第36話
「きゃあああああ! な、なにこの音!? 鐘を鉄槌で目いっぱい殴ったような音が!?」
耳朶を打つ打撃音とともに始まった両者の戦闘。
最初こそお互いにノーガードで殴りあっていたが、ある瞬間にアスタロトがアスベルの手首をいなした。
空振りしたアスベルは前のめりに体勢を崩す。アスタロトの膝がアスベルの腹部へと打ち込まれるも、アスベルは寸でのところで左手が間に合い、膝の頭を受け止めた。
前傾姿勢から右肘をアスタロトの顎に打ち込むが、彼は上半身を反らせて躱す。
アスベルの追撃は終わらない。顎を上げたアスタロトの体に、真っ赤に光る拳を放つ。
「スザク!」
アスタロトは、腹筋を固めた。
「四の秘儀----ユグドラシェル」
アスベルの拳は、アスタロトの腹筋を貫くことはできなかった。
「むっ!?」
「三の秘儀、フレスヴェルグ!」
今度は、アスタロトの右腕が赤黒く発光。
彼はその腕を、拳を開いたまま突き出した。
「くっ!? 四の型ーーーー」
「遅い!」
アスタロトの抜き手は、アスベルの肋骨の下から食い込み、彼の体の奥深くへと突き刺さった。
「ふっ、ぐっ……」
「あははははは! さすが兄さん! こんなに深く腕を差し込まれて肉が裂けないなんて、なんて柔軟で強靭な筋肉なんだ! でも、わかるかい? この感触」
「き、貴様……」
「僕は今、兄さんの心臓を握っているんだよ」
アスベルは確かに感じていた。
心臓が握られている。血流が不規則に流れている気持ち悪さに、吐き気が込み上げてくる。
けれど、吐くことはできない。いまはかろうじて潰されずにいるものの、ほんの少しでも気を緩めれば、アスタロトの五指はリンゴよりも容易く心臓を握りつぶすだろう。
完全な膠着状態だった。
「う、嘘……国王様が、そんな……」
エルザが血の気の引いた顔で二人の様子を眺めていると、どこかで、風を切る音がした。
「っ! これは……?」
アスタロトの肩に針が突き刺さる。
アスベルは毛ほどの緩みを逃さなかった。
「よん、のかた……ゲンブ!」
一気に全身の筋肉を引き締めると、体に食い込んでいたアスタロトの腕がはじき出された。
「ふぅ、せっかくチャンスだったのに。誰だい? 僕らの時間を邪魔するのは」
「わたしだ!」
いつの間にあらわれたのか、アスタロトの背後にリリィが立っていた。
彼女は両手の拳に針を握り、アスタロトに切りかかる。
「君は、組織の暗殺者の?」
「組織は抜けた。それよりも答えてもらうぞアスタロト・ナックルライフ! 七年前、黒髪の武闘家夫婦を殺したか!?」
「ははは! まさか敵討ちかい!? ああ、そういえば殺した気がするなぁ! 東の島国出身で、ニンジュツとかいう魔力を使わない奇妙な術を使っていた!」
「それはわたしの両親だ!」
リリィの斬撃がかすめ、アスタロトの胸に三本の赤い線が引かれた。
「ふっ、僕に傷を負わせるとは。君も親に似て優秀なっーーーーぐっ?」
ふらり、とアスタロトの体が揺らぎ、膝をつく。
「毒だ。最初の一撃と、今の一撃。貴様はこのあと七時間かけて、発熱と幻覚、そして全身の神経をあぶられるような苦痛の中で死んでいく。許しを乞えば、楽にしてやろう」
「はぁー……はぁー……、た、たの……む……」
「あの世で両親に詫びろ! アスタロト!」
リリィが腕を振り上げると、彼女のがら空きの胴体に、アスタロトはそっと手を触れた。
「一の秘儀----ヒュドラ」
青紫色に発光した手から、猛烈な突風が吹き荒れリリィを吹き飛ばした。
周囲に亀裂が走るほどの勢いで壁に叩きつけられた彼女は、床に倒れ、ぴくりとも動かない。
「ははは、残念だったね。いまのは演技だよ。僕は皮膚の下に鉄板を仕込んでいる。初めから君の毒針は薄皮一枚を削っただけで、血管はおろか肉にすら届ていなかったのさ。それでも、ピリピリっときたけどね」
「く、そ……化け物め……」
「なんとでもいうがいいさ。それにしても、まさか僕の組織にこんな危険な反逆の芽が潜んでいたなんて。ここで消してしまわないと」
アスタロトがリリィに歩み寄る。
その間に、アスベルが割り込んだ。
「この女を殺させるわけにはいかん」
「大事な大事な民草だからかい? でも彼女は兄さんを殺そうと----」
「違う。余の友達だからだ」
「アス……ベル……」
「しゃべるでない。名も知らぬ暗殺者よ。……そこでみているのだ」
再び向かい合うアスベルとアスタロト。
二人の腕は、それぞれ赤と青紫に光り輝いていた。
「スザクを抜き手に変え、突き上げのセイリュウを寸勁に変えたか。見事なアレンジではあるが、王家の秘術はそれ自体が完全であるぞ」
「いいや、違うね。技術は常に進歩し続けている。いつまでも過去の遺物に縋るなんて、その先に待つのは破滅だけだよ兄さん」
「では試そうか」
「いいだろう。でもこれは試し合いじゃない。殺し合いだよ!」
アスタロトは重心を落とし、アスベルの腹部を狙う。
突き出されたその腕を、アスベルは両腕を交差させて挟み取る。
アスタロトが左手による二撃目を放ち、アスベルは顔を右に倒して躱した。
「おおおおおおお!」
「はああああああ!」
二人の腕が消え、凄まじい攻防が繰り広げられ、もはや肉眼ではとらえることができない。
「アスタロトおおおおおお!」
アスベルの右足が白く輝く。
「兄さああああああああん!」
アスタロトの右足が黒く染まる。
両者互いに頭部狙いのハイキックを繰り出し、交差して衝突した。
その衝撃は謁見の間の松明を掻き消し、すべての窓が粉砕された。
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