新人メイドと先輩メイド

 公爵令嬢リディアーヌの専属メイド、アンナはあまりの事態に頭を抱えたくて仕方がなかった。


「近日、新人メイドの追加があります。皆も名前は知っているでしょう。ルフォール侯爵家の依頼で行儀見習いとして引き受ける事になったご令嬢、オーレリア・ルフォール様です」


 夜の終業時間。仕事を終えたばかりの者も含め全ての使用人を集めての連絡に、案の定、シルヴェストル公爵家の使用人達は騒然となる。

 声を上げる者、有名すぎる新人の名を復唱する者、反射的に者など、反応には個人差があったものの、おおむね全員に共通しているのは「どうしてそうなったのか」という驚きだった。

 無理もない。

 事前に知らされていなければアンナだって例外ではなかった。というか、立場が立場である以上、悲鳴くらいは上げていたに違いない。


「知っての通り、オーレリア様は学園襲撃に加担した罪で王族から追放となりました。一方、不心得者の大量捕縛を助けた功績も認められたため処刑ではなく罰金や労働等によって罪を贖う事となっています。養子縁組を行い新たな保護者となったのはルフォール侯爵家。先方はオーレリア様の行動について自分達が全責任を負うとしたうえで、当家にその身柄を預けたいとの意向を示しています」


 ともあれ、使用人達の前に立ったメイド長は淡々と事実だけを口にする。


「旦那様と奥様はこの申し出を了承なさいました。オーレリア様はリディアーヌ様付きの専属メイドおよび魔法の教師として働く事が決定しています」


 ここでざわめきは更に強くなった。おそらくメイド長が続けて言った「侯爵令嬢様とはいえ同僚として特別扱いは必要ありません」といった注意事項はあまり聞こえていなかっただろう。

 結局、ざわめきは解散になるまで収まることはなく、そして解散となった途端に騒がしさを倍化させた。


「ねえ、アンナはこの話、知っていたのでしょう?」

「は、はい。リディアーヌ様のお傍に付いて話し合いに同席しましたから」


 この場における一番の当事者であるアンナが先輩方に捕まったのは当然の成り行き。新人の段階で専属雇用されてしまったアンナは屋敷の同僚とあまり親しくない。普段はリディアーヌ様の傍から離れられない上に部屋も別なので接点がほぼないのだ。

 加えて、一般メイド時代の同室が性格の良い人物とは言えなかったので、屋敷内での人間関係には正直トラウマがある。

 できるだけ軽く流して部屋に帰ろうと思ったのだが、残念な事に声をかけてきた先輩方はそんなに甘い相手ではなく、また、ジゼルのように後輩いびりを行ってくるような人でもなかった。


「大丈夫なのかしら。……もちろん、ご夫妻が許可なさったのだから問題ないのでしょうけれど、リディアーヌ様は王族入りの内定している大事なお身体でしょう?」


 彼女達の表情に「罪人となった王女」および「魔女の弟子であるこの屋敷の令嬢」を嘲るような色はなく、それにほっとしたアンナはついつい話に応じてしまう。


「問題ないと思います。オーレリア様はリディアーヌ様を特別気に入っていらっしゃいますから、守ってくださる事はあっても傷をつけたりはなさらないかと」

「特別気に入って……?」

「もしかしてそれって、禁断の愛だったりするのかしら?」

「そ、それはない、と思いたいのですが」


 オーレリアの言動について良く知っているアンナは「ない」と言い切れなかった。研究者気質の人嫌いで、学園を卒業するまで浮いた話が一切なかった。そのくせリディアーヌの事は妙に気に入っていて、冗談なのか本気なのか、髪を梳いたり頬を撫でたり容姿を褒めるような言葉さえ口にしていた。

 おまけに無給で働かせて欲しいという申し出である。まあ、オーレリアなら魔道具の製作でいくらでも稼げるわけで、それを考えればメイドの給金などあってもなくても変わらないのだが。だったら無理にメイドなんてしなくても、という話である。


「アンナも気を付けなさいよ。見境のない方だったら貴女まで毒牙にかかってしまうかも……」

「それはないと思います」


 これにはアンナもきっぱりと答えた。





「オーレリア・ルフォールと申します。メイドの仕事に関しては非才の身ではありますが、快く雇用してくださった公爵ご夫妻、およびリディアーヌ様のご厚意に報いられるよう精一杯務めさせていただく所存です。至らない点がございましたらどうか遠慮なくご指摘くださいますようお願い申し上げます」


 そして、オーレリアはやってきた。

 使用人達の前での挨拶は堂に入ったもの。さすが元王族、カーテシーは見惚れる程の完成度で、既に屋敷のお仕着せを纏っているにも関わらず育ちの違いを感じさせられてしまう。

 こんな作法の持ち主が身近にいるというのは案外、リディアーヌにとってもアンナ達にとっても勉強の機会として大きいかもしれない。


「では、オーレリアの案内と指導については先輩であるアンナに一任します」

「よろしくお願いいたします」

「か、かしこまりました」


 先輩。先輩である。

 男爵家出身、学園に通った経験すらない年下のアンナが元王族、現侯爵令嬢のオーレリアの上役。本当にどうしてこうなったのかと言いたい。

 しかし、この話が持ち上がってから何十回、何百回と繰り返した自問自答だ。さすがに覚悟を決める事にして初めての「専属としての後輩」に向き直る。

(どうせならオーレリアを迎える前にエマも専属になってくれないかと具申したりもしたのだが、他でもないエマに「今まで通りの業務内容で」とあっさり断られてしまった)


「では、オーレリア様。お部屋に案内いたします」

「かしこまりました、アンナ先輩」


 丁寧な返事が来た途端、背筋が寒くなるのを感じた。

 なるほど、リディアーヌが「今まで通りで」と言った気持ちがよくわかる。アンナは慌てて「せめて同僚として接してください」と頼み込んだ。

 オーレリアはこれに少し残念そうな顔をしたものの、特に文句を言う事もなく言葉遣いを直してくれる。


「なら、上でも下でもない同僚として話させてもらうわ。だから、アンナもただの同僚相手として話して頂戴」

「わ、わかりました。オーレリア様」

「オーレリア」

「……オ、オーレリア。こちらに付いてきてください」


 彼女の荷物は既に運び込んである。専属なのでアンナと同様、リディアーヌの私室に直結した個室が与えられる。専属部屋は一応三部屋用意されているので二人が同室になる事はない。

 丁寧に磨かれた廊下に二人分の足音だけが響く。


「屋敷の間取りもおいおい覚えなくてはね」

「そうですね。ですが、ひとまずはよく通る道順だけ覚えれば大丈夫です。一度に覚えるのは大変でしょう」

「そうね。一度見れば覚えられるけれど、思い出すのにも魔力が要るもの」


 そういえば、彼女もリディアーヌと同様、驚異的な記憶力があるのだった。

 右腕を持ち上げて微笑を浮かべる黒髪の美女をちらりと振り返り、あらためて「モノが違う」と実感する。ただ、天才の中の天才であるオーレリアも何でもかんでも魔法で自由自在とはいかない。魔力量とかそういう話ではなく、彼女の腕にはまたしても魔法封じの腕輪が嵌まっているからだ。

 オーレリアを迎えるためにリディアーヌが追加で作った品である。

 王族級の魔力を持つリディアーヌが丹精込めて作った品はなかなかの効力があり、装着中のオーレリアはだいたい全力の七割程度の魔力しか行使できなくなり、精神集中にも多少の乱れが生じるらしい。

 リディアーヌは「腕輪を嵌めているあの方となら魔法合戦でそこそこいい勝負ができるんじゃないかしら」と言っていた。


「その腕輪、外せるんですよね?」

「まあ、外そうと思えばね。でも、せっかくのプレゼントだし勿体ないでしょう?」


 腕輪は言わば保険だ。リディアーヌであればオーレリアを制御できる、という分かりやすい証明。

 実際はオーレリアの厚意で成り立っている上に腕輪があっても「そこそこいい勝負」にしかならないわけだが、むしろそんなオーレリアが自発的に腕輪をつけたままにしているという事実こそがこれ以上ない適材適所の証だと言える。

 このままの状態でしっかり務めを果たしていけば信用も勝ち取れる。腕輪を外しても彼女を危険視する者がいなくなるまでには長い道のりかもしれないが。


「ねえ、アンナ。貴女は私の事、恨んでいないの?」


 思いがけない問いかけにアンナは思わず立ち止った。


「そんな事を気にしていたんですか?」

「それは気にするでしょう。私を何だと思っているのかしら?」

「興味のある事以外はどうでもいい天才、ですね」

「正解」


 すると彼女はくすりと笑って、


「でもね。どうでもいい、というのは無視しているだけなの。何も感じていないわけじゃない」

「……だったら、もっと利口な生き方があるのでは?」

「それができたら私は私になっていないわ」


 きっと、その通りなのだろう。

 アンナはリディアーヌと共にオーレリアの過去について聞いている。あそこで語られた彼女の気持ちはきっと本心だったはずだ。

 不器用で我が儘な女。しかし、一度「こちら側」を選んだからには彼女は簡単に向こう側へは行かないだろう。

 アンナはため息をついて、


「今の話はリディアーヌ様にして差し上げるべきでは?」

「嫌よ。恥ずかしいもの」


 アンナ相手なら恥ずかしくないという事か。若干釈然としないものを感じていると、追い越したオーレリアが笑って、


「お互い、あの子が男だったら相手に悩まなくて良かったのにね?」

「なっ!?」


 頬がかっと熱くなる。確かに、アンナは専属として忙しく働いており、男性と出会う機会なんてほぼない。できればこのまま長くリディアーヌに仕えたいとも思っているので結婚なんて当分できないだろう。

 しかし、だからと言って、


「リディアーヌ様が男性なら、そもそもお傍に仕える事ができません」

「じゃあいっそ、リオネル──リオネル様の愛人を狙ってみたら?」

「それこそ無理です。私なんて殿下は相手になさいません」


 それはまあ、メイドが主人と同じ相手から寵愛を受ける事は意外とある。主人との仲が良好であれば愛人として幸せに暮らせる事だってあるが、リオネルの浮気を前提とするのも良くないし、それを姉であるオーレリアが言うのはもっと良くない。

 というか、リディアーヌのメイドという意味ではオーレリアも該当するのだが。

 姉弟での婚姻は出来る限り避けられるもののタブーとまでは行かない。異母姉弟となれば猶更許容されやすいが、それはさすがに。


「リディアーヌ様にも殿下にも手は出さないでくださいね」

「わかっているわ。こちらからリオネル様を誘惑するなんてぞっとするし、リディアーヌとじゃ子供ができないものね」

「子供の問題ではないんですが」


 というか、屋敷の廊下でする話でもない。別に機密でもなんでもないとはいえ醜聞ではあるし、何より恥ずかしい。それとも、オーレリアが平気な顔をしているあたり何か対策はされているのだろうか。

 なんだか緊張していたのがだんだん馬鹿らしくなってきた。


「とにかく、リディアーヌ様にお仕えする以上、仕事はきちんとしてください」

「わかっているわ。手は抜かないからしっかり指導して頂戴」


 きっと、この屋敷に来たばかりのアンナであればこんな状況、プレッシャーから泣き出すか逃げ出していただろう。

 しかし、リディアーヌと過ごしてきた経験のお陰か、あるいは少しは研鑽が役立っているのか、今のアンナはこの新しい環境をなんとか乗り越えようと胸に力を湧き上がらせた。

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