閑話
母娘の語らい?
セレスティーヌとゆっくり話す時間が取れたのは、公爵邸から帰還した翌々日──それも夜になってからという、なんとも遅いタイミングだった。
こっちも「あのねあのね、お養母さま! こんなことがあってね!」なんて柄ではないので、向こうの時間が空くのを待っていたらこうなった。ここまでの時間も養母は忙しい中、アランやシャルロットの話を聞いたり部下から報告を受けていたようで、決してサボっていたわけではない。
食事の際に差しさわりのない報告はしたし、父とは昨夜話す時間を作れたのもあって、無理に話をしなくても良かったくらいだ。
だというのに、あの女は譲らなかった。
「一人一人から話を聞かなければ全体像が見えて来ないでしょう?」
というわけで、俺は夕食や入浴も終わった自由時間に養母の部屋へと向かうことになった。
帰還の報を受けて屋敷に戻ってきたオーレリアが「私にも土産話を聞かせなさい」と割としつこく引き留めてきたが、彼女とはいつでも話せるから、ということでなんとか納得してもらった。
旅行中に作った魔道具をいくつか代わりに置いてきたので一晩くらいは遊んでいてくれるだろう。
なお、そのオーレリアは「母娘の団らんを邪魔したりしないわ」とついてきていない。団らんとかそういうのでは決してないのだが。
「アンナ、お土産は忘れてないかしら?」
「もちろんです。リディアーヌ様が『これだけは直接渡す』と仰っていましたから」
「……そんなこと言ったかしら。いえ、言ったんだけど」
普通に他の品と一緒に贈れば良かった。現物のチェックは使用人がやって当人には目録が行くシステムだから、注目されなければ何気なく消費される可能性もあった。その方が羞恥心というか「慣れないことをしてしまった」という想いは抱かずに済んだだろう。
「さあ、覚悟を決めましょう。リディアーヌ様、帰ってきてからずっとそわそわしてたじゃないですか」
「そわそわなんかしてない……! と、思うのだけれど」
微妙に自信がなくなってきて、答える声は尻すぼみになった。
落ち着かなかったのは事実ではある。ただ、それは早く話がしたいからではなく、むしろどんな顔をすればいいかわからなかったからだ。
俺は公爵邸でかつてのセレスティーヌの姿を知った。
祖父から話を聞いた後、クロードやジェラール、ブリジットとも話をした。彼らの語る養母像はおおむね祖父から聞いたそれと矛盾していない。
セレスティーヌ・シルヴェストルはその都度自分にできる仕事を必死に片付けてきただけで、悪女でもなんでもない。
納得してしまった俺は今までのようにツンツンした態度を取れなくなってしまった。だって、それではまるで素直になれない娘だ。まるでというかそのものかもしれない。それは困る。あの女相手にツンデレとか、少なくとも俺が得しない。
「まあ、でも、向こうもたぶん戸惑ってるはずなのよ。だからここで落としどころを作っておくのは悪いことじゃないわ」
思えば、出発前の思わせぶりな態度は「昔の自分についてあれこれ知られたら恥ずかしい」という感情だったのだろう。
俺たちの間柄では「私も昔は若かったので、色々と黒歴史もあります」などとはぶっちゃけられない。あの時点の俺がそんな話を聞いたら「今度はなんの策略だ?」と思うか「これは付け入る隙になるのでは?」と思ったに違いない。
だからセレスティーヌはさりげなく釘を刺し、それはたぶん、うまいこと効果を出した。
状況についてあらためて確認しながら歩いていると、アンナが小さくため息をついて、
「本当に、お二人とも素直じゃありませんよね」
「もう、アンナ。そういうのじゃないったら」
「はいはい。そういうことにしておきます」
アンナはどんどん意地悪というか、俺のあしらい方が上手くなっている。今ではもう本当に「仲のいい姉」のような関係だと思う。そんな彼女との時間が心地良く、幸せに思える。
「オーレリアが屋敷にいられる日を狙ってお休みを作るから、アンナも休んでね」
「はい。ありがとうございます」
笑って答えるものの、アンナの表情は「自分の勤め先がブラックだと気付いていないOL」のようだ。
帰ってきてからも彼女は働き通し。俺の分の荷物はアンナかエマでないと細かい仕分け指示が出せないので頼りきりになってしまっている。しかし、俺が自分でやろうとすると「のんびりしていてください」と怒られる。貴族というのはなんとも厄介なものである。
今日までで荷物の整理もほぼ終わったので、まずは一般メイドであるエマに休暇を与えなければならない。アンナの仕事を代われるのはエマか、ぎりぎりでオーレリアだけなので、アンナが休むには最低でもどちらかが暇していないといけない。
「やっぱりソフィを引き抜きたかったわ……」
「それはもう何回も聞きました」
などと言っているうちに目的地へと到着した。
ノックをすると、いい加減慣れ親しんだ養母の専属から返答がある。入室すると、セレスティーヌはマタニティのゆったりとした寝間着に身を包み、椅子にその身を預けていた。
「こんばんは、お養母さま」
「ようこそ、リディアーヌ。さあ、遠慮せず座ってください」
向かいに腰かけるとすぐにお茶の準備が始まる。手に包みを抱えているアンナは動けなかったが、たったの二人分だし養母の専属は優秀なので問題ない。
「その包みはなんでしょう?」
「お養母さまへのお土産です。特別な品なので直接見ていただこうと思いまして」
「そうですか」
捉え方によっては毒を盛ったとも取れる言い方だが、返ってきたのはあっさりとした言葉一つだけだった。
アンナが贈り物をテーブルへ置き、包みを解く。
実のところ、お茶の準備が進む中で出すものでもないのだが……。
「……これは」
珍しく養母の表情が驚きの色に染まったのを見て、俺は「どうだ」という気持ちになった。
「思い出のお酒だと窺ったもので、何本か持って参りました」
「残りはリディアーヌ様のお部屋にひとまず保管しております」
特別なお土産として持ってきたのはとある銘柄のワインだ。それはかつて、セレスティーヌにとても近しい人物が好んで飲んでいたらしい。
祖父らからそれを聞き出した俺はアランやシャルロットには内緒でお土産リストにそれを加えた。
「ご不要でしたらわたしが将来的に楽しみますが」
「いいえ」
きっぱりとした返答がやや食い気味に来た。
「ありがたくいただきます。……グラスを」
『って、さっそく開けるつもり!?』
使用人への指示を聞いてさすがに驚く。妊娠中はアルコールを控えるべき、というのはこの世界でも通説として存在している。当然、専属は止めにかかるのだが、
「一杯だけなら問題ないでしょう? せっかく娘が用意してくれたのだもの」
主人にそこまで言われては強硬に反対もできない。
コルクの栓が抜かれ、注がれたワインは深い紅色をしていた。何気なくじっと見つめていると「飲みますか」と尋ねてくる。
知らず唾を呑み込んでしまってから「いやいや」と首を振って、
「誘惑を向けないでください」
「特段、どうしても我慢しろというわけではありませんが」
「ここで負けるくらいなら向こうにいた時に負けています」
「そうですか」
頷いた表情がどこか残念そうに見えるのはきっと気のせいだろう。
グラスが傾けられると形のいい唇に深紅の液体が流し込まれていく。『なんていうか、絵になるわね……』。美女の飲酒姿というのは芸術的であり、同時に蠱惑的でもある。一口を飲んでグラスが離れた後のかすかに濡れた唇なんて特にそうだ。
俺は酒の代わりに紅茶を口にする。落ち着く味である。飲み物としてはお茶が最強だと思っている俺だが、酒を飲めるようになったら価値観が変わるだろうか。
「……あの人はこのワインが好きでした。私は白の方が好きなのですけれど、二人きりの時はよく杯を交わしあったものです」
起動された盗聴防止魔道具をテーブルへ置きながら、いつになく感傷的な言葉が紡がれる。
大人の恋愛なんて俺にはわからない。ただ、話に付き合った方がいいように思って相槌を打った。
「どちらから告白したのですか?」
「お義父様から聞かなかったのですか?」
などと言いつつも、セレスティーヌは「あの人の方からです」と答えてくれた。
「もっとも、私の方も好意を隠せていなかったと思いますが」
「女の方から想いを告げるのは、やっぱりはしたないから?」
「違います。……ただ、告げる勇気がなかっただけのこと」
結婚を二度経験し、公爵夫人として十二分に活躍する彼女にも令嬢時代はあった。当時は今ほど優秀ではなかっただろう。
当然といえば当然の話なのだが、想像しようとしても上手くいかない。シャルロットが成長した姿を思い浮かべてようやくそれっぽい像を結ぶことができた。
「公爵邸にはお母さまの絵も残っていました。お父さまが向こうへ送ったのだとか」
「ええ。私には『残っているのは嫌なものだろう?』などと言っていました。私は気にしないと答えたのですが、アデライド様の姿絵は一つ残らず屋敷から消えました」
「お気に入りをこっそり隠しているのではないか、とも聞きましたが」
「場所を教えても構いませんよ」
微笑すら浮かべて言ってくるセレスティーヌ。いや、やっぱりこの女は怖い。知ってて黙っているのは優しさなのか、それとも「いざという時の切り札にするため」なのか。
「お父さまに怒られそうなので遠慮しておきます。もう会えないと思っていたお母さまに会えただけでも十分ですから」
「そうですか」
かすかに目を細めながら、養母はグラスの中のワインを飲み干した。
お互いに「部屋を残しておいてくださってありがとうございました」とか「絵を残しておけなくてごめんなさい」とかは言わない。柄ではないのはお互いに分かっていたし、そこまで配慮しないといけないほど仲がいいわけでもない。
空になったグラスをメイドに渡すと、セレスティーヌはティーカップを手にして、
「貴女がここまで成長するとは、正直驚いています」
「褒めても何も出ませんよ」
「知っています。放っておいても次から次に何かをしでかすことも」
急に雲行きが怪しくなってきた気がする。シャルロットを助けるために無茶した件は当然父からも叱られた。お説教から逃れるために義妹をダシに使うわけにもいかないので、こればかりはどうしようもなく。
一杯とはいえ酔っているセレスティーヌはいったいどれくらい厳しいのか、少々緊張しながら待っていると、
「今日は、小言は止めておきましょう」
「……お養母さま? やはり体調が悪いのではありませんか?」
それとも明日の天気か。既に季節は夏を迎えている。急な雨はメイドたちにとっても大敵だと聞いているから勘弁して欲しい。
と、咎めるような視線が俺に突き刺さって、
「私の体調より、むしろ心労の方を心配して欲しいものですね」
「小言は止めると仰いませんでしたか?」
「今のは小言ではなく、単に要望を述べただけです」
ああ言えばこう言う。しかし、セレスティーヌは確かにそれ以上は何も言ってこなかった。
「さあ、貴女が公爵領で見たもの、聞いたものを聞かせてください。初めての経験もたくさんあったでしょう」
「……そうですね。順を追って話すのであれば……」
それから俺は出発まで遡りながら旅の間のことを話した。
幸い記憶はきっちり再生できる。四苦八苦したのは必要な情報を省くことなく可能な限り時間を短縮することの方だった。
体調管理はできていると言ったものの、身重の彼女に無理はして欲しくない。というか伝えておきたい情報が多すぎる上、セレスティーヌも時々詳しい説明を求めてくるのでとても語り切れない。
「お養母さま、続きはまた今度にしませんか?」
「仕方ありませんね」
紅茶を二回ずつお代わりしたところで今回の話はお開きとする。続きは互いの予定をすり合わせつつ、なるべく早いタイミングで行うことにする。
「わたしとしてはこんな面倒な話よりシャルロットとの時間を優先して欲しいのですけれど」
「シャルロットとは十分に話をしていますよ。これからも以前よりは時間を取れるはずです」
妊娠したせいか。
身体が重いのでなかなか外出はできない、と言えば「そこをなんとか」とは言われづらいし、あまり親しくない相手からの誘いは断れる。屋敷にいられる時間が長いから暇も見つけられるだろう。
「わたしにできることがあれば言ってください。重要でない手紙の代筆くらいならできるかもしれません」
「魔法で私の筆跡を真似るつもりですか」
くすりと笑って、セレスティーヌは深く頷いた。
「手が足りない時はお願いするかもしれません。貴女にとっても勉強になるでしょうから」
話をしているうちに俺たちの関係は「なんとなく」適当なところに落ち着いてくれた。
以前と変わったような、変わっていないような。ただ、どこか「すとん」と入ったそこは思ったよりも居心地が良かった。
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