第9話
「おいおい、なんだよありゃあ。大の大人がみっともねぇ」
「ふっ、すまんな。余の家臣が騒がしくて」
「噂じゃお前は嫌われ者じゃなかったのか?」
「はて、嫌いだ、などと一度も言われたことがないが」
「そりゃ直接いうわけないだろが馬鹿か」
「馬鹿、か」
アスベルは額から伝ってくる血を舐めとった。
「馬鹿でもよかろう。人生は賢くなるためにあるのではない。楽しむためにあるのだから。そうであろう?」
「へっ、そいつは正しい」
「だがなマルシス。残念ながら、お主はひとつ間違っていることがある」
「ああん? なんだって? 俺のなにが間違ってるってんだ?」
「余の家臣が精一杯応援しているのだ。みっともないはずなかろう」
アスベルの体がぐらりと前のめりに倒れたかと思うと、一瞬にしてマルシスとの距離を詰めた。
「うおっ!」
あまりの素早さにガードを上げるマルシス。
ところがガードが上がりきる前に、アスベルの右フックがこめかみに突き刺さる。
「うぐ!?」
続いて牙を剝いたのは左のボディブロー。内臓を押し上げるような一撃に、マルシスは肺から空気を追い出された。
「かはっ!」
顔面を守るガードが緩み、アスベルは腕と腕の隙間に、右、右、左、の光速ジャブを放つ。
たまらず顔を上げるマルシス。アスベルは逆立った赤髪を掴むと、右膝をマルシスの顔面にめり込ませた。
「お、おい、あの技!」
「は、はい! わたしも信じられませんが、あれは、マルシスの絶命ラッシュそのままです!」
アスベルはマルシスの顔を両手で掴むと、上半身を弓なりに反らした。
体を反らしきったところで、マルシスの眼光が鋭さを取り戻し、逆にアスベルの頭部を両手でつかむ。
「ふは、よいな! お主!」
「ぬうううううおおおおおおおお!」
「どつきあいならぬ、頭突きあいといこうか!」
互いの頭を引き寄せ、二つの額が衝突した。
まるでフルスイングしたハンマーとハンマーの先端がぶつかりあうような音が練兵場の空気を震わせる。
「な、なんて音だ!」
「どっちですか! 立つのはどっちですか!」
エルザたちが見守る中、ずるり、と崩れ落ちたのは、マルシスだった。
「うわあああああ! やったああああああ! 勝ったああああああ! 勝者、アスベル・ナックルライフ!」
エルザが飛び上がって喜んでいると、ちらほらと、拍手が鳴った。
小さな拍手はやがて厚みを増し、割れんばかりの大歓声となっていく。
「国王様ばんざーい!」
「マルシスもよくやったぞー!」
「とんでもない試合だったー!」
兵士たちが口々に称賛する中、本来彼らを統率する立場であるはずの近衛隊長までもが「国王様万歳!」と叫んでいた。
「ふっ、身勝手なやつらよのう」
「マダ……ダ……」
「む?」
大の字に倒れていたマルシスが起き上がる。
おびただしい量の血が流れていたはずの額はすでに傷がふさがっており、血は一滴も流れていない。
「うすうす気づいておったが、さてはお主、違法薬物に手を染めておるな?」
「はぁはぁ……。ご名答ぉ。超回復ポーションって奴だ。俺の細胞は、常人の二十倍の速度で回復する……」
「なるほど、それですぐに肩の痣が消えたわけか」
「それだけじゃねぇ、俺は禁術もつかってる。あらゆる生物の体をこの身にとりこみ、その力を行使する術だ。見せてやるぜ、真の力って奴をよお!」
マルシスの筋肉がぼこぼこと隆起していく。
手には黒く鋭い爪を備え、腕は黒い茶色の体毛におおわれていく。首の周りに鬣を生やし、犬歯が伸びて口からはみ出すほど巨大になった。
その姿。まるで獅子。
「あ、あれはタイラント・レオ!? ま、マルシスが魔物になっちゃいましたよ!?」
「まさか国王様の命を狙う刺客だったのか!? 総員、戦闘態勢! 国王様をお守りするのだ!」
近衛隊長の号令によって、兵士たちはすぐに槍を構えた。
「かかれええええ!」
兵士たちは雄たけびを上げて獣に変貌したマルシスに突撃した。
兵士たちの槍はマルシスの体に突き立てられるも、分厚い筋肉によって防がれる。
「しゃらくせえ! そんなもんが俺に通用するとでも思ってんのか雑魚どもがぁ!」
まるで羽虫を追い払うかのように、マルシスは無造作に腕を振るう。爪から放たれた衝撃波が大地を切り裂き、兵士たちは尻もちをついて倒れた。
「ひ、ひぃぃ! なんだこりゃ!」
「地面が切り裂かれてる!」
「に、人間じゃねぇ!」
兵士たちはすっかり腰が引けて、遠巻きにマルシスを取り囲む。
「がははは! どうだ俺の力は!」
「ふむ、さっきの距離を狂わせる拳。あれはその力によるものか」
「正解だぁ! 瞬間的に体を巨大化させてリーチを伸ばしてたってわけよ!」
「ほほう、考えとるの」
「戦いは生きるか死ぬかのせめぎあい! まさか卑怯だなんていわねーよなぁ、国王様よぅ!」
「うむ、よいではないか! さ、御託はやめにしてかかってくるがよい!」
「……はぁ? おい、今のは聞き間違いかぁ?」
「よいではないか。闇の力を行使しようがなんだろうが、それで強くなれるのならば。余は、お主がどんな手段を使うと気にも留めん! 存分に楽しませるがよい!」
「しゃらくせええええええ! 遊びは終わりだ! 覚悟しろ国王おおおおお!」
獅子の魔物と化したマルシスは巨腕を振りかぶる。
アスベルは逃げようともせず、静かに構えた。
「国王様! 逃げてえええええ!」
エルザが叫ぶが、アスベルは前を見据えたまま動かない。
「死ねええええええ!」
マルシスの爪が髪の先端に触れた瞬間、アスベルの右腕が赤い光を放った。
「三の型----」
その時、マルシスの異常に発達した嗅覚は確かに変化を感じ取った。極度の興奮によって放出される脳内麻薬。その分泌物は当人の内臓機能にまで影響を及ぼし、汗腺から独特の甘い香りを放つ。
俗にいう、男性フェロモン。
異性にとっては魅惑の香り。同性にとっては、驚異の証。
いままさにアスベルから、マルシスがこれまで嗅いだことのない強烈な闘技者の匂いが放たれていた。
「----スザク」
アスベルが光り輝く拳で正拳を放つと、マルシスの超合金のような腹筋を巻き込みねじり込まれていく。その威力は肉を貫き、骨を砕いて、全身の細胞をも破壊する。
手首まですっぽりとめり込んだあと、マルシスの背後の地面が扇状に爆散し、一瞬にして耕された。
「うっ……おぉ……お……」
ぐるり、と白目を剥くマルシス。後ろに倒れ、砂埃を巻き上げた。
「よい勝負であった! これにて決着である!」
アスベルはいまなお微かに光っている赤い右手に、ふっ、と息を吹きかけると、天に向かって高々と拳を掲げたのだった。
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