第30話
「何者だぁ!」
「王宮の兵士なのに、俺がわからないのか?」
「私は先日北の辺境から派遣された兵士だ! 貴様など知らん!」
「やれやれ、だから血の気が多いのか」
北の辺境は過酷な土地だ。食料は乏しく、短い春を過ぎればほぼ一年中雪が大地を覆っている。
さらには北の国との国境を守るという緊張感を課せられるので、北の兵士は気性が荒い者が多い。
この兵士も例外ではないようだ。
「おい貴様、覚悟はできているんだろうな? さきほど投げつけたリンゴ。あれは間違いなく、私への危害。それはつまり、国王様にリンゴを投げつけたのと同じことだ!」
「同じなわけないだろバーカ!」
「こ、こら!」
男の子が怒鳴ると、母親が慌てて彼の口を手でふさいだ。
「だ、そうだが?」
「ぐぬうう! ここまで虚仮にされてはもはやこの場にいる者だけの問題ではない! この国の住人全員の連帯責任だ! 斬首! 斬首である!」
「あ、あんたなにいってんだい……」
「国民を皆殺しにしてどうすんだよ!」
「あ、あの……それは、あまりにも……」
老人も男の子も母親も、全員が白い眼を兵士に向けている。
自分の失言に対する羞恥からか、はたまた北の国境に勝るとも劣らない冷ややかな空気に我慢ならなかったのか、兵士は顔を赤くして剣を振り上げた。
「ええい黙れ黙れ! 斬首! 斬首! 斬首だあああ----」
「うるさいぞ」
カインの拳が兵士の横っ面を穿つ。
兜がぐるりと回転し、前後が逆転した。
「ふむぅ!? ふぐぐぐぐ!」
ひしゃげたせいか、兵士が両手で持ち上げようとしても兜はちっとも抜ける様子がない。
「※~×△◆♯〇$%&=¥!」
兵士はカインを指さし、なにやら叫ぶと、王宮の方向にふらふらと歩き去っていった。
「やったー! すごいや兄ちゃん!」
「怪我はないか?」
「うん!」
「あああ、なんということを……!」
「王宮の兵士を殴るなんて! あんた、とんでもないことをしたのう!」
満面の笑顔で答える男の子とは対照的に、母親と老人は青ざめていた。
「報復されるかもしれないってことか?」
「あんただけじゃないぞ! あんたに関係する者、全員が危険にさらされる! それどころか町中の人間にまで危害が及ぶかもしれん! ああ、なんてこった……」
「なら俺は、どうすればいいのかな……」
「兄ちゃんが国王様をやっつけてよ!」
「……え?」
「こ、こら! あんたはまた!」
母親が抑えようとするも、男の子は手をすりぬけて、カインの足元にやってきた。
「兄ちゃんが国王様をやっつけて! それで兄ちゃんが国王様になっちゃえばいいんだ!」
「俺が……?」
「そ、そんなことできるわけないでしょ! ねえあなた、悪いことはいわないわ。すぐにこの町から逃げた方がいいわよ。これ、助けてもらったお礼。少しでも夜逃げの足しにしてちょうだい」
母親は本当にカインの身を案じているのだろう。彼女はカインの手に、少しばかりの金が入った小袋を握らせた。
「いいのか? あんたも生活が苦しいはずなのに」
「いいのよ。この町が変わってしまったのはあなたのせいじゃないもの。それに、兵士を殴ってスカッとしたのは本当だからね」
母親はにこりと微笑んだ。
ちくり、とカインは胸が痛む。
本当にこれでいいのだろうか。
国民を置き去りにして、どこか遠くに逃げることが、果たして正しいことなのだろうか。
「兄ちゃん! ねえ、お願いだよぅ! そんなに強いなら、僕の代わりにこの町を守って!」
「いや、俺は……」
カインはまっすぐ自分を見上げてくる少年の瞳を見つめ返した。
いままさに王としての資質を問われている。そんな気がしていた。
(王とは、なんなんだ。どうすれば父上のような王になれるんだ)
カインはわからない。
父はまぎれもない王だった。強く、優しく、知性に富み、時には仏のようで時には鬼神でもあった。
王としての圧倒的なカリスマ性を持つ、絶対的な存在だった。
カインはわからない。
自分になにが足りないのか。
足りないことはわかっている。
足りないからこそ、自分は王位を剥奪されたのだ。
そしてそのなにかを、アスタロトはもっているということもわかっていた。
「だから、それはできないっていってるでしょ? 国王様になれるのは、ただ強いだけでは駄目なのよ」
「俺……は…………」
母親がいうように、腕っぷしだけで王が勤まるはずがない。
拳しかない自分には、及ばぬ領域がある。
殴り合いではなく話し合い。アスタロトはそういっていたことを思い出す。
「わかってるよそれくらい! でも兄ちゃんは、僕らのために殴ってくれたんだよ! 僕は、兄ちゃんが国王様になってほしい!」
「もう! パパに似て頑固なんだから!」
「関係ないよ! 僕がそう思ったんだもん! 誰かにいわれたからいってるわけじゃないよ!」
男の言葉を聞いて、カインははっとした。
ーーーー貴様はいったいなにを望んでいる?
耳の奥で、いつかのリリィの言葉が蘇る。
「俺は……いや……余は……」
カインは、開いた掌を見下ろした。
同時に様々な情景が頭の中を駆け抜ける。
母の優しい笑顔。
父の広い背中。
キリカやリリィ、ロザリアと過ごした日々。
近衛隊長やエルザたち、そしてこの広場にいたマッチョたちの笑顔。
あの穏やかで暖かい日々を、取り戻したい。
たとえ拳しかなくとも、この拳でできることがあるはずだ。
不可能を可能にするんじゃない、いま自分ができることを、この拳で成せることをしよう。
カインは心に強くそう思い、見下ろした手を握りしめた。
「よかろう」
「え?」と、男の子は目を丸くした。
「少年よ。お主は、余が国王となることを所望するのだな?」
急に口調が変わったカインに、男の子も、母親も、老人も、呆気に取られていた。
「う、うん!」
「そうか……ならばその願い、叶えねばな」
カインがそういうと、老人が「恐怖で気がふれてしまったか……」といって念仏を唱え始めた。
「少年の母君よ」
けれどアスベルはそんなことなど気にも留めず、男の子の母親に視線を移す。
「な、なに?」
「これは返そう。余には必要のないものだ」
カインは、母親の手に先ほど受け取った小袋を握らせた。
「で、でも……」
「夫が帰ってきたときに、豪華な料理を振舞ってやるといい。きっと、腹を空かせているでな」
「……そうね。ありがとう」
母親は小袋を受け取り、ふっと微笑んだ。それが心からの笑顔なのか、はたまた憐憫の情なのかはわからない。
期待されているのかされていないのか、そんなことはカインにとってどちらでもいいことだった。
王としての資質や、偉大な父の影を追うこと。人々の尊敬を集めること。
どれも求めるものであることには違いない。
喉から手が出るほど欲しいものであることに、嘘偽りはない。
だが、どれも一番ではない。
皆が笑顔でいてくれること。
それこそカインが、いや、アスベル・ナックルライフが、もっとも望むことだった。
「あの、あなたは、いったい?」
「余はカイン……いや、アスベル・ナックルライフ十三世! この国の王である!」
そういって、暗雲が立ち込める空の下。アスベルは王宮を見上げた。
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