第38話

※  ※  ※


「フレー! フレー! オー・ジー・サー・ンー! 頑張れ頑張れオー・ジー・サー・ンー!」

「お父さまー! そんなパンツ一枚男に負けないでくださいましー!」

「うおおおお! ファイトっす隊長殿おおおお!」

「すげぇぜ! 二人ともアンパンみたいな顔になってもまだ立ってやがる!」


 謁見の間の激闘が終わった頃、大広間ではキリカとロザリア、それと頑丈な兜のおかげで事なきを得た近衛兵たちが、近衛隊長とロバートの戦いを応援していた。


 近衛隊長はもとよりトランクス一枚だったが、ロバートもいまはコートとシャツを脱いで黒いスラックス一枚の姿になっている。


 二人とも殴られすぎて別人のように顔が腫れあがっていた。


「うおおおおおおお!」

「おらああああああ!」


 クロスカウンター。


 二人とも足をがくがくと震わせて、膝をついた。


「どっちですの! どっちが立つんですのー!?」

「ぶふぅ……お、俺は……この戦いが終わったらぁ……」


 近衛隊長が、たらこのように膨れ上がった唇を動かしなにかを呟いている。


「なになにー!? おじさん、なにいってるのー!?」


 すっかり元気になったキリカが自身の耳に手を添えた。

 

「プロポーズぅ……すっっっだああああああああああ!」

「「「「「「わああああああああああああ!」」」」」」


 両手を振り上げて立ち上がった近衛隊長。


 彼に駆け寄るキリカと五人の近衛兵たち。


 彼女たちは近衛隊長をわっしょいわっしょい胴上げし始めた。


「きー! お父さまが負けるだなんて! …………って、お父……さま?」


 爪を噛んで悔しがるロザリア。


 彼女がロバートがいた場所に顔を向けると、そこに彼の姿はなかったーーーー。



※  ※  ※



「よい勝負であった! これにて決着である!」


 謁見の間。


 アスベルの勝利宣言が響き渡る。


「にい……さん……」

「むっ! もう蘇生したであるか!? うぐぅ……」


 アスベルはなんとか体を起き上がらせる。さすがにまだ立ち上がれるほど回復していないので、片膝をついたままだ。


「意識を取り戻しただけさ……座ることもできないよ……」

「ふっ、そうであるか。ならば余の勝利宣言は間違いではなかったのだな」

「ああ、そうだね。……だから、やるならいまがチャンスだよ?」


 アスベルの視線は、倒れたアスタロトの向こうに向けられた。


「お主……」


 そこにいるのは、脇腹を抑え、右手に三本の針を握りしめたリリィ。


「貴様さえ……貴様さえいなければ、わたしは……」

「そうだ……。僕がいなければ、君の手が血で汚れることはなかった」

「許しを乞え! 命乞いをしろ! 自分の行いが間違っていたと認めろぉ!」


 悲痛な涙声が謁見の間に響く。


 アスベルには、彼女の気持ちが痛いほどわかった。


 なぜ謝罪ではなく、許しを求めるのか。


 それは彼女自身が、だれよりも許しを求めているからだ。


「なんて…………悲しいの……」


 エルザはその様子を遠巻きに見つめながら、口を抑えて涙を流していた。

 

「すまなかった」


 アスタロトが謝罪を口にしたとたん、リリィが目を見開いた。


 アスベルは、嫌な予感がした。


 そうだ。許しを請うということは、罪を認めたということだ。


 自分を闇に落とした存在が罪を認める。


 それはつまり、あの名も知らぬ暗殺者もまた、自身の罪を受け止めなければならないということなのだ。


 悪の道に引きずりこまれたことを認めなければならないのだ。


 アスベルがそこまで気づいたところで、アスタロトはさらに話を続けた。


「だが、許して欲しいとは思っていない。なぜなら僕はなにも間違ったことなんかしていないからだ。いまの謝罪は君ではなく、僕に期待してくれた全てに対するものだ」

「…………は?」

「僕は僕の理想のために全力をふり絞った。結果的には兄さんに負けたけど、僕は自分の考えを間違ってるなんて思っちゃいないってことさ」

「貴様は、自分の奪った命に対しても同じことがいえるのか!?」

「彼らに抱く感情は、感謝だ。彼らのおかげで僕はここまでこれた。一時とはいえ、玉座にまで上り詰めたんだ。そこに、負い目はない」

「貴様ああああああああ!」


 リリィが針を振り下ろす。


 その切っ先は、アスタロトの顔の横の床を抉った。


「…………勘違いしないで欲しいのは、僕は自分のことを正義だとは思ってないよ。だからといって悪だとも思ってない。仮に悪だったとしても、この国に必要な悪だった。だから僕は、僕を責めない。この道に進んだ自分を否定しない」

「貴様に殺された者たちが、本当に納得していると思っているのか!?」

「悲しみと絶望の中で死んだものもいるだろう。それは否定しない。でも、少なくとも君の両親は決して人生を恨んで死んだわけじゃない。武人として立派に戦い、僕に託して死んだ。だから君も、自分を否定する必要はないよ。君のこれまでは……罪なんかじゃない」

「う……ぐすっ……うわああああああああああああっ!」


 謁見の間に、あまりにも悲しい声が響く。


「ふふっ、まるで幼子である……な……?」

「ぐすっ……っ?」

「ムスメノ……ミライノ……タメニ……」


 泣き叫ぶリリィの背後に、ボロボロのロバートが立っていた。


 青く腫れあがった両目は白目を向いている。


 体中が痣だらけで、指先を動かすだけでも全身の筋肉が悲鳴を上げているはずだ。


 にもかかわらず、彼は動いている。メリケンサックをつけた右手を、振り上げている。


 もはや痛覚などない。肉体の限界を凌駕する強烈な想いが、彼の体を操っていた。


「いかんっ!」

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