第21話

「ふぅ……」


 アスベルは浮かない顔で自室のベッドに寝転がり、手紙の入った封筒をシャンデリアの光に透かしていた。


「五年ぶりの連絡だというのに、なぜこんなにも気分が晴れぬのだろうな」


 封筒をベッドサイドテーブルに放り投げる。枕元のコックを捻り、シャンデリアに供給されているガスを止めると、部屋は夜のヴェールに包まれた。


 部屋の明かりが消えてしばらくすると、月明りが降り注ぐ窓がゆっくりと開いた。


 窓辺に足を乗せているのは、黒装束に身を包んだリリィ。彼女は絨毯の上に降り立とうと足を伸ばしたが、ひっこめた。

 

 足袋を脱いで窓の桟にひっかけ、裸足で絨毯の上に降り立つ。汚すまい、という礼儀のつもりだった。


 彼女は腰に下げた針袋から一本の針を抜く。


 その針を、アスベルに向かって突き刺す……かと思いきや、彼女はため息をついて針をしまった。


「やらぬのか?」

「……気分じゃない」

「そうか。なら」

 

 アスベルはシャンデリアを灯し、ベッドの淵に腰掛けた。


「すこし話すか?」

「話せることなどなにもない」

「そうだろうか? 余は、聞きたいことがたくさんあるぞ」

「例えば?」

「お主の名はなんという?」

「……いまさらなぜそんなことを聞く」

「お主を知りたいからだ」

 

 アスベルはまっすぐこちらを見つめてくる。迷いのない、澄んだ瞳だ。


「わたしは……」


 リリィは戸惑っていた。

 暗殺者である自分が、暗殺対象であるアスベルに名前を明かすなど本来ありえないことだ。どこの世界に、殺す相手に自己紹介する暗殺者がいるだろうか。


 でも、名乗りたい。彼女はそう思っていた。


 森の中で感じたあの背中。毒で朦朧としていたとはいえ、あの広く力強い背中の感触が忘れられなかった。


 彼がどのようにあの背中を獲得するに至ったのか知りたかった。


 同時に、自分のことを知って欲しいと思った。


 それは恋愛感情というよりも、同じ武人としての、尊敬からくる感情だ。


 しかし、

 

「名乗ることはできない。すまないが……」


 彼女は、自身の立場を捨てられるほど愚かにはなれなかった。


「よい。では、なぜ毒を好むのか教えてくれぬか?」

「毒が好きなのではなく、植物が好きなのだ」

「なぜ、好きなのだ?」

「風に吹かれても、雨に打たれても。草木はありのままを受け入れる。こんなわたしでも受け入れてくれるような、そんな気がするのだ」


 だから、キリカのことも好きだった。

 

 彼女は植物というより太陽だが、汚い自分を受け入れてくれるという点に置いては、同じだった。


「お主は、自分が嫌いか?」

「嫌い、とは少し違う。ただ自分が、惨めで汚らわしいものだとは思ってる」

「そうだろうか」

「そうなのだ。この手は、欲望にまみれた他人の血で汚れている」

「血は、血だ。洗えば落ちる」

「そういう問題では----」

「余は、そなたを美しいと思う」

「なっ……。こ、こんなわたしの……どこが……」


 あまりにも唐突なアスベルの口説き文句に、しどろもどろと問いかけるリリィ。


 甘い言葉を囁かれるだなんて生まれて初めての経験に、幾人もの命を奪ってきた彼女はどう答えればいいのかわからなかった。


 言葉を失う彼女にかわって、アスベルが穏やかな表情で口を開いた。


「まず、重心がぶれない」

「……は?」

「ちゃんと逆の手の引きを意識しており、体重移動も完璧だ。余は父上以外で、あれほど美しい突きを放てる人間を見たことはない」

「貴様、なにをいっている?」

「なにって、そなたの拳がいかに美しいかの話であろう?」


 めらり、とリリィは自分の腹の中でなにが燃え始めるのを感じた。


「やっぱり殺してやろうか」

「それもよいだろう。余は王である。たとえこの身を狙う者であっても、我が民の望みは可能な限り受け入れるつもりだ」

「…………はぁ、やめた。わたしはこの件から降りる。貴様と会うことも二度とない」

「そんなことをいうな!」


 アスベルは立ち上がって、リリィの手を握った。

 

「離せ。貴様とはこれっきりだ」

「そんなことをいうな。余は刺激を求めておる。お主に命を狙われるという緊張感は、余にとって無味乾燥な日々に恵んできた雨なのだ」

「わたしは、貴様の暇つぶしの相手だったのか? なおさらいやだ」

「これは王命である。余の命を狙い、暗殺を遂行するのだ」

「やらない」

「やるのだ」 

「やらない!」

「やるのだ!」


 パシャッ、と部屋の奥から光が放たれた。

 クローゼットが軋みながら開くと、そこには見たこともない少女が、首から下げたポラロイド・カメラを構えていた。


「お、おぉ~! 新国王の留守中に寝室に忍び込んだかいがありましたわ!」


 少女はいましがた撮影された写真を見ながら、頬に手をあて金髪のポニーテールをふりみだす。


 リリィは呆気に取られていた。だれだ、この女は。


「おい、貴様。この部屋に女を連れ込んでいたのか?」

「いや、余は知らん」

「だろうな。貴様が筋肉以外に興味を示すとは思えん。で、お前は誰だ? この男が国王だと知ってこの部屋に隠れていたのか?」


 リリィは謎の少女に問いかける。自然と語気は強くなっている。

 動揺しているのか。このわたしが、と自身に問いかけた。


「わたくしはロザリア・クリスマスローズと申します。記者をやっておりまして、いまは新国王の記事を書いている最中ですわ」


 そういって、ロザリアはクローゼットから出てきた。

 

 額に手を当て、左肩、右肩の順に三角を描く。


 どうやら敬虔なマッシブ教徒らしき彼女は、白いシャツの裾を胸の下で結んで腹をさらけ出している。下は紺色のスキニーデニム。耳には大きな金色のリング。化粧にも余念がない。


 見た目を気にするいまどきの女の子という風貌で、流行りに疎いリリィの嫌いなタイプだ。


 ひとつ気になったのは、ロザリアの腕。彼女の腕は両方とも、肩から先がお洒落とは程とおい無骨なはがね色をしていた。

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