屋敷の変化と長女の我が儘

 エマ・カレールはシルヴェストル公爵家付きのメイドである。

 子爵家の三女。家のための結婚は姉二人で十分と判断されたため、別の形での貢献を求められた。すなわち、メイドとしての他家への奉公だ。

 姉達に比べ見た目の華やかさで劣っていたエマだが、物覚えはよく、何でも卒なくこなす器用さはあった。その甲斐あってか、格としてこれ以上ないと言っていい職場に採用されることができた。


「ねえ、エマって昔、王城にお仕えしていたって本当?」


 午後。屋敷内の掃除をしていたエマは、同僚からの問いかけに手を止めずに答えた。


「ええ」


 公爵家は十分な数のメイドを雇用している。

 掃除、洗濯、調理など仕事をいくつかの項目に分けた上、各メイドに得意分野を持たせる半専業制。体調不良者を出さないための余裕ある勤務体制によってゆとりある職場環境が保たれている。よって、小休止を兼ねてお喋りをする程度で仕事は滞らない。

 仮にこの現場がメイド長に見つかってもせいぜい「程々に」と注意されるだけだろう。だからエマは余計な事を言わないし、お喋りを拒否したりもしない。

 エマ自身が手を止めないのは単なる性分だ。急ぐのも手を止めるのも性に合わない。淡々と同じペースで進めるのが自分には合っている。


「三年ほど下級メイドをさせていただいていましたが、二年前からこちらに」

「そうだったのね。でも、どうして?」

「特別な事は何も。セレスティーヌ様から誘いを頂いたので」


 隠している話ではない。

 同僚の多くが知っているはずだが、彼女達とは最近まで仕事場が被らなかった。そのせいか瞳を輝かせ興味深そうに頷いてくれる。


「王城で働けるなんて夢のような話なのに、お給金が良かったのかしら」

「条件は大差ありません。ただ、王城のメイドは入れ替わりが激しいでしょう?」


 王家は当然、奉公先としては最上級。それだけに応募者も沢山いる。粗相を頻発する者や邪な行いの見られた者、習熟の遅い者等は容赦なく入れ替えられる。

 エマは特別問題を起こしたわけではなかったが、三年目に入っても中級への昇格話が来ていなかった。


「私は愛想がありませんから。華やかな王城のメイドには向いていなかったと」

「じゃあ、セレスティーヌ様の慧眼ね」

「ええ。エマがあちこちで頼られているのをよく見かけるもの」

「大した事をしているわけではないのですが」


 表情を変えずに答える。磨いていた彫像に映った自分の顔はいつも通りの静かな表情だ。貴族の中にあって浮く程でもないが人目を惹く事もない。笑うのが苦手なせいで令嬢時代は「つまらない女だ」と言われることが多かった。

 エマには得意な仕事もない。

 代わりにどの仕事も平均以上にこなせるので、急に仕事が増えたり欠員が出たりするとよく応援に呼ばれる。特に最近はそれが多い。


「人員整理の最中ですからね」


 静かな呟きに「ああ」と感慨の籠もったため息が返ってくる。


「本当に酷い事件だったものね」


 ジゼルの名前は皆、暗黙のうちに避けている。仕える家の令嬢に悪意を持ち、あまつさえ毒殺しようとするなど絶対にあってはならない事である。心情的にも打算的にもジゼルに共感できない者が圧倒的多数だろう。当然、エマにも理解できない。

 ともあれ。

 例の一件から公爵家は全使用人に対して身元・思想の洗い直しと個別の面談を進めている。

 長女のリディアーヌが第三王子リオネルと婚約を結んだ事もあって公爵家はその立場をより明確にした。思想的、派閥的に合わない者は(可能な限り他の勤め先を斡旋した上で)暇を出され、同時に補充人員の確保についても進行中だ。

 元々余裕のある体制だったために大きな問題は出ていないものの、万全の状態に比べると仕事量は多くなっている。屋敷の全鍵の順次入れ替え等、ジゼルの一件に端を発する仕事もあるため今は一つの正念場と言える。

(ベテランのメイド曰く『セレスティーヌ様の嫁入り以来の改革』とのことだ)


 と、ここで同僚の一人が声を潜めて、


「ところで、どうなの? その、リディアーヌ様って」

「どう、とは?」


 首を傾げたエマだったが「ほら、性格とか」と補足されて「ああ」と頷く。


「一度目の不調から回復されて以来、用を申し付けられる回数が目に見えて減りました。アンナが専属の仕事に慣れるにつれて通常業務の多くは彼女一人で済むようになっています」


 菓子の消費量は減り、作り直しを要求されることもほぼゼロに。その上「美味しかった」「特にこれが気に入った」等、具体的な褒め言葉が頻繁に出るため、調理・製菓の担当者は仕事に余裕とやりがいを持てるようになった。

 無駄にドレスを着替えたりしないので洗濯も楽になった。所作に慎重さが加わったことでお菓子や料理をこぼす事も少なくなり掃除の機会も減っている。


「強いて言えば毎日、お部屋のお風呂に入られるようになったので余分に魔力が必要ですが……それも解決してしまいました」


 リディアーヌ自身が魔力を操れるようになったからだ。

 本来なら使用人の仕事ではあるのだが、リディアーヌは「魔法の練習も兼ねているし、わたしの我が儘で用意するんだもの」と言って平然と魔道具を操っている。

 着替えなど単純に人手が足りない業務を除けばアンナ一人で本当に回ってしまっているような状況だ。

 エマを含むリディアーヌ付きとして指名されていたメイド達は仕事が減ったため、他の部署に組み込まれたり応援要員して使われている。


「じゃあ、アンナも随分と頑張っているのね」


 ここで同僚が口にしたのは専属という地位に着いた若手メイドへの好意的な言葉だった。リディアーヌの変化を機に屋敷内の空気にも変化があった。ジゼルという淀みの元凶が消えた事、反抗的なメイドが人員整理で屋敷を離れた事もあって、リディアーヌとアンナの主従を悪く言う者はかなり減っている。

 その上でエマは冷静にアンナの様子を振り返って答える。


「高貴な方の専属としてはまだまだ不足ですね」


 王城の上級メイドや王族の専属メイド達の仕事ぶりは本当に別格だった。持ち場の関係上、目にする機会は決して多くなかったものの、その一挙手一投足を一目見ただけでも相当な研鑽が必要になることが窺えた。

 今のアンナでは王族どころか公爵令嬢の第一専属としても能力不足だ。

 冷静すぎる評価に呆れたのか同僚が苦笑いを浮かべて、


「エマもリディアーヌ様の専属を狙っているの?」

「まさか」


 意識せず、エマは即答していた。

 やや冷たい声音になってしまったのはリディアーヌへの隔意からではない。エマ個人にあの令嬢への負の感情はない。仕事は仕事。我が儘な主だろうと優しい主だろうと必要な作業をこなすだけだ。


「私は今の待遇に満足していますから」


 十五でメイドを始めて五年。結婚には特別興味もないし、行き遅れたらそれはそれでいいと思っている。給金は十分に貰っているし物欲も低い方だ。このまま一メイドとして働き続け、身体が言う事を聞かなくなったら引退。それで十分だ。

 そこまで思ってから少し考えて、


「そうですね。マリー様のようなメイドが理想でしょうか」


 先輩メイドの名前を口にしたところで、


「ああ、エマ。ちょうどいいところに」

「マリー様?」

「貴女に頼みたい仕事があるから、私と一緒に待機していて欲しいの。今やっている仕事は急がないでしょうから後回しでいいわ。キリのいいところまで終わらせるか誰かに引き継いだら中庭まで来てくれる?」

「かしこまりました」


 当のマリーが現れてエマを呼び留めた。マリーは公爵の前妻アデライドが健在だった頃からの古株だ。屋敷の仕事にも精通している上、アデライドとは性格の異なるセレスティーヌの方針にも臨機応変に対応している。誰からも専属指名されていないのが不思議なくらいで、メイド長を任されていてもおかしくない人物である。

 彼女から仕事を言いつけられるのは珍しいが、特に躊躇いもなく頷く。

 それから手にした掃除道具に視線を下ろして、


「いいよ、後はやっておくから」

「マリー様の仕事を優先して」

「ありがとうございます」


 残りの掃除は同僚達が代わってくれた。一見、お喋りをしてサボっていたように見える彼女達もいったん仕事に戻れば丁寧な仕事ぶりを発揮する。公爵家のメイドに新人はいてもお荷物はいない。公爵夫人のセレスティーヌは使えない人材を放っておくほど甘い人間ではない。


「マリー様。仕事というのは?」


 手が空いたのでそのままマリーについて歩き出す。

 メイドとはいえ、公爵家の人間に慌ただしい動きは許されない。急いでいる時でも優雅に見えるよう心を配るが、実際今は急いでいないようで話をする余裕は十二分にあった。

 マリーは苦笑めいた表情で「ええ」と答えて、


「リディアーヌお嬢様が屋外で魔法の練習をされるそうなので、人手が欲しかったのです」

「屋外で、魔法を?」


 エマもアンナ同様、学園には行かずにメイドになった口だ。基礎こそ修得しているものの、大規模な魔法はあまり使った事がない。その上で想像する「屋外の魔法練習」は間違っても床が濡れたり焦げたりしないように、程度のささやかなものなのだが、


「アンナ一人では何かあった際、確実に手が足りなくなります。ですから私と貴女を加えた三人でお嬢様を見守り、万一に備えます」

「万一とは?」

「わかりません。大穴が空くか、庭木が炎上しかけるか。局所的に雨が降るか。何が起こってもいいように心づもりをしてください」


 これは、さすがに即「かしこまりました」とは言えなかった。

 リディアーヌが魔法を使えるようになったのは知っている。オーレリア・グラニエに師事したらしい事も。しかし、であれば監督役はオーレリアの仕事ではないのか。そんな疑問が浮かんだが、これにはなんとも恐ろしい答えが返ってきた。


「オーレリア様はお嬢様に自習を言い渡したそうです」

「……自習を」


 正気ではない。これは魔法を修得している貴族なら誰もが思う事だろう。魔法を覚えたばかりの八歳を放任するなど、やはり彼女は《魔女》だったのかと益体も無い事を考えてしまう。

 しかし、らしくない思考もそこまで。


「仕事であれば、ただ出来る事をするだけです」

「その意気です」


 二人は中庭へと到着した。前庭と比べると華やかな印象の少ないそこは菜園として実用的なハーブやちょっとした果物の栽培に使われている他、公爵や長男のアランが剣の稽古に使っている訓練場──草もまばらにむき出しの地面が広がる無骨なスペースがある。

 メイドがあまり訪れることのないそこでしばし待っていると、リディアーヌがアンナを連れてやってきた。


「準備してくれてありがとう、マリー。エマもよろしくね?」

「はい。……リディアーヌ様、十分にご注意くださいますよう」

「わかっているわ。無茶をするつもりはないもの」


 リディアーヌは朝から着ている普段着のままだった。

 着替えた方が良かったのではとアンナに尋ねれば「損ねた時に安く済む方が良いとリディアーヌ様が仰るので……」と困ったような顔をされた。考えてみると女性貴族は基本、外での運動着のようなものを持たない。乗馬用の衣装であれば一応用意があるものの、一度も着ていない上に替えがないので普段着の方がむしろ無難なのは確かだった。

 あまりにも常識が通用しなさ過ぎるので、堅実派のエマとしては怖くなってくるのだが。


「それじゃあ、小手調べから始めようかしら」


 魔法を使えるようになって間もない八歳の令嬢は紅の髪を悠然とかき上げ、子供とは思えない風格を漂わせながら宣言して見せた。

 すっ、と、持ち上がる右腕。

 真っすぐに正面へと突き出された手のひらを見て、エマを含む三人のメイドは散開した。何が起こっても対処できるようにと身構えつつ待つと、


「炎よ」


 声に応じ、リディアーヌの手のひらにが生まれ、一瞬の間を置いた後に放たれた。

 歩いて十歩程度の距離を飛んで地面に着弾した火球は。火の粉を撒き散らしながら周囲に風を送り込んでくるが──使用者である少女はまるで見えない壁に守られているかのように一切の影響を受けていなかった。

 散開していたエマ達も風に煽られた程度で無傷。

 専属としてリディアーヌの真後ろにいたアンナは障壁の恩恵に預かりながら目を見開いて、


「リディアーヌ様! なんの被害もなかったのでいいですけど、もっと落ち着いた魔法から始めてください!」


 を見た直後で主人に意見できるのだから、アンナは思ったよりもリディアーヌの専属に向いているのかもしれない。

 公爵家長女とその専属の評価を脳内で引き上げながら、エマは「自分に専属の話が来ても断ろう」と心に決めるのだった。

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