第18話

「カイン!」

「お、お前どうしてここがわかったんだ!? いや、それより、どうやってここに来た!?」

「これキリカ。余はカインではない。アスベル・ナックルライフ十三世である」


 レイスが動揺した様子で疑問を投げかけるも、アスベルは彼女を無視してまっすぐキリカに近づいてくる。


「あ、アスベル?」

「おい無視するなお前ー!」

「案ずるなキリカ。余が来たからにはもう大丈夫だ。ただ、家主には謝らねばならんな」

「あたいの話を聞~け~!」

「あ、謝るって?」

「なにぶんどこにいるのかわからなかったのでな。屋敷中の部屋という部屋の壁をぶち抜いてきたのだ」


 キリカが彼の肩越しに奥の部屋を見ると、いくつもの破壊された壁が連なっていた。仕掛けもなにもない、凄まじいまでの力技でここまでたどり着いたということである。


「はぁ!? お前、あたいの家になんてことしてくれてんだよ!」

「いま縄をほどくぞ」

「アスベル、もしかして見えないの?」

「なにがだ?」

「さては霊感ゼロだなこいつ!」

「あー……。ううん、見えないならいいや」

「ふむ? そういえば、そもそもなぜキリカたちは縛られておるのだ? それにこの部屋、妙に物々しいというか」

「お前も死ねー!」


 アスベルが片膝をついて周囲を見回していると、彼の背後に落ちていたナイフがカタカタと震えだし勢いよく飛んできた。


 ナイフがアスベルの背中に突き刺さるその刹那。アスベルはキリカを向いたまま右手を背中に回し、人差し指と中指でナイフを挟み取った。


「どうやら、余たち以外にもここにはなにかがおるようだの」

「気をつけてアスベル! 相手は実体のないお化けよ!」

「お化け……もののけの類ということか。それはまいったのう。余は霊感はおろか魔力もからっきしだというのに」


 アスベルはナイフの横腹を親指で押し、へし折った。

 

「キヒヒ! あたいとやろうってのかい? 姿も見えない癖に!」

「……そこだ」


 ぼっ、と拳を突き出したアスベル。その腕はレイスの顔面を正確にとらえていた。


「きゃああああああ!?」


 レイスは甲高い悲鳴をあげたがダメージは無いようで、へろへろとその場に落ちていった。


「び、びっくりした……。すり抜けたけどびっくりしたぁ……」

「んー、なにやらひやりとしたが、手ごたえがまるでないぞ」

「位置はあってるよ! でも、効いてないみたい!」

「おお、そうか。それはよかった。半ば当てずっぽうではあったが、なにやら殺気を感じたのでな」

「こ、こいつ、まさかあたいの殺気だけに反応しているのか? 鈍いのか鋭いのかどっちなんだ。……まぁ、どっちでもいいか」


 顔を強張らせていたレイスは再びギザ歯を見せて笑うと、天井付近まで浮き上がった。


「どうせあたいには物理攻撃が効かないんだ! 姿が見える見えない以前の問題なんだよ人間! 死ぬまで殺してやる!」


 彼女の殺意に呼応するように、大量のナイフとフォークが一斉に動き出す。


「死ねええええええ!」

「おぉ、念力というやつか」


 アスベルの両手が一瞬消える。同時にナイフもフォークも消えた。 


「こんなもので余を討ち取ろうなど、片腹痛いわ」


 ちゃらり、と彼の両手に大量の凶器が握られている。


「んな! だ、だったらこれはどうだ!」


 レイスの体から白い冷気が放出された。部屋の床や壁が霜でおおわれ、キリカやリリィが吐く息も白く染まる。


「どうしようアスベル! わたしたちを凍死させるつもりだよぅ!」

「寒ければ体を動かせばよい!」


 アスベルは見えていないはずのレイスに向かって拳を放つ。最初こそ驚いていた彼女だが、いまは通用しないとわかっているからか、避けようともしない。


「キヒヒ! 無駄無駄! あたいにお前の拳は通じないよ! このままみんな凍え死んじゃえ!」

「はああああ!」

「だからそんながむしゃらになったって……って、あれ? おかしいな、とっくに凍ってもいいはずなのに……」


 予想より冷えが悪いのか、レイスはこてんと首を倒した。

 彼女と同じく、キリカも違和感を覚え始めていた。

 

「寒いどころか……部屋が、暖かくなってきてる?」

「はああああああああああああああああ!」

「も、もしかして……」


 キリカは気づいた。この暖かさの中心。その熱源にいるのは、アスベルだと。


「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「あ、アスベルの体から、湯気がでてる!」

「ま、まさか、筋肉の運動エネルギーであたいの冷気を相殺してるってのか!? うわっ!?」


 アスベルの拳がレイスの顔の横を通り過ぎると、彼女の髪の一部が突如消失した。


「あ、あ、あたいの髪がああああ!? これってまさか、聖水!?」

「ふぅぅうううう……ようやく体が温まってきたぞ!」


 アスベルはジャケットを脱ぎ捨て、シャツの胸元を両手で引っ張った。ボタンが弾け飛び、雄々しい肉体がさらされる。

 彼の体から吹き出た汗が瞬時に凍りついて、まるでダイヤモンドダストのように周囲の空気が煌めいた。


「奇麗……」


 キリカは煌めきの中に佇むアスベルの姿に見惚れて、思わず呟いた。


「さあ、もののけよ。覚悟するがよい」

 

 緩く開手した左手を顔の前に。握り固めた右の拳を腰の横に構えるアスベル。彼の闘志で、周囲の景色がぐにゃりと歪む。


「お、お前のその汗! まさか聖水と同じ効果が!?」

「三の型----スザク!」


 ぼんっ、とアスベルの足元の床が弾け、彼の姿が消えた。

 

「待ってアスベル! 相手は女の子だよ!」

 

 キリカが叫ぶと、アスベルの赤熱した拳がレイスの可愛らしい鼻に、じゅっ、と触れて止まった。


 直後、凄まじい突風がレイスの背後に吹き荒れ、屋敷の半分が屋根まで吹き飛んだ。


「は、はははっ……」


 レイスはゆっくりと地面に落ちて、足を開いて座りこむ。


「婦女子であったか。もののけとはいえ、それでは殴るわけにはいかんな」

「うん。でも、もう大丈夫。相手に戦う意志はないみたい」

「そうか。では……」


 アスベルは拳をひっこめ、床からシャツを拾うと肩にかけた。


「よい勝負であった! これにて決着である!」


 レイスに背を向け、清々しい顔で拳を掲げるアスベル。

 彼の背中を呆然と見つめながら、レイスは乾いた笑い声を絞り出す。


「は、ははっ……。こ、怖かった……」


 彼女の足の間から暖かい液体が広がり、白い湯気を立ち上らせていた。

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