第10話 快気早々に


「キリア。お主、本当になんともないのかや?」


 我は調理場に立って朝食の用意を率先して行う愛弟子の後ろ姿を見ながら聞いた。


「そうですね。やつれた、って感じはしますが、その他は特になんともありません」


 キリアは一度こちらに振り返ると笑みを作って、また調理作業に戻っていく。しかし、血を大量に流し、おまけに5日間も意識を失っていた者の笑顔に他人を安心させる力などありはしない。

 我はその姿がいたわしくて仕方がなかった。


「辛いようなら我が作るぞ。キリアは座っておればええんじゃ」


 まるで出会った頃のように痩せ細って見える弟子は、しかし、頑としてその場を譲らなかった。


「そうはいきません。ほら、師匠。これではいつまで経っても朝食の用意が進みません」


 せめて隣に立ち手伝おうとするのだが、キリアはその度に細い腕を我の前に出して遮ってきた。


「私は普段から運動なんてしてませんでしたからね。これ以上、安静にしていたら立つことすらままならなくなってしまいます。これぐらいはさせて下さい」

「ん〜〜じゃが……」

「心配性ですね。本当に平気ですから。私のことを看病してくれたお礼とでも思って下さい。そうでなくとも、師匠からは色々なものを貰い過ぎているんです。恩の一つや二つ返さないと、いい加減罰が当たってしまいますよ」


 そう言ってキリアは調理場に一人戻っていった。

 まったく強情なヤツめ。

 我は仕方なく調理場から退き、居間にあるテーブルの上に皿を用意していった。それが終わると、我は木製の椅子に腰掛けて調理場からの音を聞いた。

 その音だけを聞けばいつもとなんら変わりはない。我は覗きに行きたいと思う気持ちをなんとか抑え、物思いに耽ることにした。とは言っても、結局キリアの事について考える点は変わりはしないのだが。


「…………」


 我はこの数日間、ずっと同じ事について考えを巡らせていた。


(キリアがなぜ遠くにいるモンスターから狙われ攫われたのか。それで、なぜキリアは血溜まりの中で倒れておったのか。未だに分からぬ。あの血は間違いなくキリアの血じゃ。じゃが、外傷の一つもないとはどういうことじゃ?)


 エルフの血は魔法に過敏に反応する。体内に流れている時はその本人にしか反応を見せないが、血液を取り出し、とある魔法を当てると黄金の色を淡く放つ。更に魔法適正に秀でた血液はさまざまなものに応用が効く。エルフの血は万能が故に、別名『黄金の血』と呼ばれている。


(あの魔物紛いの輩は、エルフの血を狙っておったのかや……)


 その可能性も考慮して、地面にできた血溜まりはそれが染み込んだ土ごと我の魔法で燃やし尽くしてきた。他の魔物に作用しても厄介ということもあっての措置である。しかし、こうして何度となく改めて考えてみると、エルフの血を狙った線は薄いように思えてならない。


(実際、我は敵の本体を目にしておらん。能力だけで見れば人種に近かった。じゃが、自然物の操作はモンスターの領分のはずじゃ……。いったいなんなのじゃ、あの人形どもは。こんなことではおちおち旅にも出れんでわないかや)


 せめてキリアが自分の身に何が起こったのかを覚えておれば。


「はぁ〜〜。お手上げじゃあ……。師匠たる、化身たる存在の我が、なんと情けないことよ。はぁ」


 キリアが意識を失い眠っている間、我は何度か記憶を覗こうと“とある貴重な魔道具”を使った。しかし、キリアの記憶はそれを以てしても我とはぐれた直前のところまでしか見ることができなかった。それも単に覚えていないという訳ではなく、意図的に思い出せなくなっているような不可解さがそこに生じていた。

 そして実際に、今朝目を覚ましたキリアにその当時のことを聞いてみたが、本人もほとんど覚えていないという始末。

 真相はもはや誰にも分からない状態だった。


(キリアから微弱に感じていた嫌な気配もなくなっておるし、何から何まで分からずじまいじゃ)


 我はせっかく並べた皿を雑にどかしてテーブルに突っ伏した。


「わからん゛〜〜。わからんわからんわからんわらからーーーんっ!」


 テーブルに突っ伏したまま我は子供のようにじたばたする。そうして顔の位置を変えると視界の端に何かが映り込んだ。


「ぁ…………」


料理を両手に持ったキリアがそこにいた。


「……師匠、何してるんですか……?」

「へっ!?あ、いや、これはっ!」


 弟子にみっともない姿を見られ、我は顔を耳の先まで赤くする。


「ちと、かかか考えごとじゃ!?」

「はいはい。なんでもいいですから、ちゃんとお皿並べて下さい」

「お、おお〜、こ、これはすまんかったなあ〜」


 近づいてくることに全く気が付かなかった。我としたことが、最近たるんどるぞ。

 そうして、自身に心の中で喝を入れ直すとテーブルに大量の料理が並べられていくのを目にした。


「あのぉ、キリアちゃん?これは?」

「朝食ですが、なにか?」

「ちょ……」


 ちょ、朝食じゃと……?この量が……?

 我は信じられないほどの品数と量が乗っている皿の数々を見て言葉を失った。

 それからしばらくして準備が整うと、二人して食べ始めた。圧倒的な物量に我はすぐにお腹いっぱいになったが、キリアは皿に乗る全てを見事平らげてみせた。


「それだけ食欲があれば安心じゃな」

「ええ、もちろんです」


 キリアは口元を拭ってからその後を続けた。


「それで師匠。あんなことがあった後なのですが、私外に出たいんです。許して頂けませんか?」


 思いもよらなかった申し出に我は朝食の余韻を置き去りにして動きを止めた。


「今、外に出たいと言うたのかや?」


我の声音にキリアは肩をびくりと揺らすのだった。

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