閑話

貴族女性とお洒落な商談

 ナタリー・ロジェは緊張していた。

 黒を基調とした重厚感のある家具の数々。重すぎて男性的な印象になりがちなところを女性的な品の良さで上手く纏め上げており、色遣いやデザインを日々研究している身としては全て描き写したいくらいだが、とてもそんなことを申し出られる状況ではない。

 向かいに座っている三人はナタリーが「職人として」ではなく「貴族女性として」訪問していたとしてもなお、失礼のないよう心を配って接するべき相手。


 中央には絵に描いたような美しい金髪と少女のような容姿を持つ公爵夫人、セレスティーヌ・シルヴェストル。

 その左隣には母譲りの金髪と愛らしい顔立ちを持った公爵家次女、シャルロット・シルヴェストル。

 そして、黒い内装にその紅の髪をひときわ映えさせる公爵家長女、リディアーヌ・シルヴェストル。

 周囲には複数人のメイドも控えており、女性ばかりの華やかな場でありながら圧迫感もある。


 睡眠時間を削って何枚もの仮案を仕上げ、同僚にうんざりされながら意見を求め、さらに改良を加えること数回──ようやく完成させたデザイン画をリディアーヌに見せに来たところ、どういうわけかセレスティーヌとシャルロットまでもが同席することになっていた。


「デザイン画は持ち帰ってしまうのでしょう? ならば、貴重なそれを目にする機会はこの時しかありませんもの」


 と、いうのがセレスティーヌの主張。

 良いデザインがあればリディアーヌ以外からも注文が取れるかもしれない、ある意味チャンスではあるものの、工房側の責任者としてついてきた副工房長はナタリーの隣で小さく震えている。

 公爵家を訪れるのも初めてではないわけだが、採寸の場はある種お祭りのような高揚感がある。出来上がったドレスを持って挨拶する際も(出来栄えが良ければ)相手は勝手に上機嫌になってくれる。それに対し、デザイン画を見てもらうために訪問した今日は向こうも落ち着いているわけで、冷静に品定めをされている感覚が緊張感を増してくる。

 副工房長は平民なので猶更だろう。まして、今日の結果次第では工房の売り上げが大きく上がるかもしれないのだから。

 ともあれ。

 品定めをされている最中、ナタリー達にできることはほぼない。聞かれてもいないのにぺらぺらと喋り倒す職人もいるらしいが、ナタリーはデザイン画に全てを籠める主義だ。聞かれれば快く解説するが、そうでなければ客が十分に吟味するまでただ待つ。


「お母様、お姉様。これはどういう……」

「ああ、それは……」


 複数枚用意したデザイン画を回し合って眺めながら、何やら囁き合う母娘。平静を装って紅茶を飲むことしばし。


「では、リディアーヌ」

「はい、お養母さま」


 話が纏まったのか、三人の持つ空気が変わった。ナタリー達はあらためて居住まいを正し、公爵家の女達へと向かい合う。

 代表して口を開いたのは元々の注文者であるリディアーヌだった。


「忙しいところデザインを上げていただきありがとうございました。予想以上の仕上がりに驚いています」

「恐縮でございます」


 目を伏せて頭を下げる。すると、ナタリーの前に一枚のデザイン画が示された。


「私にはこちらのドレスを一着、お願いします。可能であれば秋にある私の誕生日までに」

「かしこまりました。ご注文、誠にありがとうございます」


 用意した中で最も華やかかつ値の張るドレス。その分、製作期間としては厳しいものになるが──隣の副工房長と目配せをしあい「行ける」と判断。


(さすがはシルヴェストル公爵家だわ。新しいデザインとなれば無難なところで様子を見たくなるだろうに、思い切った決断をしてくるとは)


 感心したのも束の間、さらに二枚のデザイン画が示されて、


「それから、こちらのデザインを元に養母ははセレスティーヌに、こちらを義妹いもうとのシャルロット用に仕立てていただけますか? オーレリアさま用にこちらの寸法で、こちらも新デザインのものを。シャルロットの分とオーレリアさまの分はプレゼントなのでわたしの私費から支払います」

「合計三着ですか……!?」

「全て誕生日に間に合わなくとも構いません。優先度はわたし、養母、義妹の順でお願いします。……もちろん、わたしの誕生日に三人で着られるのが理想ですが」

「も、もちろん、全力で取り組ませていただきます」


 慌てて再び頭を下げる。貴族らしい無茶振りとも言えるが、見方を変えると大チャンスだ。

 リオネルとの婚約を決めたリディアーヌだけでなく、その母と妹までもがナタリーのデザインしたドレスで着飾る。もし実現すれば社交界への影響は絶大なものになる。誕生日パーティ以降、工房への注文が殺到したとしてもおかしくない。

 そんなナタリーの想像を肯定するかのようにセレスティーヌが微笑んで、


「同系統のドレスを冬用にも注文したいと思っております。そちらのデザイン案を次回の採寸までにお願いできますか?」

「喜んで承ります」

「それから……リディアーヌとのお話が終わった後、私の部屋にも寄ってくださらないかしら? 少々、子供には聞かせづらい話がありますので」

「承知いたしました」


 ここまで来るともう大収入どころの話ではない。新しい流れができるではなく、公爵家の女達は結託して流れを。冬のドレスのことを今から考えているのは、ナタリーの新デザインがのでは遅いからだ。


「お姉様、こんな素敵なドレス、お小遣いから買っていただいて大丈夫なのですか?」

「大丈夫よ、シャルロット。この間、臨時で纏まった額のお小遣いをいただいたもの。これくらいなんてことないわ」


 それは、ひょっとしてリディアーヌ毒殺未遂事件の賠償金が関わっているのか。

 ナタリーの実家もあの件は注目していた。漏れ聞こえて来る社交界の声の中には公爵家の管理不行き届きを指摘するものもあるが、それ以上に罪を犯したメイドの悪辣さと実家への批判が大きい。

 毒を盛られたリディアーヌは回復して後遺症も残っていないし、この件は使用人の雇用基準・管理方法を見直すいい機会にもなった。何よりと内外への釘刺しとしても機能している。賠償金を十分に得ていることも考えれば、損をしていないどころか公爵家は得をしているのかもしれない。

 可愛らしい外見と裏腹に抜け目がないと噂のセレスティーヌなら、リディアーヌにも相応のご褒美を渡していてもおかしくない。


「では、お養母さま。シャルロット。わたしはもう少しナタリー様と相談がありますので」

「ええ。私達はいったん失礼しますね」

「失礼します、お姉様。お二人もごゆっくり」


 デザインの微調整について相談した後、セレスティーヌとシャルロット、彼女らの専属が退室していくと残されたのはナタリー達とリディアーヌ、それからその専属メイドだけになった。

 思わずほっと息を吐くナタリーにリディアーヌが「お騒がせして申し訳ありません」と苦笑を浮かべる。


「我が家の中でもお養母さまは特に新しい物好きなもので」

「とんでもございません。大きなご注文をいただいて当方としても嬉しい悲鳴でございます」


 だいぶ砕けた返答に副工房長が「ひっ」と小さく悲鳴を上げるが、リディアーヌはこの程度で気分を害したりはしなかった。


「ところで、ナタリー様はご実家から工房に通われているのですか?」

「いいえ。普段は平民街に借りた家から通っております。週に一度は実家に帰るようにしておりますが、まさか馬車で工房に乗りつけるわけにも参りませんから」


 職人になることを認めてもらうのには相当苦労した。

 趣味や基礎教養として手芸を行う女性は多いし、刺繍が得意なことで有名な女性貴族なども存在しているものの、さすがにドレスを一から作ろうとする者、それも平民の工房に入って行おうと考える者は皆無と言っていい。

 それでもなんとか認めてもらうことができたのは「それだけの実力がある」と作品で証明したからなのだが、


「私のデザインを買って頂けたこと、個人としても感謝いたします。このご注文は胸を張って家族に伝えられますから」


 実際に職人となってからナタリーの得た成果は芳しいものではなかった。しかし、今回の注文はおそらく一つの転換点となるだろう。


「リディアーヌ様。ドレス以外のご相談というのは?」

「ええ。実は養母と義妹だけでなく、父と兄にもプレゼントを贈りたいと思っているのです。とはいえ、殿方に服を送っても『着替えが増えた』という程度でしょう? なので、なにかいい案はないかと思いまして」

「そういうことでしたか。しかし、服飾関係で盛装と見合う価値の品となるとなかなか難しいのですが……」

「値段としては見合わなくても構いません。例えばハンカチや剣帯などでも」

「よろしいのですか?」


 家族間のプレゼントで相手によって露骨な差があるのは不平不満を招きそうな気がするのだが……と疑問に思うナタリーに対し、リディアーヌはくすりと悪戯っぽい笑顔を浮かべて、


「特別感は愛情で補うこともできるでしょう?」

「愛情、ですか?」

「ええ。お養母さまとシャルロットの分はわたしの発案と言っても、ナタリー様のデザインした品物。わたしはお金を払っただけで、デザインは二人が選んだに過ぎません。その点、お父さまたちへのプレゼントはわたしが一から相手のためを思って選んだとしたら……?」

「愛情を向けられているのはむしろ自分の方、と考えてもおかしくありませんね」


 ナタリー自身、父親との間に似たような思い出はある。性別上、母にあれこれ相談する機会が多かったのだが、そうすると父が拗ねて面倒──もとい、家族関係に軋轢が生じる懸念があった。そんな時は手作りの小物を渡して機嫌を直してもらった。


「でしたら、既製品にリディアーヌ様が手を加えられてはいかがでしょう? 例えばハンカチにお相手の名前を刺繍するですとか」

「なるほどね。それなら確実に愛情を感じてもらえそう」

「リディアーヌ様は男心をくすぐるのがお上手なのですね。リオネル殿下ともそうやって仲良くなられたのですか?」

「まさか。殿下はその手の小細工がお嫌いですもの」


 リディアーヌは思案した末、ハンカチとベルトをセットで父と兄へ贈ることに決めた。


「ベルトには何か特別な加工をいたしますか? バックルにお名前を刻印することもできますが」

「いいえ、そのままで。刻印はこちらで行います」


 自分で……? ナタリーは工具をかんかん打ち付けるリディアーヌの姿を想像し、そのあまりの似合わなさに眉をひそめてから、慌てて思考を打ち切った。別の工房へ頼むのかもしれないし、依頼人が不要と言っている以上は深堀しても仕方ない。


「では、こちらは出来上がり次第お送りいたします」

「お願いします」


 相談は和やかなうちに終了した。下の者にも丁寧に接してくれる上に金払いが良く、見慣れない物でも先入観なく判断してくれる。あらためて、リディアーヌ・シルヴェストルはとても良い依頼人だと感じた。

 これからも良い関係が続くといいと思う。

 ナタリーは笑顔で席を立ち、リディアーヌと別れの挨拶を交わして──。


「お養母さまのお話には気をつけてくださいね。何が飛び出すかわかりませんから」


 歳の割にはかなり大人びた少女から小さな脅かしを受けた。

 確かに、大人びてはいても素直なリディアーヌと違い、セレスティーヌは大人だ。さらりと駄目出しや無茶振りが飛んでくるかもしれない。

 副工房長だけでなく自分まで恐ろしくなりつつセレスティーヌの私室を訪問して話を聞くと、


「例のドレスについて、リディアーヌが描いた原案があったでしょう? あれを元に夜着を仕立てて欲しいのですけれど」


 確かに、子供には聞かせられない話だった。

 一方で「いっそのことリディアーヌ様と相談された方がいいのでは」とも思いつつ、ナタリーは表情に出さないよう笑顔でデザインの相談を続けたのだった。

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