第二章:魔女と魔女の弟子
《紅蓮の魔女》と呼ばれる少女
「リディアーヌ・シルヴェストル様ですね。お越しになられたらお渡しするようにとお手紙をお預かりしております」
「そう。ありがとう」
学園の門番から手渡されたのは一通の白い封筒。
進み出たアンナが手袋を嵌めた手で受け取り、表裏をしっかりと確かめる。差出人の記載はなし。封蝋も特徴のないありふれたもの。
確認後、両手で差し出されたそれに対し、俺はぱちんと指を鳴らす。
すると、封筒だけが真ん中から裂けて無事な中身を晒した。
アンナが中の便箋を抜き取り、封筒の中を覗き込んでから門番に手渡す。
「不要ですので処分をお願いします。刃物が入っているのでお気をつけください」
「は? ……え?」
「剃刀の刃?」
「はい。これで十通目ですね」
「大台ね」
便箋にはご丁寧に罵詈雑言が書かれていた。見るに堪えないそれの筆跡を念のために記憶してから、アンナに保管してもらう。
「ところで、これを持ってきたのはどんな人だったのかしら?」
「はっ。お仕着せを身に着けたメイドでした。ただ、特徴的な容姿でもありませんでしたので顔までは──」
彼はそこまで言って口ごもった。どうして憶えていないのか、という顔。
「そう。わかったわ。ありがとう」
また心の魔法だろう。疑問に思わず俺に渡せ、という程度なら心を大きく捻じ曲げることもない。
追及を諦めて学園内へ歩き出したところで「き、騎士団に通報しなくてよろしいのですか!?」と背中から声がかかった。
「この手の嫌がらせは今に始まったことじゃないの。報告はするけれど、せいぜい週に一度、纏めて伝える程度ね。むしろ、不審者の可能性を考えたら
「騎士団から確認が来た際は証言をお願いします」
学園の中は相変わらず美しく穏やかだ。
第三王子リオネルとの婚約から約一年半。俺──リディアーヌ・シルヴェストルは秋にある誕生日を二度経て十歳になった。
身長は順調に伸び、身体つきも以前よりは女らしくなった。九歳の誕生日あたりから社交の場にも積極的に出るようにしているのでスケジュールの詰まり具合も以前より割り増しだ。
お陰で知名度はかなり上がっていて、最近は学生からよく呼び止められる。
「ごきげんよう、リディアーヌ様」
「リディアーヌ嬢。今日もオーレリア様の部屋かい?」
できるだけ応えるようにはしているが、あまりにも話しかけられるのでなかなか前に進めないくらいだ。
しかも、ただ話をするだけでは終わらない用件もある。
「今度、寮の中庭でお茶をご一緒しませんか?」
「オーレリア様の魔道具製作について詳しく教えて欲しいのだが」
「リディアーヌ様! 防御の魔法を試したいので是非私に攻撃を!」
お茶の誘いは「日程を合わせられるか確認するので書面でください」とお願いし、オーレリア関連については「守秘義務がありますので」とかわし、最後の奇特な男は風の魔法でぶっ飛ばしてやった。
勢いよく飛んでいった後、地面にべちゃっと落ちたものの、すぐに笑顔で立ち上がったので防御魔法は役に立ったのだろう。俺としても攻撃魔法の試し撃ちができて助かる。
風の魔法は適度に痛めつけるのに向いているが、強い指向性を付けるのにコツがいる。周りを巻き込まず使うにはまだまだ練習が要りそうだ。
「師匠。入りますよ」
オーレリアの部屋に通うのもすっかり当たり前になった。適当にドアをノックしてからさっさと開き、入室。
「また散らかしたのですか。一週間でここまで元に戻すのはもはや才能ですよ」
部屋の床に本やがらくたが散らばっているのを見てため息をつく。
ある日、部屋の散らかり具合に我慢できなくなって強制的に片づけを実行、家具を追加で取り寄せてまで床が見えるように整えたのだが、我が師匠は「綺麗な部屋は落ち着かない」とばかりにほいほい部屋を荒していく。
「アンナ」
「心得ております」
食事用に用意したテーブルの上をさっと片付けたアンナは、持ってきたバスケットをそこへ置くと遠慮なく床の物を片付け始める。
この一年、俺の専属としてあれこれ異常事態に直面してきた結果、彼女はちょっとやそっとでは動じなくなってきている。危険物対応についても慣れたものだし、仮にも王族であるオーレリアの私物でもゴミだと思えば平気で「捨てましょうか」とか言う。
で、当のオーレリアはというと、
「ああ、来たのね。じゃあ今日はこれに魔力を籠めてくれる?」
「だから、投げないでください」
奥の席に腰かけたまま振り返って、テニスボール大の石を放り投げてくる。なんとかキャッチした俺は文句を言いつつも言われた通りに石へ魔力を流していく。
「さて、今日の差し入れは何かしら」
オーレリア・グラニエは良い意味で変わっていない。
烏の濡れ羽のような髪も、黒曜石のような瞳も。対照的に白い肌も。インドア生活が多いせいかむしろたおやかな印象は強くなったようにも思える。女としての色気も増して、美少女と言うよりも美女と言った方が似合うようになってきている。
ただし、服装に関してはやや改善された。今日もノースリーブの黒いドレスに身を包んでおり、来客の応対をしてもギリギリ問題ないくらいの見た目ではある。
「そのドレス、ナタリーの工房製ですか?」
「ええ。普通のドレスよりは動きやすいから自分でも頼んだの」
コルセットでウエストを締め付けないデザインのものだ。前に一着このタイプのドレスをプレゼントしたところ、着心地がいいと気に入ってくれたらしい。
俺自身も去年の誕生日で身に着けて参加者から好評をもらった。そのパーティーではセレスティーヌとシャルロットも同じタイプのドレスを用意していたため「大人のデザインにも流用できるのか」「バリエーションはどれくらいあるのか」と問い合わせが殺到。やっぱりみんな苦しいのは嫌だったらしく、若い世代を中心にかなり広まっている。
デザイン担当のナタリー、および彼女の工房はお陰で嬉しい悲鳴を上げているらしく、注文を必死にこなしながらさらに洗練されたデザインを作り上げるべく試行錯誤を繰り返しているという。
「でも、一人だと着替えがしづらいのは変わらないのよね」
「普通の貴族女性は一人で着替える必要がありませんからね」
食事をしながらぼやくオーレリアに肩を竦めて答える。
一人で着替えができる、なんて自慢しようものなら「使用人を増やす余裕もないのかしら」と馬鹿にされることうけあいである。
人件費の削減は前世でしきりに叫ばれていたことだが、貴族にとっては優雅であること=権力や財力の象徴である。効率を重視した家々が使用人を解雇したりすれば「貴族が余る」なんて社会現象さえ起こりかねない。
その上で、俺は少し考えて、
「比較的脱ぎ着のしやすい服、ということであれば作れなくもないと思いますけれど」
「できるなら早く作りなさい。何をもたもたしているの」
「もの凄く自分本位な要求を真顔でしますね、師匠」
じゃあ、まずは両親にでも相談してみるか。その上でナタリーに依頼するべきか、別の工房に相談するべきか、お蔵入りにすべきかを判断してもらおう。
そこで俺は手の中の石に視線を落として、
「相変わらず魔道具製作ですか?」
「ええ。研究費はあるに越したことはないもの」
俺がやらされているのは「石に魔力を籠めて魔石にする作業」だ。
石に魔力を繰り返し流して浸透させていくと、徐々に魔力や魔法に適応した材質へと変わる。こうして加工された石がいわゆる魔石だ。
魔石は魔道具の中核を担うもの。どちらも魔力が高く魔法の扱いに長けた者でないと作るのが難しいため、魔石や魔道具は高く売れる。
魔石および魔道具製作を担っているのは主に宮廷魔法士と呼ばれる者達。オーレリアは後見人である宮廷魔法士長のコネでこの製作を手伝い、金銭を受け取っている。
要するに彼女、学生の身でありながら宮廷魔法士の仕事をしているわけだが、それがなんのためかというと、
「趣味で魔道具を作るために仕事で魔道具を作るって……」
「実益を兼ねたいい方法でしょう?」
「まあ、練習にもなりますしね」
そこでふと疑問に思う。
オーレリアが普段作っているのは照明や加熱、水作成などのありふれた魔道具ばかりだ。
「師匠が作りたい魔道具とはどういうものなのでしょう? 並の品なら研究するまでもなく作れますよね?」
「並どころか、私の作った魔道具は一級品と評判よ。私が作っているのはもっと上、いいえ、もっと先にある品」
「またろくでもないものを作っていることだけはわかりました」
「よく分かっているじゃない?」
艶めいた流し目が送られてくる。いい加減この人の美貌にも慣れてきた俺でさえぞくっとする。この人、やっぱりそっちの気があるんだろうか。この一年、それっぽくからかわれることはあっても本気で来られることはなかったのだが。
「よく分かっている貴女になら教えてあげてもいいかしら。……そうね。近いうちに見せてあげる」
「それは楽しみなような、恐ろしいような……」
「せいぜい楽しみにしておきなさい、《紅蓮の魔女》さん」
「その異名は止めてください」
《漆黒の魔女》の弟子だということと特徴的な髪色から付けられたあだ名である。
この一年余り、俺は公の場に出ては嫌がらせを受け、そのことごとくを潰してきた。首謀者が特定できる嫌がらせは当人にお返しもした。反撃しかしていないのでせいぜい「やりすぎです」と注意される程度でお咎めも受けていないのだが……そんなことばっかりしてるせいで一部方面からそれはもう容赦なく嫌われている。
おそらく、《魔女》とかいう淑女相手に失礼すぎる名前の発案者も俺を嫌っている奴らだろう。
つまり元をただせば、
「師匠から施された英才教育のせいですね」
「明らかに貴女自身の性格でしょう」
『ふん。こそこそ嫌がらせするくらいなら恐れられる方がマシよ』
俺が狙われる一番の理由は「リオネルの婚約者だから」だ。
本気でリオネルのことが好きだった者。王子の婚約者という地位を狙っている者。リオネルのことが嫌いだけど本人を狙うのはリスキーと考えた者。付随する理由は様々だが、彼らの目的は俺を婚約者の座から引きずり下ろすことだ。
俺が死ぬ必要はない。嫌がらせに耐えかねて自分から降りてもよし。後に残るような傷を負って降ろされてもよし。大袈裟に騒いで悪評を高めるだけでも「不適格」と判断される要因になりうる。
だから、公の場でドレスを汚そうとしたり、転ばせて恥をかかせようとしたり、飲み物に毒や香辛料を仕込んでみたり、危険物を送りつけたり匿名の脅迫を行ってきたり、あの手この手で攻撃を仕掛けてくる。
「まったく。もしわたしの立場に成り代わったとして、今度は自分が狙われるとわかっているんでしょうか」
「そうね。貴女が報復するとしたら何をする?」
「屋敷ごと燃やすとか良さそうですね」
「あら楽しそう。貴女の異名にぴったりじゃない」
半分くらい本気の冗談を言い合っていると、掃除中のアンナが呆れたように呟いた。
「お二人とも本当に似た者同士ですよね」
オーレリアと似た者同士とは、なかなかにひどい話だと思う。
屋敷に戻り、外警備の兵士に挨拶をしてから自室へ。
「あら。サラから手紙だわ」
部屋の机の上には何通かの手紙が置かれている。これらは全て使用人によって検閲済みである。そして、その中の一つは友人であるサラ・モレからの招待状だった。
サラは去年、リオネルの誕生パーティーで出会った伯爵令嬢だ。俺のせいでとばっちりを食らったらしい彼女を助け、それが縁で仲良くなった。貴族令嬢にしては悪意に染まっていない純粋な子なので話していて心が落ち着く。また家に遊びに来て欲しい、という手紙に、そういえば最近は遊びに行っていなかったと思い出した。
「サラのところにも顔を出しましょうか」
「リディアーヌ様。サラ様ばかり優遇されると他の皆様が不満を持ちますよ」
「わかっているわ。なるべく不公平にならないように、でしょ?」
俺のところにはお茶会やパーティーの誘いが毎日のように届く。男子からチェスの誘いや、成人貴族から魔法談義の誘いや「珍しい本があるから読みに来ないか」という話、普段利用していない商人や職人からの売り込みが来ることもある。
全てに参加していては身が持たないどころか時間がいくらあっても足りないので、取捨選択して上手いことやるのも貴族としての処世術だ。
同世代のパワーバランス、誰がどこの派閥に所属しているかに加えて親──父やセレスティーヌがどういう交友関係を築いているかもここで考慮しないといけない。横文字の名前と階級を覚えるだけでも大変だっていうのに、こんなの脳内だけで整理しようとしたら絶対パンクする。
「本当、記憶を探る魔法さまさまね」
今日は夕食までに少し時間があるので、幾つか手紙をチェックしてしまおう。
とりあえず上にあったものから内容を確認していくと──その中に少し毛色の違う、気になる手紙があった。
『オーレリア・グラニエは自分の母親を殺した罪人だ』
なんとも物騒な文面。
まあ、これだけなら「とっくに知っているのだけれど?」で終わる話なのだが、残念なことに手紙はこれで終わりではなかった。
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