《紅蓮の魔女》と呼ばれる少女 2
「秘密の手紙、なのかしら」
「どういうことですか、リディアーヌ様?」
夕食を終えた後、俺とアンナはあらためて例の手紙を覗き込んだ。
ありふれた便箋にオーレリアを糾弾する一文が書かれている。便箋は二つ折りで洋封筒にちょうどいいサイズだ。
「一言書くためにこの紙は勿体ないと思わない? それに、この文は真ん中じゃなくて一番上に書かれてる。まるでその下に文章が続くみたいに」
「でも、何も書かれてませんよ?」
「普通のインクで書いたら他の人に読まれるかもしれないじゃない。そういう時は暗号を使うか、何かの方法で文字を隠すのが定番でしょ」
例えばあぶり出し。果物の汁なんかを使って書き、乾かすと文字が消える。復活させるには火であぶって熱を加えればいいのだが……魔法で作った火にかざしてみても特に変化はみられなかった。
「上の紙に書いて筆圧だけを残した、っていうわけでもなさそうね」
「ペンの跡らしきものは見えませんね」
じゃあ水で濡らしてみるか、と、水差しから一滴ずつ垂らしてみたものの、これも失敗。
「やっぱり何も書いてないんじゃないですか?」
「うーん……でも、なんとなく引っかかるのよね」
業を煮やした俺は乱暴な手段に出ることにした。机の上に置いた便箋へ指を這わせながら、紙全体に魔力を流していく。イメージするのは、何らかの手段で隠された見えない文字が浮かび上がる光景。これなら隠した方法がなんであれ文を復元できる。『そんなことできるなら最初からやればいいのに』。いや、成功する保証はないし、あまりスマートな手段とも言えないから……と。
「あっ……!?」
アンナが驚きの声を上げる。魔法を受けた紙が隠されたメッセージを黒く浮かび上がらせ始めたからだ。
俺はほう、と息を吐いて、
「……本当にあったのね」
「リディアーヌ様も半信半疑だったんじゃないですか」
それはともかく。表れた文字をあらためて読み上げると、そこには俺の知らない話が詳細に記されていた。
『オーレリアが魔女と呼ばれ、王位継承権を剥奪された理由は母親を殺してしまった事ではない。問題なのは彼女が「魔法を用いて人を殺す」事に強い関心を抱いていた事だ。
つまり、オーレリア・グラニエの母殺しは偶発的な事故などではなく、歪んだ天才の引き起こした必然だ』
俺も、アンナも息を呑む。
「リディアーヌ様、これは」
「ええ。ずいぶんと踏み込んだ内容ね」
オーレリアの母殺しに関しては誰もが──当の本人ですら詳細を語ろうとしない。学園で噂話を集めてみたりもしたが、学生達が語るのは尾ひれのついた嘘か本当かわからないような話ばかりだった。
そもそも、本当の真相なんて関係者以外にはわからない。監視カメラがあったわけでもなし、王家がむやみな口外を禁じてしまえば全ては闇の中だ。大部分の人間は自分の知っている事実からそれらしい推測を立てているに過ぎない。
だから、この手紙の内容も正しいとは限らないわけだが。
『母を殺した事はオーレリア自身にとっても失策だっただろう。何故ならあの一件によって彼女の歪んだ欲望が他者に知られてしまったからだ。
一度目は皇位継承権の剥奪と王族からの事実上の追放で済んだ。なら、二度目は?
あの一件が無ければ《漆黒の魔女》はもっと自由に振る舞えた。侍女の一人や二人、事故に見せかけて殺す事もできたかもしれない。だが、彼女の動向は常に注目されている。故にオーレリアは『魔法を使って人を殺す実験』ができない。
魔女は血に飢えている。
いつか二度目の惨劇が起こる。それはもうすぐ傍まで迫っているかもしれない。後が無い魔女はおそらく多くの人間を殺そうとするだろう。そうなる前に手を打たなければならない。
気をつけろ。
最も近くにいる人間が最も危ない。同時に《漆黒の魔女》を止められるのは極めて近い位置にいる《紅蓮の魔女》だけかもしれない』
あからさまで、かつ、真に迫った警告だった。
手紙の差出人は俺に注意を促すと共に、オーレリアの凶行を止めて欲しいとも思っている。その理由はここに書かれている通り、俺が彼女に一番近い位置にいるからだ。
これは父に報告するべきか。
父のことだ。手紙の内容が正しくても正しくなくても「でたらめだ」と言うだろう。あるいは俺が父に見せることが敵の目的という可能性もなくはない。
「リディアーヌ様」
しばし思案していると、魔法の効果が消えて文字が見えなくなる。
そこでなんとなく嫌な予感を覚え、もう一度同じ魔法を使うと──案の定、もう文字が浮かび上がってくることはなかった。
「……まったく、手の込んだ悪戯ね」
残った一文だけなら本当にただの悪戯なのだが、手紙を一応レターボックスの中に保管しておく。記憶探査を使うまでもなく覚えられる程度の内容だし、もう読み返すことはないだろうが。
俺は肩を竦めて微笑を浮かべる。
「一応、注意はしておくわ。でも、気にしすぎないようにしましょう? どうせ根拠は何もないんだもの」
アンナは「わかりました」と頷いてくれたものの、それからしばらく浮かない顔だった。無理もない。近いうちに俺の師が大量殺人を犯すかもしれない、などと言われたのだ。信じるか信じないかは別として落ち着かない気持ちにはなる。
何気なく窓の方に目を向けながら、呟く。
「さて、どうしたものかしらね」
「良く来たなリディアーヌ。ほら、さっさとこっちへ座れ」
「ごきげんよう、リオネル様。では、失礼いたします」
王宮へと通うのもこれで何度目か。
リオネルとは最低でも月に一回以上は会って一緒に遊んでいる。お陰で王宮に仕えるメイドや騎士にも顔見知りが増えてきた。婚約してからの期間が長くなり、共に過ごした既成事実が積み重なるに従って嫌がらせの頻度も増しているが。
さすがに王族へ嫌がらせする馬鹿はいないのか、婚約者様の方は余計な事に思い悩む様子はない。顔を合わせれば二言目には「今日は何をする?」だ。
「そうですね……。では、最近対戦していない盤上演習にいたしますか?」
「うむ、いいぞ。また新しい戦術を思いついたからな。お前が負けて悔しがる姿が楽しみだ」
「もう。わたしはなかなか練習できないのですから、少し手加減して欲しいのですが」
「ふん。女に生まれたお前が悪い」
まさか、転生して女になった先の世界で「男に生まれれば良かったのに」と言われるとは。
使用人たちが道具を用意してくれるのを待ちながらリオネルはにやりと笑って、
「お前と遊ぶためと言うとセルジュ達も割と甘くなるからな。正直、とても助かっている」
「それを本人の前で言うあたりがリオネルさまですよね」
「む。お前、それは私を馬鹿にしているだろう?」
「いいえ。どうかリオネルさまはそのまま真っすぐでいてくださいませ」
セルジュというのは以前から顔を合わせているリオネルの従者である。主には忠誠を誓っているが、その一方で主の我が儘には割と厳しい。
そのセルジュは苦笑を浮かべながら俺を見て、
「リディアーヌ様のお陰で殿下の勉強も進んでおりますからね。少しくらいは目こぼしさせていただきます」
「お役に立てているのであれば光栄です」
何か俺から感銘を受けたらしく、リオネルは婚約したあたりから成績が伸び始めたらしい。俺が「今はこの辺りを勉強しています」と言う度に悔しがってくれたりもしている。
「いっそお前が剣術の稽古も付き合ってくれればな」
「残念ですが、剣は両親から『手が無骨になるから』と止められておりまして」
「魔法でどうにかできないのか。治癒の魔法と似たようなものだろう」
「そんな無茶なこと……あれ? できるかもしれませんね」
「リディアーヌ様!」
「殿下!」
アンナとセルジュからダブルで「駄目です!」と怒られてしまった。
「リディアーヌ様が結託なさると心労が倍化するので、あまり殿下に感化されませんよう」
「分を弁えておらず申し訳ありません」
「おい、お前達。揃いも揃って失礼だぞ」
この辺りが「お似合い」と言われる所以に違いない。俺としてもリオネルは気楽に付き合える相手なので助かっている。このまま行けばいい夫婦になれるかもしれない。
まあ、あくまでもこのまま行けばの話なのだが。
「さて、相談というのを聞かせてもらおうか、リディ」
滅多に入ることのない父の私室にて、俺は酒の入ったグラスを揺らす父と、その隣に腰かけたセレスティーヌに向かい合っていた。
夜。もう後は寝るだけという時間だ。この場に他の兄妹がいないのはひとまず俺個人としての相談? 商談? だというのが大きい。
「ええ。わたしが相談したいのは、服飾用の新しい留め具についてよ」
企画書とまではいかないが絵付きの説明書きも用意した。
複数枚にわたる両親が手に取り、注視し始める。
「ふむ。『スナップボタン』に『ホック』、それから『ファスナー』か」
「これはまた、細かいですね」
オーレリアから「脱ぎ着しやすい服」を強請られて思いついた話だ。この世界の服はボタンで留めるか紐で縛るかするタイプばかりで、前世にはあった他の留め具がない。なのでそれらを作って広めればデザインの幅が広がるはず。
スナップボタンは柔軟な金属を使い、押し付けるとぷちっと留まるタイプのボタン。
ホックは鉤状の金具とそれを受けるための金具をセットで留める方式。
ファスナーは左右の細かな金具を中央の金具でまとめてがっちり固定する……って、知っている人間からすれば当然すぎる話なのだが。
見たことのない両親は説明書きをじっと見つめたまましばらく考え込んでいた。
「どうかしら? わたしには作れる職人がいるかどうかもわからないから、意見を聞きたいの」
「……そうだな」
数分してようやく顔を上げた父は真剣な表情で俺を見て、
「まず、これを私達に相談したのはどうしてだ?」
「さっきも言った通り、技術的に可能かどうかがわからなかったのが一つ。それから、これを作るのは被服の職人じゃないでしょう? 試しに作るなら我が家から直接依頼した方がいいかと思って」
「ああ、その通りだ」
父はふっと息を吐いて笑みを浮かべた。
「ナタリー・ロジェを通して金属加工職人に回していたら我が家にとって大きな損失になっていたかもしれん」
「! それじゃあ、お父さま?」
「ああ。製作自体は可能だろう。その上で費用が見合うかどうか、どのような用途があるか試作して確かめなければならないが」
「懇意の職人に依頼し、我が家の発案と主張しておくべきでしょう。手柄を横取りされては困ります」
セレスティーヌもまた顔を上げて笑顔を浮かべる。
「この留め具を実用化できれば、新しい流行を作り出すことができます。リディアーヌの発案と広まるのは当家にとっても王家にとっても利となることでしょう」
「うむ。ボタンで留めたり紐で縛る場合とは異なる利便性が期待できる。この『スナップボタン』は男が着る外套などに有用なのではないか」
普通のボタン留めだと緊急事態にさっと脱ぐのが難しい。力任せに脱ごうとすればボタンが千切れて後で直す必要がある。その点、スナップボタンなら外側に力をかければ勝手に外れてくれる。
「ファスナーも男の人には嬉しいんじゃないかしら。スカートと違って用を済ませるのが難しいこともあると聞いたのだけれど」
「む。そう言われると……前部分にこれを採用すれば開くだけで良いのか? それは画期的だな」
「殿方向けのデザインが広がるのはとても素晴らしいです。……ですが、リディアーヌ? そのような知識をどこで得たのでしょう?」
「い、いえ、詳しく聞いたわけではなく、あくまで耳にした程度です。実際に目にした事もありません」
さすがにリオネルも人前で脱いだりはしないし、平気で下の話をするほどアレな躾はされていない。
前世で男だったのでちらっと聞いたどころか詳細まで知っているが、自分自身の体験なので誰かに見せつけられたわけでもない。
「例のドレスが広まってきたところです。ちょうど良い次の手となるでしょう」
「ああ。リディには服飾の才能があるかもしれないな。……まあ、もちろん、ナタリー・ロジェのように職人になりたい、などと言い出さないで欲しいが」
「もちろん。心配しないで、お父さま。わたしも自分の役割はわかっているわ」
両親は細工物を作る職人への試作依頼を快諾してくれた。とりあえず、この件に関しては試作品の完成を待つばかりである。
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