到着
「街を見て回れなかったのが少し残念ね」
「無理を言っては駄目だよ、リディ。予定が狂えば宿泊日数も増えるんだ」
「帰りは余裕ができるはずですので、観光もできるかと」
大きなトラブルが起きることなく往路は終わりに近づいていた。
正直少し危惧していた純血派残党による襲撃もなく、一団は公爵領へ。
シルヴェストル公爵領と他領との境には大きな土壁があった。厚さ数十センチ、高さは三メートルはあろうかというこの壁により、越境はいくつか設けられた検問所を通してのみ可能となっている。
ちなみに俺たちはほぼ顔パスで通過だった。
公爵家の紋章が入った馬車だからというのもあるが、入退出についてはさほど厳しく制限していないらしい。ならどうして壁があるのかというと、人よりも羊の移動を制限するため。牧場にも柵はあるが、乗り越えて旅にでようとするやんちゃな羊もたまにいるのだとか。
「じゃあ、戦時の備えではないのね」
「もちろんそれもあるよ。公爵領と隣接する辺境伯領は隣国を睨む位置にあるからね。入り口を制限することによって王都までの侵略速度を落とすことができる」
「我が国としては防衛戦力を集中させやすくなる。辺境伯領を攻略されないに越したことはないけれど、備えておいて損はないわね」
「わかるのか。……そういえば、リディは殿下と盤上演習もしているんだったか」
「ええ。守りの大切さはある程度わかっているつもりよ」
チェスも戦略的視点を養う役には立つが、本格的に軍略の練習として作られた遊戯はさすがに別格だ。要所に砦を設営したり、その砦を壊すために策を巡らせたり、できること・考えることが桁違いに多くなる。だからこそ軍事に携わることも多い男性貴族はこれを嗜むわけだ。
俺とアランが分かりあっているとシャルロットが軽く頬を膨らませて、
「もう、私も今度道具を買います……!」
「いや、シャルロットは勉強しなくてもいいよ」
兄が困った顔になった。義妹に変なことを教えると父や養母から怒られそうである。
「シャルロット。女は少し愚かなくらいの方が殿方から好かれるのよ?」
「では、お姉様はどうしてそんなに勉強なさるのですか?」
「もちろん、殿方の気を惹こうとは思っていないからよ」
「リオネル様の気はきちんと惹いて欲しいんだけどね」
王子様の気が変わったら変わったで仕方ない。婚約解消に伴う保証さえしてもらえるなら応じるようと思う。……ではなく、もちろんリオネルの気を惹く努力はしているつもりだ。向こうの遊びにある程度合わせられるのでかなり好評である。
年頃を迎えた少年は思考ががらりと変わったりするのでここから先はなんとも言えないが、そちらに関しても一応手は打ってある。
話が逸れたが、俺の言葉にシャルロットはある程度納得したらしい。その上で小さく首を傾げて、
「お母様はとても頭の良い方ですが、お父様に愛されていますよね?」
「うーん……我が家の場合はまた特殊なのよね」
「そうだね。服飾業を振興する関係上、うちは女の領分が広いから」
「宰相の妻があんまり馬鹿だと舐められるだろうし」
これがよくなかったのか、シャルロットは結局「じゃあ私も勉強します」と言い出してしまった。
やりたいと言うのなら教えるし対戦相手にもなるし、なんなら道具をプレゼントしたいとも思うが、俺とアラン、さらには父や養母の真似までするのは明らかにやりすぎだ。王妃を飛び越えて女王にでもなるのか、という完璧超人が出来上がりそうである。
仕方ないので少し釘を刺しておくことにする。
「シャルロット? どうしてもと言うなら止めはしないけど、普段は馬鹿なフリができるようになりなさい。賢さで正面から殿方と競わなくていいんだから」
これには同乗していたエマも頷いて、
「そうですね。リディアーヌ様を見習うことなく、一歩引いた態度をお心がけください」
「ああ。リディは演技が苦手だからね」
「お姉様の真似をしすぎると敵を作る、ということですよね? わかりました」
何故か逆に釘を刺された。
「本当、これは壮観ね」
公爵領の大部分は畑や草原が占めている。
羊は主に草を食べるし、もう一つの主産業である綿花はもちろん、羊や綿花を育てる人間用に麦や野菜の畑も必要になる。
麦や綿花が羊に食べられてしまわないよう生産物によって大まかな区画分けが行われており、結果的に公爵領には農村が多い。街は生産物を集約・必要に応じて加工し他の馬車へ届けるための拠点として要所にいくつか点在している程度。
なので領内には緑が多い。そのうえ辺りが広く見渡せるので、王都とはまるで別世界だ。
「羊はまだ見えませんね、お姉様」
「そうね。もう少し進まないとだめかしら」
「お屋敷の周辺まで行けば羊も見られるかと」
エマの言葉が証明されたのは夕暮れが近づいた頃だった。
「あれが公爵領の中心部か」
「丘の上にお屋敷があるのですね……!」
小高い丘の上にいかにも立派な屋敷。丘のふもとには大きめの街があり、街の左右──少し離れたところには片や大きな牧場、片や大きな畑が広がっている。
街に入ると馬車の一団に人々が集まってくる。公爵家の紋章を見た人々の顔は明るい。手を振ってくれたり、恭しく頭を垂れる人もいる。
「エマ、手を振り返してもいいかしら」
「問題ありません。彼らは公爵家の領民、皆様にとっても守るべき民です」
お目付け役からも許可が出たのでシャルロットと二人で手を振り返してやる。残念ながらアランは恥ずかしがって乗って来なかったが、歓声はさらに大きくなった。
歓迎ムードは気持ちがいい。
馬車はそのまま大通りを抜けて丘を上がっていく。近づくと丘の上の屋敷が相当大きいことがわかる。王都にある屋敷以上だ。
「むしろ、わたしたちの暮らしている屋敷が別邸なのかしら」
「そうですね。こちらにあるのは領主一族が暮らすための公爵邸。王都の屋敷は宰相邸と呼ぶのが相応しいかと」
普通、領主は領地に住む。領主が宰相職を兼ねている我が家はかなり特殊だ。父の代わりに領地を治めて領民を守っているのは分家筋の領主一族。
その権威がどれほどのものかと言えば、
「お帰りなさいませ、アラン様。リディアーヌ様。シャルロット様」
「わあ……!」
出迎えに出てきた使用人の数を見てシャルロットが声を上げるほど。出てきた人数だけでも確実に王都で雇っている全使用人より多い。
屋敷の敷地内──丘の始まりからなのか上がったところだけなのかという問題もあるが──の様子は慣れ親しんだ王都の屋敷よりもシンプル。庭園もあるものの、馬を繋いでおくための厩舎や訓練場らしきもの、馬車を格納する倉庫などがさほど人目を避けることなく存在している。
屋敷には本館の他にいくつもの別棟も用意されており、様々なシチュエーションに対応できるようになっているようだ。
丘の下、街の外に牧場と羊の群れも小さく見えた。
多くの人の視線が集まる中、長男であるアランが進み出て口を開く。
「初めまして。宰相ジャン・シルヴェストルが長男、アラン・シルヴェストルだ。こうして公爵領を訪れることができたこと、そして温かく迎えてもらえたことを心から感謝する」
次いで俺、そしてシャルロットが挨拶。
「リディアーヌよ。期待していた以上に素敵なところで驚いているわ。ここへは療養と、それから見聞を広めるために来たつもりだから、色々教えてちょうだい」
「シャルロットです。殆ど初めてのような感覚で緊張していますが、公爵家の一員として領内の景色をしっかり見て、覚えて帰りたいと思っています」
俺たち三人を使用人はみんな温かい表情で迎えてくれる。中には「直系の方々をようやく迎えられた……!」と泣いている者までいる。公爵家への忠誠の篤さがよくわかる。さすが本拠地だ。
「久しぶりですね、アニエス」
「お久しぶりです。現在はシャルロット様の専属を務めさせていただいております。ご兄妹のお部屋の準備はできているのでしょうか?」
「ええ、もちろん。いつでも皆様をお迎えできるように準備ができております」
シャルロットの専属であるアニエスが現地のメイドと言葉を交わす。セレスティーヌが婚姻にあたって連れてきた使用人は多くが公爵領にいた者たちなので、こういう時に顔つなぎとして役立つ。部屋の位置とかも案内できるだろうから、と、同行する人間には他にも経験者が採用されている。
旧交を温めたい者もいるだろうが、そこは使用人。さっと用件の確認を済ませたところで、屋敷のある方向に動きがあった。
「大旦那様がご挨拶に参られました」
人垣が割れ、そこを一人の紳士が歩いてくる。隠居した身とは言っても、前世の感覚で言うとまだまだ若い六十代。さすがに親子だけあって父にも、そして父親似であるアランにもよく似た目と髪の色。若干頑固そうなところや、細身だがしっかり鍛えているところも同様。
「よく来たな」
祖父──マティアス・シルヴェストル。
彼を前に俺たちはもう一度礼を取る。顔を上げると、彼は口元を綻ばせた。
「大きくなったな、アラン。若い頃のジャンに良く似ている」
「よく言われます。それから、お祖父様にも似ていると」
上手い。アランのお世辞に「そうかそうか」と頷く祖父。彼の視線はそれから俺に向いて、
「リディアーヌは本当に母親似だな。ジャンが喜ぶと同時に嘆く姿が目に浮かぶ」
「そうね。お酒を飲むと『もう少しくらい私に似ていても』とよく愚痴っているわ」
「そうだろう? ふっ。聞いていた通り、物怖じしない性格だ。リオネル殿下に気に入られるのもわかる。……それから」
最後に、金色の髪の妖精に。
「シャルロットか。セレスティーヌは元気にしているのか?」
「は、はい。お母様はお元気です」
「そうか」
深く頷くと「ゆっくりしていきなさい」と俺たちへ告げる祖父。『え、それだけ?』。うん、今のは少し違和感があった。
別におかしいという程ではないが、シャルロットとの会話だけ本人についてではなくセレスティーヌについての話で終わってしまった。義妹もさすがに気づいたはずだ。これではまるで、シャルロットだけ歓迎されていないようではないか。
この段階では単なる気のせいという可能性も大いにあるが。
「皆様、ひとまずお部屋へ移動してお召し換えをいたしましょう。積もるお話はその後に」
メイドたちの呼びかけで俺たちは公爵邸の中へ足を踏み入れたのだった。
「ご存じかと思いますが、公爵邸では領主一族が共同でお住まいになり、領地経営に従事しておられます」
俺の案内を担当してくれたのは茶色の髪と瞳を持つメイドだった。名前はソフィ。
他についてきたのはアンナと数人の兵士だ。移動ついでに持ってきた荷物の一部を運んでいる。エマは残った荷物の仕分け・運び入れを指揮している。全て運ぶには結構な人数がいるだろう。『一、二か月は滞在するための用意だもの。服だけでもかなりかさばるのよね』。
この後の予定は着替えの後、みんなで顔を合わせての夕食である。可能なら風呂にも入りたいところだが、馬車の中にいただけなのでそう汚れているわけではない。食事の後か、最悪明日でも構わないだろう。
「リディアーヌ様やアラン様、本家の方々から見ると分家ということになりますが、当然、分家の方が人数は多くなります。ですので広いお屋敷や別棟が必要なのです」
例えばシャルロットの父親は俺から見て「祖父の弟の息子」だ。セレスティーヌはその元嫁。そんな感じで各世代に兄妹や嫁がいる。
全員がここに住んでいるわけではなく、婿養子に入ったり嫁に行ったり王都に家を構えて暮らしている親族も多いし、本格的に隠居したいと別に居を構えている者もいるが、それにしたって直系しか住んでいない王都の屋敷より大きくなるのは当然。毎世代複数人の子供が産まれていれば家族関係もかなり入り組んでいる。
親戚とはいえある程度距離を取りたい時だってもちろんある。
「わたしたちの部屋があちこち離れているのもその関係なの?」
俺の問いにソフィは「そうですね……」と曖昧に答える。
「そうとも言えますし、そうでないとも言えます。というのも、リディアーヌ様とシャルロット様のお部屋に関しては公爵様と奥様のご指定なのです」
セレスティーヌは他の家からここへ嫁いできた身。結婚の時点で公爵家の一員となった彼女だが、夫は前宰相ではなくその弟の血筋。夫自身もあまりガツガツした性格でなかったこともあって一家は別棟の一角に部屋を持っていたらしい。
その夫は不運にもシャルロットがまだ小さい時に亡くなってしまい、未亡人となったセレスティーヌは父に見初められた。
公爵夫人となったことで養母には本邸の良い位置に部屋を設ける権利が与えられたわけだが、これをあの女は拒否したらしい。
『使う機会も多くないでしょうし、既にある部屋から移る必要を感じません』
つまり、別棟にはセレスティーヌが今より若い頃に使っていた部屋がまるまる残っている。シャルロットの趣味は母親とよく似ているので、どうせならそこを使わせようという指示があったらしい。
新しく揃える金は十分にあるが、それはそれとして節約できるならしておこうという養母らしい考えである。シャルロットとしても母の昔使っていた部屋には興味があるだろうし、なかなか悪くない。
じゃあ俺の場合はどうかと言えば、
「リディアーヌ様は前公爵夫人──アデライド様のお部屋へご案内いたします」
まさか、こんなところにそんなものが残っているとは夢にも思わなかった。
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