件も知っているせいか、彼女も以前に比べてだいぶ俺への当たりが弱くなった。快く了承してくれたどころか、言われなくてもそのつもりだと微笑んでくれたくらいである。

 こうして一週間もしないうちに孤児院の情報が集まり、俺とセレスティーヌはその中から立地が治安の悪い地域に寄り過ぎておらず、担当者に悪い噂がなく、かつ特定のオーナーのいない施設をピックアップした。






「このようなところへわざわざお越し下さり、誠にありがとうございます」


 孤児院は錆の浮いてきた金属製の門の奥、最初は白かったであろう少々薄汚れてきた外壁の建物を本拠としていた。

 管理人室だというさして広くない部屋の中、向かい合って座る。ソファはだいぶへたってきていてあまり座り心地が良くない。

 院長は五十代の平民女性。もともとは豪商の次女だったらしい。作法や表情には教育を受けてきた者特有の雰囲気がある。美人だったであろう整った顔立ちは加齢と苦労によって少々疲れた印象になってしまっている。

 対するこちらは余所行き用のドレスに身を包んだ俺とアンナ、エマ、オーレリアとメイドが勢揃い。家からの護衛も何人か連れている。セレスティーヌがまだあまり外出できないのでその分、こちらを大きく見せるためにも人数を連れて行け、ということになったのだ。

 俺とオーレリアがいればたいていの非常事態はなんとかなる。平民の刺客程度なら一ダースや二ダースは余裕である。


「ご存じかとは思いますが、当院は私が若い頃に立ち上げたものです」


 公爵令嬢という肩書き(あるいはそのバックにいる両親)に怯えているのか、少々硬い声で院長は話してくれた。

 博愛精神に溢れていた彼女は父に頼み込んで孤児院運営を始めた。おそらく商人である親としては名声アップの狙いもあったのだろう。実家からの資金援助もあり、当初は何の問題もなく運営が行われていた。


「ですが、兄へと代替わりしてからは実家の資金繰りも綱渡りになり──また、兄が孤児院へいい印象を持っていなかった事から援助金は年々減っていきました」


 資金繰りに奔走したものの、なかなか継続的な出資者は現れなかった。良い返事がもらえたかと思えば院にいる子供が目当て(主にいかがわしい意味で)だったりして受けるに受けられない。子供たちの面倒を見ながらできる内職程度には十分な収入にはならず、一定の年齢に達した子供たちを外へ働きに出し、その稼ぎを利用することでなんとか食いつないでいるような状態なのだとか。

 院長はため息をついて、


「巣立って行った子供も多くなり、昔に比べて子供の数も減りました。ご覧になられた通り掃除や設備の修繕も足りておりません。『見返り』を期待されているのであればもっと良い出資先があるかと存じます」


 彼女には前もって手紙で用件を伝え、使者を出して訪問日程のすり合わせも行っている。なのであらためて細かい説明をするまでもなく話が通じた。

 本当にうちなんかでいいのか、と言っているように思える台詞だが、実際のところは「下心のある施しなら不要」という拒絶に近い。これまでの経験から警戒されているのだろう。失礼にならないギリギリ、あるいはギリギリ失礼な口ぶりである。

 ノエルがいたら院長を睨んでいたかもしれないが、俺は笑顔でスルー。精一杯奮発したであろう(我が家で飲んでいるものよりはかなり質の落ちる)紅茶を口にした。

 魔法で毒消しをしているので確実ではないが、異物混入はされていないようだ。


「あら。見返りを求めるのは当然じゃないかしら? 問題なのはその種類がどういったものか、でしょう?」

「それは……」

「単刀直入に言うわ。わたしは婚約の決まっている身の上だから火遊びなんてできないし、シルヴェストル公爵家に子供を弄ぶような下卑た趣味の持ち主はいない。わたしが求める見返りというのは名声、それから成長した子供たちの活躍よ」

「……活躍、ですか?」


 ようやくこちらに興味を持ってくれたらしい。院長の表情がだいぶ柔らかいものになった。


「ええ。子供たちには将来役に立つような最低限の教育を受けてもらう。その上で『就職先』の斡旋を行うわ。優秀な人材は男の子なら衛兵、女の子ならメイドか下働きとして屋敷で雇ってあげる。お抱えの商人や職人への口利きもできる」

「願ってもない話ですが、それでは見返りとして少なすぎるのでは?」

「ええ。だから、子供たちにはきちんと話して欲しいの。わたしの出資によって彼らの生活が成り立っていること。この孤児院にはわたしの庇護があることを。その結果、子供たちが自発的にわたしへ感謝してくれるようになれば理想的ね」

「つまり、名声ですか?」

「そうよ」


 ずっと年上の相手にする態度かと思いつつも、ここは上位者としての態度を敢えて押し出していく。どのみち俺は悪役令嬢なわけだし。


「この国の平民には貴族への感謝が足りていないと思うの。だから、貴族が直接的に平民を救った事例を増やしたい」

「ですが、子供達に考えを強制するのは……」

「染めるほどに強制するつもりはないわ」


 心配そうに表情を曇らせる院長。

 彼女へ向け、俺は軽く目を伏せて告げる。


「嫌な言い方をしてごめんなさい。子供たちを心配する気持ちもわかるわ。……親を亡くした子供の辛い気持ちも少しはわかるつもりよ」

「え?」

「現公爵夫人であるセレスティーヌ様は後妻です。前妻であるアデライド様はリディアーヌ様が五歳の時に亡くなられています」

「それは……」


 はっとするような表情。

 彼女には打算も含めて隠さず話すより、人情に訴えた方が効果がありそうだ。少々卑怯なやり方だが、別に嘘を言っているわけでもない。


「……大変失礼な事を申し上げました。心よりお詫び申し上げます」


 院長はテーブルに額がつきそうなほど深く頭を下げてくれた。腰が心配になるので止めて欲しいと思いつつ「頭を上げて」と声をかける。

 顔を上げた彼女は何か迷うような表情で俺を見て、


「私は子供達を守りたいのです。あの子達が不幸になるような事は本当にありませんか?」

「ないわ。……と言いたいところだけれど、幸せなんて人それぞれだもの。住むところも食べるものも着るものもあって教育を受けさせてもらえるからといってそれが幸せとは限らない。無責任な事は言えない。ただ、衣食住は公爵家の名にかけて保証します」


 院にいる子供たちは現在二十人ちょっと。出てこないように言われていたのか直接会うことはなかったものの、道中、隠れて様子を窺っている子と目が合うことはあった。

 重篤な栄養失調に陥っている子はいないものの、痩せていて服もあまり状態が良いとは言えなかった。


「後は院長の判断次第よ。口にした内容が必ずしも真実とは限らない。笑顔で嘘を言う人間はいるものよ。だから、わたしが信用できないと思うのだったら断っても構わない。考える時間が必要なら日を改めるわ」


 俺の言葉のどこが決定打になったのかはわからない。

 ただ、院長は真摯な表情を浮かべてもう一度俺に頭を下げてくれた。


「公爵家に──そして、リディアーヌ・シルヴェストル公爵令嬢様に感謝と忠誠を。どうか、この孤児院の主となってください」


 こうして、孤児院が俺の所有物となった。

 契約が正式に締結され次第、一か月分のお金と平民用の清潔な服、それから手っ取り早く食べられるパンや果物を運び込んだ。

 一緒に挨拶に行ったら子供たちはおおむね大喜び。一部に生意気な子もいたが、まあ、そこはひとまず長い目で見ようと思う。

 普段の管理は院長にそのまま任せ、警備員代わりに我が家の私兵を数名ローテーションで派遣する。正しく運営がされているかの確認はお抱えの執事が定期的に訪問して実施してくれることに。俺は彼の報告を聞いて指示を出しつつ、一か月おきくらいに訪問するのが主な仕事だ。

 なお、一月後くらいに実際に赴いたところ、孤児院の壁は掃除が行われてだいぶ綺麗になり、門の錆も一生懸命に落とされてだいぶマシになっていた。

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