メイドと主と大浴場

「では、アンナ先生。ご指導をお願いします」

「からかうのは止めてください」


 使用人教育に用いられる小部屋の一つにて、アンナは先輩メイド二人を前に緊張していた。何故なら今回はアンナが二人へ教える立場だからだ。


 内容は「リディアーヌの入浴について」。


 専属についてから──正確には死の淵を一度彷徨ってからずっと部屋の風呂を使っていた主人が先日、ようやく大浴場の使用を了承してくれた。

 信用してくれるのは嬉しいし、専属以外のメイドを避けるのも「あんなこと」があった以上は当然なのだが、他のメイドが全く手伝えないとなると色々と不都合なのも事実。そこでまず、リディアーヌ本人とセレスティーヌの希望を元に二人を選んで入浴補助とすることになった。

 選ばれたのは仕事ができて人格的にも問題ない者。必然的にアンナより勤続年数の長い先輩方である。

 格上新人のオーレリアを教えるのと気分的には大差ない。

 ちなみにリディアーヌは現在勉強中。傍にはエマが付いている。この指導のために代わってもらったのだ。


「私が教師役なのは今まで担当していからに過ぎません。教えるほどの事ではありませんし、先輩方ならすぐに覚えられると思います」


 アンナが言うと、二人の先輩は首を傾げた。


「簡単に行くかしら。入浴は他の仕事とは勝手が違うでしょう?」

「目上の方の肌に触れる機会なんてあまりないもの」 


 貴族に入浴は欠かせない。

 清潔でいる事は社交の初歩、大前提と言っていい項目だし、肌や髪は丁寧に世話してやればやるほど美しく長もちすると言われる。特に若い女性にとっては武器の手入れをするに等しい時間だ。

 一方、入浴中は無防備になる。服さえ纏わない状態で複数人に囲まれるのだから、貴族、特に狙われる理由の多い上位貴族は警戒心を強く持つ。

 少し手が滑って肌を引っ搔いただけでもクビにする理由になりかねない。


(そういえば、リディアーヌ様の入浴はみんな嫌がっていたっけ)


 ふと昔の事を思い出した。まだアンナが専属ではなかった頃。普通に大浴場を利用していたリディアーヌは入浴の度にメイドへ文句をつけていた。髪の洗い方が雑だとか、石鹸の泡立て方が足りていないだとか。クビにしてやる、と言われた者も少なくない。

 娘の要望を受けたセレスティーヌが素直にクビにした例は決して多くはなかったが、


「大丈夫ですよ。リディアーヌ様はとても寛容で大人しい方ですから」


 初めて二人きりになった時から怒られた経験なんてほとんどない。こうして欲しい、とお願いされる程度だ。

 これを伝えると先輩達もほっとしたように表情を緩めた。


「では、アンナ先生。何から始めましょうか?」

「先生は止めてください。……ええと、そうですね」


 アンナはあらためてリディアーヌとの入浴を振り返って、






「リディアーヌ様。今日から大浴場へ移らせていただきますね」


 さっそく翌日から先輩方の出番がやってきた。


「ええ、よろしくお願いね」


 アンナの主人──リディアーヌ・シルヴェストルは美しい少女だ。

 母親譲りの髪と瞳は一流の庭師が育てた薔薇、あるいは高級なワインを思わせるような紅。対照的に肌は白く透き通るように白く、普段から肉・魚の食べ過ぎを控え果汁よりも茶を好んで飲んでいるお陰か体型はすらりとした状態を維持している。

 本人は「少し目つきがきついのよね」と気にしているが、下の者にさえにこりと優しく微笑みかける姿はまさに令嬢の鑑。品よく笑顔を作っていればきつい印象など吹き飛んでしまう

 と、あらためて思いながら先輩方の挨拶を見届けたアンナは、三人と共に大浴場へと移動する。


「あそこへ行くのも久しぶりだわ」

「そうですね。もう二年近いんじゃないでしょうか」


 主人の声音はいつもと変わらない。大浴場が嫌というわけではなさそうだ。


(とっても素敵なお風呂だもの)


 初めて見た時、アンナは思わず歓声を上げてしまった。

 シルヴェストル公爵家の大浴場は先々代の当主が一流職人に造らせたこだわりの空間だ。白を基調とした広い部屋。装飾を施された複数本の柱が天井を支え、軽く二十人以上が入れそうな大きな浴槽は総大理石。魔道具と繋がった天馬の像の台座からは絶えず温かな湯が注がれ、同量の湯が底面にある小さな穴から排水されることで循環が行われている。

 循環した湯は浄化と過熱の魔道具を通って再び使われる。水量を微調整するために水を作成する機能も組み込まれた多機能な魔道具だけでもいったいいくらしたのか想像がつかない。

 年に一度、職人を入れて本格的な手入れをしていること、公爵本人がこまめに強化の魔法をかけていることもあってガタが来る様子も全くなく、アランの代が終わるくらいまでは普通に使えるのではないかと思える。


「では、リディアーヌ様。失礼いたします」

「ええ」


 脱衣所に着いたら一枚一枚丁寧に服を脱がせていく。

 広いスペースだが、他の家人は一緒ではない。

 掃除で湯を抜く時以外、大浴場はいつでも入れるようになっているが、日に一度の入浴の際は時間を決めて他の者と被らないようにする。貴族は同性の親子でも滅多に一緒には入らない。父である公爵は下手をすると赤ん坊の時も含めてリディアーヌの裸をみたことがないだろう。


「まあ……!」

「リディアーヌ様のお身体、あらためて見ても惚れ惚れいたします」

「ありがとう。でも、褒めてもなにも出ないわよ?」


 恥ずかしそうに答えるリディアーヌだが、先輩達の気持ちもわかった。

 公爵令嬢の身体には一切無駄がない。女性らしい身体の起伏はまだ出来あがっていないものの、普通ならあってしかるべき小さないらない脂肪が彼女にはない。まるでそうあるのが当たり前のように、絵画や彫刻のような美しい線を形作っている。

 羨ましい。

 自分の身体と比べてそう思ってしまうのは無理もない話だろう。少なくともアンナは毎回思っている。


「リディアーヌ様は将来絶世の美女に成長なさいますね」

「そうね。お母さまに似たからきっと綺麗になるでしょうね」


 リディアーヌは、容姿に関しては謙遜しない。

 シャルロットやヴァイオレットに「自分より美人だ」と告げることはあっても、自分の容姿が整っていないとは決して言わない。他人から低く見られるというのもあるが、それ以上に生母──アデライドの美しさまで貶すことになるからだ。

 しかし、そうしても嫌味ではないというか、たとえ嫌味だったとしても「彼女なら仕方ない」と思える独特の風格が彼女にはあった。


「あの、リディアーヌ様は何か特別な美容法を実践してらっしゃるのですか?」


 入浴の際、担当するメイドたちは基本的に簡素な浴衣を用いる。

 薄い生地なので透けるし、濡れれば体型も丸わかりだが……大浴場に入ったリディアーヌは「相変わらず綺麗ね……!」と感嘆し、風呂の造りを一通り眺めた後はふっと大人しくなる。いつもと同じだ。世話をする間は真っすぐに前だけを見てよそ見をしない。

 アンナの存在を忘れてしまったかのようだが、普通に話はしてくれるし、必要に応じて身体も動かしてくれるので、単に洗いやすいようにしてくれているのだろう。

 そうして風呂用の椅子にリディアーヌが腰かけたところで、先輩の一人が尋ねた。アンナは「その質問は駄目だ」と思ったが、リディアーヌはくすりと笑って、


「化粧水や石鹸なんかはお養母さまが用意したものを使っているだけよ。特別なことと言えば、魔法で体型維持のおまじないをしているくらいかしら」

「魔法で、ですか?」

「ええ。美しい自分になれますように、って一日に何度か魔法をかけるの」

「なるほど。魔法を……」


 先輩二人が「理解できない」とばかりにアンナを見てくる。


(思い切った質問をしすぎです、先輩)


 内心で呟きつつ頷いて答えた。


「私達の魔力では足りませんし、失敗すると逆効果です。残念ながら同じ方法は使えないかと」

「そんな……」

「残念です」

「みんなも綺麗じゃない。そんなに悲観することはないわ」

「ありがとうございます」


 女という生き物は美に貪欲な生き物。もっと上が欲しいのであって現状で満足とはいかないのだが……確かにアンナ達も貴族として恥ずかしくない程度の容姿は持っている。

 過度な不摂生や病気、怪我などの影響がない限り、貴族はたいてい美しい。平民は個々のばらつきが激しいので、純血派の思想ではないが貴族と平民では種自体が違うのではないかと思う事がある。


「たぶん、それも魔法の力なのよ。無意識に危険から身を守っているように、綺麗で健康になろうとする力も働いているの」

「???」


 オーレリアとリディアーヌの魔法談義に同席させられているアンナはともかく、先輩達はいきなり言われても良くわからなかったらしい。首を傾げる彼女達を見て「自分も昔はああだった」と懐かしく思った。

 魔法防御は無意識の魔力行使説はそれほど有名ではない。

 便利に使うために魔法を習っただけで理論に興味がなければ知らなくて当然だ。

 とりあえずアンナに言える事は、


「リディアーヌ様の仮説が正しいとすると、高位貴族の方や王族の方はとてもずるいと思います」


 湯で髪と身体を丹念に湿らせた後はまず髪を洗う。

 髪が終わったら浴衣と似たような素材の帽子で髪を纏め、身体へ。用いるのはスポンジなどではなくアンナ達自身の手だ。それが一番肌を傷つけない。滑らかなリディアーヌの肌にまたも負けた気分になるが泣いてはいけないし、粗相をしてもいけない。

 先輩達にはアンナが手本を見せながら少しずつ手伝ってもらう形にした。ぎこちないものの真剣に手を動かしてくれている。

 リディアーヌも身を任せてくれているが……何か思いついたのか小さく呟いているのが聞こえた。


「シャワーがないとやっぱり不便よね。ガワさえ作れば後は魔石で水を作るだけだし、お父さまお母さまに提案してみようかしら?」

「リディアーヌ様、シャワーってなんですか?」

「ああ。お湯の出る蛇口を手で持って操作できるようにしたようなもの……かしら? 蛇口は形を工夫して、小さな穴がたくさん開いているような形にするのよ」


 すると、湯が穴から雨のように降り注ぐのだという。ここまで言われたらアンナ達メイドには「ああ」と思い至るものがあった。


「じょうろの先のようなものですね」

「そういえばそれがあったわね。……あら? だったらシャワーができていても良さそうなものなのだけれど」

「魔道具を作る方には馴染みが薄いからかもしれません」


 魔道具を作るのは魔力の多い高位貴族が主体だ。彼らはお金が余っているか、製作した魔道具を売って金を稼いでいる。当然、使用人をふんだんに使えるので庭の手入れなど自分達ではしない。

 一方、メイド達は園芸用品としてじょうろを知っているが、自分では魔道具なんて作れないため、どちらも「魔道具とじょうろを組み合わせよう」なんていう発想が出てこない。


「じゃあ、これも上手く行けば売れるかしら」

「公爵家の服飾産業からは離れますが、提案してみる価値はあるのではないかと」

「ありがとう。……でも、ホースの部分が作れないとあまり自由には動かせないのよね。いっそのことゴムも魔法で作ってしまおうかしら」


 今度は「ゴムって何なのか」という疑問が湧いたが、リディアーヌはこちらの問いには「内緒」と言って答えてくれなかった。

 何はともあれ、入浴自体は無事に済んだのでアンナとしては一安心である。

 ただ、


「気持ち良かったわ。……なんだか温泉に入りたくなってきたわね」


 湯上りに冷えた麦茶を飲みながら、リディアーヌが呟いた言葉はやっぱりよくわからなかった。

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