第20話
いつものバーにて。
「休暇はどうだった?」
黒コートが尋ねると、彼の持つオン・ザ・ロックの氷がぴしりと音を立てた。
「余計な詮索はするな」
「はいはい。それじゃビジネスの話をしよう。今度こそあの国王様を仕留めてくれ」
「……なぜわたしに頼む。わたしは失敗した身だぞ」
「はぁ? いまさらなにをいっているんだ」
黒コートはリリィの返事があまりにも予想外だったのか、口に近づけたグラスを置いた。
「俺たちの組織は常に人手不足。だから可能であれば同じ人間になんどでも仕事を依頼する。そんなこととっくにわかっているだろ?」
「かたや薄給。かたや過剰労働か……世も末だな」
「世の中なんてそんなもんさ。仕事がなけりゃ当然喘ぐし、あったらあったで仕事が辛いと泣きを見る。どっかの成金に見染められて、家庭に就職するのが一番気楽かもしれないぞ?」
「そうだな」
リリィは一息で酒を飲み干すとそのまま店を出ていった。
「なんだぁ? まさか本気で怒らせちまったかな。どう思う、マスター?」
「かもしれませんね」
「やれやれ、最近の子は感情表現が希薄でよくわからん」
「気になるのでしたらセクハラをやめればよいのでは?」
「まぁそうなんだがな。娘と同年代の子をみると、つい気にかけちまうんだ」
黒コートもグラスを飲み干し、紙幣を一枚カウンターに置いて店を出ていった。
「……ご結婚されていたとは」
マスターは残された紙幣を受け取って、一人呟いた。
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【Q.〈彼〉を追いかけて何年になりますか?】
「もう十年近くになりますね」
左側の前髪だけを目が隠れるくらいまで伸ばした金髪のショートヘアーの女性は、口に手をあて品のある笑みをこぼした。
深海のような藍色の瞳。白く透き通った陶磁器のような肌。息を飲む美しさを放つ彼女は、その高貴な容姿と裏腹に、襟付きの白いシャツにスキニーデニムというラフな出で立ちだった。
ただ服装こそ普通だったが、彼女の両腕は、肘や手首の関節が、ビスクドールのような球体になっていた。
【Q.緊張しますか?】
「それはもう。まさかわたくしがインタビューされる日がくるだなんて、思いもしませんでしたもの。しかも、わたくしのヒーローに関することならなおのことですわ」
女は膝の上に置かれていた古いポラロイド・カメラを一撫でして、遠い目になった。
【Q.若いころはかなりやんちゃだっと聞きましたが?】
「うふふ、それはもう。スクープを撮ろうと〈彼〉の行く先々で待ち伏せたり、リリィではないですが、寝室に忍び込んだこともありますわ。部屋中に〈彼〉の写真を張ったり、地図に移動ルートを書き込んだり。毎日が瑞々しくて充実しておりました。いま思うとあれがわたくしの青春だったのかなって」
【Q.ご自分で歪んでいるとは思いませんか?】
「どこがですの? 好きな人を追いかけるのは当然じゃありませんか」
【Q.いまも〈彼〉のことが?】
「もちろんですわ。むしろ当時よりもずっと深く愛しています。年々、わたくしは〈彼〉の虜になっている気がしますの」
【Q.〈彼〉に好意を抱くきっかけとなったエピソードをお聞かせください】
「もちろんいいですわ。あれはそう、わたくしがまだ駆け出し記者だった頃のことで----」
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「もどったぞ」
アスベルは出てきた時と同じように、医務室の窓から入ってきた。
一人暇を持て余していたエルザは、国王の急な帰還に慌てて開いていた週刊燃える拳のグラビアページを閉じた。
「わあっ! お、おかえりなさい国王様!」
「うむ、驚かせてすまんの」
「いいえ、大丈夫です。と・こ・ろ・でぇ、どうでした?」
エルザはにやにやしながら尋ねた。この朴念仁どころか人としての感情を持ち合わせているのかさえ不明瞭なアスベルが女の子に会いに行ったのだ。
気にならないはずがない。
「どう、とは?」
「またまたとぼけちゃってー。ほら、お土産の件ですよぅ」
「おお、そういえば土産話を所望であったな」
「そうそう。で、どうでした? 甘くて胸焼けしそうな話は調達できましたか?」
「うーむ、そうだのー。胸焼けというか、肝が冷えるというか……」
アスベルが語りだし、エルザは何度も頷きながら聞き始めた。
ところが彼女の顔から徐々に表情がなくなり、最後には自分の肩を抱いてすっかり青ざめたのだった。
「それただの怪談じゃないですか!」
「怪談ではない。実話である」
「余計怖いですよ! ああー、もう。国王様にコイバナを期待したわたしが馬鹿でした……」
「ふむ、期待に応えられずすまんな。許せ」
「ええ、許しますよ。そこの服を持って帰ってくれたらですけど」
エルザはこの数日間部屋の隅に置きっぱなしだった服を指さした。
「おお、これまたすまんの。そういえば置きっぱなしであった」
「まったく大変でしたよ。こんな重たい布なのかよくわからない物体を押し付けられて」
「む? そういえば、よく一人でたためたのう」
「たたんだのはわたしじゃないですよ。あ、そういえば手紙を預かってます」
エルザはデスクの引き出しから一通の封筒を取り出した。
「手紙? はて、だれから……っ!」
手紙を裏返し、差出人の名前を確認するや否や、アスベルの表情が一気に強張った。
眉間に縦皺が刻まれ、手紙を持つ手が震えている。
彼のあまりの豹変ぶりに、エルザも動揺を隠せない。
「あ、あの? 国王様、大丈夫ですか?」
「う、うむ……すまんが、余は疲れたのでな。今日はもう休む」
「はぁ……」
アスベルは手紙をジャケットのポケットにしまうと、折りたたまれたマントと前掛けを持って医務室を出ていった。
「あんな顔、初めてみた。誰なんだろう、アスタロト、って」
エルザは、手紙の差出人であるあの線の細い青年を思い浮かべたが、彼がなにものなのかはついぞわからなかった。
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