第26話

「アスタロト……」

「取り込み中だったかな?」

「いや、かまわぬよ。臣下たちと雑談しておっただけである」

「へぇ、仲がいいんだね。僕らも仲良しだよね? ロバート」

「ええ、そうですね」


 同意を求められた黒コート、ロバートは、素っ気ない返事をしてポケットから煙草とマッチを取り出し火をつけた。


「こ、こら! ここは謁見の間だぞ! 無礼者!」

「固いこというなよ」


 近衛体長が槍を構えるも、ロバートは無視して煙草をふかす。


「よい。だがな弟の側近よ」

「んん? 俺ですかい?」


 ロバートは煙草を指に挟んだまま、額を掻いた。


 軽薄な笑みを浮かべていたが、アスベルは特に気にする様子もない。


「殺気は抑えよ。殺人まで許した覚えはない」

「……へへ、こいつぁどうもすいませんね」


 ロバートはずっとポケットに入れていた左手を抜いた。彼の手には、メリケンサックが嵌められていた。


「そ、そんなものでなにを……?」

「ふっ」


 ロバートの腕が消え、近衛隊長が構えていた槍の穂先が、きぃん、と甲高い音を響かせてへし折れた。


 上方に弾き飛ばされた穂先は、くるくる回りながら近衛隊長の背後に落下し、床の上に突き刺さる。


「こ、この神速の拳……まるで国王様と同じ……」 

「もう年なんでな。全盛期ほどじゃないさ。それに、こんなものにも頼るようになっちまった」


 ロバートは「人間、楽を覚えちゃいけねぇな」とうそぶいて、メリケンサックを外した。


「なかなか面白い奴だのう」

「あはは、すまないね兄さん。でもどうやら、僕の家臣のほうが、兄さんの家臣より強いみたいだね?」

「なにがいいたい?」

「別に? ただ、僕と兄さんならどっちが強いんだろうって思ってね」

「ほう……」


 アスベルとアスタロト。両者の周囲の空気がぐにゃりと歪む。

 

「おいおいおい、待て! まさかおっぱじめる気じゃないだろうな馬鹿王子!」

「こ、国王様! 相手は弟君様でございます! どうか矛をお納めください!」


 ロバートと近衛隊長がそれぞれの主君に物申す。


「だ、そうだが、どうするアスタロト? 余はかまわんぞ」

「僕もいいよ」

「では----」

「でも、今日は殴り合いにきたわけじゃない。話し合いにきたんだ」


 ふっ、とアスタロトから殺気が消えた。

 

「話し合い?」

「うん。この写真、見覚えあるんじゃないかな?」


 アスタロトはロバートから一枚の写真を受け取り、見せつける。


 そこには、天井に突き刺さった三人を背景に笑うアスベルが映っていた。


「むっ、それは」

「こ、国王様の写真!?」

「そう、これは国王様が善良な一般人を虐待した証拠写真。そうだよね、ロバート?」

「ええ、そうですね。あとから彼らに事情を聞いたら、一方的に殴られたと証言しました」

「な、ど、どうせ金でいわせたんでしょ!」


 エルザが食ってかかるも、ロバートは気にせず二本目の煙草に火をつけた。


「ふぅー……。おいおいずいぶん声がでかい姉ちゃんだな。おっぱいもでけぇし、おっさんびっくりしちまったよ」

「んなっ!」


 エルザが胸を隠した直後、ロバートは顔面に飛んできた穂先のない槍を掴み取った。


「なんだぁ?」

「この無礼者がぁ! もう許さんぞ!」


 近衛隊長が肩を怒らせロバートに歩み寄る。

 彼が拳を振り上げた直後、ロバートは指で煙草を弾き、近衛隊長の目に当てた。


「うっ!」

「ふんっ!」


 その隙にロバートは距離を詰め、近衛隊長の鎧に平手を当てた。

 こぉぉぉん、と振動する音がして、近衛隊長は白目を向いて倒れる。


「ドレイク!」


 エルザが駆け寄り、近衛隊長に寄り添った。


「ふむ、内臓を損傷させる技か」

「よくわかったね兄さん。さすが人を殴ることに関しては詳しい。でもわかっているのかい? これでますます兄さんの立場は危うくなった」

「はて、どういうことかのう」

「一般人を殴る国王。客人に槍を投げつける兵士。この事実を国民が知ったらどうなると思う?」

「……余に、なにを所望するのだ」

「その椅子を譲ってもらいたい。そこは兄さんにふさわしくないからね」

「ば、馬鹿な……玉座を譲れだと!? そんな馬鹿な話がっ……あるかっ……! げほ、ごほ!」

「しゃべらないで! いまは安静にしてなきゃ駄目!」


 立ち上がろうとする近衛隊長を、エルザが押さえつける。その様子を、ロバートは冷めた目で見下ろし「おいおい、ずいぶんタフだな」といって、目を丸くしながら煙を吐き出した。


「さあ、どうするんだい兄さん?」

「父上よりたまわりしこの役目。そう簡単に手放すと思っておるのか?」

「手放さなくとも、引きずり降ろされるさ。僕らの手によってね」

「…………小癪な真似を」

「さっきもいったけど、殴り合いはなしだよ兄さん。そんなことをすれば、兄さんだけじゃなく、この王宮にいる全員が路頭に迷うことになる」

「……家臣たちは関係ないであろう」

「なら、こうしよう。兄さんが素直に玉座を退いたなら、この写真は公表しない。それに、そこの無礼者は許してあげる。兄さんだけがこの城から出て行ってくれればそれでいい。悪くない条件でしょ?」

「…………信じてよいのだろうな」

「心配しなくても、僕がちゃんと面倒みるよ」

「そうか……よろしく頼むぞ」 


 アスベルは玉座から立ち上がり、ゆっくりとアスタロトに向かっていく。

 アスタロトが彼の入るも、彼は殴りかかることなく、その隣を歩き去った。


「お待ち……ください、国王様……国王様っ! こんなやつら、国王様なら!」


 近衛隊長が叫び、アスベルが立ち止まる。


「達者でな、皆の衆」


 しかし彼は、振り返ることはなく、謁見の間から出ていったのだった。

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