道中
「しばらく馬を休ませます。馬車を出ても構いませんが、あまり遠くへは行かないようにお願いします」
馬車が停車したのはとある草原の一角だった。傍らには小さな林がある。
もう少し見晴らしの悪いところで停まるかと思ったが、考えてみればこの大所帯だと通行の邪魔になる。開けた場所の路肩に停めるしかないのだろう。
がたごと揺れ続ける車内に疲労を感じていた俺は、止まった揺れにほっとしながら軽く伸びをした。
「さあ、シャルロット。外へ出ましょう」
「いえ、お姉様。私はここで休んでいますので……」
そう答えたシャルロットはだいぶ顔色が悪い。最初は楽しそうだったのだが、どうやら馬車に酔ったらしい。こんなに長く揺られるのは初めてだろうし無理もない。
俺もそれほど余裕はないものの、義妹に比べるとまだだいぶマシ。剣の稽古などで三半規管が鍛えられているからだろうか。
動きたくない、という主張に頷きながら、俺は少女の耳に唇を寄せて、
「今のうちに花を摘んでおかないと後が大変よ」
これにはさすがの義妹もはっと顔を上げた。
「ですが、こんなところでどうやって……?」
「それは、木立ちの影でするしかないんじゃないかしら」
公衆トイレなんてあるわけないし、と思いながら答えると、聞こえたらしいアランとエマが揃って渋い顔をした。
「恐ろしい発想をしないでくれないか、リディ」
「専用の馬車を用意しておりますのでそちらをお使いください」
至れり尽くせりだった。あからさまにほっとするシャルロットの姿につい笑みをこぼしながら馬車を降りると、一頭の馬がこちらへ歩み寄ってくる。その隣には少女騎士の姿。
「ギー、お疲れ様。ノエルも疲れていないかしら?」
「問題ありません。この子もまだ元気です」
「そう、良かった」
撫でで労ってやるとギーは嬉しそうに鳴く。「お、お姉様」。振り返るとシャルロットが「降りようにも降りられない」という顔をしている。
怖いのはわかるが、これから羊の群れに会いに行くのにこれでは心配だ。少し強引に手招きしてギーと対面させてやる。
「いいかしら、ギー? その子においたをしたらひどいんだから」
「リディアーヌ様、まさか魔法で会話を?」
「違うわ。ただお願いしただけ」
精神感応の要領でできなくもないだろうが、ちょっと危ない気もするので止めておく。
それでもお願いが通じたのか、少女好きの雄馬は大人しくシャルロットへ挨拶をし、彼女の手を受け入れてくれた。これで少しは動物に慣れてくれるかもしれない。
「リディアーヌ様」
「ああ、アンナ。あなたもお疲れ様」
手洗いを済ませた後、他の馬車に乗っていたアンナと合流した。
使用人の集まった馬車内ではここぞとばかりに意見交換が行われていたらしく、若手である彼女は知らないテクニックや覚えておいた方がいい情報を覚えるのに必死だったらしい。律儀にしっかり覚えようとする真面目な姿勢に微笑ましさを覚え、くすりと笑ってしまった。
見れば、馬車を引いていた馬や護衛の兵たちも思い思いに休憩している。もちろん完全には警戒を解いていないし、俺たち兄妹はそれとなく囲まれているが。
馬が桶のようなものから水を飲んでいるのを見て、俺は首を傾げる。
「あの水、どうやって調達したのかしら。水を作る魔道具?」
「ああ、ええと……もちろん水を作る魔道具も持ってきていますが、あれはたぶん、浄化の魔道具を使って作ったお水ですね」
「……ああ」
さっき自分が利用した馬車(トイレ)を視線で示されてなんとも言えない感覚に陥る。魔法で綺麗にしているのだから害はないし資源の有効利用でもある、何より衛生的なのだが、飲まされる馬が少し可哀そうな気もしないでもない。
遠い目になりつつ馬から視線を外した。
代わりに兵たちを見る。だいたい顔見知りだし、何度も差し入れをしているので割と仲が良い。目が合うと会釈してくれるのでこちらも笑顔を返す。契約に含まれているとはいえ出張は大変だろう。
「あら?」
兵の中に妙に若い男を発見した。男、というか少年だ。アランと変わらないか少し上くらいの年頃だろうか。革製の帽子(兜?)から覗く髪の色は赤。じっと見ていると気付かれたのでやっぱり微笑んで挨拶する。
ぶすっとした顔で目を逸らされた。
父親なのだろうか。兵の一人が何かを言った後、二人でこちらへ歩いてくる。少年の方はいかにも嫌々といった感じだ。
「息子が失礼な態度を取ってしまい、申し訳ありません」
「気にしなくていいわ。それより、彼も護衛なの?」
「はい。将来、お屋敷で正式に雇っていただけるよう、見習いとして鍛えている最中です」
将来の警備兵候補か。屋敷で働いている者の子なら外部から雇うよりも信用度が高い。こうして若いうちから鍛えられるという点からもお互い好都合だろう。
平民の十二、三歳なんてつい最近まで近所の子と一緒に駆け回ったり棒切れで剣の真似事をしていてもおかしくない。
礼儀作法がなっていないのは当然だし、その分、身体づくりはできているはず。旅先へ連れてきたのもただ訓練させるよりはいい刺激になるだろう。
せっかくなので名前を尋ねたりしていると、少年はこちらを睨んで、
「俺は領主様や次期領主様を守るんだ。こんな奴どうでもいい」
仕える家の令嬢相手にこの態度とは、なかなかにやんちゃだ。
「王子殿下の婚約者になんという口を利くのだ!」
「え、じゃあこいつがリディアーヌ様? 向こうの可愛い子かと思った」
まあ、シャルロットが美人なのには同意するが……次々に失言する奴である。
「護衛対象の顔と名前くらいは覚えた方がいいんじゃないかしら」
「仰る通りです。愚息にはよく言って聞かせますのでどうかご容赦を──」
「安心しろよ。お前もついでに守ってやるから」
真摯に謝る父親とわかっていない息子。
息子の言動には多少目を瞑る。本人のやる気があれば十分改善できるはずだからだ。
問題はそのやる気があるかどうか。
「ついでに、ね。できるかしら」
「あ? 馬鹿にしてんじゃねえぞ」
きっと相性が悪いのだろう。
少年に魔力があったら属性は火かもしれない。ノエルの時も最初はあまりいい反応ではなかった。気性の荒い人間には実力行使でないとわかってもらえないことがある。
俺は手の中に火球を生み出して彼の目の前に突き出した。
「は?」
「お嬢様、お止めください!」
突っ立ったまま呑気な声を上げた少年を父親が突き飛ばし、庇うように腕を広げて立つ。
燃える炎を前に飛び出してくるのには一体どれだけの勇気が必要だっただろう。
俺は「大丈夫」と告げて火球を消し、腕を下げた。
「もちろん撃つ気なんてないわ。ただ脅かしただけ」
遅れて状況を理解した少年は顔をひきつらせながら驚愕に目を見開いた。
魔法は貴族の特権。中でも火の魔法は「力」としてわかりやすい。褒められるような方法ではないがインパクトはあったらしい。
怒られるかと思って見上げると、アンナは意外にも冷静な顔で少年を見ていた。
「リディアーヌ様。忠誠の薄い者へのお怒りはごもっともですが、炎はやり過ぎです」
相手が「広い意味で同僚にあたる」「平民の」「見習い」だからだろう。
男爵家の出で平民と距離が近かったアンナだ。
個人としてならもっと甘やかすところかもしれないが、公爵家に雇われている立場としては子供でも見逃せない。
「もし、この子が軽はずみにわたしを傷つけたら、彼のお父さままで解雇になりかねないものね」
「はい。公爵家に害となる護衛は必要ありません。連れてきた人間も含めて処分が必要でしょう」
「な、なんだよそれ。意味わかんねえ」
「忠誠心は重要よ。心を操る魔法はしたくないことはなかなかさせられない代わりに、したいと思っていることはかなり簡単に実行させられるの。例えば、気に入らない年下の女を殴ってやりたいとかね」
「っ!」
使い方や力量次第では衝動を増幅することもできる。
素手ではなく壺で殴ることになったら? ナイフで刺すことになったら? そうなる危険を減らすためにも忠誠心が重要になる。
俺は少年に微笑んで、
「不満があるならきちんと吐き出して、納得した上で仕えなさい。私で良ければ文句を聞いてあげるから」
言うだけ言って背を向ける。
馬車に戻っていく俺とアンナを少年は仏頂面のまま、父兵士は深く頭を下げて見送ってくれた。
アンナには後から「干渉しすぎです。平民の子供なんて無視してください!」と怒られた。
休憩後は兄妹それぞれ別の馬車に乗ることになった。
話やゲームで盛り上がっていても乗り物酔いが抑えられなかったので、だったらシャルロットにはゆっくり休んでもらった方がいい、ということになったのだ。
一応薬も飲んだらしいが、残念なことにこの世界における乗り物酔いの薬というのはせいぜい気休めに過ぎない。安静にしているのが一番なのだとか。
「リディアーヌ様は大丈夫そうですね?」
三人で集まっていたのは一応俺用の馬車だった。アランやシャルロット、エマが乗っていたそこには代わりにアンナが乗った。
「わたしも酔わないわけじゃないわ。いざとなったら魔法を使うつもりだし」
酔いの原因をピンポイントで解消するのは無理だが、酔っていない状態に戻すことはできる。身体を調整する魔法も定期的にかけているので、辛くなったらついでに酔いも消してしまえばいい。
「シャルロットは寝られるのかしら。この揺れじゃ難しいんじゃない?」
「いざとなればメイドがクッションになるかと。それなら少しは楽でしょう?」
「あら、じゃあアンナもクッションになってくれる?」
期待しつつ見つめれば、俺の専属メイドは少し恥ずかしそうにしながら頷いてくれた。
「リディアーヌ様がお望みであれば」
可愛い反応についつい甘えてしまいたくなる。しかし、寝てしまうのも勿体ないので、外の景色を眺めながらアンナとのんびり話をした。
「本で読んだ植物を実際に見られるのは助かるわ。文字や絵だけの情報と一致させられるもの。効能と一緒に覚えておけばなにかの役に立つかも」
「リディアーヌ様、よく馬車の中からはっきり見えますね?」
「ああ、無意識に視力を強化しているのかも」
「全部魔法じゃないですか……! 私、時々男爵家は貴族じゃないんじゃないかって思ってしまいます」
涙目になって言うアンナ。心配しなくても男爵家もちゃんと貴族である。家によっては平民と婚姻したせいで子供の魔力量が下がり、結果魔法の使えない子が生まれて来ることもあるらしいが。
「逆に平民から魔力持ちが生まれることもあるのよね」
「ええ。十分な魔力があれば後援を受けて学園に通い、騎士や宮廷魔法士として働くことができます。特に魔力量が多い場合には国から奨学金が出ることもあるとか」
こうした魔力持ちは貴族の落とし子か、あるいはその子孫だ。どこかの貴族(多くの場合は心当たりのある人間)の養子となって正式に貴族入りすることも多い。そうでなければ学園卒業と同時に一代限りの貴族位を与えられ、貴族への嫁入り、婿入りを推奨される。
「国が支援するほどの魔力持ちでしかも平民とか、出てきたらぜひ会ってみたいものね」
「滅多に現れるものではないですからね……。いたとしても風当たりは強そうです」
平民から貴族の仲間入りをする人間だ。純血派なんかにしたら裏切り者もいいところだろう。もちろん貴族側も良い顔をするとは限らない。
「本当、ままならないのね、色々と」
その日はとある大きめの街に宿を取った。俺とシャルロットが同室で、アランは別の部屋。
「お姉様と同じ部屋で寝るなんて初めてです」
「こんなの、宿に泊まっている時だけかもね。なんだか楽しいわ」
街一番の宿だけあって設備は申し分なく、十分に身体を休められそうだった。乗り物酔いのひどかったシャルロットも少しは馬車に慣れてきたらしく、夕食は宿に併設されているレストラン兼酒場でしっかりと栄養を取ることができた。
貴族相手の食事会ではなく、かつセレスティーヌの目もない絶好の機会。
せっかくのだらけた食事をするチャンスだったものの、身体に染みついた礼儀作法は簡単には忘れられず、俺は結局、貴族令嬢らしい上品な所作で料理をいただいた。
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