公爵邸の恋愛事情
「よく我慢できましたね、リディアーヌ様」
「我慢すると言った矢先だったもの、さすがにね」
部屋に戻った俺はアンナの賞賛(?)に肩を竦めた。
クロエとのお茶会は和やかに終わった。ただ、少年の一件がなければ喧嘩を売っていたかもしれない。
椅子に腰かけたまま目を細めて思い返す。室内にはソフィもいるが、彼女を通じて一族の誰かに知られたとしても特に問題はない。
「そうだったのですね。クロードさまのどこを気に入られたのですか?」
「殿下と恋仲でいらっしゃるリディアーヌ様にはお分かりにならないかもしれませんね。クロード様はとてもお優しく真面目な方なのです」
恋する乙女の表情を浮かべたクロエはうっとりとした表情で語ってくれた。
次期領主補佐であるクロードは父の後を継ぐための勉強中。他の一族──各業務の担当者の下について実際の業務を学んだり、父の仕事を手伝ったりしているらしい。要するに宰相職を継ごうとしているアランと同じような立場だ。
華やかな服飾に関わる公爵領の産業だが、その実態はなかなか地味である。にもかかわらずクロードは文句を言うこともなく真面目に勉強を続けているという。
「特に羊の飼育は生き物相手です。独特の臭いもありますし、触れれば汚れる事もあるでしょう? あの方はそういった事を厭わず、むしろ平民にも気さくに話しかけて直接仕事の様子を確認していらっしゃるのです」
「なかなかできることではありませんね」
「そうでしょう? もちろん容姿も素敵ですが、私はクロード様のそうした気質に惹かれたのです」
確かに、食事の時以外は顔を合わせないものの、ここ数日話した限りではクロードの人柄は良い。初日に俺たちをフォローしてくれたし、祖父からも目をかけられている感じがある。一族間ではバランサーというか宥め役といった印象だ。
クロエはさらに「私は羊の世話を好んでおりますし、クロード様のお役にも立てるのではないかと。一般的な令嬢は動物の世話や土いじりの現場は忌避します。私としてはあんなに可愛い羊をどうして嫌がるのか理解できないのですが……」などと続ける。
俺は感心した風に頷きながら首を傾げて、
「ですが、ライバルも多そうですね?」
クロエは「そうなのです」と沈痛な表情を浮かべた。
「幸い、学園在学中に結婚が決まる事はありませんでした。ただ、来年には私が王都へ行く事になります。そうしたらまたお会いできなくなってしまうでしょう?」
「王都との距離を考えると手紙が届くにも時間がかかりますものね」
両親もすぐさま引退するような歳ではない。結婚は焦らなくてもいいと言っているようだが、公爵領の差配を任される領主補佐という立場はかなり魅力的だ。内外からのアプローチは当然、複数件にわたって存在している。
片親が平民であるクロエは立場的、能力的には不利。
関係が進展しないまま離れてしまったら今度こそアウトだと焦っているわけだ。
「クロエさまにとって一番の恋敵はどなたなのですか?」
「それは、その。怒らないで聞いてくださいますか?」
「内容によりますが、善処いたします」
言いづらそうにしながら口された名前は予想通りだった。「シャルロット様です」。表情はとても冗談を言っている雰囲気ではない。
「シャルロットとクロードさまでは歳が離れすぎでは?」
「十歳程度の差は貴族であれば珍しくないでしょう?」
現国王と王妃もかなり歳が離れている。シャルロットが学園に入学して年頃を迎える頃にクロードは二十代中盤、男盛りを迎えるわけだから、意外といい歳の差なのかもしれない。婚約さえしておけば結婚は送らせられるわけだし、クロードには急ぐ理由が特にない。
公爵家直系であるシャルロットは考えるまでもなく優良物件だ。対抗するなら最低でも侯爵家クラスの権力が欲しい。クロエは公爵家一族とはいえ分家の養女であるため分が悪い。
「リディアーヌ様。どうか私の恋を応援してくださいませんか?」
こちらに近づき、二人きりのお茶会まで開いたのはこのためか。
俺は微笑を浮かべたままやんわりと応じた。
「申し訳ありません。話の流れによっては義妹が悲しむことになりますので、不用意に『応援する』とは申し上げられません。……ですが、せっかくなら想い合っている者同士が結ばれることを願いたいものです」
「リディアーヌ様はクロエ様の側に付かれないのですね?」
仕事の手を止めたソフィがこちらへ向き直って尋ねてくる。
「付くわけないわ。むしろ『恋敵と決まってもいないのにわたしの妹を敵視していたの?』って言ってやりたかったくらいよ」
「お二人は仲がよろしいのですね」
俺に貸し与えられた公爵邸のメイド。呟いた声には負の感情は籠もっていない。むしろほっとしているようにも感じる。俺もまた特に感情を膨らませることもなく当然のこととして「姉妹だもの」と答えた。
血縁的に親戚だとかは関係ない。積み重ねてきた年月、交わしてきた言葉の分だけ、この家の人間たちよりシャルロットの方が俺との繋がりが深い。
「もちろんお兄さまのことも大好きよ。だから、二人が軽んじられたり遠ざけられるのは許せないの」
「兄弟姉妹を想うのは当たり前の事ですものね」
深く頷いたソフィはどこか感心しているように見えた。
そして、それからは一族からのアプローチが怒涛のようにやってきた。食事の後にお茶を飲んでいれば誰かが必ず「少しお話をしませんか?」と寄ってくるし、散歩の途中で話しかけられて話し込むことも。珍しいところでは書庫で読書中に鉢合わせてそのまま会話になったり。
他愛ない雑談に意図を織り交ぜてくるのがなんとも厄介だ。しかしその甲斐もあって少しずつ公爵家一族の事がわかってきた。
「どうやらシャルロットは複数の女子から『クロードさまを狙う上での障害』と認定されているみたい」
兄妹での二度目の話し合いにて。俺が報告すれば、アランも「そうみたいだね」と頷いた。
「僕も『シャルロット様がこちらへ嫁いでくる可能性はあるのか』と複数人から尋ねられたよ」
「嫁ぐって、どうしてそういうお話になるのですか……!?」
当のシャルロットは驚きの表情。まあ、それはそうだろう。まだ来て数日、しかも単なる里帰りのつもりだったのだから結婚がどうこうとか考えているわけがない。
「シャルロットはそういうこと聞かれなかった?」
「聞かれました。でも、どんなお相手が好みなのかとか、王都を離れる気はあるのか、といった普通のお話だったので……」
「そうだろうね。さすがに本人には聞きづらいだろうし」
「下手なことを言って『その手があったか』ってなられても困るしね」
これに義妹はしゅんとして、
「私、クロード様の事を狙ってなんかいません」
「シャルロットが可愛いからみんな警戒してるのよ」
「ああ、それはあるだろうね」
「お姉様もお兄様も私の事をからかっていませんか?」
からかってはいない。俺もアランも大真面目である。
「でも、面倒くさい話よね。好きな相手がいるなら直接口説き落とせばいいのに」
「クロードはあまり恋愛に興味がないようだからね」
どうやらアランのところにはクロードから一対一のお誘いがあったらしい。妙なプレッシャーをかけられる事もなく、チェスなどに興じながら政治や領地経営の話をしたそうだ。恋愛の話はその中でぽろっとこぼれるようにして登場した。
『貴族の恋愛はとても複雑だろう? 私はもっと、気の合う相手と素朴な恋がしたいんだ』
なるほど。熱烈なアプローチは好みでないらしい。
「そうなると一筋縄ではいかないでしょうね」
「女性からの意見は是非聞きたいところだけど、そうなのかい?」
「だって、クロードさまが望んでいるのは自然に育まれていくような愛でしょう? ですが、こんな状況では年頃の女性が近づいただけで警戒されかねません」
前提条件が満たせないのではゆっくり交流して居心地の良い関係を作るなんて夢のまた夢。
そういう意味で言うと恋愛感情も打算もないシャルロットは警戒をすり抜けられる。図らずも女たちの危険視が正しいことになる。
「私にその気はありません、って言えばいいのでしょうか」
「どうかしら。信じてもらえるかどうかは別問題だから……」
言質を取られていいように利用される可能性もある。それから、シャルロットがこれからクロードに惚れる可能性も。
シャルロットは少し考えるようにして、
「では、ブリジット様が私を嫌っているのはどうしてなんでしょう?」
領主補佐夫人であるブリジットはあれ以降もちくちくと嫌味を言ってきている。「そんなつもりはなかった」とでも言えば逃げられるレベルでしかないので今のところ咎められてはいない。
しかし、ブリジットはクロードの母親だ。
他の女たちのように恋敵だから嫌っているわけではないだろう。
「それはおそらく、シャルロットが分家出身だからだ」
アランが苦い顔をしながら告げた。
「私はここでの生活をほとんど覚えていないのですけれど……」
「向こうは覚えているんだろう。シャルロットにはどうしようもないのが嫌なところだね」
ブリジット・シルヴェストルは領主補佐ジェラール・シルヴェストルの妻として隣の辺境伯領からやってきた女性だ。
ジェラールとシャルロットの父親は兄弟。セレスティーヌから見たブリジットは「義兄の嫁」ということになる。
公爵領で過ごしていた時代のブリジットはセレスティーヌより上の立場だったわけだ。
『なのに、あの女はお父さまに見初められた』
心境としては同情が大きかったかもしれない。父が前妻である俺の母からほいほい乗り換えたとは思いたくない。むしろ、母のことを忘れられないのに妻を娶らなければならなかったから「内から選んでも外から選んでも同じだ」とセレスティーヌを選んだのではないだろうか。
しかし、これによってセレスティーヌは分家筋の嫁から本家筋、公爵の妻へと昇格した。ブリジットが女としてのマウントを取って悦に浸っていたのだとすればこの出来事は相当気に入らなかったはずだ。
その上、セレスティーヌの娘であるシャルロットがクロードとくっつくようなことになれば?
『お父さまとの子を産み、娘を分家筆頭に嫁がせたあの女は圧倒的な勝ち組ということになるわね』
派手好きに見えるブリジットとしては王都で流行を主導しているのも気に食わないだろう。
何もかも上を行かれる中、せめて娘へ怒りをぶつけてやろう……と考えても不思議はない。
『なんだろう。なんとなく気に食わないわ』
別にセレスティーヌが憎まれようとどうでもいいが、それがシャルロットに飛び火するのは嫌だ。
「ソフィ。お祖父さまに面会を頼んでくれないかしら?」
俺の推測が正しいかどうか、知っていそうな人物に尋ねた方が早い。確認してもらったところ、祖父が指定してきたのは意外にも俺の部屋だった。
「この部屋に入るのも久しぶりだな」
入室するなり、彼はしみじみとした口調で呟いた。
席を勧めると鷹揚に頷いて腰を預けてくれる。顔も体格も雰囲気も威厳たっぷりで、柄にもなく少し緊張を覚えてしまう。
メイドたちがお茶や茶菓子の用意をしてくれる中、俺は祖父に尋ねた。
「お母さまとはお話をされたことがおありなのですか?」
「敬語はやめなさい。私の事が嫌いだと言うのなら話は別だが」
「嫌いなわけないじゃない。それじゃあ、お言葉に甘えるわね、お祖父さま」
飾らない性格なのだろうか。尋ねると「他の者が相手なら絶対にこんな事は言わん。たとえ相手が息子でもな」と返ってきた。単に孫が可愛いだけらしい。
「アデライドとの関係だったか。もちろん、何度も言葉を交わした。私はジャンと彼女の結婚を承認する立場だったのだから」
「お父さまとお母さまは恋愛結婚だったのかしら?」
「ああ、そうだ。ジャンがアデライドを熱烈に口説いて首を縦に振らせたらしい」
答えた祖父はふっと口元に笑みを浮かべる。俺としてもなんだか目に浮かぶようで、ついくすりと笑みをこぼしてしまった。
「お母さまを知っている人と話せて嬉しいわ。お父さまに聞くのはなんだか申し訳ないし、まさか国王陛下に強請るわけにもいかないでしょう?」
「陛下としても答えづらいだろうな。あの方も本気でアデライドを狙っていたはずだ」
母の美貌を妙に褒めていたと思ったら、やっぱりそういうことか。父と国王は同じ女を巡るライバルだったわけである。
「ジャンが相手なら猶更だ。あれは『娘に見られたくないから』とアデライドの絵をわざわざこちらへ送ってきたくらいなのだから」
「だからこの部屋にお母さまの絵があるのね?」
「絵はあれで全部ではないがな。残りは倉庫にしまってある。ジャンも特にお気に入りの絵はこっそりと隠し持っているのではないか?」
ありそうだ。セレスティーヌにも見られにくい場所となると、やっぱり私室か寝室だろうか。
そんなことを考えつつ、俺は「とある件」について尋ねるなら祖父が適任なのではないか、と思った。両親には下手に尋ねられない。かといって信頼のおけない相手に尋ねるのもリスクが大きい。
知識と経験に溢れた祖父なら何か知っているだろう。
「ねえ、お祖父さま。『竜の系譜』ってなんのことだか知っているかしら?」
祖父の眉がかすかに動いた。
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