公爵令嬢の専属騎士

「リディアーヌに騎士が付く事になった」


 朝食の席にて父がそう宣言したのは、地下室の件があってから三日後のことだった。

 俺が相談した件もあってか父はこのところ毎日帰りが遅い。いろいろやることがあるのだろうと思っていたものの、思った以上に色々対応してくれていたらしい。

 この宣言にシャルロットがコンソメスープを飲む手を止め、エメラルドのような瞳を煌めかせた。


「お姉様の専属騎士ということですか?」

「ああ、そうだ。と、言っても見習い騎士だが、いるのといないのとでは大違いだろう」

「凄いです。見習いの方でも、騎士様に守って頂けるなんて」


 羨ましい、という視線を送ってくる義妹に、俺は苦笑交じりの笑みを返した。

 この国における騎士とは国に忠誠を誓い、騎士団に所属する戦闘技能者のことだ。軍人と警察を足して二で割ったような役割を持っていて、戦時は軍の中核を担い、平時には街の治安維持や要人護衛などを担っている。

 騎士は君主──つまり国王の剣であるため、彼らが特定個人に仕えるには王の許可が必要になる。専属の騎士を持つことが許されるのはほぼ例外なく国の要人。高位貴族だからと言って簡単につけてもらえるものではない。


「リオネル殿下との婚約から一年以上が経った。国王陛下、妃殿下、ならびにリオネル殿下からの覚えもめでたい。将来の王族入りを見越して今から護衛を付けておこうという判断だ」

「父上。それにしてもこの早さは異例に思えますが……」


 次いで疑問を投げかけたのはアラン。隣に座った俺へと投げかけられる視線には不安の色がある。心配ない、という意味をこめてにこりと微笑めば「本当かい?」とでも言うようにむしろ圧が強くなる。

 父はアランに向けて深く頷き、


「リディの行動範囲を考慮して決定した。入学年齢の遥か以前から学園へ出入りしているため、貴族の目に触れる機会が多い。悪意の手を排するためにも必要な措置だろう。私としてはむしろ前々から打診していたくらいだ」

「見習い一人程度では戦力として不安ですけれど」


 どこを見るでもなく、ゆっくりと食事を続けながらセレスティーヌ。


「うむ。欲を言えば正規騎士を付けたかったが……女性騎士は絶対数が少ないからな。リディの年齢を考えれば長く仕えられる若手の採用が適当ということになった」

「あ……。お姉様には女性の騎士が付くのですね?」

「着替えや花摘みの際、傍に控えられないようでは護衛として不足ですからね」


 アンナの魔力がもっと多ければ護衛としても頼りにできたかもしれない。その場合は男性騎士という選択肢もありえただろうが、まあ、護衛対象と同性の騎士を使う方がいろいろと無難である。

 俺はくすりと笑って、


「逞しい騎士さまに守っていただく。物語の登場人物になったようで楽しそうではあるけれど、特定の殿方と近しい関係になってはリオネルさまに嫉妬されてしまいそうだわ」

「うう……お姉様は意地悪です」

「あの殿下は嫉妬するほどリディに興味はないだろう」


 イケメン騎士を想像していたらしいシャルロットをからかっていたら兄が不機嫌になってしまった。

 アランは将来の宰相就任を見越して定期的に王族と交流を持っている。その中には当然リオネルも含まれているのだが、単純お気楽王子様と思慮深いアランではあまり馬が合わないらしい。俺がリオネルを褒めたりするとだいたいこんな感じである。

 俺は強いて明るい声を出し話題を逸らす。


「それで、お父さま? どのような方が付いてくださるのかしら」

「ああ。ノエル・クラヴィル。十四歳の伯爵令嬢だ。赤紫の髪とラベンダーのような瞳を持った美しい娘らしい。属性は火だからリディとも仲良くやれるだろう」

「火属性、ですか」

「む? 何か問題があるのか?」

「いえ。火属性の持ち主は苛烈な性格の方が多いのでしょう? 他者と仲良くするのは苦手なのではないか、と」


 特に間違ったことは言っていないはずなのに、セレスティーヌとアンナから「お前が言うな」という目で見られた。





「お初にお目にかかります。ノエル・クラヴィルと申します。今後、お傍に控えさせていただくことをどうかお許しいただけますよう」


 朝食の席で父に了解の意を示したところ、翌日の朝食後にはもう騎士が派遣されてきた。

 聞いていた通り、ノエルは騎士というより令嬢と言う方がしっくりくる可憐な少女だった。高めの身長と短く切り揃えた髪のお陰で凛々しい印象もある。ドレスや騎士装はもちろん、スリムな体型なので男装をしても似合いそうだ。

 クラヴィル家は確か、代々騎士を輩出していることで有名な家だ。騎士団の現副団長はノエルの父親、クラヴィル家の当主が務めている。

 彼女が騎士の道を選んだのもお家柄なのだろうか。手袋に包まれた指をそっと眺めると、女性にしてはしっかりと太いのがわかった。指の腹も硬くなっているだろう。身体だって無骨ではないものの引き締まっていて、男性からの評価は分かれそうだ。

 なるほど、剣を振るっているとこうなるのか。


「初めまして、リディアーヌ・シルヴェストルよ。騎士さまに守ってもらえるなんて身に余る光栄だわ。急な話で申し訳ないけれど、よろしくお願いね」

「はっ。誠心誠意、お守りさせていただきます」


 父によると、ノエルに敬語は不要らしい。

 騎士もまた貴族なので一概に「守られる側が偉い」というわけではない。家柄の差も適用されるし騎士の階級も考慮する必要があるが、子供が大人へ、女が男へ対する時などはなるべく敬意を払った方が良いとされる。

 ただ、俺とノエルに関しては王族入りの内定した公爵令嬢と伯爵家出身の見習い騎士なので、俺の方が立場的に上となる。

 挨拶の後は誓約の儀式。

 剣を受け取って肩をとん、とん、と叩くアレ──叙勲の儀と同じ形式だが、これはノエルの忠誠が国王から俺に移す儀式ではない。国への貢献という第一の目的に反しない限りにおいて俺に忠誠を誓うという意味合いのものだ。

 まだ成長期は終わっていないものの、ノエルの身長は成人女性並。彼女の剣を受け取るとずっしり重く、一瞬ふらつきそうになった。しっかりと足に力を入れ、無事に達成。


「今後の予定について、あなたはなにか指示を受けているのかしら?」

「リディアーヌ様からの要請があった際は護衛につき、それ以外の日については騎士団にて通常の活動に参加するように、とのことです」


 午前中の授業開始を待つ間に確認事項を済ませてしまおう。そう思ってさらに話しかける。

 椅子に腰かけた俺に対し、ノエルは立ったまま答える。


「私は護衛です。緊急時にすぐ対応するためにも座るわけにはいきません」


 アンナたちメイドもそうだが、立っている人がいるのに自分だけ座っているとなんだか申し訳ないような気持ちになる。『だから、そういうものだって言ってるでしょ。いい加減慣れなさい!』。

 それはともかく。

 相談の結果、ノエルには外出する時や大事な来客のある時を中心に週二、三回程度務めてもらうことになった。見習いの彼女には実務経験だけでなく訓練の時間も大事になるので「週五フルタイムでお願いね」などとはさすがに言えない。


「では、リディアーヌ様の普段のご予定について説明します」

「ええ、お願い」


 俺のスケジュールは八歳時点に比べるとかなり流動的になっている。

 リオネルとの交流や他貴族との社交がたびたび入るからだ。相手方の予定もあるので全部休日に入れられるわけもなく、家庭教師の日程の方を臨機応変にズラして対応している。

 特に予定のない平日については午前一コマ、午後二コマの授業を受ける形で変わらない。空いた時間は本を読んだり、魔法やチェスの練習をしたりして過ごす。十分な睡眠をとるため夜は早めに寝るよう心掛けているものの、夜中の自由時間も欠かせない自習タイムだ。

 普通の日に外へ出るのは庭を散歩する程度。屋内で使いづらい魔法についてはついでにこの時練習することが多い。


「屋敷内は後ほど案内いたします。ここまでで何か質問はございますか?」

「質問。……そうですね。訓練の時間はないのですか?」

「身体を鍛える時間、ということよね? 残念ながら、筋肉が付くと見栄えが悪くなるからって養母から禁じられているの」

「なるほど」


 だからか、と言いたげな視線が俺の身体に突き刺さった。

 病み上がりの頃よりはマシになったものの、十歳の平均よりは細い身体つきをしている。母アデライドからの遺伝もあるかもしれないが、


「リディアーヌ様は果汁よりもお茶を好まれますし、砂糖の取りすぎにも気を付けていらっしゃるのでなかなか太らないんですよね」

「だって、体型を維持するのは大変なのよ? 日頃から気を付けていないと太る時は一瞬なんだから」


 前世ではカロリーなんて碌に気にしていなかったのでほとんど聞きかじりだが、せっかくの美貌を壊さないために可能な限りの努力はしている。

 特に「お飲み物です」と言って普通に出てくる果実の搾り汁ジュースは危険だ。新鮮な上に果汁たっぷりでついつい飲みたくなってしまう。太らない飲み物という意味でストレートの紅茶や青茶は俺の強い味方だ。

 と、身内の話になりかけたのを苦笑で中断して、


「騎士を目指しているノエルとは全然違う生活でしょう?」

「そうですね。リディアーヌ様は私とは全く違う生活をしていらっしゃいます」


 おっと。

 思ったよりも素直な返答がきた。ノエルにとっても急な話だっただろうし、あまりいい感情を持ってくれていないのか。単に歯に衣着せない性格なのか。それとも。

 しばらくは要観察だと胸に刻みつつ、俺は午前中の授業時間を迎えた。





「少し時間が余ったわね」


 授業は予定時間よりも早く終わることが多くなった。

 教える側にも準備がある。俺が教わったところをさっさと覚えてしまうので教材が足りなくなったり、あるいは教師が喋り疲れてしまったりするせいだ。

 しかし、お陰で「さくっと進めてさくっと終わる」という授業体制が構築されつつあり、受ける側としては快適である。何しろ空いた時間で他のことができる。


「お疲れ様でした、リディアーヌ様」

「ありがとう。アンナもノエルの案内、お疲れさま」

「とんでもありません」


 アンナには授業時間を利用してノエルの案内をしてもらった(その間の傍仕えはエマに頼んだ)。広い上に部屋数も多いので一度で覚えきるのは難しいだろうが、基本的には俺やアンナが一緒だし、これから長い付き合いになるのであればそのうち覚える。

 ……いくら騎士とはいえ、屋敷の全体像を見せるのだからノエルの身元確認はしっかりされているはずだが。


「ねえ、ノエル。あなたのことをもう少し聞かせてくれないかしら?」


 アンナにお茶を淹れてもらい、俺は少女騎士にそう問いかけた。


「はい。お答えできることでしたら」


 畏まった口調で応じたノエルは、言葉通りたいていの質問には素直に答えてくれた。

 四人兄妹の末っ子で上は全員男子。兄たちもみんな騎士を目指していたので彼女も自然と騎士の道を志したらしい。

 女子で見習いから騎士になる者は極めて珍しい。男子でさえ見習いの大半は例の口減らしによる入団なので、ノエルは相当気合いが入っている。


「騎士団は男性中心でしょう? そこに見習いとして入るのは抵抗がなかった?」

「我が家はもともと男系でしたから、あまり気になりませんでした。むしろドレスを着て結婚のために自分を磨く方が苦痛だったかもしれません」

「あら。結婚は嫌?」

「いずれはすることになると思いますが、私は剣を振っている方が好きなので。結婚するためだけに生きたいとは思いません」

「わかるわ」

「リディアーヌ様?」


 思わず口に出してしまったら、アンナからジト目で睨まれた。うん、王子の婚約者が「結婚に魅力を感じていません」とか失言だった。


「でも、アンナ? 女の価値が結婚相手で決まるとしても、人としての価値はそれだけで決まらないでしょう?」

「はい。確かにそれはそうですけど……」

「わたしだってリオネルさまと結婚して子供を産む済ませる気はないわ。妻として夫を支えるのでもいいし、公爵家の発展に貢献するのでもいいけれど、わたしでなければできなかったことをなにかしないとつまらない」


 国内の悪役令嬢を一人でも多く倒すのもやりたいことの一つだ。

 だから、ノエルが他人に昏い感情を向けてくるようなタイプなら最悪、叩き潰すことになる。


「……リディアーヌ様は『素敵な結婚』を目指していらっしゃるのではないのですか?」


 どうなるかと思いながら返答を待っていると、ノエルはぽかんとした表情で呟いた。


「細くて、儚げで、可愛らしいお嬢様なのに。お家のために働く覚悟を?」

「わたしって儚げに見えるのかしら? ……いえ、それはいいのだけれど。そうよ。なにも家のためにできることは結婚だけじゃないでしょう? もっとも、男に囲まれて騎士を頑張っているあなたには敵わないけれど」


 答えはなかなか返ってこなかった。

 なにかを考えるに立ち尽くすノエルに、俺は笑って言った。


「そうだ。ねえ、ノエル? わたしに剣術を教えてくれないかしら?」

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