第8話

 アスベルが呟くと同時に、マルシスは腕に力を込めた。二の腕と大胸筋が隆起し、アスベルの体を万力の如く押しつぶしていく。


息の根を止める圧殺機アンブレス・プレス!」


 エルザが叫んだ。


「な、なんだその名前は」

「マルシスの得意技です! 過去、あの技で引退させられた闘技者は数知れず! 一度決まれば脱出は不可能! さらに膨張した二の腕と大胸筋に肺を圧迫され、ひとたび息を吐いたら二度と吸うことができません! しかも常時力を加え続けているので、息を吐いた時の微かな脱力を逃さず確実に相手の肋骨を全滅させる殺人技です! うわあ、生で観たの初めて! 感動ですぅ! おっとっと」


 エルザの鼻からたらり、と鼻血が垂れてきて、彼女はすぐさまハンカチを取り出し、鼻を抑えた。


「がはははは! どうだ国王様よぅ! 声を発することはおろか、呼吸すらままならねぇだろう!」

「ふーむ、これはちと厄介な技であるな」

「なぜしゃべれる!?」

「力づくで振りほどけないこともないがそれでは芸がない。どれ、ここはひとつ機転をきかせようではないか」

「機転だぁ? いったいどうやって----おふぅ!?」


 突然マルシスが拘束を解いて、腹を抑えながら後ずさった。


 

「て、てめぇ、俺の……俺のを!」

「うむ。指でちょいとな」


 アスベルは右手の人差し指を突き上げ、マルシスに向かって左右に振った。

 

「まさか、おヘソに指を突き刺して脱出したっていうの!? そんな方法、アメイジングすぎるわ!」

「あ、あめ……?」

「仰天するほどすごいってことよ!」

「あの、俺、いちおう近衛隊長なんだけど。君の上司なんだけど」

「だからなに!?」

「いや、だから、敬語を」

「どうでもいいわそんなこと! やれー! 頑張れふたりともー!」


 エルザは両手を振り上げ、鼻血を噴き出し、奮闘する彼らに力いっぱいの声援を送った。


「小癪な真似をしやがって!」


 マルシスの三度目の突撃。しかし、構えは最初と同じボクサースタイル。初手も、最初と同じ顔面狙いの右フック。


「もう引き出しが尽きたか? お主の拳は余には届かな----」


 マルシスの右フックを躱そうと上半身を反らせるアスベル。最初と同じく難なく躱すかと思いきや、マルシスの拳はアスベルの左のこめかみにめり込んだ。


(確実に避けられる距離だったはず。なのになぜ余は殴られたのだ?)


 人知れず困惑するアスベルに、マルシスは邪悪な笑みを浮かべて追撃を開始する。


「さあ、絶命ラッシュの時間だぜ!」


 脇腹を抉るような左のボディブロー。針の穴を通すように上げたガードの隙間に

ねじ込まれるワン・ワン・ツー。伸ばし切った左手でアスベルの黒髪を鷲掴んでからの膝。跳ね上がった頭部を両手で挟み、最後は脳天を勝ち割る様な頭突きでフィニッシュ。


 マルシスの猛攻をすべてくらったアスベルは、両膝を地面につく。


「どうだい、国王様。俺からのプレゼントは」

「ふっ、見事だ!」


 アスベルは眉間から血を流しながらも、白い歯を見せて笑った。


「で、で、でたああぁぁ~! マルシスの必勝コンボ! その名も絶命ラッシュ! アイアンヘッドで割ってきた額は数知れずううううう!」

「君、自分の主が負けそうなのに嬉しそうだね……」

「はあああ!? 格闘技に主もクソもありゃしませんよ! これは漢と漢の勝負ですよ!? だいたいそういう近衛隊長こそ、はした金欲しさに国王様を失脚させようとしていたじゃありませんか!」

「それは、そうだが……」

「ま、そんなのどーでもいいですけどね! きっと国王様もそんなのどうでもいいと思ってるはずです!」

「そんな馬鹿な。自分の立場を脅かされたんだ、怒っているに決まってる」

「だーかーらー! そんなちっぽけなことどうでもいいんですよ! 彼らは騎士じゃない、戦士なんです! 立場とか、金とか、国だとか! 彼らはそんなしょーもないしがらみに囚われることはしない! 戦いたい! 倒したい! その気持ちだけを満たすために彼らは生きているのです! 純粋なんです! どこまでも!」

「純粋……」


 近衛隊長の視線の先で、アスベルが立ち上がる。


「まだ立つのか。まだやるというのか。額が割れているんだぞ。なのに」

「まだまだやりますよ彼は! 頑張れ国王様ー! 頑張れー!」

「……そうか」


 近衛隊長はアスベルの傷だらけの背中をみて、拳を握りしめた。

 そして大きく息を吸い、町中に聞こえるのではないかというほど大きな声で「頑張れ! 国王様ああああ!」と叫んだのだった。

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