第16話

「たのもー!」

 

 キリカが観音開きの扉を開くと、木のこすれる音が異様に大きく響いた。

 扉の先はエントランスになっていた。左右の壁際には大理石でできた階段が伸びており、二階へと続いている。天井には豪奢ごうしゃなシャンデリアが吊るされており、部屋の中を明るく彩っていた。


「これこれキリカ。それでは道場破りではないか」

「あはは、間違えちゃったー」

「だれかおらぬかー。今夜泊めてほしいのだがー」


 アスベルが呼んでも、誰も出てこない。屋敷は静まり返っている。

 夜になり、風が止み、山の山頂から降りてきた冷気が漂っているのか、屋敷の中は酷く冷える。


「留守だろうか?」

「でも明かりがついてるよ?」

「ううーん……」


 背中で震えるリリィ。芳しくない体調でこの寒さはさすがに堪えるようだ。

 

「まずいな。ともかく休めるところを探そう。謝礼はあとからいくらでも払えばよい」

「う、うん! 人命救助なら、税金使ってもいいよね!」


 二人は屋敷の中を散策した。妙に入り組んだ構造になっている屋内を、右へ左へまがりつつ、ついに二人は客室と思われる部屋を発見した。


 部屋の中には暖炉と薪が一式と、テーブルが一脚。テーブルを挟むように配置されたソファが二つ。それと、部屋の隅に麻袋や木箱が積まれている。


「この部屋、暖炉があるよー!」

「こっちには毛布や保存食まで置いてあるぞ」


 リリィをソファに寝かせ、火を起こし、ここで一晩を明かすことにした。

 暖炉の前で火の番をしながら、ぽつりぽつりと昔話に花が咲き始める。


「そうそう、それでお父さんがね」

「ああ、そうだったのう」

「はーあ、でもまさか、アスベルが王族になっちゃうなんてなー」

「なにをやぶからぼうに」

「あのね、本当はわたし、アスベルは……ううん、カインは、ずっとうちにいると思ってた」

「キリカ……」

「本当はね、わたし……寂しかったんだよ……」

「キリカ?」


 突然話が途切れキリカが肩にもたれかかってきた。なにごとかと思いきや、どうやらかなり疲れが溜まっていたようで、気持ちよさそうに寝息を立てている。


「ふっ、相変わらずだな」 

 

 キリカをお姫様抱っこして、リリィと反対側のソファに寝かせた。それから寝冷えしないように毛布をかけ、暖炉の前に戻る。


「あの日も、こんな夜だったな」


 火を絶やさないように一人眺めていると、なぜだか急に昔のことを思い出した。


 まだアスベルがカインと呼ばれていたころ。

 その日はキリカと二人で山に山菜を取りにいっていた。

 十分に山菜が集まると、気まぐれな山の天気は激変して土砂降りの雨を降らせた。


 サバイバル慣れしていた二人は狼狽えることなく迅速に雨宿りできる場所を探し、小さな洞窟の中に身を押し込めると、火を起こして夜明けを待った。

 その時も、キリカはぷっつりと糸が切れた人形のように突然眠り、アスベルが一人で火の番をしたのだ。


 ゆらゆら揺れる火を見つめていると、不意に洞窟の外で物音がした。

 様子を見に行くとそこには額に宝石のような角を生やした狼型の魔物、ダイヤヘッド・ウルフの群れが待ち構えていた。

 

 アスベルは当時の獲物だったナイフを振り回して追い払おうとするも、手を噛まれ、爪で体を切り裂かれ、多勢に無勢で死を覚悟した。


「そこに現れたのが、父上だったな」


 最初は雷神か、はたまた筋肉の天使かと思った。

 

 なにせアスベルとダイヤヘッド・ウルフの間に、はるか上空からまるで舞い降りるように直立の姿勢で落ちてきたから。あの時に見た、父の翼のように巨大な広背筋はいまだにまぶたの裏に焼き付いている。


 稲光とともに現れた父は、あっという間にダイヤヘッド・ウルフを蹂躙した。返り血で拳を赤く染めながら、父は、笑っていた。


 守りたいものを守るには力が必要なのだと気づいた、アスベルの大事な思い出の一ページである。


「むっ!」


 部屋の外から物音がして、アスベルの意識は現在に引き戻された。


「だれかおるのか?」


 アスベルはいまだ眠り続けているキリカとリリィを一目見て、部屋の外へと出ていった。

 

 迷路のような屋敷内を一回りして戻ってくる。


「気のせいだったか。おや?」


 部屋は無人になっていた。暖炉の火は消えており、キリカもリリィも忽然こつぜんと姿を消してしまっていたのだった。

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