襲撃事件の後で

 ノエル・クラヴィルは騎士の家系であるクラヴィル家における「出来の悪い末妹」である。

 父は騎士団の副団長。四人の兄はみな立派な騎士であり、息子の誰かがいずれ団長を継ぐのでは、という声もある。

 母は騎士ではないものの、覚悟を持って嫁いできた気丈な女性だ。五人もの子供を産み、育てながら、夫や息子が疎かにしがちな家の仕事を一手に引き受けている。


「女の子が生まれた時はおしとやかな子に育つかも、とも思いましたが、ノエルもやっぱりクラヴィル家の子でしたね」


 頭を撫でられ語り掛けられる度、ノエルはどこか申し訳ない気持ちになる。

 男所帯で育ったせいか、剣の稽古や走り込みをする兄達にくっついていくのが当たり前だった。末っ子の上に女の子とあって父も兄も喜んで相手をしてくれるので余計にのめりこみ、気づいた時には剣の道にどっぷりとはまり込んでいた。

 身体を鍛え、剣を振る生活をしているとドレスを着たり礼儀作法を練習するのは面倒で仕方ない。

 騎士にも作法は必要だ、と諭されなかったら本気で放り投げていたかもしれない。一応、やる気を出してみた後も兄達と別の作法を練習させられるのがずっと不満だったくらいだ。


「私も兄上達と同じように騎士になります。そして国のために尽くすのです」


 一度決めてから他の道に目移りした事は一度もない。

 しかし、ノエルは騎士としての才能には恵まれなかった。

 背は騎士としては大きいと言えず、筋肉の量もなかなか増えない。頼みの魔力も平凡。火の魔法は「戦闘向き」というよりも「戦争向き」であり、平和なこの時代にはそぐわない。

 家族は優しい。自分よりもずっと劣る娘・妹相手でも良いところを探しては褒め、激励してくれる。自慢の家族だし、彼らから受けた恩に報いたいと思う。

 一方で、外部からの評価は冷徹だった。


「クラヴィル家の末妹は平凡な子だな」

「仕方ない。女子であればこんなものだろう」

「女性騎士は絶対数が少ないですし、見目も悪くありませんから引く手あまたでしょうな」


 唯一、褒められたのが女としての容姿。

 ノエルがなりたいのは立派な騎士であって、女としてはそこそこ優秀な騎士などではない。まして服や装飾品に金を使い、茶を飲みながらぺらぺらお喋りしているような「普通の貴族女性」を護衛するために騎士を目指したりはしていない。

 騎士団に入り、真摯に鍛錬を続けながらもノエルは徐々に腐っていった。性別に捕らわれない意味での立派な騎士を諦め、女としてのそこそこで妥協しようと思うようになっていた。


 リディアーヌ・シルヴェストルに仕える事を命じられたのはそんな時だった。


 八歳にして第三王子リオネルに見初められ、婚約者となった公爵令嬢。父は王国の宰相であり、生母は死後数年経ってなおその美貌が語り継がれる女性。

 何不自由のない生活を送り、自尊心を好き放題に育て上げた我が儘な娘。それが出会う前に抱いていたリディアーヌへの印象だった。

 出会った後は出会う前よりも心証が悪化した。


(なんなの、この女は!?)


 典型的な貴族令嬢。両手で剣を支えることも覚束ない箱入りのお嬢様。

 心の中で侮っていたところ家庭教師との勉強の様子に驚愕させられた。高速で進んでいく授業。形だけ授業をして理解は放り投げているのかと思えば、教師からの質問へ的確な回答がすらすらと出てくる。

 内容自体、四歳年上であるノエルから見てもなかなか難しいと思えるもの。というか、勉強なんて必要最低限しかしなかったので全て答えられる自信は全くない。

 聞けば、リディアーヌは現在十二歳程度の内容を学んでいるという。優秀であることを求められる公爵家の基準で言う十二歳の内容を、だ。

 よくよく見れば立ち居振る舞いもおかしい。十歳の小娘のくせに姿勢が妙に綺麗だし、所作の一つ一つが洗練されている。にもかかわらず気づきにくいのは時と場合に応じて適度に崩しているからだ。顔を合わせたばかりのノエルはどこか親しげなリディアーヌの態度に「礼儀もなっていないのか」と憤慨してしまったが、あれは彼女なりに場を和ませようとしたからだったのか。


(理解はできない。でも、少なくとも私には絶対真似できない)


 公爵令嬢の奇行はこれだけでは終わらない。なんと護衛初日に「剣を教えて欲しい」と言ってきた。

 腕に覚えがあるのかと思えば剣を振った事さえないと言う。馬鹿にしているのかと憤慨しつつ、挑発された仕返しも兼ねて丁寧に負かしてやろうと思えば、八歳の身で身体強化を駆使し力量差を詰めようとしてくる。

 身体能力や経験の差がありすぎて散々な結果には終わったが、ノエルの胸には「思ったよりもずっと楽しかった」という感想が残った。


 リディアーヌは決して「ごく普通の公爵令嬢」などではない。


 子供のくせに驚くほど広い行動範囲、突飛な言動とその裏に垣間見える思慮深さ、専属メイドのアンナに甘える時の妙な子供っぽさ。いい意味でも悪い意味でも目が離せない。護衛に関する報告書もついつい長文になってしまい、上官に笑われてしまった。


「なんだ。随分仲良くやれているようだな」

「別に、仲良くなどしていません」


 仕事は仕事としてきちんとこなしている。その上でリディアーヌを観察しては驚いているだけだ。まあ、思ったよりも悪くない仕事だと思っているのは事実だったが。


(私も、もっと強くなれるのかもしれない)


 小さな身体と乏しい経験で果敢に向かってくるリディアーヌを相手にしていると、忘れかけていた気持ちが湧き上がってきた。

 独特の感性と魔法の才を用いて工夫し、どんどん成長するこの令嬢を参考にすれば今までとは違うやり方も見えてきそうだ。

 気づけば、ノエルは自分の主がリディアーヌで良かったと思うようになっていた。

 護衛を下ろされたくない。もちろん、この面白い少女を失いたくもない。そんな想いから、学園の卒業記念パーティー、そしてその中で起こった事件に望んだ。





「……不覚です」


 戦いの音が止んだホールの一角で、ノエルは左腕を押さえながら息を吐いた。

 見習いの騎士装はボロボロ。左腕には刃物による裂傷ができている。全て、あのメイド姿の暗殺者にやられたものだ。

 リディアーヌから貸与されたチョーカーが無ければ死んでいたかもしれない。

 敵の腕前は明らかに少女を上回っていた。一つの得物にこだわらない変幻自在の戦法は騎士団の制式剣術とはかけ離れたものであり、終始翻弄されっぱなしだった。その一方で、相手の技が基本的に「攪乱して致命打を与える」短期決戦に向いた仕様であったこと(必殺のはずの攻撃を魔道具が防いでくれたこと)によってなんとか殺されずに済んだ。

 あのメイドにはギリギリのところで逃げられた。

 ようやく相手の手札を吐かせきったところだった。もう少し事件の終息が遅ければ──戦いの糸が切れなければ倒せていたかもしれない。しかし、現実には奴は戦いの終わりを察した途端、一目散に逃げを打ってどこかへと消えていった。

 できれば捕らえたかった。


「勢い込んで参加しておきながら一人も倒せなかったなんて」


 自責の念から呟けば、思いがけないところから反応があった。


「《魔女》を倒したのはお前じゃないのか?」


 三番目の兄がこちらへ歩いてきていた。彼も警備に参加していたらしい。装備には多少の傷や汚れがあるものの、大きな怪我はない。向こうもノエルが無事なのを見て騎士らしい荒っぽさのある笑顔を浮かべる。

 安心感のある兄の長身を見て思わず安堵した後で怒ったような声で答えた。


「やったのはリディアーヌ様です」

「ああ、あの方か。戦闘中もわざわざ敵を探して大立ち回りを繰り広げていたな。面白い。いい主に巡り合ったじゃないか」

「……私ではリディアーヌの騎士としては不足です」


 何しろ一人も捕まえられなかったのだ。あらためてそう口に出してみて、自分が手柄に飢えていた事を実感する。リディアーヌの護衛騎士でいるためにはもっと手柄がいる。少なくとも捕縛人数で主に負けているようでは護衛失格だろう。

 肩を落としていると、兄は気絶しているオーレリアを縄で拘束しながら周辺の様子に目をやった。そうして彼が言ったのは、


「必死に戦っていたんだろ。頑張ったじゃないか」

「ですが、逃げられてしまいました」

「お前が全力で戦っても倒せなかったんだろ。それは相手が悪かっただけだ。少なくとも、お前がいなけりゃそいつがリディアーヌ様に向かっていた」


 あのメイドに襲われるリディアーヌを想像する。いくら天才とは言ってもあのレベルの相手には苦しめられるだろう。しかもメイド二人を守りながらでは……。


「お兄様なら倒せていたかもしれません」

「俺じゃあの方の専属になれないし、俺が女だったらこの筋肉は維持できてないっての」


 立ち上がった兄にぽんぽん、と頭を叩かれる。子供扱いしないで欲しいと思ったが、かけられた言葉とあいまって少し涙ぐんでしまった。

 はあ、と息を吐いてオーレリアを見下ろす。

 この女の事は良くわからない。リディアーヌと似た者師弟とする声もあるが、とてもそうは思えない。本音をぽんぽん口にするリディアーヌと徹底的に本音を隠すオーレリアはむしろ真逆の性格だ。

 しかも、気持ちを隠す癖に「構って欲しい」という思いが隠しきれていない。リディアーヌも放っておけずに積極的に構っていくせいで余計な苦労を背負い込んでいる。こんな女のせいで、と、かなり主人に寄った感想を抱いたところで、目の端に紅の色。

 ドレスには汚れや傷があるものの、身体には傷一つないリディアーヌがこちらへと駆け寄ってくる。二人のメイドはかなり疲れた様子だが、こちらも無事だ。


「ノエル、お疲れさま。怪我をしているのね? 治してあげるから見せなさい」

「いえ、この程度でしたら問題ありません。他の負傷者を優先──」

「駄目よ。女の子なんだから、痕が残ったら大変じゃない」


 騎士にとって怪我は勲章のようなもの。どっちみち戦う女を娶ってくれるのは相当な変わり者か同じ騎士だろうが……半ば強引に引き寄せられて温かな光を押し当てられるのは、意外と悪い気分ではなかった。


「あの、リディアーヌ様。何人倒されたのですか?」

「え? えっと……四人かしら。この三倍くらいは倒したかったのだけれど、うまくいかないものね」


 どこの世界に襲撃者を十人以上片付ける令嬢がいるのか。しかも刃がついていないとはいえ剣まで振るって。

 再び自信喪失しながら「敵を取り逃した」事実を告げると、リディアーヌは全く怒ることなく「そう」と頷いた。


「頑張ってくれてありがとう。ノエルが彼女を引き付けてくれたから、わたしが自由に動けたの」

「私が?」

「そうよ。成果を挙げたのだから胸を張りなさい」


 兄と同じ事を当人から言われてしまった。

 誤魔化しなどではなく本心からそう思っているらしい少女に「ありがとうございます」と頭を下げる。柄にもなく涙が出そうになったので、軽く首を振って誤魔化した。

 応急処置はあっという間に完了。軽い消毒と出血がなくなる程度まで傷を塞いだだけらしいが、後は布でも巻いておけばとりあえず問題ない。


「包帯の代わりは……幸い、ここに白い布がたくさんあるわね」


 放置されたテーブルからテーブルクロスを抜き取ってさっさと引き裂いていくリディアーヌ。なんとも豪快だが、本人曰く「いざとなったら弁償すればいいじゃない」とのこと。アンナは頭を抱えているが、合理的な判断であるのも確か。ノエルは主の代わりに包帯づくりを担当してもらえるようアンナに頼んだ。


「騎士に状況を確認してきます」


 情報共有によって王城やその他の場所は襲われていないことがわかった。安堵しながら戻って報告した後、ノエルは応急処置や荷物運びの手伝いを買って出た。

 幸いにも──本当に幸いと言うしかないが、死者は無し。

 女性を中心にパニックになっている人間はいたものの、危機が去ったとわかると徐々に沈静化した。そうして最低限の状況確認と治療が済んだところで、


「とんだパーティーになってしまったわね。せめて少しでも余興の代わりになるといいのだけれど」


 進み出たリディアーヌは、パーティーの参加者や騎士、学園関係者が見守る中で魔法を行使した。

 外がすっかり暗くなり、やや薄暗くなったホールに光が生まれる。少女を取り巻くようにして現れたのは炎でできた蝶の群れだ。

 火の粉の鱗粉を散らしながら蝶達は舞う。

 ひらひらと、ゆらゆらと。触れれば火傷しかねないとわかっていても手を伸ばしたくなるような幻想的な光景。人々の間を踊りながら舞い上がった蝶達はやがて空気へと溶けるようにしてその儚い生涯を終える。


「驚いた。まさかあれをまた目にすることができるとはな」

「父上?」


 いつの間にか隣に立っていた父がふっと笑って教えてくれる。


「リディアーヌ様の母君──アデライド様が得意とされていた魔法だ。私も見たのは一度きりだが、これほど美しい魔法があるのかと感動したものだ」

「ええ、とても美しいです」


 心から頷いた上で、ノエルは一つだけ反論した。


「でも、これはアデライド様の魔法ではありません。リディアーヌ様の魔法です」

「そうか。ああ、その通りだな」


 間違いなく国の歴史に残るであろう大事件。

 歴史書の記述にリディアーヌの名が残るかどうかはわからない。しかし、当事者の一人としてノエルはしっかりと心に刻んだ。

 事件の解決した裏にはリディアーヌ・シルヴェストルの尽力があったことを。そして、ノエル・クラヴィルは護衛として精一杯戦ったという事を。

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