公爵邸での療養
「見慣れてきたらやっぱり可愛いかも」
「そうですね。ずっと見ていられそうです」
羊たちは来客(俺たち)を囲んでじっと見つめたり、めーと鳴いたり(実際はもうちょっと複雑な鳴き声なのだが文字で再現するのはなかなか難しい)、匂いを嗅ぐような仕草をしたりした後は徐々に散開していき、もうほとんど普通に過ごし始めている。
あっちへ歩いたり、こっちへ歩いたり、草を食べ始めてみたりと自由気まま。いかにものんびりしていて癒しを感じる。
優雅な印象の割に日本のサラリーマン並に忙しい貴族にとってはなかなか羨ましい生活かもしれない。
『いや、ないでしょ。いくらかの羊は子供のうちに殺されて肉にされるのよ?』
脳内で身も蓋もない意見が出る。しばらく羊料理を食べられなくなりそうなので止めて欲しい。
「全部で何匹くらいいるのかしら」
「この牧場にいるのが約300です。公爵領全体だと20000程度でしょうか」
「想像がつかないわ。……というか、クロードも敬語は止めてくれないかしら? その方が話しやすいわ」
「いいのかい? なら、そうさせてもらおうかな」
クロード・シルヴェストルは高位貴族としてはかなり朴訥かつ誠実な性格らしい。羊たちにも好かれているし、牧場の中にリラックスした様子でいるのがなんだか妙に似合っている。
牧場の人員たちは「本家の人間」である俺たちをかなり恐縮した様子で出迎えてくれたのだが、クロードとはだいぶ打ち解けているらしく、かなり砕けた態度を取っている。
「この子達は主に草を食べるのですよね? 草がなくなったりはしないのでしょうか」
「もちろん放っておくと食いつくされかねないから、たまに外を歩かせてついでに食事させたりもしているよ。あとは干し草を与えたりだね」
「そうなのですね」
「上等な毛を蓄えてもらうためにも、栄養はたっぷり取ってもらわないといけないものね」
近くにいた一頭に歩み寄って撫でてやる。そいつは撫でられても「飯の邪魔をしなければいい」とばかりに草をはむはむし続けていた。うん、お腹いっぱい食べてくれ。
アランも牧場全体を見渡しながら何かを考えて、
「羊の品種改良も行っているんだろう?」
「ああ。与える餌の種類や飼育環境の違い、交配など色々試しているよ。羊と言っても毛の量が多い種類もいれば毛の質がいい種類もいる。皮や肉の方が目的となればまた別の種が必要になるからね。できることはいくらでもあるんだ」
「試行錯誤の連続だからな。長い目で見なければ結果が現れない事も多い。皆の努力には頭が下がる思いだ」
「ありがとう。アランがそうやって理解を示してくれるのは本当に嬉しいよ」
笑顔で語るクロード。歳は少し離れているが、そうやっているとアランとはまるで実の兄弟のようにも見える。活動的な兄とやや気難しい弟。組んだらなかなかいいコンビになれるかもしれない。
「ねえ、クロード? あなたはお兄さまのこと嫌いじゃないの? 順当に行ったらお兄さまが領主であなたは補佐になるわけでしょう?」
「これはえらく直球だな」
「リディ。さすがに失礼だよ」
「いいさ。そりゃあ気になるだろうしね」
さらっと流して俺の方を振り返る彼。
「アランの事は好ましく思っているよ。補佐になるのは小さい頃から聞かされていた話だから、特になんとも思わない。むしろそれが当たり前だと思っている」
これにアランが反応を示した。少し迷うようにしてから口を開き「この際だから聞かせてくれ」と核心を突く。
「もし、僕が領主として直接ここを治めると言ってもそれは変わらないか?」
「お兄さま」
「お兄様?」
アランは何も答えなかった。彼は彼で色々考えているのだろう。例えば、宰相を継がなかった場合に自分はどうなるのか、とか。
『考えてみると、別に領主と宰相が同じ人じゃなくてもいいのよね』
宰相職は世襲制ではない。
補佐を置かないと領地運営が立ち行かないくらいなら領主が公爵領で運営を行い、宰相職を別の子に継がせる(そしてその子と家族が王都で暮らす)のでもいいのだ。
まあ、権力の分散になりかねないし、領主も宰相も優秀な者に継がせたいという事情なんかがあってこうなっているのだろうが。
セレスティーヌの子──公爵家の次男が宰相になることも見据えるのであれば当然、気になるところだ。
果たして、クロードの答えは。
「もちろん、大歓迎さ」
曇りの一つもない晴れやかな表情だった。
「クロード」
「だって、俺の今やっている事をこの先も続けていけるんだろう? 楽しそうじゃないか。アランは細かい仕事が得意そうだから、俺が現場の確認を担当すれば上手くいくんじゃないか?」
クロードが今やっている仕事は補佐の手伝い。領主補佐が実質的領主である現体制を考えれば、トップがアランにすげ代わっても状況的には大差ない。
もっともそんなこと、よっぽど権力欲がないか、それともよっぽどの演技派でないと言えないわけで。
「クロード。君は正直者すぎるとよく言われないか」
「残念だけど、うんざりするほどよく言われるよ」
『なによこの好青年』
あの母親からよくこんな良い子が育ったものである。やはり大自然の力なのか。いやまあ、ブリジットもセレスティーヌ関係以外は善良なのかもしれないが。
「クロードお兄様が素敵な方で良かったです」
「本当。学園ではさぞかしお誘いがあったでしょうに」
「悪いけど、俺は政略結婚とかうんざりなんだ。一緒になるなら協力して領地を良くしていける女性がいいよ」
アランから聞いていた通りである。彼の言葉を鵜呑みにするなら一族の誰かと結ばれるのが一番だろうが、こんな良い奴が安売りされるのは勿体ない気もする。
いや、少なくともクロエには恋愛感情があるっぽいし、そんなに悪くないのか?
……うん。なんというか正解のない問題過ぎて面倒だ。もうちょっとわかりやすいいじめでもあればそいつを懲らしめて状況をわかりやすくするのだが。
「だったらうちのシャルロットなんてどうかしら? 姉の贔屓目はあるにせよ、とってもいい子よ」
「お、お姉様! 突然何を言い出すんですか!?」
「いいじゃない。クロードはとってもいい人みたいだし、シャルロットはむしろ選べる立場なのよ? 選択肢に入れておいても損はないわ」
「そ、そんな事……!」
真っ赤になる義妹。天使のような愛らしい容姿だとそんな姿もとても絵になる。感心していると彼女はもごもごと口を動かして、
「わ、私は王子様の結婚相手を目指しているので」
「あら。やっぱりリオネルさまのことを想って? だったらそう言ってくれていいのよ。向こうも面倒のない相手なら構わないでしょうし」
「そういうことじゃありません……! もう、お姉様、変な事言うと怒りますよ!」
頬を膨らませて怒るシャルロットはそれはもう可愛かった。もっと見ていたいくらいだったが、さすがにそれは彼女に申し訳ないので俺は「ごめんなさい」と頭を下げる。
「そういうことみたいだから、クロード。悪いけど諦めてくれるかしら?」
「何も言ってないうちに振られた気がするんだけど」
苦笑を浮かべたクロードは悪戯めいた表情になって、
「残念だよ。シャルロットとなら仲良くやれそうだったからね。でも、こんな可愛らしい子を田舎に押し込めるのは可哀想だし、これでいいのかもしれないね」
「か、可愛いだなんて……」
あれ、意外と脈ありなのか?
恥ずかしそうに俯いてしまった義妹を見てそんなことを思いつつ、俺は続けて紡がれた「可愛いのはお姉様の方です」という言葉に全力でツッコミを入れた。
「わたしの性格を無視して容姿を気に入るのはなかなかの物好きよ。間違いないわ」
公爵領に到着して数日。
シャルロットは俺が指示した魔法の練習(ペンダントをぴかぴか光らせる)を欠かさずこなしていたらしく、久しぶりの魔法授業で「ペンダントに触らずに同じ光景を頭に描いてみて」と指示を出すと、いともあっさり指先を光らせることに成功した。
「すごいわ。……シャルロットは天才なんじゃないかしら」
「もう。お姉様が言うと嫌味にしか聞こえません」
旅に出てから話をする機会が増えたせいか、義妹とは今まで以上に打ち解けてきた気がする。むしろ俺のおかしな部分がバレ始めたと言うべきか。お陰で前よりも率直に話をしてくれる事が増えてきた。
「わたしを参考にしちゃだめよ。わたしとオーレリアは常識から外れているから」
傍らに控えているアンナがうんうんと力強く頷いてシャルロットとその専属であるアニエスがドン引きした。
「お姉様はどんな覚え方をしたんですか?」
「習いはじめの時は覚えなければ死ぬ状況だったし、覚えたら覚えたで付けられた先生に『教えなくてもできるでしょう?』って丸投げされたわ」
「わけがわかりません」
俺だってわけがわからない。
自分がオーレリアの立場になったとしてもさすがにあんな教え方はしないと思う──いやでも、死にかけの状態から魔法の発動に成功して生き残った挙句、碌にコツも教えてないのにぽんぽん魔法を使って見せる変な生徒を与えられたらああするしかないような気もする。
まずい。結局俺とオーレリアは似た者同士なのか。
「わたしのことはいいのよ。今はシャルロットの魔法の話。と言っても、あなたは第一関門をあっさり越えてしまったわけだけど」
「まさか、ここからは自習なんですか……?」
「そんなことするわけないでしょう。ここからはまず、指先を安定して光らせられるようになること。それができたら光を強めたり弱めたりできるのを目指すわ」
「えっと、物凄く地道な作業ですね……?」
「派手にすればするほど危険になるんだから仕方ないわ」
初手でいきなり自分を熱して病魔を吹き飛ばすとか自殺志願者の所業である。
「でも、同じ事をするだけなら難しく……あ、あれ?」
光を消した後、同じ事をしようとしたシャルロットは一瞬指を光らせたと思ったらすぐに光を消してしまう。本意ではなかった事は表情を見れば明らかだ。
「ね? 魔法は精神集中が大事だから、集中が途切れると途端に成功しづらくなるの。危機的状況でも安定して発動させたければ何度も練習して慣れるしかないわ」
「はい、お姉様」
五秒くらい光らせては消す、という作業を繰り返してもらう。成否はメモしていき、成功率の上昇が一目でわかるようにした。そうして成功率が下がり始めた……疲労によって集中力が下がり始めたところで授業を終わりにする。
「また二、三日してから続きをしましょう。くれぐれも、わたしがいないところで練習をしないようにね? アニエスも目を光らせておいてちょうだい」
「かしこまりました。お任せください、リディアーヌ様」
「お姉様! アニエスまで、私ってそんなに信用ありませんか……?」
しゅんとしつつ上目づかいで視線を送ってくるシャルロットだったが、あいにくこれに関しては俺自身という反面教師がいるのでその手は食わない。
「こういうのは理屈ではわかっていてもついつい練習したくなるものなの。もしそうやって失敗したら大変なことになるんだから。……ね、アンナ?」
「はい。リディアーヌ様に治癒魔法の使い方を教えて自習を命じたオーレリアの事は今でも少し恨んでいます」
俺たちの会話を聞いてさすがに怖くなったのか、シャルロットは「わかりました」と頷いてくれた。
「でも、早く魔法が使えるようになりたいです」
「焦らなくてもいいわ。使えるようになったらなったで練習の日々が待っているんだし」
「……そう言いながらお姉様は何を取り出していらっしゃるんですか?」
「ああ、これ? 羊の飼育とか綿花の栽培に役立つ魔道具を作れないかと思って、ちょっと試作しているの」
質問へ素直に答えただけなのに、シャルロットに「ずるいです」と若干拗ねられた。
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