Ep.2

 数分がぎたはずだ。でも俺はまだ天国でも地獄にも来ていない。


 暗闇くらやみの中でも意識いしきだけがあることがわかる。多分、今のところ天国にも地獄にも来ていない。ただ胸の辺りがモゾモゾと動く感覚だけが続いている。


 クソ、なんだよ。死んだ後も心臓しんぞうマッサージをされている感じがする…。


 いやまてよ。意識を失っただけでまだ死んでいないのか。でも何も見えないのに心臓マッサージの感触かんしょくだけあるのはおかしくないか?なんか変な感じがする。心室細動しんしつさいどうに陥った時は体にメスを入れる必要はないはずだ。たしか、あの医者が言っていた気がする。


 考えているうちに心臓しんぞうが動き出した。でも明らかにおかしな音がする。

 

「チクタクチクタクチクタクチクタク」


 なんだよ、これ。ヘンテコな地獄に来たのかな。死んだ後の世界ってこんな感じなのかな。


 体から聞こえるのはドクドクとした鼓動こどうの音ではなくてチクタクとひびく時計の針の音だった。


 声が聞こえる。それはいつもお世話してくれたナースのお姉さんでもクールな表情ひょうじょうで患者にもナースにもモテモテだった医者とも違う。


 ガッスガスのシワシワのジイさんの汚い声だ。しかもすごくタバコくさい。木が焼けるにおいがする。


「おい、オラァ。起きろや、クソガキ。てめえは懐中時計かいちゅうどけい『ハート』に宿やど女神めがみに選ばれたんだ。さっさと目を覚ませ。お前はカースドランク『SSクラス』の懐中時計かいちゅうどけい契約けいやくをしたんだ。そう簡単には死なないし俺のオペにミスはない」


 うわあ、異世界転生かな。やったじゃん俺。本当に転生できたのか。母さん、俺異世界で頑張るよ。


 俺の心臓は今時計になっているなのかな。でもなんか体がだるいぞ。こういう場合、普通ふつうは力がみなぎってくるんじゃないのか。というか胸がすごくいたいのだけど。ジイさんがガラガラの声で何かを言っている。


闘技場とうぎじょうで勝ち進むなり騎士団きしだんはたらくなり、ええとそうだな盗賊とうぞくでもいいんだぜ。なんでもいいから、とにかく早く金をかせいでもってこい。この世界のアイテムは代償契約だいしょうけいやくで手に入る。貧乏人でもそのことくらいは知っているだろ?それ以外のことには金を払え」


「お前は心臓が止まっている状態で俺の病院の前で倒れていたんだ。拾い子ということになる」


 代償契約?すごく怖い言葉だな。ダークファンタジーじゃなくてほのぼのしたスローライフがいいなあ。可愛い女の子と旅をするとかさ。え?なんか目が覚める気がする。すごくイヤな予感がするぞ。


「手術の代金はタダじゃないんだよ」


 手術?ああ今俺は現実の病室のベッドから異世界の手術室しゅじゅつしつに来ているわけだ。


 しかも天井はススで汚れた木造住宅もくぞうじゅうたく、木の家だ。絶対ヤブ医者だ。ジイさんが汚い声で何かを言っている。


「この国で捨て子を拾った場合、悪いあつかいをしてはいけないという法律ほうりつがあるからな。女王様は心の広いなお方なのだ。お前は元々どこの街で親と暮らしていたんだよ。ほら起きろ!」


 茶色のコートを着ている白髪しらがヒゲもじゃが「バシン」と俺の肩を叩いた。カナダの山小屋を思わせる部屋、この男いわく手術室には暖炉だんろの火が灯っている。手術台しゅじゅつだいは人が一人収まる木の台があるだけで衛生管理えいせいかんりなどは一切されていない。髭の男は大柄で茶色の手術衣の下に厚手の黒いシャツ、青いジーンズに革靴姿でこれもまた外科医のそれではなかった。


手術。ああそう言うこと。


「ゴホッゴホッ。痛い」


 起き上がると手が血まみれになっている。うわあ、すごい血の量だ。ヤングがついてる青年誌せいねんしの漫画みたいな世界に来ちゃったな。こんな異世界はいやだ、俺まだ高校一年生だ。グロテスクとゴアはまだ早い。


「ああ、痛み止めは別料金べつりょうきんだぜ。必要なら注文書ちゅうもんしょにサインをくれ、ええと領収書関係りょうしゅうしょ書類しょるいを探してくるから、少し待っていてくれ。よいしょっと」


 ボロボロの木の椅子から降りた茶色づくめの医者はギシギシと床をきしませて部屋を出た。


 部屋は暖炉の火のおかげであたたかい。でも俺のすぐとなりにある小さなたなにはメスやらノコギリやら変わった形のドリルがたくさん置いてある。


 おそおそる自分の体にれてみる。


 エニシが胸をおさえるとゴツゴツとした丸いものが体につめこまれていた。接合部分でちじれて捲れ上がった皮膚が指に引っかかった。話にあった懐中時計は肉体に無理矢理むりやりねじ込まれているかのようだった。


「ギャアアアア、死ぬ。ゲホッ」


 苦しくて思わず血まみれの手で頭をかかえてしまった。胸の異物いぶつさわると痛みがひどくなりそうだ。


 でもこのいたみは病気のつらさとはちがう。そうだナイフで刺されたら多分こんな感じだ。


 心臓の時計がチクタクと針を鳴らしている。

 

 ジリリリリリリ!という音が胸から飛び出してきた。その声は可愛らしい女の子のようだった。


「死にそうだと!私が封じ込められた懐中時計かいちゅうどけい不具合ふぐあいなどはない!」


 すごいなあ、妖精ようせいさんなのかな綺麗きれいな声の声優さんみたいだ。


「誰だよ!姿すがたが見えないぞ」


 さけぶだけで体が重くなるのがわかる。もう一回死んでしまいそうだ。


「お前の胸の中に私はいる、かがみでもみたまえ、時計の中にいる人形が私だ」


 どうする、すごくややこしいぞ。この薄汚い部屋のどこにかがみがあるんだ。その前に聞かないといけないことがある。


「女神さま、あなたが魔法の心臓しんぞうを動かしているならきずいやしてくれよ。たしかひげもじゃのオッサンが戦って金をかせげるとかなんとか言っていたぞ。カースドランクってものが何かはわからないけどランクが高いのだろ?」


 時計の中から「フン、なんだそんなことか!」とハリのある声がした。


「それを早くいえば良いものを。お安いご用だ。どれ時間を進めてやろう。だからと言って肉体にくたい寿命じゅみょうが短くなるわけでも老化ろうかするわけでもないから安心しろ」


 え?代償だいしょうってそう言うものなんだ。でも寿命じゅみょうは減らないのか。


「じゃあその力の代償は何で払うんだ?」


 キィィィィィンと胸から音がする。


 茫然自失とするエニシの胸の中で時計の針がスピードを上げて進み始めた。するとみるみるうちにいたみが引いていくのがわかる。


 エニシの胸の傷がすさまじいスピードで癒えた。身体中についた血はそのままだったが胸に埋められたアンティークの金色時計きんいろとけいの周りは光をはなかがやき始めた。時計は血に塗れた胸の中で光のオーラをまとった。


 まだ姿を見ていない女神は語りはじめた。


「ゴホン!私の時計の適合者てきごうしゃが見つかるとはな。とうとうこの時が来たぞ!」


「この懐中時計かいちゅうとけいはお前がケガをしたり魔術まじゅつで苦しんだ時に一言、ねがえば無限むげんの回復を行うことができる」


 暖炉でまきがパチパチと弾ける音がしている。胸の中でエコーのかかった声で女神が意気揚々いきようようと語り続ける。


「この無敵むてきかつ美しいアンティークがもたらす力の代償を何で払うか、お前はそれが聞きたいわけだな。初めてのオーナー(持ち主)だ!契約者けいやくしゃへの説明の時間が来たぞ!我は嬉しいぞ」


 女神はさわがしいひとり言を交えてブツブツとしゃべってからだまり込んだ。チクタクという心音がること四回だった。


名誉めいよだ」


「戦いに勝つ。大金を手に入れる。国を救う。なんでも良いから成し遂げることだ」


「一年以内に、貴様きさまの心臓となった私に名誉めいよをもたらせ、さもなくばお前の時計とけいは止まる。貴様の名誉はそれすなわち私の名誉だ」


「私の呪いがもたらす生命力に際限さいげんはない。だが一年以内に私を満足まんぞくさせるような名誉めいよを手に入れて見せよ」

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