新しい服飾用品
「今日はよく来てくれた。其方の協力に感謝する」
「と、とんでもございません」
齢五十を数えようかというその男は、公爵──ジャン・シルヴェストルを前にひどく緊張していた。
彼は細工師。依頼していた服飾部品が完成したというので屋敷へ呼んだ。今日は成果物の確認および評価を行うことになっている。
屋敷の応接間。ジャンの隣にはセレスティーヌが座り、周囲はメイドと護衛兵、さらには護衛騎士が囲んでいる。
確かに緊張するのも無理はない。苦笑しつつ茶を勧めると、職人らしく気難しそうな男は恐縮しきった様子でティーカップを取った。
「では、品を見せてもらおうか」
兵士の一人が細工師の持ってきた包みを解き、中の品物を丁寧に取り出す。
危険物は同梱されていない。
次いで品物自体の確認が行われ、ようやくジャン達の前に『試作品』が置かれた。
「どうぞ、公爵閣下。奥様」
「うむ」
「ええ、ありがとう」
依頼していた品は三つ。
『ファスナー』に『ホック』、そして『スナップボタン』だ。一種類毎に大きさや形を微妙に変えて数点ずつ製作されている。デザイン画の段階でも思ったことだが、やはり非常に細工が細かい。
元のデザインは全て長女──リディアーヌが担当した。
当人にも実現可能かわからないというそれをジャン達は一度預かり、こうして職人に試作させた。果たして娘の考えたこれらは実用に足るのか。
(リディにも見せてやりたかったが、旅先では仕方ない)
帰って来るまで待っていては遅くなってしまう。
職人を遊ばせておくくらいならここで確認後、作り直しを命じるか量産体制に入らせるべきだ。息子のアランとは定期的に念話で話をしており、彼を通して判断は委任されている。結果も同じようにアラン経由で伝えればいいだろう。
さて。
ジャンはまず『スナップボタン』を手に取った。
「小さいな。これが分離するというのか?」
それこそボタンほどの大きさの金属部品。
小さいので少々難しかったが、何度か試して外す事に成功。ぷち、と軽い音を立てて外れたそれを再び合わせて力をこめるとかちっ、と嵌まった。
コツを掴むとなかなか楽しい。何度も付けたり外したりしていると「旦那様」とセレスティーヌから釘を刺された。そう言う妻は大きさの違うスナップボタンをドレスのあちこちに当てて何やら思案している。どうやら用途を考えているらしい。
「実際には布に縫い付けて用いることになりますが、金属部分ではなく周囲の布に力を入れて外すことも可能ですか?」
「はい。金属ですのでボタン側の強度は問題ありません。取り付ける際にしっかりと縫い付けてやる必要はあると思いますが」
「これはどの程度で壊れるのだ? 回数、あるいは期間がわかれば知りたい」
「二千回ずつ試しましたが壊れませんでした。一日の付け外しは多くて十回程度と考えれば年単位で使えるんじゃないかと」
「ふむ。それならば悪くないな」
力任せに引っ張っても千切れたりせず、むしろ一定以上の力がかかれば外れる仕組み。
やはり最初に思い浮かぶのは外套か。風の強い日でも飛ばされにくくなるだろうし、脱ぎ切らずに前開けして作業する事もできそうだ。ボタンのように飲み込んでしまう心配がないので子供服にも使えるかもしれない。
少しセレスティーヌと話しただけで幾つもの用途が思いつく。
一つあたりの値段も思ったほどではない。
スナップボタンは「あり」だろう。妻と頷き合い、次に『ホック』を手に取った。
「こちらはスナップボタンよりも単純な仕組みですね」
爪のような形の部品を対になった「受けるための部品」に引っ掛けて用いる。受けの部品は形の違う爪状でもいいし、単なる輪のような形でもいい。
これは大きさと形の幅が広い。形も単純なので値段も安くできるという。
力の入れ方によっては外れやすいのが難点だが、逆に言うとコツさえ掴めば力がなくても外せる。
「女や子供は重宝するかもしれんな」
「ええ。リディアーヌによれば上の下着に用いると良いそうです」
女性の上半身用下着は上からかぶる形状が主流である。胸の補正が必要な場合はかぶった後でボタンを留め、胸を中へ収めるような形となる。
どうして知っているのかと言えばまあ、それは脱がせた経験があるからだが、それはともかく。
ごく小さなホックを用いて下着を固定できれば、より胸の部分の補正に特化した下着を用意できるとセレスティーヌは語った。加齢に伴う体型の乱れは女性全体の悩みである。これを解決できるとなれば大きな需要が見込めるだろう。
「ホックは大量に生産し、服飾工房へ流すべきでしょう」
「服の素材をまた一つ当家が握ることになるかもしれぬ、か」
なお、下着の固定に有効ということはコルセットにも応用できそうだが──これは大のコルセット嫌いである
「さて……そして、最後か」
敢えて最後に残しておいたのは一番の注目どころにして不安要素。
『ファスナー』。
細かい金属部品と細かい金属部品を細かい金属部品で纏めるという、「これでもか!」と職人の腕を要求したこの服飾部品は案の定というかなんというか、腕のいい職人に時間をかけさせてもなお、見た目から苦心の跡が窺える出来だった。
それでも一応、想定していた使い方はできる。手のひらほどの長さを引き上げる間に何度も引っかかるが、仕組みとしては実現可能な事がわかった。
職人によると、さらに時間をかけて試行錯誤すればより滑らかな物も作れるだろうとのこと。
問題は値段。一つ作るのにドレス一着分以上の金が必要と聞いてさすがにセレスティーヌともども遠い目になった。
大量に買えば安くなるかと言うと、こればかりは技術料なので限度があるという。
「……むう、しかし惜しいな」
ジャンは試作ファスナーの一つを睨んで呟いた。
「旦那様。一着分や二着分ならまだしも、量産は現実的でないかと」
眉を寄せて穏やかな表情を少々崩しながら妻が言ってくる。
彼女の言う事は正しいのだが、やはり手放すには惜しい。ファスナーには大きな可能性がある。
……いや、別に用足しの手間を惜しんでいるだけではない。この部品があれば他の服、例えば女性のスカートだってデザインの幅が劇的に広がるだろう。
ドレスの脱ぎ着も楽になる。その分、よりデザインの凝ったドレスも作れるかもしれない。
(職人に作れぬと言うのならば、いっそ)
手の中にある「見本」を睨みながら、ジャンはもう一方の手に己の魔力を集中した。
彼の持つ土属性には鉱物に関する魔法も含まれる。金属製の細工物、それも現物がこの場にあるのならば「より精密で美しい形」を頭の中で再現する事ができる。
シルヴェストル公爵家は過去、傍系の王族を迎えた事もある由緒正しい家柄。その魔力量は道理を引っ込めるのに十分だ。
「これは……!」
「まさか」
公爵の手の中に生まれた光を見て、その場にいた一同が息を呑む。
一瞬後。光の収まった後、ジャンの手には試作品のファスナーと寸分違わぬ──いや、試作品よりも整ったファスナーが握られていた。
合わさった状態で具現化したそれを下ろしてみると、今度はかなり滑らかに動いた。
どうだ。
「オーレリア・ルフォールだけが抜きんでた使い手ではない。私とて土の魔法であればこのくらいはできる」
あの女が「リディアーヌの魔法教師」に収まったのが未だ気に食わないジャンは勝ち誇った顔で妻を見た。
賞賛を求められたセレスティーヌは困ったような笑顔で「お見事です」と言ってくれた。
「ですが、これはアランにはまだ荷が重いのでは?」
(訳:まさか貴方ご自身が魔力を消費して量産するおつもりですか?)
「……いや。一つ二つならともかく、実用的な量は難しいな」
魔法は上手く行ったものの、あの一回で魔力をかなり持って行かれた。公爵であり宰相でもあるジャンはもしもに備えるため魔力を温存しなければならない。ファスナーを作るためにたびたび消耗するわけにはいかない。
魔法の精密さから言って使用人には任せられない(オーレリアなら可能だろうが、彼女には魔力を使わせられない)。
となれば、
「いっそ公爵領へ送って事業の一つとしてしまうか?」
「悪くありませんね。羊毛等と一緒に送らせれば手間もかかりません」
ドレス一着分に相当する精巧な細工だ。まとまった数を作り、上手く売れればかなりの金になる。家と領地がさらに潤う事になるかもしれない。
(結局、三つとも利用価値あり、か。リディの提案は思った以上に有用だったな)
期待していなかったと言うと嘘になるが、駄目だった時に娘を慰める心づもりはしていた。
しかし、こうなるとむしろ大手柄だ。帰ってきたら目いっぱい褒めてやらなければ。
「ああ。これは良くやってくれた」
ジャンは笑みを浮かべると、使用人に指示を出し、一枚の書類を受け取った。
次いでペンを受け取り、さっと金額を記入する。
「今回の報酬だ。口止め料も含まれているが、労いの気持ちが大きい。受け取ってくれ」
「あ、ありがとうございま……こんなに!?」
細工師が目を見開いて驚くが、おかしな額ではない。
「正当な報酬だよ。この試作品にはそれだけの価値がある」
大まかな報酬額については前もってセレスティーヌとも話をしてあった。今回は「大成功」の場合の金額へ更に色を付けた。
書類──契約書にサインをすればその場で記載額が彼の物になる。
細工師は仕事一つの単価が大きく裕福な者も多いが、反面、材料や仕事道具にも金がかかるため収入が安定しにくい。平民の一家が贅沢をせずに暮らせば数年はもつ額の報酬は役に立つだろう。
「それから、更に追加の仕事を頼みたい。スナップボタンとホックの量産、および精度を上げたファスナーの試作だ」
「後日、組合を通して正式な依頼を行います。仕様書および数量もその際に。ひとまずはファスナーの試作を行いつつ、量産の準備をお願いします」
「あ、ありがとうございます!」
スナップボタンとホックも安いと言っても公爵家基準での話。大量注文となれば工房が潤うのは間違いない。
数量と工房の許容限界によっては組合を通し別の工房にも依頼をかける事になるだろうが、どこまでできるかは彼の頑張りにもかかっているだろう。
(この者にも養うべき家族がいるのだろうな)
今回の仕事は他家の息がかかっておらず、仕事熱心で、かつ十分な腕を持つ無名の職人を選んだ。これまで大きな仕事の無かった彼にとって躍進の機会となるかもしれない。躍進の結果、彼の妻子が喜んでくれれば言う事はない。
貴族にとって平民とは替えのきく存在。
成果を出せなければすぐに他を探すし、万が一、家に反抗するようであれば躊躇なく排除するが、自分自身も親であるせいかジャンはどうにも平民を「ただの道具」とまでは割り切れない。
甘いと言ってもいい彼の気質を前妻──アデライドは好ましいと言ってくれた。
今の妻であるセレスティーヌも「信頼は信用を勝ち取る手段として有効です」と彼女なりに肯定してくれている。必要であれば非情な判断を下せる彼女のお陰でジャンは随分と助かっている。
(リディはきっと、私に似たのだろうな)
屋敷の兵へ定期的な差し入れを行っている長女。彼女もまたジャンに似て甘いところがある。この甘さは役立つ事もあるが、裏目に出る事もある。
到着してほんの数日のうちにアランから受けた見習い兵の不祥事は兵を管理する立場にあるジャンにとっても胸の痛い出来事だった。平民との関わり方、兵の管理方法についてこれからも考え、学んで行かなければならない。
頭が痛い。
国内にもだんだんと不穏の種が増えている。宰相としてそちらにも心を配らなければならない。
早く子供達が帰って来ないものか。
家族全員での食事に慣れているせいか妻と二人きりの食卓はどうにも寂しい。妻も食欲が安定せず、時には別々に食べる事も多いため猶更だ。
これではなかなかやる気が出ない。
アラン、リディアーヌ、シャルロット。大事な子供達の顔を思い浮かべたジャンは彼らの無事と早めの帰還を密かに祈った。
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