第2話

 アスベルは夢を見ていた。幼いころ、父と山ごもりをした時の夢だ。


「小指からめるように握るのだ」


 父はアスベルのぷにぷにの指先を一本ずつ織り込んでいく。


「なにをこめるのですか?」

「力だ」

「ちから」

「そうだ。そして、籠めた力は解放せねばならん。さあ打ってこい」


 父は手を開いて構えた。


「どうやってうてばいいのです?」

「体に聞くのだ。お前が器であるならば、血が教えてくれる」


 いわれるがまま拳を放ちやすい姿勢になるアスベル。握りしめた拳とともに、右足は肩幅分後ろに下げる。左手は脱力したまま祈るように顔の前へ。踵は両足とも微かに浮いている。

 

「こい」

「ふっっ!」


 右足首、右膝、腰、背中、肩の順に、回転運動のエネルギーが伝播していく。さらには脱力していた左腕を体側に引き戻し、その反動で肩の回転に勢いが加わる。

 肩から先、二の腕と前腕は、伸ばすに従って自然な形へと、つまりは体の内側へ向かう捻りを伴って突き出された。


 父の掌に拳が触れると、耳をつんざくような破裂音が森に響き、鳥たちが一斉に飛び立った。 

 しかし、父はまったく動じず受け止めた。頭の上も王冠も、少しもぐらついてはいない。


「よい拳だ。次はそこの木を打ってみよ」


 父が指さす先には、樹齢なん百年という大樹が佇んでいた。


「ですが父上」

「なんだ?」

「木が、かわいそうです」

「ふむ。確かに殴るという行為は暴力的で非道な行いにみえるやもしれぬ。だが、これでしかわかりえぬことがあるのもまた事実」

「拳でしかわからないこと?」

「うむ。知ることを恐れるな、我が子よ」

「……はい」


 アスベルは木の幹に触れ「ごめんなさい」と一言添えてから、拳を握った。

 またもや森に響く破裂音。大樹の幹は大きく揺れて大量の葉が振ってくる。

 父を打った時とは明らかに違う感触が伝わってきた。岩のように頑強で分厚い掌を持つ父とは違う、もっと柔らかく、まるでこの木が自分を受け入れてくれているような気がした。


「父上!」

「わかったか、我が子よ。余はさっき、お前の拳を耐えようと身構えた。だがこの木は身構えることもなく、ありのままの姿で受け止めた。その違いがわかったか?」

「はい! 自分が受け入れられているような、たしかな感触がありました!」

「それでよい。それこそが相手を一撃でほふったときの拳の感触だ。人だろうと魔物だろうと、その感触があったならばお前は確実に相手の意識を刈り取っているだろう。覚えておきなさい」

「父上! もっといろんなものを殴ってみたいです! いろんな殴り心地を知りたいです!」

「はっはっはっ、まずはこの森のすべてを殴り歩こうか」


 こうして幼き日のアスベルに目についたものはなんでも殴ってしまう悪癖がついてしまったのだが、それはまた別のお話である。


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【Q.お仕事はなにを?】


「お花屋さんです。子供のころから植物が好きだったものでして」


 そう答えたのは、長い黒髪を腰まで伸ばした妙齢の女性だった。様々な植物の鉢植えが置かれた温室の中で、白いワンピースを着た彼女は、まるで凛然と咲く一輪の花のようだった。


【Q.夢が叶ってよかったですね】


「それはもう。前の仕事もそれなりにやりがいはありましたけど、いまは大好きなお花に囲まれてとっても幸せです」


 女は膝の上に置いたリリーホワイトしろゆりの鉢植えを一撫でしていった。


【Q.前職はなにを?】


「暗殺者です」


【Q.具体的にはどのようなお仕事なのでしょうか】


「お金をもらって人の命を奪うお仕事です。方法は人それぞれですが、わたしの場合は主に毒針を使っていました。人ごみの中でこっそり忍び寄って刺したり、あとは、酔っぱらった時や、寝込みを襲ったりもしました」


【Q.〈彼〉にもその毒針を?】


「ええ、使いました。いえ、正しくは使おうとした、ですけれど」


【Q.刺すことはできなかった?】


「ええ。なにぶん〈彼〉はあまり王宮からは出てきませんでしたから。なので夜中に寝室に忍び込んだんです。今思うと、寝ている男の子の部屋に押しかけるだなんて大胆なことをしていたと思います」


 女は頬を赤らめて、恥ずかしそうに身をよじる。


【Q.若気のいたり、というやつでしょうかね。それで、その時いったいどのようなことに?】


「それは恥ずかしいので内緒です! ただ……」


 女は鉢植えを持ち上げ、咲きほこるリリーホワイトの花弁で紅潮した顔の下半分を隠し、視線を逸らした。


「あの日のことは、忘れられない思い出です。わたしと〈彼〉が出会った、大事な思い出」


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 ベッドの中ですやすやと寝息を立てるアスベル。

 彼が夢の中で亡き父との思い出に浸っていると、寝室の窓がゆっくりと開いた。


「ふん、他愛もない」


 音もたてずに入ってきたのは黒装束の若い女。口には紫色の布を巻き、黒髪を後頭部で束ねている。上着は東の島国の民族衣装である着物。首元から、下に着ている鎖帷子くさりかたびらが微かに顔を覗かせていた。


「さっさと仕事を終わらせて、明日は肥料でも買いに行きたいところだが……」


 女暗殺者は足袋たびの爪先で慎重にベッドに近づいた。寝室に敷かれた毛長の絨毯の上では、そうそう足音が鳴ることなどない。それでも彼女のプロ意識がそうさせたのか、それとも一国の主という大物すぎるターゲットゆえか、細心の注意を払っていた。


「ふっ、だらしない顔」


 アスベルの寝顔を見下ろし、女は腰に下げた針袋から一本の針を取り出した。

 その針を中指と薬指の間に挟んで拳を握る。先端が毒が濡れていることを確認し、アスベルの首筋めがけて拳を振り下ろした。


「なに!?」


 しかし、その拳は枕に突き刺さった。さっきまでベッドの上で寝そべっていたアスベルはどこにもいない。

 女暗殺者が殺気に気づいて右を向くと、目の前に白いシーツを広げられ視界を遮られた。


「くっ! 手練れだったか----うわ!?」


 シーツの一部がぼっ、と音を立てて女暗殺者の左胸に迫ってくる。

 変形したシーツの形からして、掌底だ。そうわかっても避けられない。完全にきょをつかれた。女暗殺者は防御する暇もなく、急所への攻撃に腹をくくった。

 ところが、くるはずの衝撃がこない。胸を押されている感触はあるものの、ダメージを負うようなものではない。


「なぜ、緩めた」

「王家の技は女性に使ってはならぬと父上がおっしゃっていたからだ」


 シーツが重力に負けて床に落ちていく。目の前には、十代半ばの青年が月明りを浴びて立っている。


「掌底という手心に加えて、寸止めという手加減までされては、武人として立つ瀬がないな」

「手心でも手加減でもない。これは内臓に損傷を与える技ゆえに、あと二発でそちは絶命する。この一撃だけでも、明日は酷い二日酔いのような状態になるであろう」

「そうか。ところで」

「うむ。申すがよい」

「い、いつまでわたしの……その……胸を……! 掴んでいるつもりだっ……!」


 女暗殺者の頬がかぁぁ、と赤く染まり、アスベルは「むっ、すまん。許せ」といって手を引いた。

 

「隙あり!」


 女暗殺者はいまだ握っていた針をアスベルの顔面に投げつけるも、彼は人差し指と中指で難なく止めた。

 その隙に女暗殺者は窓辺へと身を乗り出し、アスベルを一瞥した。


「次はこうはいかんぞ。それと、ゆ、許さないからな!」


 女暗殺者はそういって胸を両手で隠すと、窓から飛び降りた。


「やれやれ。せっかく全力で殴れると思ったのに、相手が婦女子ではな」


 窓辺に歩み寄るアスベル。もうどこにも、彼女の姿はない。

 夜の町を睥睨へいげいしつつ、アスベルは自身の右手を見下ろした。


「柔らかかったな……」


 いつか大樹を殴ったときのような感覚が、その手に刻まれていた。


(や、柔らかかったとかいうなぁぁっ~……!)


 アスベルの寝室である王宮の尖塔。その側面に張り付いていた女暗殺者は、耳の先まで真っ赤に染めながら必死に声を押し殺していたのだった。

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