第二節

第9話 再会?

 体が重い。

 すごく怠い……。

 それと、無性にトイレに行きたい……。


「…………ぅぅ…………ぁれ……」


 目を覚ますとそこは見慣れた部屋の中だった。窓辺には星明かりが差し込んでいて、部屋の中を静かに照らしている。本や紙の束が机や床など部屋の至る所で塔を築いているその光景は確かな見覚えがあった。


(私の部屋、……いつ戻ってきたんだろう)


 そこは師匠が自分の為に空けてくれた私の部屋だった。

 確か……と記憶を辿ろうとするが、なぜか上手く思い出せない。


(何かに引っ張られていったような……)


 んん、ダメだ。仕方ない。今はとにかくトイレだ。

 そして、薄暗い部屋の中へと視線を戻すとベッドの横で椅子にもたれ掛かって眠る師匠を見つけた。


(どうして師匠が)


 私は声を掛けようかどうか迷ったが、お腹が苦しくてそれどころではないと判断した。床にゆっくりと足を付けて極力音を立てずに部屋を出るとトイレに駆け込んで行った。


「はぁ〜〜〜…………」


 私は用を足すとついでに洗面台で顔を洗い、うがいを済ませる。口の中が粘ついていて耐えられなかったのだ。


『もう話しかけても平気ですか?』

「うぁああっ!?」


 突然聞こえてきた男の声に私は声を上げた。


「だっ、誰!?どっから?どこにいるの!」


 私はくるくると洗面所を見回しながら言った。すると、声は笑いながら答えてきた。


『あははは、何ですかその反応は。私ですよ、私』

「だから誰よ」

『ナビィですよ。ナ・ビ・ィ!覚えてるでしょう?死線を共に潜り抜けた仲じゃないですか〜』

「死線?な、なにそれ、どういこと?」


 私は声の出所を探りながら訊いた。


「悪いですが、全く身に覚えがありません。そもそも人と話をするんならせめて姿くらい見せたらどうですか」

『ええ、そこまで!?……やり過ぎたか』

「今、やり過ぎたって……?あなた、私になんかしたんですか!」

『いいや、なにも!何もしてないですよ!やましいことは何も!むしろ、手助けしちゃったくらいで』


 手助け?何を言い出すんだ、こいつは。全く分からない。なのに、この声には酷く聞き覚えがあった。


「……なんだか、あなた気味が悪いわ」

『ひどっ!?』


 体に力が入りにくいし、すごく疲れている気がする。そんな中、まるで昔の自分の声に似た得体の知れない者の相手をしなきゃならないなんて。


(頭がくらくらしてきた。早く部屋に戻ろう)


『ああ、ちょっと待ってください!説明しますから、止まって!お願いですから』

「なんでですか。私に何か?というか、この頭に響く声やめてくれませんか。私、今すっごく体調悪いんですよ」


 私は仕方なく足を止めるも不機嫌そうに言った。実際にそう思っているので仕方ない。好感度なんてあったもんじゃない。

 しかし、ナビィと名乗ったその声は聞き入れなかった。


『それはできません。音量の調節はおいおいするとして、あなたの聴覚神経に直接作用しているのでどうしてもそう聞こえてしまうんですよ。慣れてください』

「嫌なやつね」

『まあまあ、そんなに嫌わないでくださいよ。あなたと初対面でないのは本当なんですから』

「信じられない。嘘よ」


 私はきっぱりと言ってやった。


「あなたみたいな相手、早々忘れるはずないわ」

『嘘ではありません。数日前、旅に出た矢先、あなたはモンスターに襲われたのです。あの時、危険を知らせた女性の声を覚えていませんか?あれは私です。しかし、あなたは逃げるどころか足を止めて棒立ち。見事モンスターに捕まって命の危機に瀕しているところを私が手を差し伸べた、という具合です』

「……言われてみれば、そんなことがあったような。私、師匠から離れて、それで足に何かが巻き付いてきて……」


 思い出そうとして、その先がモヤに包まれたように光景がボヤけていってしまう。何か忘れられない重要な出来事があったはずなのに。

 その間、男の声は『女性の声が良かったらいつでも変えますから。でも、同じ声って思考の邪魔でしょう?』とか喧しく言ってきていた。既に思考の邪魔をしていることに自覚がないらしい。


「……っく」

『おそらくあなたはモンスターと戦った際に力を使い過ぎたのでしょう。記憶の混濁はその影響かと。大丈夫ですよ。時期に思い出せるようになります』


 記憶の、混濁?これが?……そうなのだろうか。


『それよりも、もっと重要なことを思い出して下さい』

「え……重要なこと?なんですか、それ」

『何をとぼけちゃってるんですか?魔法ですよ、魔法!ほら、見てくださいこれ!』


 ナビィがそう言った直後、目の前に光の文字が浮かび上がった。私は驚きながらそこに目を落していく。


「なに、これ」

『あなたのために色々な魔法術式やスキルを開発・統合していったんですよ。いやぁ、あなたの知識は正に宝の山でしたね。この世界に転生してからもよく勉強されていたお陰もあって、作業が捗って仕方がなかったですよ』


 その割には四つの項目しかなく、《ブラスター》、《ガード》、《フィジカル》、《ストレージ》とカタカナでそんな記載がされていた。実に胡散臭い。


「なんでカタカナ表記なんですか……」

『それはあなたが魔法を行使しやすいようにですよ。魔法とは本来、記憶から想起される想像を世界の法則に当てはめて行使する現象なんです。術者が想像できないことは例え行使できたとしても、大した効力を持ち得ません。これはあなたの為に最大限配慮した結果なのです!』

「…………すいませんね。私、魔法がとても下手くそなので」


 こんなことされても、私には使えないって。

 そう思って目の前に浮かぶ文字を手で振り払ってあしらう。


『もしかしてまだ疑ってます?それは紛れもない、あなた専用の魔法なんですよ?私とあなたとの契約の証とも言えます』

「契約?新手のセールスマンか何か?そんな、私をたぶらかしてどうするの」

『仕方ありませんね。では、さっそく試してみましょう。百聞は一見にしかず。あなたの故郷の言葉でですよね』

「私、本当に気分が悪いんだけど……。もう……それで何するの」


 どうあっても私を逃そうとしない男の声に私は諦めてそう言った。それにもし、それが本当で私にも難なく扱える魔法があるとするならば使えるようになりたいというのが本音だった。


『では、部屋に戻りましょう』

「え、部屋に?」

『まあまあ、騙されたと思って』


 私は納得できないまま自分の部屋へと向かった。こんなところでいったい何をしようと言うのだろうか。そもそも、部屋の中には師匠が椅子に腰掛けて寝ている。もし起こしてしまってはとてももう訳ない。それどころか、普通に怒られてしまいそうな気さえする。


「いったい何する気なの」


 部屋の扉を少し開けて、中を覗きながら小声でそう聞いた。師匠はまだ眠ったままだった。するとナビィは嬉々として提案してきた。


『気配を消す魔法を使ってベッドまで何事もなかったかのように戻る。というのはどうでしょう』

「どうでしょう、ってあなた」


 無茶苦茶なことを言う。正直、魔法が使える云々の問題ではない。

 椅子の上で座るという、決して熟睡できない姿勢で寝ている師匠の横を通り抜けて戻ることが、どれだけ大変か見て分からないのだろうか。出てくるのだってとても神経を使って、息を殺して出てきたと言うのに。魔法で?気配を?何を馬鹿を言っているのだ。私の集中力が持つどころか、魔法の気配を辿られて師匠は何もなくても起きてしまうに違いない。

 こんなのやらなくても分かる。


「絶対に無理よ。それなら何もせず、目を覚ましてしまった師匠に謝った方がマシだわ」


 それになぜ私のベッドの横でああして寝ているのかも聞きたいし。

 だが、ナビィはコホンとわざとらしい咳をして、私の意見を無視した。


『先ほど見せた項目は【コマンド】と呼ばれる魔法・スキルのスロットです。そこにセットされている項目は常にアクティブな状態になります。つまり、コマンド選択するだけで魔法が行使出来てしまうのです』

「そんな、ゲームみたいな……」


 いきなり何を言い出すのやら。


『まあ、あなたの記憶を頼りに作成していますから本当はこんな形を取らなくてもいいんです。しかし、分かりやすいようにしなければ使いにくいでしょう?それに。先ほども言いましたが、そこにセットされている魔法は常にアクティブです。もちろん毎度それぞれクールタイムを必要としますが、詠唱や術式構築を一からしなくてもいいという利点はとても大きい。この利点が分からないあなたじゃないですよね?』


 確かに、魔法によっては長い詠唱を必要としたり、複雑な陣を媒介にして形成する魔法なんかはそれ自体が手間で実用的ではない。その分、効力も驚くべきものなのだが、私風情が使える代物でもないので手を出すことはないだろうと思っている。

 だが、そんな手の届かない魔法すら【コマンド】というスロット欄に入れてしまえば瞬時に使える状態になる。と、そういうことだろうか。


『それでは【コマンド】を意識して展開してみてください。それが出てきたら《フィジカル》の項目を開き、《インビジブル》を選択してください。それで発動します。馴れれば、魔法名やその現象を思い浮かべるだけでスムーズに使うことができるようになります。さあ、ほらやってみてください』

「……もう、わかったわよ」


 私は言われた通り手順を踏んでいった。【コマンド】の展開に少し時間を要したが、項目の選択は難なくできた。


「じゃあ、やるわよ。《インビジブル》」


 小声で唱えると、瞬時に体に変化が起きた。

 私の体が一瞬にして消えていったのである。


『成功ですね。その魔法は隠密性が非常に高く構築されています。しかし、体表面の【リーフ】を全体的に使用しているため、強い魔法の干渉や精神の揺らぎ、そして、物理的な身体へのダメージは禁物です』

「注意事項ばかり言って。本当に大丈夫なわけ?」


 光学迷彩を纏ったようなニュアンスに捉えればいいのだろうか。


『理論上は誰にも見つかりません』

「机上の空論でないことを祈るわよ」


 もうこうなったら魔法がしっかりと機能していることを祈るばかりだ。ああ、師匠を実験台にするなんて申し訳ないことこの上ない。変に緊張してきてしまう。

 いつの間にか掻いていた手汗を服で拭って意を決するように言った。


「じゃあ、行くわよ」

『解除する時は集中力を解けばいいだけですから。それができなければ、【コマンド】を展開して《インビジブル》を再選択してください。そうすれば解除できます」

「なんでそこまで私の前世の記憶に引っ張られてる構造してるのよ」

『それでは頑張ってください。また明日にでもお会いしましょう』


 そうするとそれっきりナビィの声は聞こえなくなった。


(はぁ、もうなんなのよ)


 私は部屋に踏み入れながらため息を吐く。そうして、師匠の眠る傍らまでやってきた。


(すごい。本当に気付いてないみたいね)


 すやすや眠る師匠の顔を一度覗き見て、それから横を通り過ぎ、自分のベッドへと体を預けていった。


(できたわ。すごい。本当に私、魔法が思い通りに使えるようになったのね)


《インビジブル》を解除し、星明かりに手を翳すようにして元に戻った自分の姿を確認していく。

 そうしてしばらくの後、私は再び眠りについた。師匠の膝の上の手を握って。

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