第12話 自主練
療養生活が数日経ち、私は今やすっかり元気を取り戻していた。体力が完全に戻った訳ではないものの、それでも重いものを持って階段を上がれるくらいには回復してきていた。しかし、師匠とはあれ以来顔を合わせ辛くなっており、一日の大半は以前と変わらず自室に引き篭もっている有り様だ。
『何ですか、それは?』
「あんた、また」
呼んでもないのに勝手に話しかけてきたナビィを注意する。先日、精神衛生上の問題をナビィに言い聞かせ、どちらかが名前を呼ぶまで不必要に干渉しないと取り決めをしたばかりである。
『これは失礼。ですが、気になってしまって』
「これのこと?」
どうやら私が持ってきた水の入った桶が気になるようである。
「魔法の練習をするのよ」
『その水で、ですか?』
「この水の中には砕いて粉末状にした【
【鉱石】は魔法の道具にも使われる宝石に似た石で【エーレア】や【リーフ】をよく通す性質がある。これはその伝導性を活かした練習方法で、水の中に浮遊する【鉱石】に魔素を流し込み、水の流れを操ったり、形を変えたりして魔法を操る感覚を養っていくのだ。
『ほ〜お。その練習方法はオリジナルですか?』
「ううん、違う。前に師匠から教えてもらったの。毎日必ずやるように、って。でも私全然できなくて諦めちゃったのよ。私の記憶見たんなら知ってるでしょ?」
『全て見るのには時間が足りません。必要なところだけです』
「そ」
てっきり一瞬にして全てを見たのだとばかり思っていた。
「なのに、漫画の話ばかりするのにねぇ」
『それはそれ、これはこれですよ。娯楽は必要です』
「それには同意するわ」
ここ最近、ナビィがずっと漫画の感想を言ってくるので無性に読みたくて仕方がない。私の記憶から読み取っているとは言え、羨ましい限りだ。私は思い出そうとしてもニュアンスでしか思い出せないのに。
「でも、ないものをねだっても時間の無駄だから」
『それで突然、そんなことを』
「……その気が振れたような言い方やめて。ナビィが言ったんじゃない。魔法を使うことに慣れろって」
『そういえばそんなこと言いましたね。もう忘れられたのかと思っていましたよ』
「耳にタコが……じゃなくて、頭が痛くなるまであなたが言うからよ。忘れられなかっただけ」
しかし、魔法をしっかりと扱えるようになる体作りは必要だと思っていた。
「ただでさえ、家に引き篭もりっぱなしで運動不足だからね。少しでも魔法を使えるようになっておかないと外に出た時、今度こそ私死んじゃうわ」
『ようやく向上心が芽生えてよかったです』
ようやくとか言わないで欲しい……。やろうとはしていたのだ、一応。
「ちょうどいいわ、ナビィ。あなた、私が魔素を上手く操れるように助言して」
『随分といきなりですね』
「口出す気満々だったくせに」
『バレてましたか。分かりました。お手伝いさせて頂きます』
「じゃあ、お願い。まずは水をかき混ぜてみるから。何かおかしな点があったらアドバイスしてね」
『承りました。いつでもどうぞ』
そうして私は水の入った桶の前に立ち、手を翳していく。
この練習では魔法術式を一切使わない。ただ単純に体の表面に纏う【リーフ】を使って水を操作していく地味な訓練だ。これができればより純度の高い魔法を作り出し、意のままコントロールすることができるようになれる。
師匠は桶に入っていた水を全て宙に浮かせて形を変えたり、分裂させたり、色まで変えたりさせながらそんな説明を私にしていた。
魔法が使えるようになった今の私なら、師匠までとは言わずともかき混ぜたり、持ち上げたりすることくらいはできるはずだ。
「ふんっ!」
できる、はず。
「えいっ!!くうううぅっ」
できる……。
「んんんんんんんっ」
はず…………。
「いやっ!てい!そいっ!えりゃあっ!」
なのに。
「まわれっ!あがれっ!」
『…………』
「なんで!どうしてっ!」
『…………』
「このおおおおお!」
『…………変化なし、と』
「なんでよっ!?」
できなかった。
「何がいけないのよ〜〜〜!?」
『………………』
桶の中の水は全く微動だにせず、自室にはただ私の打ちひしがれた声が響いていくばかり。
「おかしいわよ。なんの手応えもないなんて。ナビィ、これは一体どういうことなの?!」
『その、どう、と言われましても……』
おかしい。いつも壊れた自販機みたいにべらべらと喋り出すのに。なんでこんな時に限って話し辛そうにするだろうか。
いや……、ということは、つまり、それは。
『実にざーーー』
「待って!やっぱ言わなくていい!」
聞いちゃいけないものを耳にしそうな気がして私はナビィの言葉を遮り、ストレッチを始めた。
この数日の間で私の体はよく回復していた。肉付きも肌の血色も健康体へと近づき、完全回復まであと一歩というところまで来ている。そんな私が魔素の一つも操作できないなんてあるはずがない。準備運動が足りなかったんだわ!
「ない!絶対にそんなことないわ」
『いえ、ですが』
「やめて。それ以上は本当にやめて」
おそらく聞いたら一晩中泣いてしまいかねない。
「さあ、テイク2よ!」
そうして私はもう一度桶の前に手を翳した。二度目の試みがそうして始まった。
「ふんっ!」
師匠は言っていた。
意識がその先へと伸びる感覚だと。
だから、手の先に意識を集中させていった。
「んんんんっ!」
魔法とは想像を具現化したものだとナビィが言っていた。
「んんんんんんんんっ!」
私は思う。
え?どういうこと?と。
しゃがんで、桶に手を近づけていく。
「んんんんんんんんんんんんんんんんっ!!!」
仕方ないから水面に手をつける。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
………………………。
「泣いてないわよ」
『なにも言ってません』
「こういう……訓練、だから」
『私には、泣き叫ぶあなたの心の声が聞こえてることをお忘れなきように』
「ちっがうし!この体って、本当に……なんか、精神的に幼くなるっていうか、引っ張られてるだけで……本当の私は、泣いてないし」
私は持ってきていたタオルで手を拭くついでに顔も拭った。
まったく。上手くいかないだけでいい歳した大人が泣くわけない。
「私が泣き虫なんじゃないわよ……。キリアが泣き虫なのよ」
『はぁ〜〜〜〜〜』
そうしていると、ため息が聞こえてきた。
『まったく、仕方のない主人様ですね。転生者って生き物は皆、こうも不器用なんですか?』
「不器用で……悪かったわね」
『その元気があるのなら、【コマンド】を展開してください。指定は【フィジカル】です』
言われて、私は顔をもう一度拭うとナビィの指示に従った。【フィジカル】の欄を開くと《インビジブル》の下に新たな項目が出来ていた。
「《テクスチャー・アイ》?」
『それは【エーレア】や【リーフ】、そして術者の魔素の動きを見ることができる魔法です』
「いつの間にこんな魔法を」
『いつもなにも、今ですよ。足跡です』
「うそ!私のために!?やるじゃない、ナビィ!」
足跡で魔法を作成してしまうとは本当に驚きだ。しかし、せっかく褒めたナビィはあまり嬉しそうではなかった。
『あまり喜ばれても困ります。魔法の感覚を掴むための訓練に魔法を使っては本末転倒です』
「そ……それは、そうね」
魔法を使ってはその性能に頼るばかりで個人の技能と技量は上がらない。私が苦い表情をしているとナビィは続けて言った。
『ですから、その魔法は見えるだけにしてあります。その他補助機能は一切ありません。目で見てどうなっているのか、しっかりと観察してください』
「分かったわ。ありがとう!」
『私も、あなたに才能を少しでも伸ばしてもらわなければ。でないと、いつまでたっても外出できませんからね』
「じゃあ、遠慮なく使わせてもらいます!」
そうして私は《テクスチャー・アイ》を唱えた。すると、景色がガラリと一瞬にして変わった。通常の視界の中に赤色と緑色の二つの色がまるで小さな蛍の光のように漂っているのが見えた。
『赤色が【エーレア】で、緑色が【リーフ】です』
私はナビィに言われてその違いをそれぞれに追った。
緑色の光が体の周りを包んでいるのに対し、赤色の光は部屋の至る所に浮遊してまとまりがなかった。つまり、この体に纏っている緑色の光を操れるようになれば、水を意のままに動かし変化を与えることができるというわけだ。
「分かったわ。見えただけでもとても助かるわ!」
『感覚を掴むのは難しいかもしれませんが、諦めずに頑張ってください。因みに《テクスチャー・アイ》も魔法ですから、長時間使い続けると疲れます。【リーフ】を消費しすぎると立ち眩みなどを引き起こすので程よく休んでくださいね』
ナビィはそれだけ言うと私の礼も聞かずに気配を消していった。
おそらく私の集中の邪魔をしないようにしてくれたのだろう。
「これは頑張るしかないわね」
そうして私は魔素の一種である【リーフ】を使って水を操る練習をしていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます