第6話
試合当日。アスベルは練兵場に
現地にはすでに対戦相手であるマルシスがおり、上半身裸で屈伸しているところだった。
「遅かったじゃねえか、王子様」
「こ、こら! 国王様になんという口のきき方をするのだ貴様!」
近衛隊長が声を荒げるも、マルシスは
「よい。これから拳を交えるのだ、いまさら礼儀をわきまえろなどとその方が冗談に聞こえるであろう」
「おっ、話がわかるねぇ」
「だがな客人よ。一つだけいっておくが、余は王子ではなく王である。そこは間違えてはならぬぞ」
「はっ、そりゃすまなかったな。国王陛下殿」
誠意の欠片もない謝罪をされても、アスベルには少しも苛立った様子はなかった。
むしろマルシスの体をじっくりと見つめ、口元から垂れてくる涎を慌てて拭う始末だ。
「? おい、いつになったら試合を始めるんだ?」
「じゅるり……、お、応。それでは始めるとしようかの」
「おいおいおい、ちょっとまてよ。これから試合するってのにそんな重そうな服を着たままやるつもりか?」
確かにマルシスのいう通り、アスベルは普段から着ている衣装のままだ。
薄い水色のシャツに、国の象徴である黄金の三つ首竜が描かれた前掛け。背にはインディゴ・ブルーのマントをたなびかせている。
手甲こそつけず素手ではあるが、およそこれから殴りあうような格好には見えない。
「ハンデである」
「ああ? ハンデだぁ?」
「うむ。余とお主にはそれほどの戦力差があるのでな」
「チッ、舐められたもんだぜ。俺がそんなこと聞いてはいそーですかとでもいうと思ってるのかよ!」
マルシスは急所を狙って確実にアスベルを仕留めるつもりだった。影響は少ないとはいえ、服によって狙いが外れては意味がない。
一撃で、当たり所が悪くて、アスベルには死んでもらわなければならないからだ。
「ふむ、礼儀がなかったのは余であったか」
肩の留め具を外すアスベル。
するとマントは、ひゅん、と落下し、重々しい音を周囲に響かせた。
「な、なんだ?」
「このマントは百キロある」
「ひゃ、百!?」
「そしてこの前掛けは」次に前掛けを脱ぐ。前掛けは、地面に突き刺さった。「二百キロある」
「二百……だと……」
「合計三百キロだぞ……いったいどうなってるんだ国王様の体は……」
近衛隊長を筆頭に、試合を見守る兵士たちもどよめいた。
「このシャツも二百キロだ」
シャツを脱ぎ、アスベルは上半身をさらけ出した。
魅入ってしまうほど絞り込まれたその肉体には、マルシスの頬に刻まれたものと同じかそれ以上の傷が無数に刻まれている。
「ふん、はったりだ! そうだ、さては重力操作の魔法を使ったんだろう!」
「んなもの使わん。とゆーか使えん。余は魔道の才はからっきしなのでな」
「はっ、どーだか。多少は鍛えているようだが、あんたには闘技者特有の臭いがしねぇ」
「ふむ、身の程を知らぬ者よ。さて、ハンデを無くすのはこのくらいでよいだろう。どうだ? 少しは狙いやすくなったのではないか?」
「な、なんの話だ」
「誤魔化さなくともよい。そちは余の急所ばかり見ておった。人中、鳩尾、心臓、肝臓、脇の下。どこも神経が集中していたり、重要な臓器があるところばかりだ」
「なんのことだかわからねぇな」
「ふふん、かまわぬぞ」
アスベルの物言いに、マルシスは頭の上に疑問符を浮かべていた。
「狙えといっておるのだ。余の急所を」
「自分がなにいってるのかわかってんのか?」
「無論、理解しておる。余を殺す気でかかってこいといっておるのだ」
「こ、国王様! いったいなにを!」
「なんだ近衛隊長。謀反を企てた癖に余の身を案じるのか?」
「そ、それは……」
近衛隊長は返す言葉もなく、すごすごと引き下がる。
「ははっ、面白れぇ。その覚悟、しかと受け止めたぜ王様よ」
マルシスは掌に拳を打ち付け、アスベルに闘志がむき出しの視線を送りつける。
アスベルはそんな彼の視線を、顎を上げ尊大な態度で受け止めた。
(くぅぅ~! この肌がひりつくような緊張感! たまらないわ~!)
誰もが固唾を飲んで見守る中、たった一人、宮廷医のエルザだけが鼻息を荒くしていた。
「よし、始めるとしよう。エルザ! 開始の合図を!」
「は、はい! それでは両者用意はいいですね? レディ……ファイッッッ!」
エルザが腕を振り上げ、いま戦いの火蓋が切って落とされた。
マルシスの構えは、前傾姿勢で両の拳を顔の前まで上げたボクサースタイル。顎への攻撃をカバーする構えだ。
対してアスベルは、
「どうした
腰に手を当てたまま、ただ突っ立っている。
「んなめてんじゃ! ねぇぞコラァ!」
あからさまな挑発。けれど、血の気の多いマルシスを激昂させるには十分すぎる威力だった。
頭に血が上ったマルシスは正面からまっすぐ突撃していく。折りたたんだ両腕を体に密着させ、上半身を守っている。
射程圏内に踏み込んだところで、躊躇せずに放たれる大振りの右フック。
「ふむ、豪快よのう」
迫りくる拳を上半身を反らせて躱すアスベル。ところが空振りしたマルシスの体は回転を止めず、むしろ勢いを増していく。
地面すれすれを彼の左足が駆け抜け、アスベルの両足を払った。
「お?」
右フックは
彼の予想は見事的中。わざとぎりぎり躱せる距離で放った右フックを、アスベルは上半身だけで回避した。
結果、お留守になった足元にマルシスの足払いが食い込む形となったのだ。
アスベルは右手を地面について、片腕だけで後方へと飛んだ。
着地したときには、すでに目の前にマルシスの巨体が迫っていた。
「ははっ、見た目によらずセコい技を使う」
「シッ、シッ!」
マルシスのナイフのように鋭いワン・ツーパンチがアスベルの顔面に襲い掛かる。
アスベルは触れるか触れないかの隙間を縫って躱し、さらに後ろへと飛びのいた。
「セコいだけかと思ったが、思いのほかキレがある」
アスベルの左頬に赤い筋が走り、そこから赤い液体が肌を流れた。
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