祖父と孫の歓談
「その言葉を誰から聞いた?」
「先の卒業パーティー襲撃の際、純血派の一人が口にしていました。『竜の系譜だけでも片付けて』と。おそらくは人物または物品。さらに状況を加味すれば──」
「止めておきなさい」
ジゼルからの悪意、セレスティーヌの教育、社交のプレッシャー。緊張には慣れているつもりだった。しかしその瞬間、俺は本気で悪寒を覚えた。
表情はほとんど変わっていない。だというのにはっきりとわかる。この話題は大きすぎる地雷だ。王国で宰相を務めてきた大人物でさえ慎重にならざるをえないほどに。『でも、もう少しくらい踏み込みましょう。でないと意味がないわ』。
膝の上に乗せた手をぎゅっと握って口を開く。
「知らなければ巻き込まれない、という保証もないでしょう?」
深いため息。
「相手が可愛い孫でなければ、どんな手を使ってでも口を封じるところだ」
それほどまでに重い秘密か。
小さく息を吐き、紅茶を一口喉へ流す。芳醇な香りが気分をほんの少し落ち着かせてくれた。
背中側にある母の絵がこちらを見つめているような気がする。
「どれくらい強くなれば教えてもらえるかしら」
「……ジャンやセレスティーヌの考えはわからん。私としてはお前がリオネル殿下と結婚した後なら教えても良いと思っている」
おそらくは祖父にできるギリギリの譲歩。
素直に待つにはかなり遠い。常識的に考えて結婚は早くて学園卒業後、十八歳だ。
しかし、自分なりの知識と推測、そして言われた意味を考えあわせればそれなりの回答を導き出せる。
俺は微笑んで堅物めいた初老の紳士を見つめた。
「ありがとう。お祖父さまは優しいのね」
「……本当に、お前はアデライドに良く似ているな」
「良く言われるわ。絵姿を見た後だと自分でもそう思う」
「違う」
ゆっくりと首が振られる。意味がわからず瞬き。
「今言ったのは内面の話だ。あれも気丈な娘だった」
「初めて言われたわ、そんなこと。お母さまは大人しくて優しい方だとばかり」
「普段はな。それがアデライドの処世術だったのだろう」
処世術。そうしなければ生き抜けなかった、ということか。
人に歴史あり。父にも母にも、祖父にも、俺の知らないそれぞれの物語がある。彼らの全てを知ることは魔法を駆使しても不可能だろう。
聞きたいことはたくさんあるが、ここは我慢して話題を変える。
「……セレスティーヌさまはお母さまと全然違うでしょう? 馬が合わなくて困っているの」
祖父も特に驚くことなく乗ってきた。
「セレスティーヌか。あれは不器用だからな。自分で産んだ娘ならともかく、他人の娘をどう扱ってよいかわからなかったのではないか」
「え、お養母さまが不器用?」
「ああ、そうだ。そうでなければジャンの子を孕むのにこれほどの時間はかけまい」
『待って。別の人の話じゃないわよね?』
にわかには信じがたい話だ。確かに本人もそんなことを言っていたが、他人の評価はまた別。俺にとってセレスティーヌは畏怖の対象、いつまで経っても追いつける気がしない実力者である。その彼女が不器用と言われても「またまた冗談ばっかり」という気分になる。
例えば、これが父の話なら受け入れられる。あの人は厳しいようでいて子供にも女性にも甘いし、甘い物が苦手などの愛敬もある。
母アデライドが完璧な人ではなかった、と言われても特に違和感は覚えない。美貌と魔力以外は目立たない方だったようだし、本人も自己主張の強い方ではなかった。
なら、セレスティーヌは?
様々な策を巡らせ、真意を悟られないように清楚な微笑みを浮かべ、子供たちを厳しく指導し、流行の発信においても一目置かれている。
しかし。
ジゼルを御しきれてはいなかったし、俺から好意を勝ち取ることもできていない。父を篭絡してさっさと子を成すことだって。何もかも計算ずくの怪物だというのならもっと上手いやり方があったのでは?
なんだ、これは。
わからなくなって黙り込んだ俺を見て、祖父はふっと笑った。
「恨むなとは言わない。だが、全てがあれの本意だったとは思わないで欲しい。誰にでも思い通りに行かない事はあるものだ」
「あの、えっと。じゃあ、お祖父さま? お祖父さまから見たお養母さま──ここにいた頃のセレスティーヌさまはどんな人だった?」
すると、懐かしむように目が細められ、またしても信じがたい回答が紡がれた。
「愛する者と結ばれ、最高の幸せを手に入れた花嫁。公爵家の男に嫁いだ者として精一杯の役割を果たそうと懸命に努力する不器用な娘だった」
もはや、誰のことやら。
「……困るわ、そんなの。お養母さまが前の夫と恋愛結婚だったなんて。その頃から自分の役割を果たそうと必死だったなんて」
「リディアーヌは聡いな。もう少し向こう見ずであれば悩みも減るだろうに」
セレスティーヌ・シルヴェストルは狡猾な悪女ではない。
上手く父に取り入ったわけでもなく、互いに配偶者を失くして傷ついた者同士の結婚だった。セレスティーヌが大きな派閥を作り、流行を発信し、子供たちへ厳しい教育を課してきたのは全て、公爵家の嫁としてやるべきことだったから。
困る。
本当に困る。今まで父と子供ができなかったこと、我が儘放題な俺が放置されていたことなどと合わせて納得できてしまうのが良くない。
「それじゃあ、わたしがあの人を嫌う理由がもうないじゃない」
かつての仕打ちについては恨んでいる。父との子を産んだのも複雑ではある。
しかし、セレスティーヌは「俺の母親」としての役割はともかく「公爵令嬢リディアーヌ・シルヴェストルの母親」としての役割はしっかり果たしている。そしてそれは誰にでもできることではない。
「今言ったのは私から見たセレスティーヌに過ぎない。お前から見たセレスティーヌの姿が異なっていようと、それはおかしなことではない」
「お祖父さまのことは信用しているもの。それを疑うことはできないわ」
「身内に甘いのはお前の悪い癖だな」
「そうね。公爵家の血じゃないかしら」
俺が冗談めかして返すと、祖父は「そうか、血筋では仕方ないな!」と大笑いした。かなりの声量。これにアンナはびくっとし、エマは表情を変えず、ソフィは「仕方ないなあ」という顔。
ひとしきり笑った後、祖父はクッキーを一気にいくつも掴んで口に放り込み、咀嚼する。「甘いな」。呟いた時には表情はもう戻っていた。
「リディアーヌ。ブリジット達の行動についてどう思う?」
「正直に言ってくだらないと思うわ。気に入らないなら決闘でもなんでもすればいいじゃない。こそこそ嫌がらせするなんて自信がない証拠よ」
「豪快にも程があるな」
聞いただけの話で養母への想いががらりと変わるわけではない。それでもブリジットの存在がセレスティーヌも決して楽な人生ではなかったのだろう、と俺に思わせる。養母と義妹にとっての敵がはびこっているというのなら、俺は身内として二人の側につかなければならない。
そうすると、目の前にいる男の立場が気になるが。
「お祖父さまはシャルロットのことが好き? 嫌い?」
「難しい事を聞くんじゃない」
意外にも祖父は顔を顰めた。
「好きではないってことかしら?」
「そうではない。……だが、接し方が難しいのだ。セレスティーヌが
「ああ……」
弟にも可愛い孫が生まれたじゃないか、と思っていたらその子の父親が死んで「この子はこれからお前の孫な」と言われたわけである。自分の孫と同じように溺愛するのも素っ気なく突き放すのも難しい。ろくに会っていなかったのなら猶更である。
「それに、私があの子を構いすぎればブリジット達が過剰反応しかねん。食事など開かれた場ではある程度距離を取るしかあるまい」
「家族とも素直に交流できないなんて、本当、貴族って面倒よね」
「王族入りする人間が言うことではないな。まあ、お前ならなんとかしてしまうだろうが」
「買いかぶりすぎよ。わたしは型通りのやり方ができないから型を壊しているだけなんだから」
「はははっ。お前も不器用だと言う事か。案外、セレスティーヌと二人、不得手を補い合っているのかもしれぬな」
当のセレスティーヌは俺の社交について鬱陶しそうにしていたが……もし、彼女と得意分野を分担できているのだとすれば、それは面白い話かもしれない。
俺は照れ隠しも兼ねて肩を竦めて、
「シャルロットを守るにはクロードさまがお相手を決めてくださるのが一番なんだけど、なかなか難しいでしょうね」
いっそのこと「異性には興味がありません」と宣言してくれても構わないのだが。
翌日の午後、公爵邸のメイドが部屋を訪れて伝言を告げてきた。
「リディアーヌ様。クロード様より外出のお誘いでございます。外の空気を吸うついでに牧場を案内したい、と」
「あら。それは嬉しいお誘いね」
あの少年も無事、新しい仕事先への引き渡しが済んだらしい。そろそろ遊びに出てもいいだろう。アンナやノエルも「リディアーヌ様のお望み通りに」と言ってくれる。
「是非お願いしたいわ。着替えて玄関に向かえばいいかしら?」
「はい。少し歩きますので、できる限り動きやすい格好でお願いいたします」
そういうことならと、この間少しだけ着た剣術の稽古着に着替えた。乗馬服としても使えるし、走っても下着が見えないデザインなので色々都合がいい。時間が余ったら剣の練習もできそうだ。
自慢の紅髪はポニーテールにまとめて準備完了。
「さて、誰がついてきてくれるのかしら?」
「え、えっと、エマ先輩。いかがですか?」
「専属であるアンナが尻込みしてどうするのですか」
メイドたちに声をかけたところ、アンナとエマが担当の擦り付け合いを始めた。
エマの方はもっともらしいことを言っているし、アンナも「主のお部屋を守るのも立派な務めです」と反撃しているが、
「二人とも、もしかして動物って苦手?」
直球で尋ねると白状してくれた。別に犬猫くらいならなんでもないものの、もう少し大きな動物になると触れる機会がないので得意ではないらしい。見る機会も多い馬でギリギリ。しかし牧場となれば羊の群れを相手にしなければならない。
『不思議ね。羊ってとっても可愛いと思うんだけど』
「じゃあ、ソフィにお願いできるかしら?」
「はい。私でよろしければ喜んで」
苦手な二人に無理にとは言えない。王都での生活がメインのアンナたちはそうそう羊の相手なんてしないだろうし、ここはソフィにお願いした。
部屋の掃除などはアンナたちに任せ、ノエルも含めた三人で移動する。
「ソフィは羊、嫌じゃないの?」
「ええ。時々脱走して丘を上って来る子もいますし、見下ろすだけでたくさん目にする環境ですから、怖がってなんていられません」
「逞しいのね。やっぱり環境の違いは大きいみたい」
「リディアーヌ様は怖くないのですか?」
「全然。ふわふわした毛を早く触ってみたいわ」
数十分後、俺は自分の台詞を後悔することになった。
玄関でクロードと合流。同じように誘われたらしいアランとシャルロットも一緒だった。アランは乗馬服、シャルロットも公爵領行きのために急遽仕立てた可愛い乗馬服を纏っていた。
それから四人(+使用人&ノエル)で外へ出て、牧場まで馬車で移動する。途中に丘はともかく街があるので歩いていると少し時間がかかってしまうからだ。
で、牧場の近くで下車。歩いて近づいて行くと、
「もの凄い数がいるじゃない……!?」
「ふわふわしていない子がいるのですが、あれも羊なのですか……!?」
「違うわシャルロット、きっとあれは山羊よ」
「いや、みんな羊ですよ。今はちょうど毛刈りの時期なので」
夏に備えて毛を刈り取られ、すっきりしてしまった個体が交じっているらしい。もこもこの毛を纏った個体と比べるとまるで別の生き物である。
なお、羊の毛刈りはかなりの重労働になるため、毎日少しずつ実施しているのだとか。
「この数に襲われたらさすがに死ぬかな」
「お兄さま、縁起でもないことを言わないでちょうだい」
「そうです。この子達は大人しいからそんなことはしません……よね?」
「まあ、刺激しすぎなければ大丈夫ですよ」
そんなことを言いながら入り口から柵を越えて中へ入ったら「珍しい奴が来たぞ」「誰だ誰だ」とばかりに滅茶苦茶群がられた。
毛はなかなかにふわふわしていたが、思ったよりは白くない。そりゃ日々汚れるから洗わないと白くはならないよな……と思ったところで、気難しそうな一匹から妙に鋭い眼光を飛ばされてびくっとする。
もちろん、こちらが普通にしている分には蹴ったり噛んだりはしてこなかったのだが。
「羊、なかなか侮れないわね……?」
なお、一番人気はシャルロットで、彼女は身動き取れないほどの羊たちにじゃれつかれた。次が慣れているクロード。俺はその次で、なんというか俺のところに来た羊は物好きというか変わった性格の奴らが多かった気がする。
じゃれついてきた数としては一番少なかったアランはといえば、おそらくメスであろう少数の羊たちを相手に心おきなくその感触を堪能しており、ある意味一番の勝ち組だった。
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