第三章:兄妹の里帰り
影響と変化
学園の卒業記念パーティー襲撃事件から約一か月が経った。
純血派と称される平民集団を支援したバルト伯爵とその妻は捕縛され、取り調べの後に処刑が決定した。新しい伯爵家当主には前当主の息子であるフレデリクが就任。事件の賠償金によって大きく傾いた家を妻のミレーヌと共に切り盛りしていくこととなった。
国内における薬物の取り扱いは規制強化の方向で話が進んでおり、そういう意味でも伯爵家にとっては向かい風だ(規制してもまた新しい薬が開発され悪用されるだろうが、だからといって何もしないわけにはいかない)。
フレデリクは前伯爵夫妻とは仲が悪かったらしい。オーレリアのことも純粋に姪として可愛がっていたようで、襲撃防衛の件とオーレリアをメイドとして雇った件についてわざわざお礼と挨拶に来てくれた。
妻のミレーヌの方は正直何を考えているのかよくわからない。
ジゼルの親分だったという情報のせいで俺の中では未だに『悪い奴に決まっているわ!』という印象なのだが、おそらく長いものには巻かれるタイプ。パーティーの件は体制側に分があると判断したので俺への手紙等々、被害を抑える方向で動いたのだろう。
(少なくとも前任者よりは)善良な若者と計算高い妻の組み合わせならそうそう極端な方向へは進んでいかないに違いない。
オーレリアの後見人を務めていた宮廷魔法士長にも「指導不足」としてそこそこの額の罰金が科せられた。
純血派との繋がりについては「王家の密命」ということになったため、地位を追われるまではいかなかったものの、これを機に宮廷魔法士という組織も新陳代謝が行われることになるかもしれない。
事件の被害者には王家から謝罪も兼ねた見舞金が出された。立場(卒業生、在校生、来賓)や怪我の大きさに応じて金額は何段階かに分けられたものの、当時学園に所属していただけの(パーティーにはたまたま参加していなかった)生徒も含めて全員がその対象となっている。
この見舞金の出所は主にオーレリアやバルト伯爵家、宮廷魔法士長らが支払った賠償金や罰金だ。
王家は損壊したホールの修繕資金も負担しているためトータルとしてはマイナスのはずである。大変な話だ。少々可哀そうな気がしたので、俺の分の見舞金は「別に褒賞をいただいたので」と辞退させてもらった。
なお、我が公爵家としても学園への心ばかりの(実際は結構な額の)寄付を行っている。貴族というのはこういう時にぽんと金を出すのが大事なのである。余裕を持った生活をしていないサラの家なんかは駄目な例。ベアトリスのデュナン家もここぞばかりに寄付をしていた。
事件の裏にいた貴族がバルト伯爵家だけとは限らない。
襲撃事件で純血派がどの程度戦力を減らしたのかも不明だし、ノエルが交戦したあのメイドもあれ以来行方が掴めていないらしい。
大規模な治安維持活動および平民街の調査のため、騎士団と衛兵隊はとにかく大忙しである。
さて。
そんな中、シルヴェストル公爵家の屋敷内にも幾つも大きな変化があった。
「リディアーヌ様。紅茶のお代わりはいかがですか?」
「ありがとう、オーレリア。いただくわ」
まずはオーレリア・グラニエ改めオーレリア・ルフォールの専属メイド就任。
あのオーレリアにメイドが務まるのかと不安で仕方なかった俺だったものの、さすがは超ハイスペック美女、一度説明された仕事は決して忘れない超人ぶりと元王族らしい一流の礼儀作法によって周囲に格の違いを見せつけた。
屋敷の通路構造でさえ「一度見れば覚える」と豪語して実際に覚えてみせたし、家族全員分+親しい貴族のお茶とお菓子の好みでさえ教えられたら絶対に間違えない。
「オーレリア。紅茶の蒸らし時間が二秒短いです」
「む。……なかなか難しいわね。魔道具もなしに正確な時間を測れだなんて」
まあ、記憶力が良くて礼儀作法ができているからメイドとして完璧かというとそんなことはなく。
アンナのたっての願いで教育係となったエマによって厳しい指導を受けている。ちなみに指導係を依頼したアンナ自身もその餌食である。
「アンナはオーレリアの所作を見習ってください。姿勢が乱れていることが多々あります」
「は、はい」
「そうよ。見習いなさい」
「オーレリアは姿勢を維持しきれていません。もっと体力をつけてください」
「あの、エマは本当に厳しいのだけれど」
一人でもできる作業は一人でできるように、と一年以上にわたって努力してきたアンナは仕事の精度と基礎体力がすごい。魔力が少なく、身体強化でのズルもほぼできない中で一日中ほぼ立ちっぱなしの生活を続けているのは驚異的だと思う。
対するオーレリアは魔法の補助なしだと体力がもたない。ほうっておくといつまでも研究している変態だとはいえ、研究中はほぼ座りっぱなしだったわけで。身体能力が足りなければ魔法で補えば良かったのもあって「ただ立っている」とか「正確に秒数を数える」とかを苦手としている。
「助けてくださいませ、リディアーヌ様」
「残念だけど、アンナの代わりを完璧にこなせるようになってくれないとわたしも困るの。アンナに休みをあげられないじゃない」
普通に話してくれ、とオーレリアに頼んだ俺だったが、私室で寛いでいる時など他に人がいない場所以外では主従として振る舞わなければならない。
幸い、黒髪黒目にシックなメイド服が物凄く似合うので、思ったよりも師を使用人として扱うことに抵抗はなかった。
要はそういうロールプレイだと思えば順応できる。まあ、なんかそのうち「よくも私を下に見てくれたわね」とか言って変な悪戯とかされそうなので適度にガス抜きもさせているが。
エマがあまり変わらない表情へかすかに「困った」風にして、
「オーレリアには他の仕事もありますから、アンナの代わりにするには時間がかかりそうですね」
「アンナはとても頑張っているもの。だから仕方ないけれど、お休みをあげられないのは困ったものね……」
オーレリアが向こう三年にわたって騎士団の捜査を手伝う義務、および王家からの魔道具製作依頼を可能な限り請ける義務を負っている。
そのため屋敷でメイドの仕事に従事できるのはせいぜい週に三、四日。その日も魔道具の依頼がある時は部屋に籠もって製作しないといけないため、あまり働く時間が取れない。一度見聞きすれば覚えられるチート魔法がなければ先が思いやられたところだ。
しかし、アンナの休暇問題もなかなかに深刻である。
ジゼルの件から屋敷の人員整理が終わるまでの間は他のメイドに世話を任せるのが怖い状況だったし、それ以降もアンナ自身が頑張り屋なのもあってついつい頼ってしまっていた。そのせいで週二日は取れるはずの休日を週一日さえ安定してあげられていない。
「やっぱり、アンナがいない時はエマにお願いするしかないかしら」
「……ご命令とあらばもちろんお受けいたしますが」
「ありがとう。なら、いっそ専属契約をしてくれないかしら」
仕事ができて物おじしなくて自己主張が強くないというメイドの鑑のような彼女に直球のお願いを投げれば、もう何度も聞いた返答が打ち返されてきた。
「お断りします」
残念ながら高嶺の花を射止めるにはまだ好感度が足りないようである。
「医師からの最終的な診断が出ました。男の子を懐妊しているそうです」
「そうか、男の子か! よくやったぞ、セレスティーヌ!」
養母セレスティーヌの懐妊。
俺としてはなかなかに衝撃的な出来事である。彼女が屋敷に来てから既に何年も経っている。これはもう、両親の夫婦生活は冷え切っているのでは? と思っていた中での報告だった。
前世の経験から、男にとっての愛と性欲がイコールでないことは知っている。理性で欲を抑えることはできても、魅力的な異性から関係を迫られたら興奮してしまうのが男だ。だから『お母さまのことはもう忘れてしまったのね!?』とか騒ぎ立てるのは我慢したが、両親が裏でそういうことをしていた、というのは正直あまり知りたくない情報だった。
そういえば前にナタリーから俺がラフデザインを描いたチャイナドレスについて詳細を聞かれた。我が儘な長女=俺の手がかからなくなったところでセレスティーヌが煽情的な衣装を武器に徹底攻勢をかけたのだとすると、あれ? もしかしてこれって俺のせいなのでは? という気さえしてきて若干凹む。
「おめでとうございます、お母様。では、私に弟ができるのですね?」
「ええ、そうよ。仲良くしてあげてくれるかしら?」
「もちろんです。ああ、どんな子なんでしょう……!」
俺がテンションを落としている中、実の娘であるシャルロットは素直に母の妊娠を喜んでいた。
家族の中で一番下だったシャルロットにとって、弟ができるのはとても目新しい出来事である。前世で姉から「末っ子はいいわよね。可愛がってもらえて」などとねちねち言われた経験のある俺からすると『この子、実際に弟ができたらさみしがるんじゃない?』という思いもあるが、別にシャルロットの気持ちが間違いというわけでもない。
「では、お養母さまのお腹の中に新しい命がいるわけですね」
形式的に「おめでとうございます」を言った上で、俺は呟くように告げた。
食事の席なのでセレスティーヌとはテーブルを隔てている。前に一度だけお腹を触らせてもらった時は赤子の気配も何もなかったが、人の体内に別の命が宿っているという状況についてはあらためて不思議な感覚を覚えた。
何しろ、他人事ではない。
前世では「ふーん、そういうものなのか」で済んだが、今世の俺にとって妊娠はいずれ自分も通る道。今まで観念的に理解して理屈の上で納得していた「男と結婚してその子を産む」というプロセスを再度、感覚的に認識せざるを得なくなった。
良く言う「お腹を痛める」という表現は比喩ではないはずだし、十か月もお腹の中に子供を宿したままになるということ、それを良しとしなければならないことに今更ながら戦慄させられる。
そんな俺の想いをどこまで読み取ったかは定かではないものの、セレスティーヌは俺に笑顔で頷いて、
「旦那様との間に産まれた初めての子供です。……祝福してくれますか、リディアーヌ?」
やっぱり、つくづくずるい女だ。
さっき「おめでとう」は言っただろうに、あらためてそれを尋ねてくる。同じ女であり、母アデライドに強い執着を残す俺に明確な対応を迫ってくる。
父とセレスティーヌの子。
二人の間に子が生まれたことは政治的にも大きな意味がある。後妻であるセレスティーヌが宰相と愛し合った何よりの証明となるからだ。公爵家に齎された四人目の子供は産まれるどころか母のお腹を大きくするより前から公爵家と、そしてセレスティーヌの立場を盤石なものとした。
俺は、それを分かった上で養母に微笑みを返す。
「ええ。元気な男の子が生まれてくることを心よりお祈りいたします、お養母さま」
セレスティーヌに対して思うところがあるからと言って子供に当たるのは間違っている。それに、女である俺にとって男子の誕生は自らの領分を脅かすことにならない。公爵である父の血は俺も引いているわけだし、弟は普通に可愛がって問題ない。
むしろ、心配なのは──。
「私からも『おめでとう』と言わせてください。どうか出産まで安静になさってください、母上」
「ああ、アランも、ありがとうございます」
貴族らしい紳士的な笑みを浮かべながらも、どこか表情に翳りの見える兄・アラン。
彼にとって男の子の誕生は大きな意味を持つ。父であるジャンが未だ三十代。次男が成人するまで職に就き続けることも不可能ではない。つまり、アランにとってこの新しい兄弟は次期宰相を争う上でのライバルなのである。
もちろん、能力の面では年上であるアランに大きく軍配が上がるだろうが、こと後継者争いに関しては年齢も大きな意味を持つ。若い人間が後継者に就けば次に職を引き継ぐまで猶予を長く取れる。ならばむしろ若い方がいい。なんなら兄を「中継ぎ」として弟が一人前になったら職を譲らせる、などという手もある。
アランの立場からすれば素直に祝福できるわけがない。
まったく、家族が増えるという祝い事で何故ここまで色々考えなければいけないのか。
貴族の厄介さをあらためて実感しつつ、俺は父とシャルロットを中心とするお祝いムードが一段落するのを待って話題を変えた。
「ところで、お養母さま。シャルロットの魔法教師をどうなさるか、目途は立ったのでしょうか?」
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