閑話

銀の妖精は麦茶と共にやってきた

「お招きありがとうございます、リディアーヌ様」


 冬の初めへと差し掛かったある日、ヴァイオレット・ルフォールはメイドの他に家の料理人を一人連れて我が家へとやってきた。

 白を基調とした長袖長スカートのドレスが清楚かつ神秘的な銀髪と見事に調和している。カーテシーも様になっており、侯爵令嬢というのは伊達ではないと教えてくれる。これで数か月とはいえ年下なのだから、俺もまだまだ頑張らなくてはならない。


「お忙しい中、わざわざお越しいただいて申し訳ありません。……ですが、正直なところ今日この日を待ちわびておりました」


 何と言っても麦茶である。ウーロン茶相当の青茶も美味しいが、お茶の種類はいくらあっても困らない。しかも麦茶なら自宅で作れるのだ。是非我が家の使用人にも作り方を覚えてもらい、麦茶を常備できるようにしたいところである。

 歓喜の色を隠しきれない、というか隠しきる気がないままに言えば、ヴァイオレットはその瞳をかすかに揺らめかせながら控えめに微笑んだ。


「私もリディアーヌ様にまたお会いしたいと思っておりました」


 ひょっとすると欲望丸出しすぎて呆れられたのだろうか。頭の回る貴族令嬢なら「よっぽど麦茶が飲みたかったのですね」とか言わない。本当に言いたいことを堪えて当たり障りのない言葉に切り替えられるとか、ヴァイオレットは俺より一枚も二枚も上手なのかもしれない。


『っていうか浮かれすぎじゃないの、わたし?』


 そう言われても楽しいのだから仕方ない。ヴァイオレットはどうやらオーレリアおよび新型魔道具、純血派関係の話に関わっていない。気を張って情報収集しなくても問題ないし、何より麦茶である。


『いや、この子の見た目にもやられてるでしょ、絶対』


 それに関してはないとは言えない。何しろヴァイオレットは絶世の美少女だ。

 俺だって客観的な美貌では負けていないつもりだが、自慢である髪と瞳はいかにも気が強そうに見えるので見る人を選ぶ。その上、実際に気が強いと来ているのだから「可愛いけど女の子としてはちょっと……」となる。

 義妹のシャルロットもいかにも貴族令嬢といった可憐な容姿に大人しそうな物腰とポイントが高いが、ヴァイオレットはそこに儚げで神秘的な雰囲気まで加わる。

 前世で女にさんざんな目に遭わされてきた俺だが、だからといって同性愛に走るところまではいかなかった。可愛い女の子は大好きだし、対立することなくその姿を眺めている分には可愛い女の子というのは最強の生き物だ。

 可愛いからこそ裏切られた時に辛いのだが。


「……それから、先日は『お願い』を聞いていただきありがとうございました」


 距離を詰めて囁くように言えば、少女もまた声をひそめて応じてくれる。


「大した事ではありません。祖父へ一通手紙を書いただけですから」


 実は、ヴァイオレットの祖父は。その祖父が可愛い孫娘から「卒業式に友人を呼んで欲しい」と頼まれたらどうなるか。さほど無理のない人選であれば応じてくれるだろう。つまりそういうことである。

 俺たちは不思議そうにする使用人たちをよそに距離を戻して、


「では、リディアーヌ様。麦茶の作り方は使用人を通じてお伝えいたします」

「ありがとうございます。エマ、お客様を案内してくれるかしら?」

「かしこまりました。……では、こちらへどうぞ」


 メイドが二人と料理人が一人、エマに案内されて厨房の方へと移動していく。

 残ったのはヴァイオレットと、その専属であろう一人のメイドだ。


「終わるまで、わたしたちはのんびり待つといたしましょうか。ヴァイオレットさま? わたしの部屋へご案内してもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんです。よろしくお願いいたします」


 ヴァイオレットを屋敷内へ招き入れると、玄関でセレスティーヌが待っていた。


「お久しぶりですね、ヴァイオレット様。この度はリディアーヌの我が儘に付き合わせてしまい、申し訳ありません」

「ご無沙汰しております、セレスティーヌ様。とんでもございません。私の方からお願いしたようなものですので、どうかお気遣いなく」


 短い挨拶の後、養母はすぐに俺たちを見送ってくれた。

 さすが、モレ伯爵夫妻のようにみっともないことはしない。本人が同席せずとも要件を満たせるようになっているのか。

 今日も俺の傍にはアンナとエマがいる。専属であり一年以上の付き合いになるアンナならある程度は庇ってくれるだろうが、あくまで家に仕えているだけのエマは尋ねられれば一部始終を答えるだろう。

 それはそれで構わない。

 やましいことをする気はないし、エマならば報告に嘘や誇張を混ぜはしない。


「私の母とセレスティーヌ様は旧知の間柄で、時々一緒にお茶をしていらっしゃるのですよ」

「そうだったのですね。では、ヴァイオレットさまも養母ははと面識が?」

「はい。何度かお話をさせていただいた事がございます」


 相変わらず広く入り組んでいる公爵家の廊下を歩きながら雑談に興じる。

 ヴァイオレットは内装や調度に時折目をやりつつも姿勢を崩していない。これも、気にしていないわけではなく「さりげなく観察」されているはずだ。俺は人の家に行った時、割ときょろきょろ見てしまう。もちろん、仕草としては上品になるよう心掛けているが。


「お話ですか。わたしの悪口を言っていたのではありませんか?」

「? いいえ。セレスティーヌ様は『公爵家の名に恥じない立派な娘に育った』とリディアーヌ様を褒めていらっしゃいました」

『は? なにそれ? 別の人の話じゃなくて?』


 予想外すぎるフレーズに声まで出そうになった。

 しかし、考えてみるとおかしくはない。身内なのだから対外的には褒める。敢えて貶めるのは褒め過ぎにならないようバランスを取ったり、実態とはズレた印象を与えたい時など限られた状況だけでいいのだ。

 俺だって改心してからは結構頑張ってきた。それなのに「あの子はだめだ」とか外へ言いふらされたら『あっそう。じゃあ今度は能動的に反抗期へ突入しようかしら?』となる。


「厳しい養母が褒めてくださっているとは少々意外ですが、そうとわかればより一層精進しなくてはいけませんね」


 俺の私室へ到着すると向かい合って席につく。

 すぐにお茶の用意が行われ、湯気の立つ紅茶が供される。本日のお茶請けはチーズケーキ、皿へこんもり盛られた干しぶどう、一口サイズのポテトコロッケの三種類である。コロッケはまだ温かく、手を使わず食べられるようにピックが付属している。

 いくら公爵家が裕福と言っても今回のおやつはかなり豪華だ。ケーキなんてホールで用意されていて「好きなだけ切り分けます」という態勢だった。こんなの絶対太るだろうと思いつつ八分の一くらいだけ皿へ載せてもらうと、ヴァイオレットも同じようにした。


「わたしはあまり太りたくないだけですので、お好きなだけ召し上がっていいのですよ?」

「ありがとうございます。私はあまり食が太くないもので、ケーキを食べすぎては他のお茶請けが食べられなくなってしまうのです」

「色々な物を少しずついただくのも楽しいですものね」


 前世でもバイキングとかかなりテンションが上がった。幸いというか、あの手の食事形式はパーティーでよく採用されるため今世では出会う機会が多い。あまり食べ過ぎるとドレスがきつくなったりするので注意が必要だが、今はまだコルセットでないだけマシ。

 つくづくあの悪魔のアイテムだけは流行から排除したい。

 メイドによる毒見を挟みつつ飲み物と食べ物へ口をつけて、ひと息。


「リディアーヌ様のお部屋は落ち着いた雰囲気なのですね」


 室内を見渡したヴァイオレットが思わず、といった様子で言葉をこぼした。


「わたしの生母──アデライドが設えてくだったものなのです。セレスティーヌさまの好みからは外れていますので不思議に思えるかもしれません」

「アデライド様は赤と黒を好んでいらしたと伺ったことがあります」

「ええ」


 微笑んで頷きながら、不思議な人だったとあらためて思う。

 存命だった頃は俺も小さかったのであまり気にしていなかったが、小さい子供、しかも女の子の部屋を整えるのに敢えて黒を選んだのはなかなか気合いが入っている。王家が尊ぶ色という意味でも白ベースに金装飾とした方が無難だろうに。

 学園の制服が黒であるように、俺の魔法の才を考慮した願掛け的な意味だったのか。それとも単に好きな色を貫き通した頑固者だったのか。火属性らしい性格はそういうところに現れていたのかもしれない。


「わたしもこの部屋は好んでおります。女らしくない、などと言われてしまうのはそのせいかもしれませんが」

「いいえ、私は、リディアーヌ様はとても女性らしい方だと思います」


 ヴァイオレットの美しい瞳にまた吸い込まれそうになる。光の加減なのか、彼女の瞳は時折色合いが変わって見える。それがまた不思議で、ついいつまでも見えていたくなる。

 無言でじっと見つめてしまってから、俺は少女がほんのり頬を染めていることに気づいた。


「あの、申し訳ありません。わたしのことばかりお話してしまいまして」


 すると、ヴァイオレットはくすりと控えめに笑みをこぼして、


「構いません。むしろ、もっと聞かせてください。リディアーヌ様のお話が聞きたいです」

「そうですか? それでは……」


 俺は自分のことを話すのが得意ではない。何を話していいかわからない、というか、調子に乗るとどうでもいいことをぺらぺらと喋り続けてしまうからだ。

 せめて自慢話にはならないように気を付けながら話し始めると、思ったよりもスムーズに話が運んだ。もちろん、俺の話術が急に上がったわけではなく、ヴァイオレットが聞き上手だったからだ。

 少女は適度に相槌を打ち、問いを投げかけながら俺の話に瞳を輝かせ、感嘆の息を漏らした。くすくすと笑ったり不思議そうに首を傾げたり、控えめな仕草は一環しているのにころころと表情が変わって面白い。


「……どうして、ヴァイオレットさまのことを一年も知らなかったのでしょう」


 データとして知らなかったわけではない。ただ、これだけ印象的な少女のことをまともに認識していなかったのはかなり不思議だ。

 すると、少女はじっと俺を見つめて、


「それは、私がリディアーヌ様の注意を惹かないようにしていたからです」

「注意を?」


 目立たない様にしていた、ということだろうか。

 俺の思考を読み取ったかのようにこくん、と首肯が返ってきて、


「私はずっと、リディアーヌ様の事を見ていました。その上で、リディアーヌ様に見つからないように振る舞っていました」

「どうして?」

「見ているだけで十分だと思ったからです。直接お話をしてしまうと、私の行動でリディアーヌ様の表情が変わってしまいますから」


 わかるようなわからないような話。

 野鳥や野良猫を見守るような感じ、あるいは精巧な細工物を鑑賞するな感じだろうか。触れたら均衡が崩れたり、あるいは傷つけてしまうかもしれないから、ただ自分が影響を与えない範囲から見守り続ける。

 しかし、そんなヴァイオレットは今、俺に接触している。


「あのお茶会でお会いしたからですか?」

「はい」


 小さく頷く仕草も可愛らしい。


「一度、直接お会いしてしまったら、またお会いしたくなってしまいました。自分の気持ちさえままならない弱い自分が悔しいです」

「……その、少し照れてしまいますね」


 妖精のような容姿と声で言われるとすんなり心に響いてどうしようもなくなる。

 思えば口説き文句(のような台詞)を俺に言ってくれるのは女子ばかりのような気がする。なお、リオネルのあれは口説き文句とは認めないものとする。

 今度は自分の頬が赤くなるのを感じながら俺は話題を方向転換した。


「ヴァイオレット様。麦茶の製法を教えていただいたお礼をしたいのですが、なにかご希望はございますか? なにしろ製法ですから、ドレスでも装飾品でも、大抵の品はご用意させていただくつもりなのですが」


 すると、ヴァイオレットは一瞬目を瞬かせて、


「……リディアーヌ様のドレス」

「え?」

「いえ。その、モレ家のサラ様がリディアーヌ様のお下がりをいただいた、という話を耳にしまして。私も彼女のように親しいお付き合いをさせていただきたいと」


 どうやら俺と友達になりたい、ということらしい。

 それはもちろん大歓迎だが、


「わたし、派閥の運営には疎いもので、お友だち同士のお付き合い……ということになってしまうかと思いますが、それでもよろしいでしょうか?」


 これには意外なことに嬉しそうな微笑が返ってきた。


「ええ、もちろんです。リディアーヌ様がそういう方だということはよく存じておりますので」

「ありがとうございます」


 友達が一人増えてしまった。彼女とは仲良くしたいところだったので、俺としてもとても嬉しい。しかし、これではなんのお礼にもならないのでなにか別に贈り物をしたいところだ。どうせなら親しい友人みんなになにかお揃いの小物でも贈ろうか。


「リディアーヌ」


 考えていたところに、するりとごく普通の、しかし特別な言葉が滑り込んできて。


「駄目?」


 恥ずかしそうな上目遣いで見つめられた俺は、すぐさま首を横に振っていた。


「駄目なわけないわ。これからよろしくね、ヴァイオレット」

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