魔女の秘密部屋 2
「リディアーヌ様。大丈夫だったんですよね? 何もされていませんよね?」
「大丈夫よ、アンナ。この通りぴんぴんしてるし、わたしに心の魔法はほぼ効かないもの」
地下室を出てアンナと合流した俺はすぐに学園を後にした。
二人っきりの部屋で何があったのかを話せるようになったのは屋敷の自室にたどり着いてから。それでも話せるのはごく限られた内容だけだった。
「オーレリアさまとは話をしただけ。まあ、その内容が重すぎたんだけど……重すぎて、アンナにも迂闊に話せないの」
「そ、そんなに重要な話だったんですか……!?」
「ええ。下手に知ってしまったら命を狙われかねないくらいに」
「リディアーヌ様。旦那様に相談しましょう……!」
「……それしかないかしらね」
オーレリア・グラニエは秘密を教えるだけ教えて口封じもしてこなかった。何を企んでいるのか全くわからない。場合によっては俺が誰かに相談することそのものが目的とも考えられるが、だとしても、誰にも言わずにのほほんと暮らしていられるほど軽い情報ではない。
誰に言うのが一番得策か。
本音を言えば誰が相手でも怖い。あれを知っている人間が増えれば増えるほど、あれを悪用しようとする人間が生まれかねないからだ。
『わたしにとっては国家転覆に使われるのも、他国との戦争に使われるのも同じだわ。だったら国王陛下だって信用できないじゃない』
だとしても、リオネルの婚約者という立場上、知っていて何もしないわけにはいかない。王族入りを予約しているような身の上なわけで、下手な情報秘匿は反逆と見做されかねない。
なら、一番適切な相談相手は父だろう。
国王に直談判なんてそうそうできないし、セレスティーヌは何を考えているのかわからないので話を振りたくない。リオネルに伝えてどうなるとも思えないし、他の王族に接触するのもリスクが高すぎる。
「アンナ。お父さまに面会依頼を取ってちょうだい」
「かしこまりました」
幸い、親馬鹿な父はその日のうちに二人きりの時間を作ってくれた。
「お父さま。とても大事な話なの。人払いをしてもらえないかしら」
「……本気のようだな。仕方あるまい。お前達、部屋の外へ出ていろ」
「なりません! 万が一があったらどうします!」
毎度のことだが、貴族の言う二人きりとは通常「使用人や護衛を除けば」という意味である。家長である父には執事やメイドが付いているのが普通だし、宰相という身分上、騎士の護衛が付いていることも多い。今日もそういう日だった。
彼らにしても俺が父親殺しを企むとは思っていないだろうが、親子喧嘩からついかっとなってとか、タイミング悪く賊が侵入して、という可能性はある。
俺は頷き、代案として一つの魔法を行使する。
「じゃあ、これならどうかしら」
テーブル越しに向かい合った俺と父の周りに不可視の空気の壁が形成。その壁は空気の循環を繰り返しており、内外を音的な意味でシャットアウトする。なお、イメージしたのはエアコンや扇風機の使用イメージ図である。
これなら使用人が部屋の中にいても内緒話ができる。思ったより魔力を食うのであまり多用はしたくないが……。
「ほう、リディはこんな事までできるようになったのか。オーレリア・グラニエには感謝した方がいいのかもしれぬ」
「残念だけど、お父さま。そのオーレリアさまに関するお話なの」
「……聞こう」
俺は地下室で見た物について語った。
話が進むにつれて父の表情は険しくなり、ついには顎に手を当て渋面を作るまでになった。使用人たちは主人の様子が気になる様子を見せながらも大人しく様子を見守っている。
語り終えたところで俺は息を吐いて、
「……以上。もちろん、あの方があれを王家に供するというのであれば、わたしには何も言えないのだけれど」
「その割には浮かない顔だな、リディ」
「それは、まあ。わたしの命が狙われる分にはわたしが強くなればいいでしょう? でも、戦争はわたしにはどうしようもない」
女である俺にとって戦争とは「過去の歴史」に過ぎない。
自分が参加するどころか、指揮や作戦立案という形で関わることさえないというのが前提だ。しかし、それでもある程度の話は聞いている。
今まで行われてきた戦争は参戦する貴族の数と質が戦況を大きく左右してきた。魔法の力を持つ貴族は一騎当千とまではいかないにせよ、一般兵の十や二十は軽く蹴散らせるからだ。これでも十分凄い話だが、これはまだ個人がその能力によって活躍する戦いである。
しかし、兵器が普及すればこの前提が崩れる。
俺がそれを示唆すると父は優しい顔になって俺の頭を撫でた。
「やはり、リディは優しい子だな」
「そんなこと。わたしはきっと、それしかないと思ったら躊躇なく人を殺すわ」
結局のところ人の死が怖いだけ。自分の手で、意思を持って殺すならまだしも、自分の判断で大勢が死ぬなんていうのは想像するだけで恐ろしい。
俺の返答に父は曖昧な笑みを浮かべてから、表情を引き締めた。
「まず確認しよう。オーレリア・グラニエがそのような発明をしているという証拠はあるのか?」
「いいえ。発明品を持ち出すとなれば、さすがに咎められただろうから……」
並の相手ならともかくオーレリアと戦うのは分が悪すぎる。魔力量でも経験でも地の利でも上回られている状況で喧嘩を売るのは自殺行為だ。
ただ、そのせいで証拠と言えるのは俺の証言だけになってしまった。
「忍び込むなりして証拠を持ってきた方がいいかしら?」
「いや。部屋の主に招かれるのと無断で侵入するのとでは意味が全く異なる。今回のようにすんなり侵入できるとは思わない方がいい」
「……そうね。何しろ魔法と魔道具に精通した天才が相手だもの」
魔法や魔道具によるセキュリティは持続時間という弱点があるが、オーレリアの開発した新型魔石はまさにその弱点を補うものだ。許可のない侵入者を問答無用で焼き殺す仕掛けなどがあっても不思議はない。
「じゃあ、このまま放置しておくの?」
「それも駄目だ。……新型魔石や魔法封じの魔道具について、少なくとも私は初めて耳にした。最低でも陛下には確認を取らねばならない」
「お父さまが知らないのなら王家の依頼ではない、ということかしら」
「さあな。国の中枢部とて完全な一枚岩ではない。国として依頼していないとしても、何らかの思惑が絡んでいる可能性はある」
オーレリアの後見人は宮廷魔法士長。まずは試作品を作らせ、それをこれから売り込む算段ということも考えられる。もちろん依頼人は別かもしれないし、目的は国王に取り入ることではなく現政権を壊すことかもしれない。
「オーレリアさまは卒業を気にしていたわ。進路と関係があるのかしら」
「あれは宮廷魔法士に加わることが決定している。となれば……いや。決めつけるのは早計だな」
それから父は俺に、しばらくの間オーレリアのところへ行かないように命じてきた。
「わかったわ。オーレリアさまからも『来なくていい』と言われているし、どうせ行っても魔石や魔道具作りを手伝わされていただけだもの」
「明らかに子供の勉強ですることではないが……ならば魔法はどうやって習ったのだ」
「お手本を幾つか見せられたら後は自主練だったけれど?」
「意味が分からん」
和んだというかなんというか、とりあえず空気が多少弛緩した。後は任せろと父は請け負ってくれる。歯がゆいが、さすがに彼が悪人だとは思えないし、国王の耳へ入れずに解決するのも無理だろう。
オーレリアがこれからどうなるかは未知数だという。
地下室を見せろと言って素直に応じるかわからないし、かといって騎士団を動員することになれば要らない騒動を引き起こすかもしれない。依頼人が誰かもわからない以上、下手な人物に対応を任せれば逆効果にもなりかねない。慎重な対応が必要になる。
「あまり気に病むなよ、リディアーヌ。向こうから手の内を明かしてきたのだ。今から手をこまねいても手遅れなのかもしれぬ」
「……そうね。どうしても考えてしまいそうではあるけれど」
最後に、俺はひとつの質問を父へ投げかけた。
「ねえ、お父さま。国家転覆が目的だと仮定して、一番やりそうな勢力はどこかしら?」
「リディがそこまで知る必要はない。お前にはもっとのびのびと育って欲しいのだ」
俺の髪を撫でる父の手にも、声にも、底知れない慈愛が確かに籠もっていた。
「じゃあ、オーレリアさまについてはひとまず安心なんですね」
「だといいのだけれど、ね」
部屋に戻ってきた俺は、不安そうなアンナに父へ相談したこと、父がその後の対応を請け負ってくれたことだけを伝えた。
ぱっと表情を輝かせるアンナだったが、人任せにするだけという状況が俺としてはどうにも落ち着かない。
俺では行動範囲も、いざと言う時に振るえる権力も限られるのだから仕方ないのだが、せめてもう少し何かできることはないものか。
「そもそも、状況が不透明すぎるのよ」
発端はあの手紙。
同時期に急に手の内を明かしてきたオーレリア。それぞれが何をどう動かそうとしているのか、考えれば考えるほど可能性が増えてきて頭が混乱する。いっそのことあの手紙もオーレリアの仕業で、全部俺をからかうためのドッキリでした、とかだったら楽なのだが。
『何言っているの? そんなこと言われたらいくら師匠でも丸焼きの刑よ!』
いや、何事もなく済むんならその方がいいだろう。丸焼きにはしたいけど。
「あー、もう。だからわたし、こういうのは苦手なのよ!」
「苦手な方はそんなにあれこれ考えたりしないと思いますけど」
「仕方ないじゃない。貴族社会って複雑すぎるんだもの」
付き合っているのが主に子供世代だけ、しかもできる限り付き合う相手を限定してもなおこの有様である。セレスティーヌなんかは一体どうやって立ち回っているのか理解不能だ。あの女と俺はそもそも根本から別の生き物なのではないかとさえ思ってしまう。
「……あの手紙、か」
椅子の背もたれにぐっと体重を預け、天井を見上げながらふと呟く。
「リディアーヌ様。そういえば、手紙の件は?」
「お父さまには言ってないわ。文字が消えてしまったから、それこそ証拠がないしね」
実を言うと、手紙の方にはまだ手がかりがある。
手紙に使われていた封蝋に特徴があったからだ。とある家の紋章。差出人の記載こそなかったが、普通に考えればその家の誰かが送ってきたということになる。
「ねえ、アンナ。たしかバルト家から招待状が届いていたわよね?」
「バルト家ですか? はい、次期当主フレデリク様の奥様であるミレーヌ様より、珍しいお茶を持ち寄る会のお誘いが──まさか、リディアーヌ様、参加されるおつもりですか!?」
アンナが慌てたのには理由がある。
ミレーヌ・バルト。彼女と俺には少々因縁がある。ジゼルが取り調べ中に自白した例の薬の調達元が他でもないミレーヌだったのだ。
バルト家の領地は植物の栽培に力を入れているらしく、薬関係の伝手が多い。そのため「薬を分けて欲しい」と頼まれることも多いようで、ジゼルへの対応もその一環だったという話。
『確かに解熱剤を手配いたしましたし、濃縮の方法についても請われて教えました。ですが、彼女から頼まれたのは毒ではなく薬ですし、何に使うつもりなのか詳しく尋ねませんでした。風邪で仕事を休まないために使う、といった平和的な利用法も十分に考えられますでしょう?』
騎士団の取り調べに対してミレーヌはそんな風に答えたそうだ。実際、解熱剤自体は「医者に頼めば処方してもらえる」程度の代物なので言い訳としては不自然ではない。あの夜、やってきたジゼルを追い返したという話もあるが、これも「馬鹿な真似をするなと諫めたつもり」だと言われてしまえば罪になるほどのものでもない。
しかし、ジゼルを間接的に唆していた可能性は十分にある。
なにしろ、ミレーヌは学園時代にジゼルの所属していた派閥の長をしていた人物なのだから。
「ええ、そのまさかよ。もちろん、お父さまへ相談してからにするけれど、このタイミングで送られてきた招待状よ。なにか意味がありそうでしょう?」
俺が青茶を定期購入しているのは別に秘密でもないので簡単にわかる。招待する口実としては妥当だろう。
「大丈夫。もしお茶に毒が盛られていてもわたしが治してあげるから」
「いえ、あの、できれば盛られる前になんとかして欲しいんですが……」
毒耐性を得る魔法を練習しているが魔力量もあってまだまだ十分とは言えないアンナ。彼女用の特訓メニューを増やすことを俺は真剣に検討し始めた。
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