優秀な姉と平凡な妹
公爵令嬢シャルロット・シルヴェストルには優秀な姉がいる。
「おはようございます、お姉様」
「おはようシャルロット。今日もいい天気ね」
リディアーヌ・シルヴェストル。
葡萄の果汁のような深い紅色の髪は生まれた時から丁寧に整え、伸ばし続けているという。
二度も倒れかけたせいか、それとも体質的な問題か、肌はシャルロットのそれよりもさらに白い。赤と白の絶妙なコントラストは陽光下だけでなく、月明かりの下でも目に映える。
ここしばらく、姉が朝食に遅れて来たことは(不可抗力の体調不良を除いて)一度もない。
勉強で忙しいのもあってシャルロットは睡眠が足りず眠い目を擦りながら朝食に出ることもあるのだが、リディアーヌはいつもしゃんと背筋を伸ばし、ぱっちりと目を開いている。
自宅用のドレスの選び方も落ち着きと気品を感じさせるもので、可愛いドレスを選んでしまいがちな自分と比べてついつい落ち込んでしまったりする。
「本日の前菜はセロリを使ったサラダでございます」
「へえ、今日も美味しそうね」
軽く茹でたセロリを食べやすい大きさに切り揃え、ドレッシング、細かく刻んだベーコンを散らした一品が供されると、リディアーヌは口元に笑みを浮かべた。
(お姉様もセロリがお嫌いだったはずですのに)
急に苦手克服に挑戦しだしたかと思ったら、いつの間にか普通に食べられるようになっている。シャルロットはどうしても苦手で、彼女の皿だけはセロリの量が家族の半分以下、代わりに茹でたじゃがいもが加えられて格段に食べやすくなっているというのに。
それだけではない。所作だってずっと洗練されている。シャルロットの位置からは正面なので姉の動きが良く見える。どうやったらあんなに綺麗にできるのか、たった一歳差とはとても思えない。自分よりもむしろ母・セレスティーヌと比べた方がいいのではないかとさえ思ってしまう。
「あの、お姉様。食事の作法が良くなるコツなどはあるのでしょうか?」
思い切って尋ねてみると、姉は美しい赤色の瞳を何度か瞬きさせた後、小さく首を傾げた。
困らせてしまっただろうか、と思ったのも束の間。
「そうね……。目が身体の外にある、と思ってみるのはどうかしら?」
「え? え? どういうことでしょう……?」
「目が顔についている以上、自分の所作を全て見るのは無理でしょう? だから、外に目があるつもりで全体を意識するの。鏡を見ているつもりと考えてもいいし、お養母さまから自分がどう見えているかを考えてもいいと思うわ」
「……そんなこと、考えたこともありませんでした」
なかなか難しいことを言われたが、言わんとすることはなんとなくわかった。上手くいかないのは部分部分に集中してしまうせい。だから、考え方をがらっと変えて全部をいっぺんに意識すればいい。
頭で理解するのと実践するのでは大違いなので、わかったから実行できるかと言えば難しいのだが。
「シャルロット。リディアーヌと同じ事をする必要はないのですよ。貴女はリディアーヌではないのですから」
「はい、お母様」
母は優しい。シャルロットが悩んでいるとすぐに察して声をかけてくれる。勉強の成果を急かされたこともないし、寂しいと感じているとそれとなくお茶に誘ってくれたりして一緒の時間を作ってくれる。
シャルロットは母に似ているとよく言われる。
父であるジャン・シルヴェストル(本当の父ではないが、実父が亡くなった時はまだ幼かったのでジャンを父と呼ぶことにはあまり抵抗がない)も「シャルロットはセレスティーヌにそっくりだな」とよく口にする。シャルロットにとっても母譲りの金髪は自慢の宝物だし、ゆくゆくは母のような立派な女性になりたいと思っている。
(お姉様は……)
リディアーヌの容姿はセレスティーヌとは全く似ていない。血が繋がっていないのだから当然ではあるのだが、柔らかいセレスティーヌの美貌に対してリディアーヌは少し気の強そうな印象があるし、紅という象徴的な髪の色はシャルロット達と正反対と言ってもいい。
なのに、シャルロットは最近「リディアーヌお嬢様はセレスティーヌ様に似てきた」という声を時々耳にする。
リディアーヌが今のようになったのはあまり昔の話ではない。
(昔のお姉様は……)
半年も経っていないというのに遠い昔の事のように思えるあの頃は、姉のことがあまり好きではなかった。出会った当初は仲良くしようとしていたのだが、姉の方がシャルロットを好かなかったようで無視されたり「あなたなんか妹じゃないわ!」などとひどいことを言われた。
顔を合わせる度に邪険にされるので食事の時間は憂鬱だった。リディアーヌが病気になって部屋から出られなくなった、と聞いた時は良くないとわかっていながらほっとしてしまったくらいだ。
けれど、リディアーヌは変わった。
病床から復帰して以来、嘘のように優しく真面目で努力家になり、そして元の姉に戻ってしまう気配はない。
『本当にごめんなさい。シャルロットにもたくさん迷惑をかけたでしょう?』
真摯な表情で謝罪を受けた時は本当に驚いたし、以前「このまま寝込んでいてくれればいいのに」とさえ思ってしまったことを恥じた。
もちろん以前にされたことを忘れられるわけではなかったが──気づけばリディアーヌは、シャルロットにとって「意地悪な姉」から「目標にするべき身近な家族」になっていた。
「シャルロット様は本当に良い生徒でいらっしゃいますね」
追いかけるべきリディアーヌの優秀さは生活態度や食事のマナーだけではない。
食事の後、いつものように家庭教師による授業を受けたシャルロットは座学の授業が終了したところで教師にこう尋ねた。
「あの、先生? お姉様と比べて私の勉強は進んでいますか?」
「ええ。シャルロット様の方がずっと進んでいらっしゃいますよ」
リディアーヌの教師も担当している彼女は少し戸惑いながらも正直に答えてくれる。
「一年前のこの時期、リディアーヌ様はまだまだ怠け癖のまっただ中でしたから。少し勉強するとすぐに集中力が切れてしまって大変でした」
「では、今のお姉様はどのくらい頑張っていらっしゃいますか?」
「……それは」
続いての問いには、教師は目を細めて答えるのを躊躇う様子を見せた。
じっと見つめて答えを待つと、仕方ないというように口を開いて、
「リディアーヌ様は現在、本来は九歳でお教えする内容を学んでいらっしゃいます」
やっぱり、と、シャルロットは頷いた。
姉はまだ八歳。近日中に誕生日を迎える予定だが、たった数か月で遅れていた勉強を取り返してむしろ余裕を作るなど並大抵の努力ではない。
というか、真面目に取り組んでいなかった時でさえ致命的な遅れが出ていなかったのなら、それは姉に十分な能力が備わっている証ではないのか。
考えるうちについつい黙り込んでしまうと、教師は慌てた様子で言ってきた。
「あの方と同じ事をする必要はないのですよ。シャルロット様にはシャルロット様の長所があるのですから」
「シャルロットの長所、かい?」
「はい、お兄様。お兄様は私の長所とは何だと思いますか?」
自分で考えてもわからないので、家族に尋ねることにした。兄のアランは父の後を継ぐために勉強で忙しいが、シャルロットがお願いすれば快く時間を作ってくれる。向かい合わせに座ってお茶を飲みながら、彼は「そうだな」と思考を巡らせた。
アランは三つ年上の十歳。シャルロットから見ると随分大人に見える。両親や姉を交えた話合いの際、時折見せる理性的な意見には感心するばかりだ。だから、アランの返答も素直に聞くことができる。
「一番は優しいところかな。それに、シャルロットは素直で真面目だ」
短い時間で幾つも褒め言葉を導き出してくれたことに、シャルロットはなんとも言えない喜びを感じた。手をぎゅっと握って飛び上がりたい衝動をなんとか抑えて、胸の片隅で感じた疑問を口にする。
「でも、お姉様もお優しいですし、真面目な方ですよね?」
「どうかな」
リディアーヌは優しい。シャルロットがリオネルを好いているのではないか、と婚約者の座を譲ってくれようとしたり、自分を殺そうとしたメイドのジゼルに罪を償う機会をあげたり。変わってからは邪険にされたこともない。
真面目の方は言わずもがな。一生懸命やらなければ勉強であんな成果が出たりはしない……と、そう思ったのだが、アランはふっと笑って別の意見を口にする。
「リディが優しくないとも真面目でないとも言わない。ただ、あの子の優しさや一生懸命さは少し違うんだよ」
「違う?」
「ああ。リディが優しくするのは一部の『仲良くしたい相手』だけだ。真面目に勉強をするのも、その先にある結果を知っているからに過ぎない。だから、素直に優しく一生懸命になれるシャルロットは十分に凄いんだよ」
「……あ」
そういえば、リディアーヌからも似たようなことを言われた気がする。あの時は意味がわからなかったが、もしかしたら姉も同じようなことを言おうとしていたのかもしれない。
「でも、お兄様。私、このままではお姉様に追いつける気がしません」
「追いつかなくていいんだよ」
「え?」
お互いの専属を少し気にしながら、アランは苦笑を浮かべた。
「リディの優秀さは特別だ。簡単に敵うようなものじゃない」
「あの、お兄様でさえそう思うのですか?」
「ああ。……もしもリディが男だったら、宰相を継ぐのはあの子だっただろう。別に宰相の地位は我が家の世襲制じゃない。長男が継ぐ必要なんてないんだから」
実際にはリディアーヌは女子で、既に王子リオネルとの婚約が決まっている。女子では要職に就けないなどという決まりはないが、妊娠や出産等で自由に動けない期間が多いことから忌避されるのが普通だ。王子の相手役としての役割も求められる以上、現実的ではない。
「リディは僕が継ぐと信じているみたいだけど、もちろん、他の人間が指名される可能性だってある。今だって気は抜けないんだよ」
「お兄様はとても優秀ですから、私も信じていますけれど……」
そのアランが「同性だったら勝てない」と断言するのだ。シャルロットは姉の凄さにあらためて身震いする。
誰もが注目する美貌に堂々とした性格。王子の婚約者という地位に、国内最高クラスの魔法使いに師事する魔法の天才。
いったい何をどうすればこれだけの肩書きをほんの短い間で獲得できるというのか。
「だから、シャルロットはシャルロットのやり方で頑張ればいい。やり方は一つじゃないし、シャルロットはリオネル王子の婚約者じゃないんだから」
リディアーヌとシャルロットでは求められる役割が違う。
同じことができる必要はないのだと言われて少しほっとした。その上で、姉のようになれないのだと思うと悔しい気持ちになってしまうが。
「お兄様。私では王族の婚約者にはなれませんか?」
「そんな事はないさ。婚約者としての務めの果たし方だって別に一つじゃないんだから」
別の方法。
漠然としていてわからない部分も多いが、アランの言葉はシャルロットにとって光明となるものだった。笑顔でお礼を言って、あまり長居しないうちに兄と別れる。
(私は、私の長所を伸ばせばいい。頑張ればきっと、私でも王族の婚約者になれる)
リディアーヌとは違う方法で頑張って、リディアーヌに負けない自分になる。
シャルロットは新たな目標を抱いた。輝くような姉への憧れを胸に、これから頑張っていこうと決意する。
それはシャルロット・シルヴェストルという少女のこれからを作る根幹となり、そして同時に、彼女を縛る鎖となった。
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