18. 本物の『黒猫』さん



 小説の物語の中で命を落とす人間はたしかに聖女マリアだけでした。


 しかし、小説で語られる以外にもこの世界にはたくさんの人が存在して、物語が始まるよりもずっと昔に亡くなった人たちもいるのです。


 そんな当然のことにも、わたしは気付けずにいました。


 今からおよそ百年前に起きた戦争で人間も魔族もたくさんの命が失われ、獣人族に至っては種が途絶えかねないほどの大きな犠牲を払ったとは。


 その辛い過去を思うと、自身の未来を嘆いている自分がとてもちっぽけに思えてしまいました。


 ───世界の平穏を守るためにヴァルドラ神が遣わした聖女……。


「どうかした? 急に暗い顔しちゃって」


「え、あ、いえ! なんでもありません」


 心配そうにわたしの顔を覗き込んだロキに、微笑み返します。


「そうです。わたし、本物の『黒猫』さんに会ったら訊いてみたいことがあったんですけど。どうして盗みに入ったお宅に足跡のカードを残すんですか?」


「そりゃあ、その方が楽しいか、ら……あ」


 ロキは得意げに答えてから、しまったという顔で固まりました。


「……なんじゃない? 知らんけど〜」


 などと笑って誤魔化しますが、遅いです。


「もうバレバレですから誤魔化さなくても大丈夫ですよ」


「……っ」


 なんでこんな小娘にバレたんだ、という顔ですね。さっきまでは何を考えているのか分かりづらい方だと思っていましたが、一度心を開くと実は素直な方です。顔に出まくりですよ。


「猫さん姿なら誰にも怪しまれず、下見も十分できますし。気配を消すのも上手で身軽。盗賊を瞬殺できる強さに、大量の盗品を難なくこの里まで運んでくる行動力と判断力。極めつけは猫の足跡マークのカードに、通り名は『黒猫』とくれば、ロキ以外に誰も思い浮かびません」


「いやいや、そんなことないでしょ。通り名が『黒猫』だから、黒い猫に化けるボクが犯人だなんて。そんな安直な〜」


 あくまでもしらを切るつもりのようですね。


「それに、ボクが『黒猫』なら、リアを攫ったあの強盗たちはなんだっていうのさ」


「あれは偽物です。わたしの知る怪盗『黒猫』さんはあんな粗雑な盗み方はしません」


「へ……?」


「最近巷を騒がせている偽の『黒猫』に気付いた本物の『黒猫』さんは、偽物を捕まえようとしていたんじゃないですか?」


 そして、ラヴィスお墨付きのいかにも強盗から狙われそうなわたしの傍に潜り込んだのでしょう。


「わざわざ偽物を退治しようとするなんて、よっぽど自分の仕事に誇りを持っているんでしょうね」


 そう言ってロキを見ると、ぽかんと開けていた口を閉じ、今度は肩を震わせて笑いだしました。


「いや、ほんと、オモロ……なんなの、アンタ」


「え、笑うところですか、これ」


「すごいよ、なんで分かっちゃうかな〜。あ〜、でもそこまでバレちゃってんなら、かえって罪悪感なくなったや」


 笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を拭いながら、ロキがわたしを見ます。


「リアの言う通りだよ。ボクはアンタをエサにして偽物を釣り上げたんだ。……怪我させちゃってごめんね」


「いえ、結果的に助けて頂いたので、水に流しましょう」


「なんて心が広いんだ、リア。さすがボクのご主人様」


 尻尾をふりふりして、明らかなからかい口調ですが、ぺたんと伏せたネコ耳が可愛らしいので許します。


「そ〜だ。さっき他の魔道具はくれるって言ってたけど、あれも全部ちゃんと返すからね」


「え? どうしてですか?」


 子どもたちも魔道具を使いたそうにしていましたし、わたしの魔法だってあんなに喜んでくれていたのに。


「もう忘れちゃった? ボクらに魔道具は使えないんだってば」


「あ、そうでしたね……すみません」


 そうでした。獣人族には魔力がないんでしたね。


「それから、さっきは随分大盤振る舞いしてたけど、魔法は人前で使わない方が良いと思うよ」


「え?」


「どこで誰が見てるか分かんないからね。今回は呑気な里の子どもらだったから良いようなものの。リアのその力は貴重過ぎる。場合によっちゃあ利用されかねない」


 たしかに、その通りですね。里の子どもたちの可愛さにすっかり気が緩んでいました。


「実際、ボクもきみを利用しないテはないなって、思ってたからさ」


「そうなんですか?」


「そ。ボクは多分この里で唯一、ズルくて意地が悪いからね」


「でも、『思ってた』ということは、今はもう違うということですよね?」


 そう訊ねると、ロキはきょとんと目を丸くしてから、苦笑いを浮かべました。


「この里の方たちは皆さんとっても良い方たちばかりです」


「まあ、善か悪かは分かんないけど。単純でバカ正直なのは確かだね〜」


「そんなことありません。純粋で素直なんですよ」


「ははっ、物は言いようってヤツだね。そ。獣人族は純粋で素直。だから、騙されやすくて、人間からも魔族からも利用される」


 冗談っぽく吐き捨てるロキの声にはほんの少し、怒りのような感情が滲んで見えました。


「リアもだよ」


「はい?」


「リアも純粋で素直なんだから、騙されて利用されないようにね」


 その言葉に同族意識のようなものを感じて、なんだか温かな気持ちになります。親が子を心配するような、そんな親密な気遣いを感じたのです。


 仲間を思いやる、きっとこれが素の彼なのでしょう。わたしは微笑ましくなりつつ、先程彼が滲ませた怒りを思いました。


「ロキが盗むのは、騙されて利用されてきたことへの仕返し、ですか?」


「ん〜……どうかな? たしかにボクは人間も魔族も好きじゃないし。これから先、もしこの里の子たちを利用しようとするヤツらが現れたら、きっと容赦なくソイツらを消すだろうね」


 そう軽く言ってのけたロキの瞳は、思わず背筋が凍るほど鋭く光って見えました。


 彼はまばたきを一つ挟んで、その鋭さを隠します。


「でも、盗む相手には別に恨みはないよ。ただ、ほらよく言うじゃん。金は天下の回りものだって。回ってないお金を見ると回して上げたくなるんだよね〜」


 その考えには一商人の娘として、わたしも大きく同意します。


「あとはそうだな。単純に退屈しのぎってヤツだったかも。自分ルールできつめの縛りをつけて盗むの。難易度が上がるほど楽しいんだよね〜」


 人を傷つけないこと。殺さないこと。あえて予告状を出したり、足跡にカードを残すこと。誰にも姿を見られないこと。盗んだものを困っている人へ分け与えること。


 不可解だった怪盗『黒猫』さんの行動の理由はこんなにも単純明快なものでした。




☆ * ★ * ☆ * ★


『ほかあた』を読んで下さり、ありがとうございます!

次回も土曜日に更新予定です!

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