Ep.3

 心臓の代わりとなった懐中時計の中にいる女神。彼女はこの異世界で名誉を手に入れろと俺に告げた。異世界転生を題材だいざいにしたアニメは何度か見たことがある。深夜しんやにテレビをつけるとよくやっているし、ネットで見ることもあった。入院している時もよくベッドの上で見ていたから大体のことはわかる。


 さっきのヤブ医者の手術の後に味わったいたみは本物だった。何がなんでも手術代を払わなければ。闇医者やみいしゃが連れてくる闇の暗殺者あんさつしゃが存在したとしたら拷問ごうもんを受ける可能性だってある。


「わかった。要するにクエストを受注じゅちゅうしてクリアしまくればいいのだな。君の名前は女神なのかな。ちゃんとした名前があるのではないの?もしかして生前は女王だったとか?」


 胸の中からチクタクチクタクという秒針の音がする。その音はモンスターに遭遇そうぐうした時の緊張感きんちょうかんや殺人鬼を目の前にした恐怖感きょうふかん対峙たいじしたとしても何事も起きてないかのように規則正しく動くに違いない。心臓が強靭きょうじんに生まれ変わったぜ、なんか強い人間になった気分だ。強キャラになれるかな。この世界でも補欠とかモブは嫌だな。


 女神は「フーン」と華奢きゃしゃうなり声を上げた。


「クエ‥スト?クリア‥何を言っているのだね君は。まずは貴様が名乗るが良い。私の名前はその後だ。私が元々何者だったのかはどうであれ、それが道理どうりというものだろう?」


 クエストもクリアという概念がいねんも存在しないのか?ますます面倒だ。もっとわかりやすい設定の異世界にして欲しいな。そんなことより俺の動かなくなった心臓しんぞうはどこに行ったんだ?


 まずはニックネームの設定。アバターの名前を決める感じなんだな。俺の名前は豊田エニシ。心臓病で死んだ高校生。どうするべきだろう、どうせ異世界で暮らしていくのであれば全く違う名前でもいいかな。


 そう頭の中で考えた瞬間しゅんかんに女神は小鳥が鳴くような声で「ほほう」とつぶやいた。


「トヨタァエニシィ。それがお前の名前か。コウコウセイだとか異世界というのが何かはわからぬが、お前はあれか。時空からこぼれ落ちた外来人のたぐいなのだな。いつかの私のようだなハッハッハ!」


 いたずらに笑う女神は心の中が読める。そもそも俺が聞いているアリスの声は周りの人間には聞こえていないのかもしれない。手術室を見渡すと奥の壁には洗面所せんめんじょ冷蔵庫れいぞうこのようなものがある。どうやらこの世界は水道と電気があるようだ。


 天井の方は少し変わっていて隅の方にそれぞれ四つのアンティークのランプがある、中心にライトがないのは違和感いわかんがある。それも電源を用いるタイプの電球が使われている物だった。


 反対側はんたいがわを振り返ると大きな本棚ほんだながあった。そのどれもが変な書体の文字で書かれている。それにも関わらず全部読めるのが不思議だった。「至高しこうのメス」「手術しゅじゅつさいに外科医が契約けいやくをしてはいけない理由」「契約なしで暮らしていく。のろいがきらいなあなたへ」「ドンキフォートの歩き方」「体温を上げてダイエット。ビーフ中心の食生活」


 現実のようで全くそうではないタイトルの本があるな。頭がいたくなりそうだ。


 「私の名前は、アリスだ!よろしくエニシィ」


 懐中時計の中にふうじ込められた不思議の国のアリス。やっぱりゲームとかで使用する時に著作権ちょさくけんに引っかからない童話どうわのキャラクターじゃないか。不思議の国のアリスってどんな話だったっけ。


「よろしくアリス」


 俺の心を読んだアリスはけたたましい声で話し始めた。


「不思議の国のアリス!なんだそれは私を馬鹿にしているのか。私はドンキフォート大陸の西の端にあるスペードセブン王国で育った王女なのだ。由緒ゆいしょ正しき王族の一女だぞ。何が不思議なのだ」


 なるほどな。時計を持ったウサギに何かされたのか。


 エニシは手術台を降りて鏡を探すことにした。あの外科医のジイさんに痛み止めはいらないと言わなければいけない。そしてまずは世界に適応しなければならない。この世界で死んだら次はないのだ。


「なぜそれを知っている!だが違うぞ。今お前がいる『ドンキフォート・セントラル・カジノシティ』にいるウサギ男には用があるがな。王族の祝賀会しゅくがかいを抜け出した私はあいつの住む部屋にあった『グリーンのサイダー』を飲んでしまったわけだ」


 大体そんな話だったな。その後小さくなったアリスは不思議な世界を冒険する。ここはドンキフォート大陸の中心地にあるカジノタウンか。カジノのある街に冬があるのだろうか。


 アリスは西の国の王女で今は行方不明なのかな。それっていつの話だろう。百年前とかなのであれば彼女の呪いを解いて元の生活に戻すことは不可能だ。


 アリスはフゴフゴと鼻を鳴らして動揺どうようしているようだ。


「お、おい。お前は占いでもできるのか?頭の回転がやけに早いな。確かに私の呪いは解けることはない。だがお前が大きな名誉めいよを手にすることができれば。百五十年前に少女だった私の時間は元に戻り、時計から外に飛び出して年を重ねていくこともできるかもしれない」


「なるほどね、なるべく努力するよ」


 エニシィは手術室の扉の前にたった。厚みのある丸いドアノブを回してもカギがかかっていて進めなかった。まだ髭モジャ医者の足音は聞こえない。手術室の窓には赤色のカーテンがかかっている。まずは外の世界でもおがむとしよう。


 

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