第19話
翌朝。
「ほんとうにすまなかった」
半壊した屋敷の玄関前で、リリィが三つ指をついて深々と頭を下げていた。
「そんなに気にしなくていいよリリィ! そういうときもあるよー!」
「だが、このわたしがよもや毒にやられるなんて……」
「キリカのいうとおりだぞリリィ。余も殴ることに関して自信があるとはいえ、殴られて痛い目をみるときもあるのだ」
「貴様には謝ってないぞ」
「うぬぅ……」
弱った彼女をずっと背負っていたのにこの言われようである。いたしかたあるまい、とアスベルが諦めかけたその時、リリィは頬を染めて「だが」と話を続けた。
「感謝は……してる」
「お、おぉ……そうか」
「きゃー! リリィがわたし以外の人に素直になるなんて! リリィってば、もしかしてアスベルのことを~?」
「なっ! ち、違う!」
「なにが違うのだ? やっぱり余は嫌われておるのか?」
「ううん、そうじゃなくてねー」
「だああああ! 余計なことをいうなー!」
三人が和気あいあいとしていると、アスベルの背後にふらりとレイスがあらわれた。
「おいお前ら……あたいの屋敷をこーんなにしといてずいぶん楽しそうじゃないか……」
「あ、アスベル! 後ろ!」
「また出たのかこのちんちくりんめ!」
キリカもリリィもとっさに構えた。
「? 後ろになにかいるのか?」
拳を握って振り返るアスベル。けれど彼の目に映ったのは、より廃墟味が増した屋敷だけだ。
「ひぃ! な、殴らないで!」
頭を抱えて丸くなるレイス。キリカとリリィは互いに目くばせして、構えを解いた。
「もう襲ってこない?」
「だ、だれがお前らなんかにかかわるか! もう二度と来るな!」
「どうやらもう大丈夫そうだな。漏らすほど脅かしたかいがあったということか」
「も、漏らしてない! ちびっただけだ!」
「二人とも、いったい誰と話しておるのだ?」
相変わらず姿も声も認識できないアスベルにとって、誰もいない空間に語りかける二人の姿は奇妙に映る。
「むしろなんで聞こえないんだよ! あたいにあんなことして! 屋敷もこんなにしちゃって! 文句くらいいわせろよこのアホ!」
「あのねー、この子、アスベルに文句を言いたいんだって」
「ふむ、よかろう。余は寛大である。話を聞こうではないか」
「レイスちゃん、アスベル聞いてくれるってー」
「じゃあ屋敷直せよ! あたいが成仏できるくらいりーっぱな奴にしろ!」
「キリカ、なんと申しておる?」
「あのねー、成仏したいから屋敷を直して欲しいって」
「そうか。惜しい気持ちはあるが、それが願いだというのなら聞き入れよう」
「惜しいって、なにが?」
「おい、なにが惜しいのか聞いてるぞ。……しかし面倒だなこのやりとり」
リリィは腕を組んで舌打ちをした。
「たとえもののけといえど、ここに住む霊もまた我が国の民の一員であることに変わりはない。それがいなくなるというのだから、寂しく思うのも当然であろう」
「あ、あたいが成仏すると寂しいってのかよ……」
「アスベルは、レイスちゃんに成仏して欲しくないのー?」
「安らかに眠ってほしいとは思う。だが、それと余が感じるわびしさはまた別のものということなのだ。死者とはいえ、意志があり、魂がある。ならば余にとっては、命と変わらん。命は、大事にせねばならん」
「……じゃ、いいや別にこのままで。屋敷、壊れちゃったけど、これはこれで雰囲気でて悪くないし」
ちょっぴり頬を赤くして、唇を尖らせながら、レイスはいった。
「おいチョロいぞこのガキ。本当にこんな幽霊にわたしたちは殺されかけたのか?」
「ちょ、チョロくないぞ! だいたいあたいはお前らよりずーっと長くここにいるんだからな! 年上を敬えアホー!」
「ふっ、年齢と精神は比例しないといういい例だな。霊だけに」
「憑き殺すぞ貧乳!」
「滅するぞチョロガキ!」
ばちばちと火花を散らすリリィとレイス。キリカは苦笑いして、アスベルはきょとんとしていた。
「あはは、なんだか二人は似てるねー」
「「似てない!」」
「なあキリカ。よくわからんが、このままでいいのか?」
「ん、いいみたいだよー」
なんだか釈然としなかったが、アスベルは「そうか」と頷いた。
「それでは余たちは行くでの」
「なんていうか、その、意地悪して悪かった。聞こえてないだろうけど……」
「じゃあねレイスちゃん。たまに遊びに来るねー」
「キヒヒ! ありがとうキリカ!」
「せいぜい野犬の霊にレ〇プされんように気をつけるんだなチョロガキ」
「お前こそ男と間違えられてホモに幻滅されんなよ貧乳」
リリィとレイスが互いに中指をぶったてあったあと、アスベル一行は森を抜けるために歩き出した。
ほどなくして森を抜けると、森の手前で鉢巻が手を振って駆け寄ってきた。
「おーい、キリカちゃん! リリィちゃーん! 無事だったんだねー!」
「あー! 鉢巻くんたちも無事だったんだねー!」
「そりゃそうさ。そもそもゴブリンなんて俺らだけでも十分倒せる相手だからな。いっそ、森の中で一晩明かす方が難易度高いぜ」
戦士がなぜか誇らしげにいった。
「この森には両親に折檻されて死んだ恐ろしい少女の霊がいるって噂だものね。本当、よく生きていたわ」
三角帽子の唾をつまみながら呟く魔法使い。
アスベルたちは顔を見合わせた。
「あの、その幽霊の話。もっと詳しく教えてくれませんか?」
「いいわよ」
なんでもその子はとても純粋で素直な女の子だったらしい。しかし、そんな性格が災いした。その子は友達に頼まれて、こっそり父親の印鑑を持ち出してしまったのだ。
印鑑を手に入れた友達は、女の子の父親の印鑑を契約書におして、森の奥にあるからくり屋敷を買い取らせたそうだ。
「どうして直接現金をもってこさせず、わざわざ屋敷を買わせたんだ?」
「その友達の親は建築家で、ホテル経営のために作ったからくり屋敷だったからよ。でも、結局森の中に人なんかこないって後から投資家に見限られて、ホテルは開業することはなかったの。
屋敷をつくるための経費も支払わず依頼主は夜逃げ。そんな物件を買わされた女の子の両親はそれはもう怒って、女の子をたった一人で屋敷に閉じ込めたの。火の起こし方も知らないその子は寒さに凍えて衰弱死したと言われているわ。噂じゃ、からくり部屋の奥深くに迷い込んで、両親すら見つけられなかったとか」
「そうだったんだ……」
「ふん。こんど、焚火でもしにいってやるか……」
「いや、体を暖めるには運動が一番だぞ、リリィ」
「はいはい、筋肉馬鹿筋肉馬鹿」
一行が町へ向かって出発しようとしたとき、アスベルは、森の方から「キヒヒ」と少女の笑う声が聞こえた気がした。
「……またくるでの。我が民よ」
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