第39話

 アスベルはとっさに立ち上がり、右手でリリィの肩を掴んで手前に引き寄せた。


 左手はロバートの拳をいなす。

 

 ところがすぐに二撃目が迫ってくる。


(力がはいらぬ……! このままでは……!)


 アスベルはもはや拳を握ることもできない。握力が完全に死んでいた。


 けれど彼は打ち込んだ。


 開いた右の掌をロバートの左胸へ。


 次に左手の側面を右の脇の下へ。


 最後に、両手を腰の横でぎゅるりと回転させ、ロバートの臍の下。丹田に押し込んだ。


「ひゅっ…………!」


 ロバートの体が、どくん、と脈打ち、眠りにつくように倒れた。


 心臓への一撃は血流を狂わせる。


 脇の下への一撃は神経を狂わせる。


 丹田へ打ち込まれた一撃はすべての臓器を震わせる。


 狂った血流と神経によって、臓器は体が死亡したと誤認識を引き起こす。


 王家・裏秘術。


 まるで散りゆく桜のように儚く死んでゆく絶死の御業。


 名を----―散桜華さんおうかと呼ぶ。


「ロバー……ト……」


 アスタロトが声をかけても、ロバートの反応はない。


 エルザがとんできて、うつぶせに倒れていた体をひっくり返し、胸に耳を当てた。


「っっ! 心肺停止状態です! これから救急救命処置に入ります! そこのあなた!」

「わ、わたし!?」


 リリィが自分を指さして叫んだ。


「わたしが心臓マッサージをします! あなたは人工呼吸をお願いします!」

「え、えええええ!? わ、わたしが!? そ、そんなの無理だ! わたしは人工呼吸はおろか……」


 いじいじと指先をいじるリリィを見て、エルザはなにかを察したようにはっと息を吐いた。


 彼女はすぐに微笑み、「ごめんなさい。なら心臓マッサージをお願いできる?」と優し気に問いかけた。


「そ、それなら!」


 リリィはロバートの胸の上で手を重ね、ぐっぐっ、と押し込んでいく。


「さて、それじゃわたしは----」 

「ちょおおおおおおおおおっとまったあああああああ!」


 謁見の間の入口から、異様なオーラをまとった近衛隊長が入ってきた。


 トランクス一枚のままで。


「いやあああああ! お父さま! お父さまぁ!」


 ロザリアがロバートに駆け寄ってきた。動かない父の姿に、顔を青ざめさせている。


「ど、ドレイク!? なによその恰好!」

「人工呼吸なら俺がやる! 任せてくれ!」


 近衛隊長はエルザを押しのけて座った。


「え、ちょ、これは救命活動----」

「好きなんだ!」

「え……」


 近衛隊長の突然の告白に、エルザは目を白黒させていた。


「だから、やらせてくれ」

「え、ええ……じゃあ、お願い……」


 近衛隊長が、ぶっちゅううううう、とロバートに空気を送り込む。


「うわ……なんか濃くて嫌だ……」

「ありがたいですけど……嫌ですわ……」

「わー、おじさん熱烈だねー」


 遅れてきたキリカは物珍しそうに接合部分を熱心に見つめ、リリィとロザリアは顔をひきつらせていた。


「ごめんね、ドレイク。わたし、あなたの気持ちも知らずに……」


 頬を桜色に染めたエルザが、ロバートの手首で脈をはかりながらいった。


「まさかあなたが…………男色家だったなんて」


 ぶふぅぅぅ、と噴き出す近衛隊長。


「い、いや、ちが……ちが……」

「んもう、先に言ってくれればよかったのに。そういえば、ファイティング・ショーを見に行くときも、いつもわたしより試合ばっかりみてたもんね」

「いや、それは、だから、照れというか……」

「なんでもいいがわたしだけに任せるのはやめてくれないか!? ……ををを?」


 リリィが正論を吐いた直後、満身創痍のアスタロトが彼女の肩を押しのけた。


「どいてくれ……これは、そんなんじゃ無理だ……」


 アスタロトは「兄さん、手をかしてくれ」と続けた。


「余にできることがあるのか?」

「もちろんさ。というか、やれなくてもやってもらうよ。この男は僕の右腕だ。僕の命に変えてでも助けてみせる」

「それほどの思いがありながら、なぜ自分でやらんのだ?」

「僕にはもう力が残ってないからさ。助けてよ、兄さん」

「ふっ、余を殺そうとしておいてなんと傲慢な男よ……さすが我が弟! あっぱれである! では弟よ、余はどうすればいい?」

「抜き手の構えで、この角度で……」


 アスタロトは、アスベルの手をもってロバートの左肋骨下にあてがった。


「な、なんだろー? なんだか二人を見てるとー……」

「いけない扉が開いてしまいそうですわー!」

「わ、わたしはそんなことないぞ……」


 両手で頬を抑えるキリカとロザリア。その後ろでは、リリィがちらちらとアスベルとアスタロトの共同作業を見ていた。


「あとは一気に押し込むんだ。いいかい、さっきの兄さんとちがって、ロバートはいま完全に脱力してる。臓器はもちろん、血管や神経を逃がすことはできない。少しでも角度がずれれば、心臓に繋がる血管が切れるかもしれない。集中して」

「うむ」

「臓器をっ、すぅー……逃がすってっ、すぅー……なんだよっ、すぅー……」


 人工呼吸を再会しながらも、近衛隊長は指摘せずにはいられなかった。


「頼んだよ、兄さん」

「任せろ……余は、王である!」


 アスベルの手が、ロバートの体に沈んでいく。


 掌に心臓を握り、手を閉じては開いてを繰り返す。


「お願いお父さま……帰ってきて……」

「がんばれ、ロザリアちゃんのお父さん……」


 手を組み合わせて祈るロザリアとキリカ。


「マスターが悲しむぞ……早く起きろ」


 吐き捨てるように、けれど優しい声色で、リリィがいった。


「頼む、帰ってこいロバート。君にはまだ、やってもらいことが山ほどあるんだ」


 アスタロトはロバートの手を握る。


「蘇れ! 蘇れ! 蘇っーーーーむ!」


 手を引き抜くアスベル。


 全員の思いが伝わったのか、ロバートがうっすらと目を開いた。


「脈が……脈があります!」

「呼吸は!?」

 

 全員の視線が、いまだ唇に吸いついている近衛隊長に注がれる。


 瞬間、ロバートの目がかっと開き、こめかみに青筋が浮かんだ。


「んんあああああああああ! 何してんだテメェあああああああああああ!」

「ぐはあああああああああ!」


 ロバートにぶん殴られ、近衛隊長が宙を舞った。


「うげえええええ! げほっおええええええええ!」

「お父さまあああああ!」


 えづくロバートに抱き着くロザリア。


「ロザリア……」

「うええええん! 怖かった! 怖かったですわああああ!」

「……すまねぇ。みんなも、その……ありがとよ……」


 その場にいた全員が、二人に暖かい視線を送る。


 アスベルは立ち上がり、拳を高々と掲げた。


「これにて! 決着である!」

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