5. 剣士さんはまるでお侍様のようです



 ラヴィスが用意してくれた馬車で、わたしたちはリンクの研究室を後にしました。


 屋敷へ帰る馬車の中、見るともなしに外を眺めていた時です。ふとお花屋さんの色とりどりな花たちが目に留まりました。


「すみません、馬車を停めて下さい」


「はっ。おい、馬車を停めろ」


 斜め向かいに座っていたラヴィスが、小窓から御者さんに声をかけて馬車を路肩に停めさせます。


「どうかなさいましたか、お嬢様」


「ちょっとお花を買って帰ろうかと思います。ラヴィはこちらで待っていて下さい」


「それでしたら、俺が買って参ります」


「いいえ、お母様とお父様に贈るものですから、わたしが自分で選びたいのです」


 今日はわたしの誕生日。誕生日はわたしを生み育ててくれた両親に感謝する日でもあります。わたしも両親に綺麗なお花を贈りましょう。


「そうでしたか。かしこまりました」


 ラヴィスは先に馬車を降りて手を差し伸べ、降りるのを手伝ってくれます。


「ありがとうございます。少し待っていて下さいね」


「いくらでもお待ち致します。どうぞ、ごゆっくりご覧下さいませ」


 恭しく頭を下げるラヴィスを置いて、わたしはお花屋さんへと向かいました。


 両親へ贈る花を見繕ってから、ちらりと馬車の方を振り返ります。ラヴィスが馬車の前でこちらを見守っている姿が見えました。


「そうです、ラヴィとリンクにもお花を贈りましょう」


 二人が驚きながらも喜んでくれる姿が目に浮かびます。


 離れたところにいるラヴィスに気付かれないようこっそりと、後でお花をお屋敷まで届けてもらうようお店の方へ注文しました。


 大切な人たちへの贈り物を用意した幸福感に満たされながらお店を出たその時です。黒い影がさっと足元を過ぎりました。


「わっ」


 何かと思えば、黒い毛並みの猫です。


 驚くわたしに気付いたのか、猫はこちらを振り返り「にゃあ」とまるで謝るみたいに一声鳴きます。


 その綺麗な黄金色の瞳を目で追っていると、猫の行く先に一台の馬車が迫ってきているのが見えました。


「危ない!」


 考えるよりも先に身体が動いて、わたしは猫を助けに飛び出していました。


 馬車の前へ飛び出したわたしに気付いたラヴィスが、慌てて駆け寄ってくるのが視界の端に映ります。


「お嬢様!?」


 猫を抱き上げたわたしは、すぐさま自慢の脚力で馬車の前を走り抜ける、はずでした。


「……あ」


 庇うように腕の中に抱えあげた一匹の猫。迫り来る大きな影。


 見覚えのあるこの状況、この光景。記憶が一気に呼び起こされ、過去と現在が交錯します。


 夜の街中。車道に飛び出した猫。迫り来るトラックの巨体。甲高く響いたブレーキ音と鳴り喚くクラクション。


 トラックのヘッドライトで真っ白に染まる視界。


「……っ!」


 フラッシュバックした記憶に目が眩んで、身動きがとれずにいたわたしは、物理的な衝撃が加わって我に返りました。


「お嬢様!」

 

 嘶く馬の声と、道を行く車輪の音が真横を通り過ぎ、目を瞬きます。


 馬車に轢かれそうになっていたわたしは、どうやら直前で誰かに抱えあげられて移動し、救われたようでした。


「ふー、危機一髪……危ないとこだったな」


 猫を抱いた大人一人を軽々と抱き上げ、素早く馬車を避けたその人は、エメラルドグリーンの瞳でわたしを見下ろします。


 きりりとした眉に、真っ赤に燃える炎のような髪。逞しい体つきをした彼は背中に大きな剣を背負っていました。


「おい、大丈夫か?」


 呆然と固まっていたわたしに、赤髪の剣士さんが心配そうに問いかけます。


 いけません。驚きのあまり言葉を失くしてしまっていました。


「あ、ありがとうございます! 大丈夫です」


「そうか? それならいいけどよ」


 少し訝しげにしながらも、赤髪の剣士さんはわたしをそっと地面に下ろしてくれました。


「お嬢様! ご無事ですか!? お怪我は!?」


 すぐに駆け寄ってきたラヴィスは真っ青な顔で、わたしに怪我がないかあちこちを確認します。


「ええ。このお方が助けて下さいましたので」


 そう返しながら、改めて赤髪の剣士さんに向き直ります。


「危ないところを助けて下さいまして、本当にありがとうございました」


「礼には及ばねえよ。当然のことをしただけだからな」


「お嬢様、彼もこう言ってくれていることですし、急ぎ屋敷へ帰りましょう」


 さりげなく剣士さんとわたしの間に割って入ったラヴィスが早々に会話を切り上げようとしてきます。そんなラヴィスに呆れた視線を送り、わたしは一歩前へ踏み出しました。


「そういうわけには参りません。このご恩はきっと何かでお返し致します。もしなにかお困りのことがあれば、丘の上にある我が家までお越し下さい。わたしにできることでしたら、お力をお貸し致します」


「そうか? かえって気を遣わせちまって悪いな」


「とんでもございません。どうぞ、お気軽に。まずはお茶でも飲みにいらして下さい」


 そう言って微笑むと、赤髪の剣士さんもにかっと白い歯を見せて人懐っこい笑みを浮かべてくれました。


「そうか。そんじゃあまた、なんかあったら行かせてもらうぜ」


「ええ。遠慮なくお越し下さい」


「おう、またな!」


 そう言って爽やかに去っていく後ろ姿へわたしはもう一度お礼の言葉を告げます。彼は振り返らずに手をひらひらと振って、人混みの中へ消えていきました。


「……あ」


 彼の名前を聞きそびれてしまったことと、わたしも名乗りそびれていたことに気が付いたのは彼の背中が完全に見えなくなってからでした。


 まあ、「礼には及ばない」なんて潔い台詞をかっこよく吐き捨てたくらいです。名前を聞いても「名乗るほどのもんじゃねえ」なんて言っていたかもしれません。


 彼が本当に屋敷を訪ねてきてくれるかは分かりませんが、また会えることがあれば、その時に改めてご挨拶させてもらうことにしましょう。




つづく


☆ * ★ * ☆ * ★


『ほかあた』を読んで下さいまして、ありがとうございます!

次回は謎に包まれた怪盗『黒猫』の噂話。

(水)(土)の週2回更新予定です。

応援、レビュー頂けると泣いて喜びますので、なにとぞよろしくお願い致します!

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