母の面影

 母──アデライドに与えられていたのは領主夫人用、つまり屋敷で二番目に上等な部屋だった。

 基調となっているのは黒と赤。

 入った瞬間に「ああ、ここは母の部屋だ」と思った。俺の部屋と雰囲気がよく似ている。初めて入ったとは思えないほどほっとしてしまい、身体から力が抜けそうになった。

 定期的に掃除が行われているらしく、さすがに母の匂いまではしない。そもそも部屋が使われたのもほんの僅かな期間に過ぎなかったらしいが、それでも。


「お母さま」


 入って正面にあたる奥の壁には三枚の絵が飾られていた。

 全て同じ人物を描いた絵だ。一枚は単独で、もう一枚は配偶者と並んで、最後の一枚は産まれたばかりとみられる赤子を抱いて微笑んでいる。

 長く美しい紅の髪と宝石のような瞳を持った女性。

 特徴を切り出せばその殆どが俺と一致する彼女こそがアデライドだ。その容姿を褒めようとするとほぼ自賛になってしまうわけだが、敢えて言おう。死後もなお語り継がれるのも納得の美貌。学園在学中は数多くの男から求婚されたことだろう。

 父は良くこんな美女を口説き落としたものだ。


「……お母さまっ!」


 溢れた涙を堪えることができなかった。

 母の絵を見上げたまま、俺はとめどなく涙を流した。懐かしさと、それを上回る自責の念。寂しさから荒れて年単位で家族を心配させてしまった。その後も素直ないい子ではいられず悪役令嬢を続けている自分。

 果たして、母の子に相応しい立派な振る舞いができているだろうか。『ごめんなさい。ごめんなさいお母さま……! わたし、わたし……っ!』。


「リディアーヌ様」


 アンナが後ろから抱きしめるようにして俺の姿を隠してくれる。兵たちがそっと荷物を置いて部屋を出て行ってくれるのが気配でわかる。残ったソフィとアンナは黙ったまま俺が泣き止むのをじっと待っていてくれた。


「みっともないところを見せてしまってごめんなさい」


 目元の腫れを魔法で消しつつ見上げると、二人のメイドは「とんでもございません」と首を振った。


「こちらこそ配慮が足りておりませんでした。夕食はこちらへ運ぶ事もできますので、少しお休みになられてはいかがでしょう」

「いいえ、着替えてきちんとみんなに会うわ。こういうのは最初が肝心だもの」


 思いっきり泣いたお陰ですっきりした。胸のつかえが取れたのでむしろ今は絶好調である。アンナもそんな俺を誇らしそうに見て、


「では、リディアーヌ様。本日はどのドレスにいたしますか? たくさん持ってきましたから選び放題ですよ」

「それなんだけど……ソフィ? お母さまのドレスって残ってないのかしら?」

「アデライド様のドレスですか? ……はい、こちらのクローゼットにそのまま残しております。ですが、大人用の丈になっておりますので……」

「大丈夫よ。ただ見せて欲しいだけ」


 やんわりと「着られないと思う」と伝えてくれるソフィにお願いをしてクローゼットを開けてもらう。


「お母さまのドレス」


 残っていたのはほんの何着か。おそらくは予備か何かとして置いて行ったものだろう。しかし、質としては十分に高いし、俺とよく似た母の趣味も見て取れた。その中から絵の中の母が着ているのに近い黒のドレスを選んで表から裏までじっくりと見せてもらう。


「……うん。これならなんとかなるかしら」

「あの、リディアーヌ様? 一体何を……?」

「大したことじゃないわ。少しだけ時間をちょうだい」


 トルソーを一体用意してもらい、その表面に触れて目を瞑る。サンプルに選んだ母のドレスをはっきり思い返し、360°あるそのイメージを元に絵の中の母のドレスを脳内で再構築。サイズ感を今着ている自分のドレスを元に調整し、一気に魔力を放出する。

 剣を使えば良かった。

 天才と称される俺の魔力がどばっと大盤振る舞いされるのを感じて少し反省するも、後悔はしない。魔力によって生成された黒い俺用のドレスはアンナとソフィがしばし絶句する程度には良くできていた。


「アンナ。今日はこれを着るわ」

「え、いえ、あの、え……!? リディアーヌ様、まさかドレスを魔法で作ったんですか!?」

「そうよ。お陰で物凄く疲れたし魔力も一気に消耗してしまったわ。効率が悪いにも程があるから、よほどのことがない限りこれっきりにしたいところね」


 物質を生成する魔法は無数にある魔法の中でも高難度に分類される。炎や雷はエネルギーなので魔力から変換するのは比較的易しい。水や氷なら大気中の水分だって利用できる。しかしもっと複雑な物質となると構成要素を魔力で全て補わなくてはいけない。

 加えて、形や性質をできる限り具体的にイメージできなければ質の悪いまがい物が出来上がってしまう。今回は記憶探査の魔法まで併用したので縫製や布の質感までかなり再現できたが、それでも職人が一から作った品には劣っているはず。

 物凄く大変な思いをした結果がちょっとした金の節約なら素直に注文して仕立てた方がいい。自分で作っても職人には一銭も入らないし。


「ソフィも、できれば内緒にしてくれるかしら?」


 懇願するように問えば、彼女は苦笑を浮かべて答えた。


「きっと、言っても嘘だと思われるでしょう」






 どうせなら母とお揃いのドレスが欲しい、と無茶をして無駄に疲れた俺はアンナとソフィに着つけられて無事に着替えを終えた。

 エマたちには引き続き荷物の運びこみや整理をお願いし、アンナたちを連れて移動する。

 一族との顔合わせは応接間ではなく食堂で行うらしい。人数が多いのでその方がいいのだろう。初めて来る屋敷なので道を覚えたり調度を観察したりしながら歩く。


「内装の趣味はうちと違うのね」


 我が家の内装は貴族らしい派手さを最低限押さえつつ趣味良く纏めている感じ。ここの内装はそれよりもシンプルというか、機能美的な感性を重視している。

 これには案内役のソフィが答えて、


「屋敷の管理は旦那様と奥様が行っておりますので、そのせいでしょう」

「お父さまに代わって領地の管理をしている方、ということよね?」

「はい。普段は便宜上『旦那様』とお呼びしておりますが、正確には本来の旦那様──領主様の補佐をなさっている方です。紛らわしいので統一した方が良いかもしれませんね」


 別の家に住んでいる父にはこの屋敷の差配はできないので当然といえば当然。この屋敷における『旦那様』なのは確かなのだが、領主の子である俺たちからするとわかりづらい。


「領主補佐はわたしから見て従祖父いとこおじのジェラールさま。それから奥さまのブリジットさま、で合っているかしら?」

「その通りです。お屋敷にいらっしゃる一族の方は他に──」


 ソフィが言いかけたところで向かう先に人影が見えた。

 ドレス姿の少女。濃紺色の髪に橙がかった赤い瞳を持っている。歳は十四、五といったところで傍らにはメイドが一人。

 彼女は俺と目が合うとカーテシーからの挨拶を始めた。


「初めまして。リディアーヌ様でお間違えないかしら? 私はクロエ。クロエ・シルヴェストルと申します」

「クロエさまですね。初めまして、リディアーヌ・シルヴェストルと申します。たしか来年、学園にご入学予定とか」

「お見知り置きいただけたなんて光栄です。在学中は王都に滞在いたしますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたしますね」


 来年入学なのでノエルとは同学年になる。在学中は寮住まいだろうか? 場合によっては屋敷に住むことも考えられる。


「ところで、クロエさまはどうしてこちらに?」

「リディアーヌ様をお待ちしておりました。顔合わせの前にお目にかかりたかったものですから」


 一対一で見定める機会が欲しかったということか。何かろくでもないことを考えているのでなければいいのだが。

 ソフィを見ると、困ったような表情ではあるもののあまり問題視はしていない様子。


「では、一緒に参りましょうか」

「ありがとうございます。是非ご一緒させてくださいませ」


 移動中に話題になったのは俺とリオネルの婚約の件だった。


「殿下は気難しい方と聞きますが、お相手は大変ではありませんか?」

「リオネルさまは気難しいというよりも奔放かつ遊び好きな性格だと認識しております。ご要望に応じてお相手をして差し上げればとても素直で可愛らしい方なのですよ」

「まあ。リディアーヌ様は殿下ととても仲がよろしいのですね?」


 俺とリオネルの仲が良好、と広まる分には問題ない。

 あの王子の攻略法を聞き出してどうこう、と考えているのだとしたら困ったものだが、ちょっと話を聞いた程度でどうにかなると思うのもアレだし、もし実際どうにかなってしまったとしたらリオネルの方もアレすぎる。

 そもそも、クロエではそう簡単にリオネルに近づけないだろう。


「クロエさま。こちらには一族の方が多く暮らしていらっしゃるのでしょう? 窮屈に思うことはありませんか?」

「いいえ。広いお屋敷がありますから手狭に感じることはありません。時には羊と戯れるのも楽しいものなのですよ」


 答える彼女は笑顔。橙色に近い瞳はきらきらしている。ここでの生活が気に入っているのかもしれない。


 ──クロエ・シルヴェストルはやや特殊な立場の人間である。


 彼女の母は養子として公爵邸にやってきた子だった。そのまた母は他家に嫁いだ公爵家一族。そのため一族の血は引いているのだが、魔力がかなり低めだったために養子に出された。

 物心つく前から公爵邸で養育を受けたクロエの母は、貴族としての生活よりもむしろ平民に交じって羊の世話をするのを好んだ。そうしているうちに平民の男と恋に落ち、屋敷を出て街での生活を始めた。『来るべくしてここに来た人だったのかもね。本人はそれで幸せだったんでしょう』。

 しかし奇しくも、愛する男との間に産まれた娘・クロエは母を上回る魔力量を持っていた(通常、平民の赤子の魔力検査なんていちいち行わないが、貴族の親を持つということで念のために行われた)。それならば平民ではなく貴族として生きた方が幸せだと母は判断し、娘を公爵家に預けたというわけだ。

 見た感じクロエは普通に礼儀作法ができている。貴族としての振る舞いを苦にしているわけでもなさそうだが、一方、都会に行って華やかな結婚がしたいわけでもなさそうに見える。


「羊の毛はほんとうにふわふわしているものなのですか?」

「ええ。きっと感動なさると思います」

「それは楽しみです」


 羊について語るクロエは楽しそうで、俺は彼女へ好感を持った。






「リディアーヌ様。変わった事はありませんでしたか?」

「ご苦労さま、ノエル。ソフィも良くしてくれたし、困ったことは何もないわ」


 食堂の入り口前でノエルが待っていた。彼女はギーを厩舎へ移動させた後、屋敷をぐるっと一周したり、俺たちの護衛に関する相談をしたりしていたらしい。


「こちらは騎士様ですか?」

「はい。リディアーヌ様の専属騎士を務めております、ノエル・クラヴィルと申します。どうぞお見知りおきください」

「クロエ・シルヴェストルと申します。リディアーヌ様とは親戚にあたります」


 帯剣した少女騎士にクロエはもちろん、ソフィも物珍しそうな表情を浮かべていた。女性騎士と専属騎士を持つ人間の少なさが良くわかる。


「それじゃあ、皆さまにご挨拶に参りましょうか」


 扉が開かれると、そこには既に役者が勢揃いしていた。


「リディアーヌ」

「お姉様」


 ポーカーフェイスのアランと、ほっとしたような表情のシャルロット。二人共旅装から着替えて見慣れた格好になっている。

 二人が座っているのは複数置かれた六人掛け程度のテーブルの一つ。長辺の真ん中にアラン、その片側にシャルロットが座っており、俺の席は義妹と逆側にあった。

 他のテーブルにも最大で四人程度が座っており、全体としてはなるべく参加者が顔を見て話せるように配置されている。

 奥に置かれたテーブルの中央は空席。その左右に領主補佐夫妻と見られる男女の姿。祖父の席も夫妻に近い位置にある。


「初めまして、リディアーヌ・シルヴェストルでございます。長らくこちらへ顔を出すことができず申し訳ございませんでした。しばらくこちらへ滞在させていただく予定ですので、何卒よろしくお願い申し上げます」


 一斉に集中する視線に笑顔で答え、俺は一同に挨拶をする。

 アランの隣に腰を下ろすと公爵邸のメイドがすかさず料理を運んできてくれる。父の実家にその父が不在、しかも親戚が勢揃いしているような状況。なかなかのアウェー感だが、上手くやれるかどうかでここでの日々が楽しくなるかどうかが大きく変わりそうである。

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